1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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オフサイドトラップ回想録(1)

*****

 

 

5年前の春、私はトレセン学園に入学した。

 

入学前から優秀なウマ娘として評価されていた私は、明るい競走バ生活を夢見て、学園の門をくぐった。

 

加入を希望したチームは『フォアマン』。

憧れのトウカイテイオー先輩がいるチームだ。

勿論、私以外にも多くの同期がチーム加入を希望していたので、選抜試験が行われた。

 

私は試験の結果、運命の仲となるナリタブライアン・サクラローレルと共に『フォアマン』に新加入した。

 

 

その後、私はチームメイトと共に切磋琢磨しながらデビューを迎えた。

ブライアンは凄い勢いで快進撃を続けてたけど、私やローレルは脚の不安もあり中々デビュー出来なかった。

 

ようやく迎えた年末のデビュー戦は2着。

次もまた2着。

既に朝日杯を制し、世代王者となったブライアンとは大きく水を開けられてしまった。

 

でも年明け、初勝利を挙げるとその次も勝って連勝。

トライアルも勝って、皐月賞への切符を掴んだ。

デビューが私より遅れたせいで皐月賞を逃したローレルの悔しさも胸に、私は圧倒的1番人気の盟友との闘いに挑んだ。

 

 

だけど結果は、今思い出しても凄まじい強さをみせたブライアンが圧勝。

彼女にとっては、ハイペースの展開なんてなんの関係もなかった。

私はただ、直線を割くような勢いでぶっちぎったブライアンの背中をただ茫然と眺めることしか出来なかった。

 

親友のあまりの強さに、心を折られた私はダービーに向けての調整にあまり気合いが入らなかった。

 

そんな中、ダービー一週間前にショッキングなことが起きた。

皐月賞出走こそ逃したが、ダービー出走権はトライアルレースで獲得したローレルに故障が判明し、彼女はダービーに出走出来なくなったのだ。

私は、トライアル後にダービー出走権を獲得したローレルの喜びぶりを見ていた。

その喜びと努力が全て水の泡になったことに物凄くショックを受け、ローレルの心境を思うと涙が出そうなくらいだった。

 

でも、ブライアンは違った。

ローレルの怪我を聞いても動揺せず、落ち込んでいた彼女に対しても慰めの言葉はかけず、ただ一層ダービーに向けての調整に集中した。

そうしたブライアンの行動を、私も見習うことにした。

ローレルの傷心を癒せるのは言葉ではなくターフでの走り。

そう思ったから。それに、私達の姿を見ている後輩も既にいた(フジキセキ・ホッカイルソー・シグナルライト)。

後輩達に対して、情けない姿は見せられない。

ローレルの怪我によって、私のダービーへの思いが変わった。

皐月賞と同じく、ブライアンに勝つと言う思いに。

 

 

そして迎えたダービー当日。

チームの先輩後輩そして車椅子姿のローレルの前で、私とブライアンは生涯一度の夢舞台に出走した。

 

結果はブライアンの優勝。

直線で大外に持ち出しながら先頭に並び、残り200mからみせた彼女の末脚は、皐月賞よりも凄まかった。

実況が『千切った千切った千切った!』と連呼する、5バ身差の圧勝。

対する私は、4コーナーでかなりの不利を受けてしまったこともあるが8着の惨敗。

ブライアンには2秒以上千切られた。

でも後悔はしなかった。

半端な気持ちで走ったわけじゃなく、全力は出し切れた。

私にとって、距離的に菊花賞が厳しい以上、ダービーが最後のクラシックレースだった。

惨敗こそしたが、夢舞台の終わりは悪い形ではなかった。

ローレルにもチーム仲間達にも恥ずかしいレースぶりではなかっただろうという自負もあった。

そして、また千切られたけど、優勝した盟友の背中からも目を逸らさなかった。

 

いつか必ず、あの背中に追いつく日を目指す為に。

 

 

だけど。

 

 

ダービーから一カ月ほど経った7月始め、私は秋の天皇賞を目指す為、2年生限定の重賞レース、ラジオたんぱ賞(G3)に出走した。

2番人気の評価をもらったけど、結果は4着。

このレース中、私は右脚に明らかな違和感を感じた。

 

入学前から、この右脚に不安はあった。

デビューが遅れたのもそのせい。

ローレルも脚部不安はあったけど、私の脚は彼女と違う不安を抱えていた。

それは、ある病の兆候があったから。

 

その病は発症したら、もう2度と走ることは出来ないと恐れられる難病。

現にチームの先輩が一人、その病に冒されていた。

だから、トレーナーも私も、その病が発症しないよう慎重に慎重を重ねた日々を送っていた。

おかげで、皐月賞にもダービーにも出れた。

もう、病気の心配はないかな。

私は内心で、希望的に思っていた。

 

なのに。

 

なんで、どうして。

嫌だ…嫌だよ。

嘘だといって!間違いだって言ってよ!

