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時刻は経過し、昼前。
ウマ娘療養施設から少し離れた場所に、一台の車両が到着した。
その車はメジロ家の車で、中から降りてきたのはオフサイドだった。
「送って頂きありがとうございます。…はい、一人で行けます。…ええ、二時間程で戻りますので、では。」
送迎してくれたメジロ家の使用人にお礼等を言うと、オフサイドは療養施設へ向かって歩き出した。
高原地帯にある療養施設は、高原内でも特に高い丘の上にある。
そこへの坂道を、オフサイドは一人歩いていた。
やがて、療養施設が見えてきた。
大丈夫だよね…
オフサイドは鞄から手鏡を取り出し、自分の外見を確かめた。
顔色も雰囲気も眼つきも窶れた色なく問題ない。
オフサイドは療養施設に着いた。
すると、施設内の入り口前で、松葉杖をついて彼女を待っていたウマ娘が眼に入った。
ルソーだった。
「ルソー。」
「オフサイド先輩。」
薄い微笑を浮かべて歩み寄りながら挨拶してきた先輩の姿を見て、ルソーは思わず胸が詰まった。
窶れ果ててた10日前とはまるで違う。
顔色も良くなってるし、肌や口調にも張りが戻っていた。
…。
ルソーは思わず松葉杖を手離し、オフサイドに抱きついた。
「どうしたの?」
「いえ、オフサイド先輩が元気になった姿見たら、嬉しくなって…」
言いながら、ルソーの眼が潤み出した。
〈死神〉と闘う最古参として、懸命に仲間達を支え続けてきたルソーだが、ここ最近はリートを初めとした仲間達との相次ぐ別れ、また例の報道など、心身を蝕む辛いことが相次いだ。
気丈に振る舞ってはいたが、彼女にも泣ける場所が欲しかった。
今、誰よりも慕い、そして誰よりも心配していた先輩が立ち直った姿を見て、彼女の心の堰が外れたのだ。
ひくっ…うっ…
声を押し殺して、ルソーは泣き出した。
「ルソー。」
オフサイドは何か言いかけたが、何も言わず、後輩の肩を優しく抱き返した。
それから少し経った後、二人は施設内に入った。
施設に入ると、オフサイドは椎菜に会いにいった。
ルソーは病症仲間達のもとへ戻っていった。
椎菜の医務室に着くと、オフサイドは扉をノックした。
コンコン。
「どうぞ。」
「失礼します。」
室内に入ると、椎菜が椅子に座って待っていた。
「オフサイドトラップ。」
「お久しぶりです、椎菜先生。」
オフサイドは、自らも長年お世話になった〈クッケン炎〉担当医師に恭しく挨拶した。
「体調は良さそうね。」
向かいあって座ると、椎菜はオフサイドの姿を見つめてそう言った。
10日前にここに訪れた時のオフサイドは、今にも倒れそうな枯れ木のような状態だったが、今はかなり心身ともに落ち着いてみえる。
調整に集中してたとはいえ、僅か10日間でここまで快復するとは…
「凄いわね、流石は〈死神〉を乗り越えたウマ娘だわ。」
「…。」
オフサイドは薄く微笑した。
「最近、病症仲間達の状態は、どのようなものですか?」
何言か言葉を交わした後、オフサイドは椎菜に尋ねた。
「はっきり言って、厳しい状況だわ。」
オフサイドに誤魔化しは通用しないから、椎菜は正直に答えた。
「ここ一か月で、10人近くが闘病を諦めた。うち3人が還ったわ。一度もターフに立てなかった子も含めてね。」
「…それはもしかして、エルフェンリートのことですか。」
「覚えてたのね。そう、彼女よ。一昨日に還った。」
「…。」
オフサイドは瞑目した。
心の内で、還った仲間達のことを想っているようだった。
瞑目している彼女に、椎菜は続けた。
「現状、ルソーが懸命に仲間達を支えることで、なんとか保っている状況だわ。私も頑張って、治療を続けている。苦しい状況はまだ続きそうだけど、なんとか耐え抜いて希望を求めなければと決意してるわ。」
「苦しい状況…」
オフサイドは眼を開き、悲しそうに言った。
「やはり原因は、あの天皇賞・秋が」
「あなたのせいじゃない。」
椎菜はオフサイドの言葉を遮った。
「原因は、〈死神〉と闘うウマ娘達のことを、誰も知らなかったことだわ。」
「…。」
オフサイドの表情が、少し蒼くなっていた。
「…オフサイド、」
椎菜は、オフサイドの手を握った。
彼女の手は冷たかった。
「今度の有馬記念、あなたがどのような決意で出走するかは分からない。けど、どうか無事に走り終えて。あなたは、〈死神〉に勝利した希少な生還者なのだから。」
ごめんなさい…
言いかけたその言葉は心の奥に戻し、オフサイドは無言の微笑で答えた。
オフサイドは立ち上がった。
「もう、いくの?」
「はい、スズカに会いにいきます。」
既にここに来る前に椎菜から、スズカとの面会が可能という連絡は受けていた。
「スズカに会いに行く前に、病症仲間達と会って欲しいわ。そろそろ昼食の時間だし。スズカとの面会はその後の方が良いと思う。」
午後から面会、と伝えているしね。
「分かりました。」
オフサイドは了承した。
スズカの面会後に仲間達と会うつもりだったのだが、別に順番は気にしてなかった。
椎菜の医務室を出たオフサイドは、食堂へと向かった。
食堂に着くと、まだ昼休憩前なので誰もいなかった。
オフサイドは食堂のテーブル席の一つに腰掛けた。
彼女は学園寮の食堂より、この食堂で食事をした回数の方が多い。
病症仲間達だけでなく、一時期は怪我で療養生活を共にしていたローレル・ブライアンとも、ここでテーブルを囲んだ。
懐かしいな。
盟友二人の姿が瞼に浮かび、思わず胸が込み上げかけた。
過去を思い起こしている中。
タタタッと、療養施設に似合わない元気な足音と共に、一人のウマ娘が食堂に現れた。
「こんにちはー!」
そのウマ娘はオフサイドの姿に気づかず、厨房の従業員さん達に元気良く挨拶しながら、昼食のお弁当を幾つも受け取っていた。
あれは…
オフサイドはそのウマ娘の姿と様子を見て腰を上げ、その側に歩み寄った。
「スペシャルウィーク?」
「はい?」
不意に後ろから声をかけられ、スペはお弁当を重ね持ったまま振り向いた。
…!
オフサイドと眼が合った瞬間、スペの腕からお弁当が落ちた。