「スペとスズカを守れと?」
「うん。あの二人を、あなたに守って欲しいの。」
怪訝な表情のルソーにそう言うと、オフサイドは立ち上がった。
そして、フーッと大きく深呼吸しながら、みぞれの降る空を仰いだ。
…?
空を仰いだオフサイドの姿を見て、ルソーの胸にさっと冷たいものが走った。
一昨日の、還る前のリートと似た雰囲気を感じたのだ。
「あの、先輩。」
冷たい不安が胸に走る中、ルソーは尋ねた。
「スズカとスペを守るって、どういうことですか?」
「いずれ、分かるわ。」
多くを答えずそれだけを言うと、オフサイドはルソーに視線を戻し、まだ微かに微笑を残した表情で言った。
「後は、頼んだわ。」
その後、オフサイドはルソーと別れ、療養施設を後にした。
待機していたメジロ家の車に戻ると、オフサイドは運転手に別荘に帰る前に某場所に行きたいと頼んだ。
運転手は承諾し、車はその場所へと向かっていった。
*****
一方、オフサイドと別れたルソーは、施設の自分の病室に戻っていた。
オフサイド先輩…
スペへの怒りは一旦別にして、ルソーはオフサイドが最後に見せた不可解な言動が非常に気になっていた。
スズカとスペを守れというのもよく分からないが、何より気になったのは最後のあの雰囲気だ。
あの、どこか全てを達観したような澄みきった雰囲気。
これまで何度か目にした、帰還する覚悟を決めた仲間が醸し出すものと同じものだった。
まさか、ね。
オフサイド先輩がそんなことする訳ない筈…。
何度も〈死神〉の魔の手にかかっても、相次ぐ仲間達の帰還に心が折れかけても、先輩は決して屈しなかった。
そんな先輩が、まさかね。
ルソーは思考を止め、自らの額に掌を当てた。
私、少し疲れたのかな。
オフサイドへの不安もさることながら、スペへの怒りも依然として胸中に大きく鼓動している。
落ち着いた思考が出来そうにない。
少し休もう。
ルソーは、ベッドに横になった。
横になると、ルソーはつと胸中から一枚の小さな写真を取り出した。
それは、彼女がいつも肌身離さず持っている写真。
映っているのはルソーと、シグナルライト。
シグナル…
スペと似た、無邪気な明るい笑顔で映っているシグナルの姿を見つめながら、ルソーは毛布を被った。
ウマ娘の世界にいるあなたなら、今のオフサイド先輩の心がどのような状態か分かるかしら?
もし…もしオフサイド先輩が心底まで追い詰められているのなら、どうか守ってあげて。
写真を抱きしめながら、ルソーは眼を瞑った。
*****
何もない、真っ暗な部屋。
目の前で、スズカが仰向けに倒れていた
『スズカの怪我は、もう手の打ちようがありません』
“…嘘…嘘ですよね⁉︎”
『苦しみから一刻も早く解放させる為、帰還の処置をとります』
“嫌だよ!待って!”
ぐったりしているスズカの腕に、注射器が当てられた。
“駄目…やめてっ!”
…身体が動かない…ただ叫ぶことしか出来ない…
目の前で、スズカの腕に注射針が刺入された。
“スズカさんっ…あ…あ…ああ……
全身の感覚が消えた。
「ハッ…」
特別病室で、スペはガバッと跳ね起きた。
夢、でしたか…
床に座ってニンジン食べつつ泣いてるうち、いつのまにか眠っていた自分に気づいた。
すぐにベッド上を見ると、まだ穏やかな寝息をたてて眠っているスズカの姿があった。
ハア、ハア…
全身に汗を感じながら、スペはほっとしたように大きく息を吐いた。
だがすぐ涙が込み上げてきて、慌てて口元を抑えた。
スズカさん…
先程の悪夢がまだ身体の慄えに残っているのを感じながら、スペはスズカの枕元に座って、涙を堪えながらその穏やかな表情を見つめた。
悪夢のせいか、それともオフサイドを責めたせいか、最近はなくなっていたスズカへの危機感が、スペの胸中に大きく沸き上がっていた。
それを振り払うように、スペは心で誓うように叫んだ。
私、絶対にスズカさんを守ります。
なにがあっても…例え自分がどんなに苦しむことになっても、必ず守ります。
*****
夕方前。
オフサイドを乗せたメジロ家の車は、彼女が頼んでいた目的地に着いていた。
車を降りたオフサイドは、近くにある花屋で一輪の花を買うと、そこへ向かった。
オフサイドがたどり着いたその場所は、大きな霊園だった。
霊園に入ったオフサイドは、敷地の奥の方へと歩いた。
敷地内にある墓石・墓碑の殆どにはウマ娘の名が刻まれていた。
やがてオフサイドは、一つの大きな墓碑の前に着いた。
その墓碑には、以下の文字が大きく刻まれていた。
〈史上5人目三冠ウマ娘“シャドーロールの怪物”・ナリタブライアン〉
「久しぶりだね、ブライアン。」
墓碑を見つめ、オフサイドは薄い微笑を浮かべながら呟いた。