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夜。
オフサイドがいる山奥の別荘へ、メジロ家の車が走っていた。
車内には、共にメジロ家の令嬢であるマックイーンとパーマーが乗っていた。
「あの、生徒会長。」
学園から帰ろうとしてた所、マックイーンに突然同行を要求されたパーマーは、車中で何度も戸惑った様子で傍らの彼女に話しかけていた。
「話しって、一体何ですか?」
「別荘に着いてから、お話しますわ。」
マックイーンは、車中でずっと眼を瞑っていた。
彼女の雰囲気は、普段の厳しくも優雅なものじゃなくて、氷のように冷えきったものになってた。
パーマーですら、そんな雰囲気のマックイーンはあまり見たことない。
マックイーンと対照的に明るい雰囲気の強いパーマーは、少々恐そうだった。
やがて、車は別荘に着いた。
マックイーンとパーマーが別荘に入ると、使用人達が迎えていた。
マックイーンは彼らの姿を見るなりすぐに尋ねた。
「オフサイドトラップは、どうしていますか?」
「えっ?オフサイドトラップ?」
「オフサイドトラップ様は、ずっとお部屋の方にいらっしゃいます。」
「そうですか。」
驚いているパーマーを尻目に、マックイーンは使用人達に礼を言いながら別荘に入った。
二人は、別荘の奥の一室に入った。
「あの、生徒会長。」
夕食が用意された卓の前に向かいあって座ると、パーマーは車中の時以上に戸惑った様子で尋ねた。
自分一人だけ突然呼び出されるし、しかも場所は秘密別荘。
どう考えても穏やかなことじゃない上に、ここにオフサイドトラップがいる?
「私、何がなんだか訳わからないんだけど。」
「パーマー、ここではマックイーンとお呼び下さい。」
マックイーンは、水を一口飲んでから口を開いた。
「詳しくは後でお話ししますわ。その前に、まずお聞き頂きたいことがあります。」
「は、はあ。」
マックイーンの翠眼が異常な程の冷徹さを帯びているのを見、パーマーは内心恐怖しながら頷いた。
「まず、この会合は絶対に秘密にして下さい。」
「秘密?」
「私とあなただけの、です。メジロ家の者にも生徒会の者でにも、絶対に口外しないで下さい。」
「…。」
言いたいことは沢山あったが、パーマーはマックイーンの眼光を前にただ頷くしかなかった。
「では、まずこれを。」
マックイーンは、懐から例の二通の書類を取り出した。
「…は?」
受け取ったパーマーは、その二つの書類の大文字を見て硬直した。
オフサイドトラップの有馬出走を止める?
サイレンススズカを引退させる?
天皇賞・秋以降、マックイーンが執ってきて、私達生徒会が支持してきた方針と真逆じゃないか。
「これ、なんなの?」
「現状起きている事態の解決の為の計画ですわ。」
「本当に?」
「本当ですわ。」
「どういうことなの、マックイーン。」
当初は驚愕していたが、やがて疑問の数々と一緒に、沸々とした怒りが沸きあがってきた。
「もしかして、あなたはずっと、私達生徒会の仲間を騙してたの?」
パーマーの言葉に、マックイーンは冷徹な表情を変えずに答えた。
「私は、トレセン学園生徒会長ですわ。在学する約六千の同胞の最高責任者。かつ、全ウマ娘達の象徴的存在。状況に応じて適切な行動を取るのが、私の義務です。」
「そんなこと聞いてるんじゃないの。」
マックイーンの冷徹で無感情な眼を、パーマーは燃える眼で見返した。
現役時代、メジロ家の令嬢に相応しい王者として君臨していたマックイーンに対し、パーマーだってマックイーンですら出来なかった春秋グランプリ制覇をやってのけたウマ娘だ。
威厳や風格こそ劣るかもしれないが、生徒会役員に相応しいウマ娘だという誇りや自負は強くあった。
「あなたまさか、オフサイドトラップを見捨てる気?」
「…。」
「あなたが、こんなことをするウマ娘だとは思わなかった。」
パーマーは名族令嬢らしくなく、怒りと失望の感情を剥き出しにした。
「私だって誇り高いウマ娘の一人よ。こんな計画に易々と賛成する訳ないじゃん。」
オフサイドトラップを出走させない?