まだ還りたくない!嫌だっ!

 

たんぱ賞後、病院で違和感を感じた私の右脚の検査をした後、告げられた結果は、〈クッケン炎〉発症。

どんなに否定したくても、私の右脚のごまかしようのない熱と痛みがその事実を伝えていた。

 

 

**

 

 

2年生の7月始め、レース後に判明した“右脚クッケン炎発症”。

 

終わった。

これで私の生涯は終わったと、そう思った。

 

これまで、クッケン炎を発症したウマ娘は、殆どが引退・退学に追い込まれている。

一度治ろうとも、また発症する可能性が高い〈死神〉。

最近では、サクラチヨノオー先輩・アイネスフウジン先輩らG1を制した先輩達もこの病に冒され、引退を余儀なくされた。

実績のないウマ娘は引退せず、必死に闘病しながら現役を続けているが、そのうちの99%は再度の発症で走れなくなるか、成績不振により退学に追い込まれ、大半はそのまま還る。

実績のない私にとって、実質的にクッケン炎の宣告は死の宣告だった。

 

もっと走りたかったな…

クッケン炎の宣告を受けた後、私は絶望の中にいた。

グローバル先輩やテイオー先輩は奇跡の復活をすることが出来たけど、私は絶対無理。

だって怪我じゃなく不治の病なんだから。

この病に冒されてから復活したウマ娘なんて史上見当たらない。

大レースを制した生徒や、名族出身である生徒なら、引退して新たに生きていくことは出来る。

でも、実績もなく名族でもない私は、絶望と苦痛の中で消えていくしかない。

ならもう、早い方がいいかな。

治療も踏み出せず、還ることばかり考えていた。

 

でも、そんな私を必死に励ましてくれたのは、他ならぬチーム仲間だった。

後輩でやたら明るいシグナルライトや、リーダーのケンザン先輩、トレーナー。

 

そして、ブライアンとローレル。

 

私達同期三人には、約束した夢があった。

『大レースの舞台で、一緒に闘う』

 

ブライアンとローレルは何度もそれを口にし、私を励ましてくれた。

そしてもう一人、1年前からクッケン炎と闘病しているマイシン先輩が、“一緒にこの病に打ち克とう”と言ってくれた。

チームのみんなの声に支えられ、私は、闘病を決意した。

 

 

7月中旬、私は学園を離れ、ウマ娘療養施設での生活が始まった。

 

療養生活は、辛かった。

まずクッケン炎による痛みと熱が苦しかった。

酷い時は何日も寝ることが出来ないくらい程の苦痛だった。

治療方法は、患部を氷水に浸し、その後レーザーを当てる。

それの繰り返し。これもかなりの苦痛が伴う。

これを毎日20分〜30分、長い時は何時間も行う。

その日々の辛さもさることながら、何より一度治ってもまた再発する可能性が高いという不安、更にこの病に罹って大成したらウマ娘は過去1%もいないという事実が苦しかった。

毎月、何人もの病症仲間が治療を断念して退学し、その中には還っていく者もいた。

どうしようもない不安と絶望感が、私を蝕もうとしていた。

 

それでも、私はその絶望に耐え続けることが出来た。

それは仲間達が支えてくれたから。

特に後輩のシグナルが、トレーナーと一緒に毎週のように療養施設に見舞いに来てくれた。

彼女はすごく明るい面白いウマ娘で、信号の色を言うのが口癖だった。

また、リーダーのケンザン先輩・リュウオー先輩達もレースの合間を縫って見舞いに来てくれた。

ブライアンとローレルは菊花賞に向けて集中していたので中々来れなかったが、電話で話はよくした。

 

 

そうした中、菊花賞一週間前の天皇賞・秋(優勝はネーハイシーザー先輩)のレース後に悲しいことが起きた。

レースで敗れた現役第一人者のビワハヤヒデ先輩と、『フォアマン』チーム仲間のウイニングチケット先輩が、レース中にクッケン炎を発症したことが判明したのだ。

 

