1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

94 / 267
泥沼(3)

*****

 

時刻は経過し、昼前。

 

ウマ娘療養施設から少し離れた場所に、一台の車両が到着した。

その車はメジロ家の車で、中から降りてきたのはオフサイドだった。

 

「送って頂きありがとうございます。…はい、一人で行けます。…ええ、二時間程で戻りますので、では。」

送迎してくれたメジロ家の使用人にお礼等を言うと、オフサイドは療養施設へ向かって歩き出した。

 

高原地帯にある療養施設は、高原内でも特に高い丘の上にある。

そこへの坂道を、オフサイドは一人歩いていた。

 

 

やがて、療養施設が見えてきた。

 

大丈夫だよね…

オフサイドは鞄から手鏡を取り出し、自分の外見を確かめた。

顔色も雰囲気も眼つきも窶れた色なく問題ない。

 

 

オフサイドは療養施設に着いた。

すると、施設内の入り口前で、松葉杖をついて彼女を待っていたウマ娘が眼に入った。

ルソーだった。

 

「ルソー。」

「オフサイド先輩。」

薄い微笑を浮かべて歩み寄りながら挨拶してきた先輩の姿を見て、ルソーは思わず胸が詰まった。

窶れ果ててた10日前とはまるで違う。

顔色も良くなってるし、肌や口調にも張りが戻っていた。

…。

ルソーは思わず松葉杖を手離し、オフサイドに抱きついた。

「どうしたの?」

「いえ、オフサイド先輩が元気になった姿見たら、嬉しくなって…」

言いながら、ルソーの眼が潤み出した。

 

〈死神〉と闘う最古参として、懸命に仲間達を支え続けてきたルソーだが、ここ最近はリートを初めとした仲間達との相次ぐ別れ、また例の報道など、心身を蝕む辛いことが相次いだ。

気丈に振る舞ってはいたが、彼女にも泣ける場所が欲しかった。

今、誰よりも慕い、そして誰よりも心配していた先輩が立ち直った姿を見て、彼女の心の堰が外れたのだ。

 

ひくっ…うっ…

声を押し殺して、ルソーは泣き出した。

「ルソー。」

オフサイドは何か言いかけたが、何も言わず、後輩の肩を優しく抱き返した。

 

 

それから少し経った後、二人は施設内に入った。

 

施設に入ると、オフサイドは椎菜に会いにいった。

ルソーは病症仲間達のもとへ戻っていった。

 

 

椎菜の医務室に着くと、オフサイドは扉をノックした。

コンコン。

「どうぞ。」

「失礼します。」

室内に入ると、椎菜が椅子に座って待っていた。

 

「オフサイドトラップ。」

「お久しぶりです、椎菜先生。」

オフサイドは、自らも長年お世話になった〈クッケン炎〉担当医師に恭しく挨拶した。

「体調は良さそうね。」

向かいあって座ると、椎菜はオフサイドの姿を見つめてそう言った。

10日前にここに訪れた時のオフサイドは、今にも倒れそうな枯れ木のような状態だったが、今はかなり心身ともに落ち着いてみえる。

調整に集中してたとはいえ、僅か10日間でここまで快復するとは…

「凄いわね、流石は〈死神〉を乗り越えたウマ娘だわ。」

「…。」

オフサイドは薄く微笑した。

 

「最近、病症仲間達の状態は、どのようなものですか?」

何言か言葉を交わした後、オフサイドは椎菜に尋ねた。

「はっきり言って、厳しい状況だわ。」

オフサイドに誤魔化しは通用しないから、椎菜は正直に答えた。

「ここ一か月で、10人近くが闘病を諦めた。うち3人が還ったわ。一度もターフに立てなかった子も含めてね。」

「…それはもしかして、エルフェンリートのことですか。」

「覚えてたのね。そう、彼女よ。一昨日に還った。」

 

「…。」

オフサイドは瞑目した。

心の内で、還った仲間達のことを想っているようだった。

瞑目している彼女に、椎菜は続けた。

「現状、ルソーが懸命に仲間達を支えることで、なんとか保っている状況だわ。私も頑張って、治療を続けている。苦しい状況はまだ続きそうだけど、なんとか耐え抜いて希望を求めなければと決意してるわ。」

 

「苦しい状況…」

オフサイドは眼を開き、悲しそうに言った。

「やはり原因は、あの天皇賞・秋が」

「あなたのせいじゃない。」

椎菜はオフサイドの言葉を遮った。

「原因は、〈死神〉と闘うウマ娘達のことを、誰も知らなかったことだわ。」

「…。」

オフサイドの表情が、少し蒼くなっていた。

「…オフサイド、」

椎菜は、オフサイドの手を握った。

彼女の手は冷たかった。

「今度の有馬記念、あなたがどのような決意で出走するかは分からない。けど、どうか無事に走り終えて。あなたは、〈死神〉に勝利した希少な生還者なのだから。」

 

ごめんなさい…

言いかけたその言葉は心の奥に戻し、オフサイドは無言の微笑で答えた。

 

オフサイドは立ち上がった。

「もう、いくの?」

「はい、スズカに会いにいきます。」

既にここに来る前に椎菜から、スズカとの面会が可能という連絡は受けていた。

「スズカに会いに行く前に、病症仲間達と会って欲しいわ。そろそろ昼食の時間だし。スズカとの面会はその後の方が良いと思う。」

午後から面会、と伝えているしね。

「分かりました。」

オフサイドは了承した。

スズカの面会後に仲間達と会うつもりだったのだが、別に順番は気にしてなかった。

 

 

椎菜の医務室を出たオフサイドは、食堂へと向かった。

食堂に着くと、まだ昼休憩前なので誰もいなかった。

 

オフサイドは食堂のテーブル席の一つに腰掛けた。

彼女は学園寮の食堂より、この食堂で食事をした回数の方が多い。

病症仲間達だけでなく、一時期は怪我で療養生活を共にしていたローレル・ブライアンとも、ここでテーブルを囲んだ。

懐かしいな。

盟友二人の姿が瞼に浮かび、思わず胸が込み上げかけた。

 

 

過去を思い起こしている中。

タタタッと、療養施設に似合わない元気な足音と共に、一人のウマ娘が食堂に現れた。

「こんにちはー!」

そのウマ娘はオフサイドの姿に気づかず、厨房の従業員さん達に元気良く挨拶しながら、昼食のお弁当を幾つも受け取っていた。

あれは…

オフサイドはそのウマ娘の姿と様子を見て腰を上げ、その側に歩み寄った。

 

「スペシャルウィーク?」

「はい?」

不意に後ろから声をかけられ、スペはお弁当を重ね持ったまま振り向いた。

 

…!

オフサイドと眼が合った瞬間、スペの腕からお弁当が落ちた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。