全く理解出来ないわ…
そんな素振りは見せてこなかったが、恐らく現生徒会のメンバーの中で自分程、オフサイドトラップの立場の辛さが分かるウマ娘はいないだろうと、パーマーは内心で思っていた。
メジロパーマー。
同じ名族の令嬢でありながら、彼女はマックイーンと比べ競走生活は歩みがかなり違った。
クラシックから頭角を現し以後はG1の舞台で王者として君臨し、メジロ家の象徴のような存在になったマックイーンに対し、パーマーはずっと成績が上がらず、メジロ家では不遇な時代を長く過ごした。
4年生になってようやく重賞を勝ち始め、G1レースにも挑めるようになったが、それでも不遇だった。
宝塚記念で低評価を覆して悲願のG1を獲った時も、表彰式にはメジロ家の者はいなかった。
誰もパーマーが勝てると思わず、応援にすら来てなかったから。
有馬記念の時ですら、パーマーが勝てると思ってなかったのか、レース後すぐ帰れる準備をしてたと彼女は後に知った。
勝たなければ認められないというこの世界の厳しさは、不遇な時代を長く送ったパーマーは肌身沁みてよく分かっている。
とはいえ、不遇だったのは成績が悪かったせいだと、自分でもそこは納得してる。
逆に言えば、勝てば認められるのだ。
そう思ってたが、実際は、パーマーは両グランプリを勝ってもまだ認めてもらえなかった。
宝塚記念の時はメンバーが弱かったからと言われ、有馬記念の時は大本命のトウカイテイオーが絶不調だったのに他のメンバーが彼女をマークしてしまい、その隙をついた勝利だと評された。
パーマーは悔しかった。
その後の阪神大賞典では3着王に驚異の粘り勝ちしたのに、本番の天皇賞・春はマックイーンにもライスシャワーにも、更にはG1未勝利のマチカネタンホイザにすら劣る4番人気。
どこまで認められないんだと歯噛みした。
そして、競走生活の全てを捧げた激走で、天皇賞・春を勝ちにいった。
結果は完敗だった。
直線でライスに千切られ、マックイーンにも食らいついたが僅かに及ばず3着。
そして、激走の疲労が残ったまま出走した宝塚記念。
人気こそようやくマックイーンと対抗出来る程に押し上げたが、もう力は残っていなかった。
同じ天皇賞・春を激走した者同士なのに、平然と1着で駆け抜けたマックイーンに対し、4秒近く遅れた惨敗。
その後は遂に栄光を手に出来ないまま、引退した。
マックイーンを一度でも越えたかった。
そうすれば、本当に認めてもらえたと思う。
でも、届かなかったとはいえ後悔はない。
完敗だったとはいえ、あの天皇賞・春は全てを出し切って走りきれた。
負けたあと、パーマーは強いウマ娘だとファンの皆から称えてもらえるようになった。
メジロ家でも、メジロ令嬢に相応しい存在だと認められた。
また、誰よりもマックイーンが認めてくれた。
彼女と走ったレースは、全てマックイーンが私より先着した。
そんな彼女が、天皇賞・春の後に、私を強いウマ娘だと言ってくれた。
本当に嬉しかった。
今のオフサイドトラップは、事情はかなり違うけど、私と似てる。
パーマーはそう思っていた。
勝ったのに認めて貰えない、称賛を送ってもらえない。
あの天皇賞・秋のレース後、異様な雰囲気で行われた表彰式は相当辛かっただろうと、宝塚記念でたった一人の表彰式を経験したパーマーは胸が痛む位に思い遣っていた。
その辛さを、悔しさを、無念さを乗り越える為には、また次のレースに出るしかない。
だから、パーマーはオフサイドの有馬記念出走を強く支持した。
なのに…
「ねえ、マックイーン。どうしてなの?」
書類を爪が立つくらい握りしめながら、パーマーは侮蔑と怒りを込めた視線をマックイーンの瞳に当てていた。
「これがあなたの本心だとしたら、ちょっと許せないよ。…ねえ、マックイーン。」
「ご覧いただきましたか。」
マックイーンは、パーマーの言葉を無視していた。
「それでは、本題に」
「マックイーン!」
パーマーは、手に持ていた書類を傍に放り捨てた。
「私の質問に答えてよ!」
「それは大事な書類ですわ。」
マックイーンは立ち上がり、放り捨てられた書類を拾いにいった。
「乱暴な扱いはしないで下さい。これは今後の為の…」
「馬鹿にしないで!」
無視を決めつけるマックイーンに、パーマーは遂に切れた。
卓上にあった水の入ったコップを手に取ると、それをマックイーンの顔目掛けてぶちまけた。
バシャッ…
マックイーンの顔は、かけられた水によってびしょ濡れになった。
マックイーンは一瞬硬直したが、すぐにハンカチを取り出すと、表情を変えずに無言で顔や衣服にかかった水滴を拭い始めた。
「一体どうしたの、マックイーン。」
思わず感情を爆発させてしまったパーマーは、水かけられてもなお淡々としたマックイーンの姿を前に少し後悔しながら、だがまだ怒りをこめた口調で尋ねた。
「突然過ぎて、理解出来ないわ。詳しく話して。そうでないと私、一切聞く耳持たないわ。」
「…。」
パーマーの言葉に、マックイーンは水滴を拭き取り、衣服の乱れを整えてると元の席に戻り、それから口を開いた。
「私は、私の独断でこの計画をたてました。」
「あなたの独断?」
「ええ。他の誰とも相談せず、私だけで。他人に打ち明けるのは、あなたが初めてです、パーマー。」
「私が初めてなの?」
「見抜かれている者は別として、あなたが初めてです。そして、あなただけです。」
「なんでまた、私だけ?」
「あなたは家族です。家族だったら、理解してくださると思ったから。それに、この計画の為には家族の協力が不可欠なんです。」
マックイーンの言葉に、パーマーは大きく息を吐き、そして言った。
「目的と詳細、話してくれる?」
「はい。」
深呼吸しながら腕を組んだパーマーに対し、マックイーンは頷くと、冷徹な表情のまま続けた。
「私の計画と目的は、オフサイドトラップの引退後の未来を考えてのことです。…卒業後、彼女が穏やかな余生を過ごせる為に。不遇な扱いを受けず、世間に無視された状態などにならない為に。」
穏やかな余生、不遇な扱い…
「なるほどね。」
その台詞を聞き、パーマーには、すぐに察することがあった。
「プレクラスニーの二の舞は絶対に起こさせない、ということね。」
「…。」
それへの返答はしなかったが、マックイーンの瞳の力が弱まって見えた。