結果二人とも、引退を表明した。

ウマ娘界のスターの引退に、大きな衝撃が拡がった。

同時に、クッケン炎の恐ろしさを、現実で見せつけられた気がした。

更なる絶望感が病症仲間達に広がる中、私は、引退した二人の戦友であるナリタタイシン先輩(4月にクッケン炎発症)らと共に必死に治療を続けた。

 

 

二人の引退の衝撃が残る中、菊花賞の日を迎えた。

ローレルは怪我の影響か、成績が上がりきらず出走を逃した。

注目は、ブライアンが三冠制覇を果たすかの一点に絞られていた。

 

そして結果は、7バ身差の圧勝。

チーム先輩と血縁者の悲運を乗り越え、ブライアンは史上5人目の三冠ウマ娘となった。

 

私は施設でのTV観戦となったけど、彼女が直線で後続をみるみる引き離していく圧巻の末脚を観た時は心が震えた。

こんなすごいウマ娘がいるのか…

でもそれは、皐月賞の時みたいに心が折られるような感情じゃなかった。

もう一度、この怪物と同じターフに立ちたい。

私は心からそう思ったのだ。

 

 

だけど、そうした中で新たな悲報もあった。

秋口にクッケン炎の症状が治まり、1年半ぶりにレースに復帰したマイシン先輩が、再びクッケン炎を発症してしまったのだ。

僅か一月2戦の出走だけで、先輩は再び療養施設に戻ってきてしまった。

現実はこうなんだ。

心底落ち込んだ先輩を見て、私はそう思った。

でも、絶対に諦めない。

 

 

一方で、菊花賞のあと位から、私のクッケン炎の症状は治まりはじめていた。

熱や痛みをあまり感じなくなり、走ることも少しずつできるようになった。

 

そして11月下旬。

検査の結果、クッケン炎が治まったという結果を受け、退院が決まった。

 

その結果を聞いた時、私は嬉しさに泣いた。

クッケン炎にかかった時は、もう帰還を覚悟していた。

療養生活も、本当に苦しかった。

諦めて還ろうと、何度も思った。

でも、諦めなくて良かった。

 

 

私は、5ヶ月ぶりに学園に帰ってきた。

 

チーム仲間はみんな復帰を祝ってくれた。

シグナルは大泣きしてくれたし、ローレルも泣いて喜んでくれた。

三冠ウマ娘になったブライアンも、久々に笑顔になってくれた。

トレーナーやケンザン先輩も、よく帰ってきたと労ってくれた。

 

そして12月。

私は5ヶ月ぶりとなる復帰戦のレースに出走した。

結果は3着だったけど、脚に痛みもなく良い走りが出来たと思った。

何より、またターフにたてたという嬉しさが大きかった。

来年は沢山トレーニングしてレースで良い成績を出して、また大舞台に立ちたい!

そう目標をたてた。

 

 

年内のレースは、その復帰戦が最後になった。

他のチームメイトは、1年生のフジキセキがデビューから無敗の3連勝。

年末の朝日杯も制して1年生王者となり、来年のクラシックの最有力候補に名乗りを上げた。

ルソーも6戦走って2勝と2着1回3着2回とかなり良い成績を挙げた。

シグナルは1戦だけだったが1勝。

クラシックへ青信号だと自賛してた。

 

先輩達に関しては、前述のチケット先輩の引退・マイシン先輩のクッケン炎再発の他、リュウオー先輩も怪我で離脱が多く結果は残せなかった。

リーダーのケンザン先輩はOPで2勝挙げたが重賞以上ではあまり結果を残せなかった。

ただ、年末に悲願の海外遠征を敢行した。

結果は勝てなかったが、目標を叶える為、6年生になる来年も現役続行を決めていた。

 

そして、同期の親友二人。

ローレルは不運もありクラシック出走は叶わなかったが、目標を来年の天皇賞・春に切り替え、年末は連勝で締めくくって弾みをつけた。

三冠を達成したブライアンは年末の有馬記念でも先輩達を相手に圧巻の走りを見せ優勝。

来年は名実とともに史上最強ウマ娘の称号を手にしようと目標を掲げていた。

 

こうして、私の2年生は終わった。

 

そして翌年。

私も『フォアマン』全体も大激動となった年を迎えることになった。

 

 

 

***

 

 

 

3年生。

 

私の年明け初戦は金杯(G3)になった。

 

