マックイーンとパーマーは、オフサイドが待つ部屋へと向かった。
オフサイドは制服姿で、使用人が用意した話し合いの部屋で待っていた。
二人が部屋に訪れると、彼女は一礼して二人を迎え入れた。
「オフサイドトラップ。お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。」
使用人を下がらせ、用意された席の椅子に向かいあって座ると、マックイーンはまずオフサイドに頭を下げた。
「いえ。こちらこそ、畏れ多くもメジロ家の屋敷に匿って頂き、感謝しています。」
「お気になさらず。生徒を守るのは生徒会長の当然の務めですわ。」
ひと通りの挨拶を終えた後、マックイーンは改めてオフサイドの姿を見た。
一週間前に生徒会室で会った時と比べ、彼女の顔色はかなり良くなっていた。
身体の張りも感じる。世間の荒波とは無縁の、トレーニングの一点だけに集中できる空間にいたからか。
だとしても、僅か一週間でここまで調整してきましたか。
10%もない状態から、短期間で70%くらいまでの状態に戻ってきていることに、内心感嘆した。
「体調の方は、大分良くなられたようですね。」
「ええ、調整に集中出来ましたので。」
「流石、天皇賞ウマ娘ですわ。」
「…。」
オフサイドは、ほんの少し微笑した。
「ですが、脚の状態は、あまり思わしくないようですね。」
マックイーンの視線は、オフサイドの右脚に向けられた。
包帯が巻かれているので素足は見えないが、その包帯の分厚さが状態の良くなさを思わせた。
「慣れてます。」
オフサイドは、あまり気にしていないようだった。
もう4年以上、この脚部と闘い続けているのだから。
「今度の有馬記念で最後ですから。もう一踏ん張りだと思ってます。」
オフサイドは、包帯に覆われた右脚部にそっと触れた。
オフサイドのその言葉を聞いたマックイーンは、無言でテーブルにある紅茶を手に取り、それを一口飲んだ。
優雅な名族令嬢の表情のうちに、言い難い苦悩と葛藤が窺えた。
やめようよ、マックイーン…
彼女の隣に座っているパーマーは、その表情を見て思った。
同じウマ娘としての心情なら、あなたはオフサイドの出走を絶対に止めたくない筈なんだから。
いくら、あなたが自分の行動が正しいと思っていても、本心に逆らってまでそれを示すのは、とても良策とは思えないよ。
「オフサイドトラップ。」
マックイーンは紅茶のカップを置き、マックイーンは口を開いた。
「僅かな期間で、ここまで調整を上げてきたことに対して、心から敬意を表します。ですが、」
マックイーンは一度深呼吸し、それから続けて言った。
「あなたに、このトレセン学園生徒会長メジロマックイーンからお願いがあります。」
「…?」
傍らで息を呑んだパーマーと対照的に、オフサイドは特に表情も変えず、次の言葉を待った。
マックイーンは、冷徹な眼光でオフサイドを直視した。
「有馬記念出走を、止めて頂きたいのです。」
しばらくの間、沈黙が流れた。
時間にすれば1分にも満たない時間だったが、静謐な場所であることも相まって、異常に長く感じられた。
言葉を告げたマックイーンも表情を変えず、告げられた側のオフサイドも、殆ど動揺を見せなかった。
一番動揺してたのはパーマーだった。
「あなた、驚かないの?」
緊張に耐えられなくなったのか、パーマーは滲み出た汗をハンカチで拭いながら、沈黙を破ってオフサイドに尋ねた。
オフサイドは、動揺どころか余裕がある微笑を見せながら、パーマーの言葉に答えた。
「予想してました。」
「え、予想してたの?」
「私の今の状況を考えれば、生徒会長から出走を止められることも容易に考えられましたから。」
「マックイーンは、ずっとあなたの有馬記念出走を後押しする姿勢を示してたのに?」
「私は、絶望が常に隣合わせにいる生活を送ってきましたので、何事も信じ切ることは出来ないのです。」
「絶望と隣合わせ…。」
だと思いましたわ…
ちょっと戦慄しながら呟いたパーマーの傍ら、マックイーンは特に表情も変えず、再び紅茶を一口飲んだ。
マックイーンの方だって、オフサイドに自分の意志を見抜かれている可能性は想定してた。
何しろ彼女は、学園史上屈指な程に〈死神〉との闘病の日々を送ったウマ娘だ。
それに病気だけでなく、彼女はターフでの仲間の帰還も、また盟友の帰還すらも経験した。
故に、危機に対する感覚の鋭さや聡明さは相当なものの筈。
パーマーは気づいていないようですが、あの天皇賞・秋後の言動の真意に(多分だが)気付いている私には、これは想定出来ましたわ。
「生徒会長、」
オフサイドは、沈黙したパーマーから、カップを手にしているマックイーンの方に視線を向け直した。
「私は、有馬記念出走を止める気はありません。」
私のさいごのレースですから、という言葉は胸の奥に留めた。
*****
約一時間後。
オフサイドとの話を終えたマックイーンは、パーマーと共に自室に戻っていた。
話し合いの結果は、パーマーが予想した通り、不調に終わった。
マックイーンはクラスニーの件なども持ち出して、出走を止めるよう説得にあたったが、オフサイドがそれを受け入れる筈もなかった。
