「待ちなさい。」
立ち上がったルソーの腕を、オフサイドは素早く掴み止めた。
「どこに行くの?」
「スペに会いに行きます!あなたに何をしたのか、問い詰めに行きます!」
「やめなさい。」
スペへの怒りを露わにしている後輩の腕を、オフサイドは頑として離さなかった。
「今は、スペを責めないであげて。」
「何故ですか?」
「あの子は、この世界の残酷さを深く知らないだけだから。」
息を荒げているルソーを見上げ、オフサイドは言った。
「それに、スペシャルウィークの過去を知ってるでしょう?彼女が背負っているものを考えれば、彼女を安易に責めてはいけないわ。」
*****
特別病室。
スー…スー…
オフサイドと会えないことに落ち込んでいたスズカは、リハビリの疲れも出たのか、いつのまにか静かな寝息をたてて眠っていた。
枕元に寄り添っていたスペはスズカにそっと毛布を被せ、枕元を離れた。
スペは病室の隅にいき、そこにある段ボール箱からニンジンを数本取り出すと、床に座り込んでそれを食べ始めた。
別に空腹だったわけでもなく、味もあまり感じなかったが、スペは黙々と食べ続けた。
そうでもしなければ、声を上げて泣き出しそうだったから。
お母さん…
私は、スペシャルウィークは、生まれて初めて誰かを責めました。
ニンジンを食してる最中も、自然と出てくる涙だけは堪えられなかった。
スペシャルウィーク。
ダービーを圧倒的な力で制し、その他の大レースも全て3着以内に入るなど、新世代の最強ウマ娘と評判が高い彼女は、一点の曇りもない青空のような笑顔を持ち合わせている純真無垢なウマ娘であり、生徒からの人気も非常に高い生徒。
彼女といると誰でも自然と笑顔になれる、そんな天性の明るさを持っている。
スペ自身、みんなを笑顔にするのが大好きであり、そのことに生き甲斐を感じているようなところがあった。
彼女がそのようなウマ娘になったのは、天性なだけでなく、幼少期の実体験に由来していた。
スペは実の母親と、生後間もなく死別していた。
母親はスペを産む直前から重い病にかかっており、最期の力を振り絞ってスペを産んだ後、還った。
母と死別したスペは、亡き母の親友に育てられた。
育ての親はスペを熱心に育ててくれ、おかげでスペは無事に元気なウマ娘に育った。
でも、時々、スペは実の母親の姿を思い出すことがあった。
生後間もない頃に死別したとはいえ、スペの記憶には母親の面影が微かに残っていた。
そして何より、母親が命をかけて自分を産んでくれたということを、体内の血が記憶していた。
その記憶が蘇る度、スペはすごくさびしさを感じた。
時には、“自分が産まれなければお母さんは…”と思ってしまうこともあった。
そしてある日のこと。
母を思い出したスペが悲しくなってしまって泣いてしまった時、育ての親は慰めながら、スペが産まれた時のことを話してくれた。
“スペが産んだ時、お母さんはあなたを抱きながら、『ありがとう』と微笑みかけていたの”
“『ありがとう』?”
“そう。あなたは産まれたことで、お母さんに笑顔をあげたのよ”
“ほんと?わたしがうまれたこと、お母さんはよろこんでくれたの?”
本当よ。だから、後悔なんてしちゃダメよ”
“うん”
育ての親に諭され、スペは泣くのをやめた。そしてこう言った。
“わたし、みんなをえがおに、しあわせにするウマムスメになるわ!”
それ以後、スペは常に明るさと笑顔を振りまくようになった。
天性のそれも相まって、スペは人気者になった。
育ての親と別れトレセン学園に入学してからも、それは変わらなかった。
だが一時、彼女が暗くなってしまった時期があった。
入学してしばらく経った頃、自分が育った地元で大きな火災が起き、幼少期に仲良かった友達も含め多くの知り合いが亡くなってしまうという惨事が起きたのだ。
地元の悲報に、当然スペは凄く悲しんだ。
一時は走る気力がなくなりそうだった。
でも、スペはそれを乗り越えた。
自分は、みんなに幸せと笑顔を与えるウマ娘。
その為に走るんだと、懸命に自分を奮いたたせた。
その後、スペは性格だけでない天性のウマ娘の能力を開花させた。
クラシックではダービーを制し、皐月賞と菊花賞も3着・2着に食い込み、先輩達との対決となったJCでも3着に入り、次世代のスターとしてターフに名を轟かせた。
スペシャルウィークは『みんなを幸せに、笑顔にする為に走るウマ娘』を目指している。
その理想の裏には、亡き母そして友達の面影が色濃くあった。
*****
「スペシャルウィークは生まれながらに命の重さを感じているウマ娘よ。例え悲劇にあったのがスズカじゃなくても、私を責めた筈だわ。」
「…。」
オフサイドの言葉を聞き、ルソーは黙って傍らに座り直した。
だが、急速に湧き出したスペに対する怒りと悔しさはおさまってなかった。
「でも、スペはオフサイド先輩の言動の真意を、全く分かっていないでしょう。それに、私達が生きている世界も知らない。そしてレースのの恐ろしさも…今回の件でそれは少し分かったかもしれませんが、それでもレースの残酷さだって。」
唇を噛み締めながら、ルソーは言った。
「あなたは、私の言動の真意を分かってくれてるの?」
「当然です。」
オフサイドの問いかけにルソーはすぐに頷いた。
「私は、あの日のことを決して忘れてませんから。」
「…。」
オフサイドは、つと眼を瞑った。
あの日とは、一昨年の3月17日、シグナルライトが散った日のこと。
オフサイドだって、決して忘れていない。
「ルソー。あなたにお願いがあるの。」
眼を瞑ったまま、オフサイドは言った。
「今すぐでなくていいから、いつかスペとスズカに、私達が生きていた世界のことと、シグナルライトのこと、そして私の言動の真意を伝えて欲しいの。」
「私がですか?」
「私からは伝えられないの。これは、私以上にこの世界の苦しみを知ってるあなたしか伝えられないわ。…そして、」
オフサイドは眼を開き、微かに微笑を浮かべて言った。
「スズカとスペを、守ってあげて。」