学園の先輩達と闘う初めての重賞レース。

そのメンバーの中には、チーム仲間のローレルもいた。

私が療養している間、彼女はどんどん強くなっていた。

昨年末のレースの内容から、彼女がブライアンを倒す1番手ではないかとも言われていた。

でも、私だって負けない。

一度は諦めかけたターフに戻ることが出来たんだから。

人気は私が1番、ローレルが2番だった。

 

レースの結果は、ローレルが勝った。

2番手に3バ身をつける完勝で、重賞初制覇を飾った。

対する私は、気負い過ぎたのかまずいレース運びをしてしまい8着の惨敗。

でも、レースに負けた悔しさは当然あったけど、ローレルの勝利が嬉しくもあった。

これまで何度も怪我に泣かされ、クラシックに出走出来ず悔しい思いばかりしてきたローレルが、こんなに強くなった。

同じ脚部不安を抱える身として、すごく勇気つけられて気がした。

私だけでなく、チームのみんなも彼女を祝福した。

 

 

そして2月。

私はバレンタインステークス(OP)に挑んだ。

前レースは惨敗だったけど、それでも1番人気に支持された私は、今度こそと意気込んで出走した。

結果は、マーメイドダバン先輩とのハナ差の闘いを制し、約1年ぶりの勝利を上げた。

 

やった!

本当に嬉しかった。

クッケン炎を患った時は2度と走れないと絶望感してたのに、また復帰できて、しかも勝つことが出来たんだから。

トレーナーもチームのみんなも、私をこれ以上ないくらい祝福してくれた。

後輩の3人は泣いて喜んでくれた。

特にシグナルはボロ泣きして鼻水までつけてきた。

トレーナーもケンザン先輩も、そしてブライアンもぎゅっと力強く抱きしめて祝福してくれた。

ローレルも、二人きりになった時に泣いて抱きしめてくれた。

本当に、本当に嬉しかった。

 

翌日、奈落のような悪夢が待ち受けているなんて夢にも思わなかった。

 

 

***

 

 

復活勝利の翌日。

 

学園への登校中、私は右脚に違和感を感じていた。

その違和感は、覚えのある最悪な痛みと熱を伴っていた。

嘘でしょ…

必死に誤魔化していたけど、だんだん痛みが強くなった。

朝の練習は疲れがあるから、とこっそり休もうとしたが、トレーナーの眼は誤魔化せなかった。

 

*****

 

(情景描写)

 

「行くぞオフサイド!」

「嫌っ!離して下さい!」

 

朝の『フォアマン』部室。

病院に連れていこうとするトレーナー・チーム仲間達と、それを拒むオフサイドが、目を背けたくなるような状況を展開していた。

 

「離して!私は大丈夫ですから!」

「どこが大丈夫だ!」

靴も靴下も脱げ露わになったオフサイドの右足首から下部分は、明らかに腫れ上がっていた。

顔が、痛みと涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だーっ!」

オフサイドはトレーナーの腕を跳ね除け、ケンザンの手を振り切り、ブライアンの腕に噛みついて、泣き叫びながら必死の抵抗をしていた。

その様を見ている後輩3人は、怯えていた。

「オフサイド先輩!」

シグナルの眼からは、昨日の歓喜の涙じゃなく、悲しみの涙が溢れていた。

ローレルは後輩達をしっかりと抱き寄せて、その場を見守っていた。

 

「うっ…」

三人の腕を逃れて駆け出そうとしたオフサイドは、半歩もいかないうちに右脚を抑えて崩れ落ちた。

「痛い、痛いよ…」

また…

「なんで…なんで…よ…」

呻き声を上げて、オフサイドは力尽きた。

 

「…。」

ローレルは、気を失ったオフサイドの側に近寄った。

彼女の頬を伝っている涙を拭き取ると、ぐったりした身体を抱き上げた。

「ブライアンさん。」

「…。」

ブライアンはオフサイドに噛まれた腕をさすりながら、ローレルと一緒にオフサイドの身体を抱き上げた。

「行きましょう、トレーナー。」

ローレルとブライアンは、オフサイドの身を抱き抱えて車へと向かった。

 

 

*****

 

 

病院に運ばれた私を待っていた検査結果は、“右脚クッケン炎再発”。

それも、1度目の時より重症という結果だった。

 

神様なんていない。心からそう思った。

 

 

