オフサイドと別れた後。
スペは、スズカのいる特別病室の戻った。
「お帰りなさい、スペさん。」
予想より早く戻って来たスペにスズカは声をかけた。
あれ、スペさんにしては珍しく表情が暗いな。
「どうしたんですか?」
「いえ…」
スペは気にしないで下さいと軽く微笑して、それから伝えた。
「先程、オフサイド先輩と会って、伝言を頼まれました。」
「はい?」
「先輩、体調を崩されたようで、スズカさんと会えなくなってしまったとのことです。」
「え…」
スズカの手にあった本がパタリと落ちた。
オフサイドと会えることを心から楽しみにしてた彼女の表情は、陽が翳るように一気に暗く落ち込んだ。
「急に体調を崩されたのでしょうか?」
「分からないです。」
「そうですか…」
スズカは、雨の降り出している窓の外へ眼を向けた。
会いたかったな…
自然と涙が込み上げてきたが、顔を振ってそれが溢れるのは堪えた。
「…。」
スズカの瞳に涙が込み上げていることに、スペはすぐ気づいた。
いつもならすぐに掌を握って元気よく励ましてあげるのに、この時はただ黙ってぎこちない微笑をしながら隣に座り寄り添うだけだった。
スペも、心が深く疲れていた。
生まれて初めて、誰かを責めたから。
*****
一方。
オフサイドは、一階に戻っていた。
だがすぐにはルソーに会いに行かず、彼女は手洗い場へと向かっていた。
…うっ…うぇっ…
誰もいない手洗い場で、オフサイドは極力声を殺しながら嘔吐していた。
…はあ…うっ…はあ…はあ…
嘔吐がおさまると、胸を抑えながら崩れるように床に腰を下ろした。
苦しかった…
スペに呼び止められた時から責められるのは覚悟してたけど、やはり苦しかった。
『良心の呵責はないのですか』
『無事ならあのレースはスズカさんが勝ってました』
『スズカさんの怪我がなければ先輩の勝利はなかったでしょう』
スペからぶつけられた言葉の数々が、オフサイドの心を容赦なく抉り回していた。
しばらく床に座り込んだままだったが、やがて心が落ち着くと、ゆっくりと立ち上がった。
以前までは一度嘔吐したら気が狂いそうな位に苦悶していたが、心の決意が定まった今はそこまでならなくなっていた。
その後、オフサイドは約束通りルソーに会いに向かった。
ルソーの病室に着くと、ルソーは椅子で読書をしていた。
「あれ、結構早かったですね。」
オフサイドの姿に気づくと、ルソーは少し意外そうに本を閉じた。
「うん。」
オフサイドは軽く頷きながら、外で話をしようと誘った。
オフサイドとルソーは施設の外に出た。
雨はみぞれ混じりに変わっていて、寒さが肌に刺さるようだった。
二人は雨宿りのあるベンチに行き、そこに並んで座った。
「寒いね。」
「ええ。」
自販機で買ったお茶を掌に抱えながら、二人は身を寄せた。
オフサイドは制服の上から、ルソーは患者服の上からそれぞれジャケットを羽織っていたが、それでも寒そうだった。
でも、二人きりで話す為にはここが最適だから、我慢した。
「あの、」
温かいお茶を飲みながら、ルソーはつと尋ねた。
「先輩は、スズカと、どんな話をしたんですか?」
「会えなかったわ。」
「え?」
「スズカとは会えなかったの。」
オフサイドは掌のお茶に視線を落としながら、雨音よりも寂しい口調で答えた。
「どうしてですか?」
ルソーは驚いた。
スズカと会うのが目的でここに来て、許可も下りてた筈だ。
「スズカと会うのを誰かに止められたんですか?」
「そういう訳じゃないわ。私が判断しただけ。」
誰かに止められたんだ。
オフサイドの言葉が信じられず、ルソーは確信した。
誰に止められたのかしら…あ。
ルソーはすぐに、その者が思い当たった。
「まさか、」
出来れば、それは間違いであって欲しかった。
でも、彼女以外考えられなかった。
「スペシャルウィークに、止められたんですか。」
「…。」
「そうなんですね。」
オフサイドの無返答で、それが間違ってないことが分かった。
と、オフサイドは小声でポツリと言った。
「止められたわけじゃないの。ただ、責められちゃった。」
「“責められた”?」
ルソーは思わず大きな声を出した。
よく見ると、オフサイドの顔色はスズカに会いにいく前と比べて悪くなってる。
まさかスペは、先輩を責めたの?
あの、理不尽な連中達みたいに。
ルソーの中で、明るく愛おしく思っていた後輩の姿が一気に許し難いものに変わった。
スペシャルウィーク…
冷たいみぞれが降りしきる中、ルソーは松葉杖を手にすっと立ち上がった。