結局、パーマーが殆ど口出すこともなく、マックイーンは説得を止め、話し合いは終わった。
分かりきってたのに…
椅子に座って紅茶を飲みながら、パーマーは、話し合いを終えた身体をソファで休めているマックイーンを見ながら思った。
幾ら彼女がオフサイドの為と思って出走を阻止させようとした所で、オフサイドが首を縦に振る訳ないじゃない。
確かに、オフサイドを取り巻く世論・ファン目線は相変わらず酷い状況だけど、その状況で出走を決意した彼女には相当強固な意志があるに決まってる。
その意志は、例え生徒会長のあなたでも動かせないのは容易に想像出来た。
クラスニーの件があったとはいえ、マックイーンらしくない無意味な行動だったよ。
「マックイーン、」
つと、パーマーはマックイーンに声をかけた。
「あなた、この後どうするの?」
オフサイドが断固として出走すると表明した以上、これ以上それを止めようとしても意味がない。
「今まで表面上でやってた通り、オフサイドトラップが出走出来る為に尽力するつもり?」
「…。」
瞑目したまま答えないマックイーンに、パーマーは更に続けた。
「このことは、あまり気にしないでいいよ。オフサイドの出走を止めようとしたことは私しか知らないことみたいだし。私も絶対に誰にも言わないから、隠していればなにも起きないわ。オフサイドだってあなたのことを悪くは思わないだろうし、今後は彼女が無事に出走まで…」
「パーマー、」
自分を気遣いしてくれるパーマーに対し、マックイーンは瞑目したまま言葉を発した。
「先程の、オフサイドトラップと私の話は、全て聞いてましたか?」
「え。まあ、うん。」
自分の言葉を全く聞いてなさそうな言葉に、パーマーは戸惑いつつも頷いた。
「私がオフサイドトラップの有馬出走を止めようとしたし、彼女がそれを明確に拒否したことも、ちゃんと憶えてますね。」
「勿論だけど。」
それがどうかしたの?と、答えながらパーマーは怪訝な表情をした。
するとマックイーンは、安心したような微笑を見せ、ソファから身を起こした。
その微笑が、パーマーの眼には非常に孤独な色に映った。
まだ何か考えてるの…?
パーマーは、また少しぞっとした。
パーマーのその表情を見て、マックイーンは微笑したまま言った。
「ここまで、全て私の想定…いや、計画通りですわ。」
「え、計画通り?」
「はい。私が先程の話し合いで求めたのは、有馬記念に出走したいというオフサイドトラップの強固な意志。そして、それを阻止しようとする私と、それを拒否する彼女のやり取りを目の当たりにした者の存在でしたから。」
「???…?」
予想外のマックイーンの言葉に、パーマーの思考回路は完全に混乱した。
「ごめん、全然意味が分からない。もう少し分かり易く説明してくれる?」
パーマーの言葉に、マックイーンはテーブルの上にある紅茶を淹れたカップを手に取りながら、改めて説明した。
「私が彼女の意志を無視したと証明出来る場を、あなたに証人として記憶してもらったのです。」
「意志を無視?それってまさか」
「ええ。私はこの後、オフサイドトラップの意志関係なく、私の判断で彼女の出走を取り消す予定です。」
「…正気?」
「狂ってますわ。狂気の沙汰です。」
頭を抱えながら思わずそう言ったパーマーに、マックイーンは微笑を消し、冷徹な眼光に戻った。
「でも、オフサイドトラップの未来の為なら、狂ったことだってしてやりますわ。汚名だって被ります。メジロ家からも追放されたって構いません。…オフサイドトラップの栄光と未来が閉ざされることだけは、絶対に絶対に絶対に避けなければいけないんです。」
「今、世の中は膨大な群れでオフサイドトラップを理不尽に責め続けていますが、ここを彼女が耐え抜ければ、やがてそれはおさまるでしょう。そして間違いなく、世の中はまるで狂酔から醒めたように、彼女を理不尽に責めたことも忘れて、手のひらを返すように同情し始めますわ。そうなれば自然と、誰もが彼女を理不尽に追いつめた犯人を探し求めます。その時に犯人として糾弾される立場…即ちオフサイドトラップの名誉を回復させる為に必要な『悪』の立場に、私はならねばいけないのです。」
カップに唇つけながら淡々と述べたマックイーンの表情は、まるで何かに取り憑かれているように、パーマーの眼には映った。
*****
一方。
生徒会長、非常に苦しんでるようですね…
別荘内の部屋で一人、右脚のテーピングの巻き直しをしているオフサイドは、先程のマックイーンとの話と、その際の彼女の様子を思い出していた。
生徒会長。
先程の話の中で、あなたは私の未来の為にと、必死に有馬記念出走を止めようとしてくれました。
それが嘘も偽りもないことは、はっきりと感じました。
ですが、それは受け入れられません。
私にはもう、未来も希望もありません。
私が最後に出来ることは、今度の有馬記念で〈死神〉との闘いに終止符をうつことだけです。
それでも、今後なおも生徒会長が私の為に苦しまれることを選択されるのでしたら…
テーピングを付け直し終えると、オフサイドはぽつりと呟いた。
「あなたを、その苦しみから解放させてあげたいです。」
勿論、有馬記念不出走という選択以外で。
その方法は…
オフサイドの思考内では、既にそれを見つけ出していた。