「あっ…」
スペは慌てて屈み込み、足元に落ちたお弁当を拾った。
「大丈夫?」
オフサイドもそれを手伝おうと屈み込んだが、
「大丈夫です!」
スペは素早く全てを拾い、腕の上に重ね直した。
「初めまして、だね。」
オフサイドはスペを改めて見た。
4歳違いでチームも異なる二人は初対面だった。
とはいえ当然、それぞれの名前や実績は知っている。
「初めまして、オフサイドトラップ先輩。」
明るいスペにしては珍しく、小声で挨拶した。
「すみません、スズカさんを待たしているので、失礼します。」
早口でそう言うと、スペは挨拶もそこそこに、お弁当を持ったまま駆け足でオフサイドの脇を通り抜き、食堂を去っていった。
「わっ!」
食堂に向かっていたルソーは、その入り口から突然飛び出してきた人物にびっくりした。
スペ…?
幾つもの弁当を手に駆けていく後ろ姿を見て、ルソーはふーと息を吐きつつ意外に思った。
彼女なら、ぶつかりそうになった時一言謝罪しそうなものなのに…。
なにか急いでたのかしら。
ルソーは首を傾げた。
と、
「…?」
自分の衣服に、水滴が付いてるのに気づいた。
これは、涙?
よく見ると、スペが駆けていった廊下のあちこちに、それが溢れ落ちていた。
何かあったのかしら?
気になりながら食堂に入ると、まだがらんとしている堂内のテーブル席に一人腰掛けているオフサイドに気づいた。
「オフサイド先輩。」
「あらルソー。あなたも今から食事?」
「ええ。先輩は?」
「私は来る前に食べてきたわ。」
「そうですか。」
食堂には、オフサイド以外誰もいない。
「先輩、スペシャルウィークと会いました?」
「うん、挨拶したわ。」
「他は何か?」
「?別に何もなかったけど。」
「そうですか…。」
じゃあ何故、スペは泣いてたんだろう。
不思議に思いながら、ルソーは昼食を取りに行った。
「あなた、スペと親しいの?」
食事をトレイに用意して同じテーブル席に座ったルソーに、オフサイドは尋ねた。
「いえ、特に親しいという訳ではありません。初めて会ったのも一週間前くらいですし、その後も話したのは数回程度ですから。」
「彼女、よくここに来るの?」
「よく来るどころか、最近はずっとここで生活してます。」
「なるほどね。」
それ以上は聞くまでもなく、オフサイドにはその理由が分かった。
*****
一方その頃。
特別病室では、スズカとスペがいつものように昼食を一緒に食べていた。
「スペさん、どうしたんですか?」
食事中、スズカは気がかりな様子でスペに声をかけた。
食事中も快活なスペにしては珍しく、寡黙な様子で箸を進めていたからだ。
「あ、ちょっと考え事してまして。」
何も悪いことはしてないのに、スペはすみませんすみませんと謝った。
「…?」
スズカは不思議に思った。
けど、あまり気にしないことにした。
たまにはスペさんも静かな時があっておかしくないし。
それより…
今のスズカは、オフサイドと会えることの方に意識がいっていた。
「スズカさん。」
寡黙ながらも5人前のお弁当を全て食べ終えた後、スペはスズカに言った。
「私、しばらく散歩にいってきます。」
「散歩?」
「はい。今日は天気が良いので、外の空気を吸いたくなりました。」
「…そうですか、分かりました。」
今日の天気はかなりの曇り空なのだが。
私がオフサイド先輩と二人きりで会えるよう気を使ってくれたのだと、スズカはそう思った。
ありがとう、スペさん。
*****
再び、食堂。
オフサイドは、昼食に訪れた〈クッケン炎〉病症仲間達と会い、彼女達と会話を交わしていた。
10日前に訪れた時はルソー・椎菜以外会ってないので、仲間達と会うのは久しぶりだった。
会話の内容は、療養生活のアドバイス等もあったが殆どは他愛もない内容だった。
天皇賞・秋のことは、双方とも全く話題に出さなかった。
仲間達との時間をしばらく過ごした後、オフサイドは食堂を出た。
ルソーも一緒だった。
「先輩、もう帰るんですか?」
食堂を出た後、ルソーは松葉杖をついてオフサイドの傍らを歩きながら尋ねた。
「ううん。この後、会う予定のウマ娘がいるの。」
「へー、誰ですか?」
「サイレンススズカよ。」
「えっ!」
病症仲間の誰かと思っていたルソーは驚いた。
「事前に彼女には連絡したわ。生徒会長からも許可貰ったから大丈夫よ。」
「は、はあ。」
驚いた様子のルソーに、オフサイドは続けた。
「スズカとの用件が終わったら、あなたにもう一度会いにいくわ。待っててくれるかしら。」
「はい。」
スズカと会って一体何を話すのか、凄く気になったが、尋ねるのは自制した。
その後、受付前でオフサイドはルソーと一旦別れ、一人でエレベーターに乗って、特別病室のある最上階へと向かった。
エレベーターは最上階に着いた。
オフサイドはエレベーターを降りると、スズカのいる特別病室へ向かおうと廊下を歩き出した。
その時。
「オフサイドトラップ先輩。」
彼女を呼び止める声がした。
声の先を見ると、エレベーター横の廊下に、スペが待ち構えていたように立っていた。
「スペシャルウィーク。」
「少し、お話しの時間を頂けますか。」
そう静かに話しかけたスペの眼光は、いつもの明るく可愛いそれとは違い、レースに挑む時よりも険しい敵意と悲しみがこもった眼光になっていた。
やっぱりか…
食堂でスペと会った際、彼女自分の傍を駆け抜けた一瞬、その眼に涙が溜まっていたことにオフサイドは気づいていた。
だから彼女が自分を呼び止めた意図は瞬時に察していた。
遠いな、遠いよ…
「…。」
スペの要求に、オフサイドは黙って頷いた。