2度目の療養生活が始まった。

でも、治そうという気力は失われていた。

チーム仲間の言葉も、耳には聞こえたがそれ以上は響かなかった。

適当に治療を受けている中で、もう私の心は決まっていた。

もう、還ろうと。

 

でも、すぐに還る訳にはいかなかった。

せめて、ローレルとブライアンが2ヶ月後の天皇賞・春で対決するまでは生きていようと思った。

ローレルは私が倒れた後の重賞で惜敗したが2着に入り、天皇賞・春への出走を確定させていた。

後輩のクラシックまではとても気力が持ちそうにないけど、せめて同期の勇姿だけは、特に同じ脚部不安に苦しみながらも這い上がったローレルの姿だけは、最期に見届けたかった。

 

 

そして、2度目療養生活が始まって3週間程経った、3月初めの日のことだった。

 

忘れもしない、その日の夕方。

治療を終えて病室で休んでいた私とマイシン先輩(1度目と同じく彼女と同室になっていた)のもとに、チームから電話が来たと連絡があった。

二人以外いないので、私とマイシン先輩はスピーカーホンで電話に出た。

 

「もしもし。」

『マイシン先輩…オフサイド先輩…』

電話の相手はシグナルだった。泣き声だということがすぐに分かり、私達は怪訝な表情になった。

「どうしたんだ?」

『ローレル先輩が、赤信号になってしまいました…』

「は?」

『ローレル先輩、トレーニング中に怪我して、救急車で運ばれて…そしたら、もう再起不能だって…』

 

シグナルの後、ケンザン先輩が電話に代わり、状況の詳細を教えてくれた。

ローレルは学園でのトレーニングで走っている際に怪我を負って転倒し、病院へ搬送された。

診断の結果、両脚に重度の骨折を負った事が判明し、医師から『競走能力喪失・再起不能』との判断を下されたということだった。

 

私達はすぐにローレルに会いに行くことにした。

自分の脚の状態なんて構ってられなかった。

医師の先生の協力もあり、私達はローレルが搬送された病院へ全速力で向かった。

 

病院に着くと、待合室にはチーム仲間全員が集まっていて、まるで通夜みたいな雰囲気だった。

シグナルだけじゃなくキセもルソーも泣いてたし、彼女達の傍らにいるリュウオー先輩もケンザン先輩も口を真一文字に険しい表情をしてた。

そしてブライアンも、蒼白な表情をしてた。

病室にいたトレーナーが、ローレルが会いたがってると呼びに来た。

トレーナーの表情もかなり憔悴していた。

 

ローレルの病室に行くと、彼女は両脚は包帯が分厚く巻かれ宙に吊るされた格好でベッドに寝ていた。

入って来た私を見て、彼女は弱々しく笑った。

もう、悲しむ気力すら残ってないようだった。

 

私とローレルしかいない暗い病室で、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。

 

2年にも満たない学園生活だったけど楽しかった…

クラシックにもG1にも出れなかったけど、脚に不安を抱える中で通算15戦もレースに出れたことは良かったし、重賞を含めて5勝出来たことは誇りに思える…

抱いてたロンシャンへの夢には遠く及ばなかったけど、幸せな夢だった…

 

そんな言葉を、ローレルは心が抜けた笑顔を浮かべて話してた。

 

 

やめてっ!

ローレルの姿に、私は耐えきれずに叫んだ。

 

ローレルの無気力な姿なんて見たくなかった。

諦めの言葉の数々なんて聞きたくなかった。

私にとって、ローレルはもう一つの生命のような存在だった。

数々の試練を乗り越えて、ブライアンという偉大な同期に立ち向かって行く雄々しいウマ娘だった。

一緒にいるだけで勇気つけられるような誇り高いウマ娘だった。

そんな彼女の心が折れてしまったなんて、信じたくなかった。

 

だから、私は言った。

諦めないで!

この大怪我を乗り越えて、またターフを走ろうよ!

 

無理ですよ…

ローレルは、私の言葉を即座に否定した。

もう私は、やれるだけのことはやりました…

何度も何度も脚の不安という壁にぶつかり、その度に乗り越えてきました…

でも、もう限界です…

私は、負けました…

 

だめ!

 

私はベッド上のローレルを抱きしめ、心の底から叫んだ。

絶対に諦めないで!

私も、私も諦めないから!

このクッケン炎から蘇って、必ずターフに戻るから!

絶対に、…絶対にこの〈死神〉を克服してみせるから!

だからあなたも、諦めないで!

 

 

〈オフサイド回想録(2)に続く〉

 


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