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私メジロマックイーンには、親しい同期のウマ娘がいた。
銀髪が美しく、優れたスピードの持ち主。
彼女の名前は、プレクラスニー。
入学前はなんの接点もなかったが、クラスが一緒で席も隣同士だったことから、彼女との運命は始まった。
クラスニーは、真面目だけど明るいウマ娘。
長距離が得意な私に対し、彼女は短距離〜中距離が得意。
同期の短距離主戦ウマ娘は、素質の高い者が多かった。
彼女はそのトップを争う一人で、いずれは短距離王になるのではと期待されていた。
私は他人とそんなに関わらない主義だったけど、何故かクラスニーとは親しくなった。
なんでだろう…彼女が時折銀髪を掻き分けたり、靡かせたりする仕草を見て、胸が熱く揺れ動くのを感じることが何度もあったから。
年月を重ねて3年生になる頃、私とクラスニーはかなり親密な仲になった。
私が天皇賞・春などを制し第一人者となって秋へ続く大舞台に向け調整している頃、クラスニーも短距離戦線で一気に成績をあげ、同距離の王者の座を狙い始めていた。
そして、秋の大舞台緒戦。天皇賞・秋。
私は勿論、得意距離であるクラスニーもそのレースへの出走を決めていた。
私とクラスニーはチームは違うけど、トレーニングはよく共にし、時に2000mの距離で模擬レースなどをした。
私の方がやや強かったが、ほぼ互角だった。
それ以上の距離なら私が圧倒だったけど、中距離〜短距離、特に1800〜2000mにかけてのクラスニーの強さは際立っていた。
特に彼女は、その年の夏以降で急成長を見せていた。
本番ではどうなるか、正直分からなかった。
でも、天皇賞・秋が近づく中、レースへの緊張感は別として、私とクラスニーの仲はより濃くなった。
クラスニーは勝敗よりも、まず私と闘うことを楽しみにしてた。
プレッシャーも殆どなさそうで、いつも明るかった。
私も、自分にはない彼女のポジティブさが好きだった。
銀髪と笑顔が本当に美しく映えていたし。
クラスニーも、絶対に負けないという私の気概を好きだと言ってくれた。
勝敗は必ずつく、それでも気持ちのいいレースが出来そうだと、私は思っていた。
そして、その日は来た。
7年前の10月27日。
第104回天皇賞・秋。
当日は朝から強い雨が降っていて、コース状態は不良バ場だった。
もうその時点で、パワーでは他の追随を許さない私がかなり有利な状況だった。
人気は圧倒的に1番人気。
史上三人目となる天皇賞春秋連覇という大記録もかかる中、私は自信に溢れていた。
一方のクラスニーは3番人気。
唯一怖い相手だったが、バ場状態もあり負ける気はしなかった。
そして、発走の時を迎えた。
スタート直後、7枠で珍しく絶好のスタートをきれた私は、直後の第2コーナーのカーブ前で先頭に出ようと、なるべく内側に進路をとりながら加速した。
そうはさせじと、私より内枠での発走だったクラスニーがスピードをあげて競りあってきた。
その時、私とクラスニーが走る後方で何かごちゃつく音と悲鳴のようなものが聞こえたが、気にしなかった。
いきなりの競り合いは、結局私が譲った。
クラスニーは先頭にたってレースを進め、私は3番手でレースを進めた。
そのまま、レースは最後の直線に入った。
不得意の不良バ場状態の中、クラスニーは懸命に走って先頭を死守していた。
そんな彼女の背を、不良バ場も得意の私はすぐに捉えた。
残り200mまでクラスニーは粘った。
でも、相手が悪かった。
200mで私は先頭を奪うと、後は独走した。
結果、私は1着でゴール。
6バ身後方で、プレクラスニーが2着入線。
私以外の後続の追撃は振り切っていた。
レース後、私とクラスニーは健闘を称えあった。
クラスニーは春秋連覇おめでとうと言ってくれ、私も、不良バ場じゃなかったら分からなかったと、不得意なバ場で奮戦したクラスニーを褒めた。
また来年、この舞台で闘おうと約束した。
だけど、私もクラスニーも気づいてなかった。
電光掲示板に、『審議』の青ランプが灯っていたこと。
そして他の出走ウマ娘達の多くが、異様に不機嫌だったこと。
レース後、私達出走メンバー全員が、採決室に呼ばれた。
そこで、審議の内容を知った。
『第2コーナー手前で、マックイーンが進路を内側にとろうとした際、後続のウマ娘達の進路を妨害したことについて』
進路妨害したなど夢にも思わなかった私に対し、妨害を受けたとされるウマ娘達は口々にそれをされたと出張した。
集まった彼女達のトレーナーの中には、危険な妨害だと怒りを露わにする者もいた。
騒然とした雰囲気の中、一人一人が事情聴取を受けた。
勿論私も。
そこで私は、第2コーナー手前のパトロールビデオを観せられ、愕然とした。
私が内側に切れ込んだ瞬間、内枠を走っていた後続メンバーの進路が一気に狭くなり、衝突したり転倒寸前になった者もいた。
プレジテントシチーはあわや転倒&大怪我しそうな程バランスを崩していたし、後で聞いた話では、衝突に巻き込まれたカミノクレッセは、重い怪我を負った。
無論私には、そんな意図などは毛頭もなかったが、斜行による進路妨害は認めざるを得なかった。
結果、私は斜行妨害を受けたメンバーの一人であるプレジテントシチー以下となる、最下位18着への降着処分となった。
同時に繰り上がりで、プレクラスニーが1着となった。
勿論、その結果を受けて周囲は騒然となった。
メジロ家のおばあ様は降着処分に納得いかずに採決委員達と激論になり、場内の大観衆は怒号と悲鳴と戸惑いの声が溢れる異常事態になった。
そうした中、私はただ黙って控室に消えるしかなかった。
そして、控え室に戻るその途中、優勝インタビューを受けているクラスニーと眼があった。
クラスニーは、少しも嬉しそうじゃなかった。
泣きそうな顔をしてた。
何か声をかけようかと、一蹴脚を止めた。
けど、その気になれなかった。
私も、自分が悪いことは分かっていたけど…納得しきれていなかった。
天皇賞・秋の盾も逃し、春秋連覇の偉業も泡と消えた。
悔しさと無念さで、心がいっぱいだったから。
そのまま、クラスニーから視線を逸らし、私は場を去った。
ウマ娘史上初の、G1レース1着入線者の降着処分&繰り上がり優勝者誕生。
またその異常事態の影響で、この日のウイニングライブも史上初めて中止になった。
第104回天皇賞・秋は、それで終わった。
だけど、そこからがプレクラスニーにとって、本当の悲劇の始まりだった。