お化け狩りの夜が廻る 作:甲乙
夢に囚われた狩人は、不死となる。
死なないわけではない。死んでも生き返るのだ。
血の遺志を取り込み、肉体と血をどれだけ強化しようと、ヒトの肉体など獣に比べれば脆弱に過ぎる。
だから貴方も、ヤーナムの夜の中で何度も死んだ。
群衆に斬られ、刺され、撃たれて死んだ。
ネズミに、犬に、蜘蛛に、群がられ、喰らわれて死んだ。
巨大な獣に、強大な上位者に潰されて死んだ。
時には、同じ狩人に狩られて死んだ。
何度も何度も死に、そして覚えた。相手の動きを、癖を、習性を、そして攻略の糸口を。
十回負けようとも、十一回目に勝てば良い。百回死のうとも、百一回目に生き残れば良い。
命も時間も、無限にあるのだから。
相手が死ぬか、貴方の心が折れるまで狩りは続く。
貴方の心は折れなかった。だから貴方はここまで来た。来てしまった。
逆に言えば、そうしなければ貴方は勝てないということでもある。
相手がよほどの格下でもない限り、初戦の相手に勝てたことなどほとんど無い。
裁断者とてもう一度、いやもう三度ほど挑めば勝てるだろうか。
だが敗北したことは変わらない。……だからユイも守れなかったのだ。
そしてまた、あの怪異――夜の廻送者にも未だ勝てていなかった。
何度目かの死から目覚めた貴方は、そこが狩人の夢ではないことに気付く。
背中に感じる固く冷たい鉄の感触。充満する鉄錆の臭い。遠くから響く重い金属音。
松明を取り出しながら起き上がり、ひどく狭い部屋――否、箱の中にいると分かった。
閉じ込められた。
ならば破るまでとパイルハンマーを取り出すが、扉はあっさりと開いた。
外もまた、暗い闇夜と鉄がどこまでも続いている。
ユイと歩いた地下水路の施設と似ているが、ここは更に広大だ。もはや小さな街と言っていい。
固く薄い鉄の床。壁には鉄の管が内臓のように張り付いている。貴方には見たことのない、獣の死骸のような鉄の塊。
鉄の街。
そしてその闇の先に、廻送者がいた。
何度も戦い、敗北したあの姿ではない。灰色の体に3つの袋を担いだ姿で、闇の中に佇んでいる。
閉じた瞳にも無表情な顔にも見えるその白円からは、やはり何の感情も感じられない。
貴方が武器を構える前に、廻送者はずりずりと進みだした。貴方に背を向けて。
「……」
ついてこい。
そう言われた気がして、貴方は後を追った。
※
薄暗い室内に、ハルの絶叫が響いた。
小さな体が跳ねる度に、革のベルトがぎちぎちと軋む。寝台に拘束され、猿轡まで噛まされたハルの姿は見ているだけで痛々しい。
必死な様子のハルの頭を胸に抱くようにしながら、ユイも必死に励ましていた。
「もうすこし、もうすこしだから!」
本当にもうすこしなのかはユイにも分からないけれど、そうであってほしかった。
視線を上げれば、女の人はまだ難しそうな顔をしてハルの左足を触っている。すっと息を吸ってから、体重をかけるようにハルの足を押した。
ゴキン
身の毛もよだつような音だった。ひときわ大きなハルの悲鳴が響いて、ユイも泣きそうになる。
「……Did it」
女の人もホッとしたような顔でこちらを見る。汗をぬぐいながら、すこしだけ笑いかけてきた。
ハルの足に木の棒を添えて、包帯でグルグルと巻いていく。やっと終わった、とユイも心底ホッとする。
ひんひんと泣いているハルの猿轡を外して、その頭を撫でた。
「終わったみたい。がんばったね、ハル」
答える気力も無いのか、涙と鼻水でぐずぐずの顔になったハルはこくこくと頷いた。
そのままハルの胴体と腕を固定しているベルトも外そうとしたユイの手を、白くて細い手が止める。
ぎぎ、とユイとハルが視線を向けた先には、ガーゼみたいな布に何か液体を染み込ませる女の人の姿。
保健室の匂い。消毒液だ。そして、ハルの体は傷だらけで。
また、ハルの絶叫が響き渡った。
骨獣との戦いの後、三人は近くの大きな建物の中に入った。
中はやっぱり荒れ果てていたけれど、ベッドや点滴スタンドのような物がたくさん置かれていた。ここは病院だったのかもしれない。
少しだけ落ち着いたところで、女の人が話しだした。
長い金髪と青い目をした、いかにもな外国の人。
すごく大人っぽい雰囲気だったけれど、よく見るとまだ若いお姉さんだった。
地味で丈夫そうな服を着ていて、なんとなく狩人の服を思い出す。
金髪を適当に束ねる白いリボンが、やけに目に残った。
やっぱり英語で話しかけてきて、ユイにもハルにも意味は分からない。
お姉さんも日本語は話せないみたいだったけど、身振り手振りや手帳に絵を描いてくれたりして、なんとか意味を伝えようとしてくれた。
その内に、ユイ達が簡単な英単語なら分かることに気付くと、もっと分かりやすく話してくれた。言葉が通じない人と話すことに慣れているのかもしれない、とユイは思った。
彼女は、お医者さんだと名乗った。そして、ハルの左足は骨折しているから、今すぐ治療しないといけない。……たぶん、そんなことを言われた、と思う。
ハルは真っ青な顔をして、助けを求めるような目でユイを見てきた。
こんな知らない街の、ボロボロの病院で、ついさっき会った人に大怪我を診てもらう。そんなのユイでも不安になる。怖がりのハルなら尚更だった。
でも、ハルの左足は青黒く腫れていて、そのままにしておくのは危ないとユイでも分かった。だから、お姉さんと二人でなんとか説得して、ハルに治療を受けさせたのだ。
……寝台にハルを拘束しはじめた時は、ユイもギョッとしてしまったけど。
よく見れば、この病院のベッドや椅子にはどれもベルトのような物がたくさん付いている。ここは普通の病院だったのか、ユイは不安になってきた。そして、それを当たり前のように使うお姉さんも。
――悪い人じゃなさそうだけど。
ハルの悲鳴も無視して治療を強行する様子は怖かったけど、そのぶん時間はかからなかった。心の準備なんて、ハルにとっては怖がる時間を長くするだけなんだから、あれで良かったのかもしれない。ようやく寝台から開放されて泣くハルの背中をさすりながら、ユイはそう思った。
そのユイの肩を、お姉さんの手ががっしりと掴んだ。
見上げた先の青い目は、既にユイの体の傷を確認するように動いている。思わず逃げようと足が動いた時にはもう、ユイは抱きかかえられていて。
「あ、あの、わたし大丈夫だから、ねえ」
言葉は通じないことも忘れて逃げ腰な言葉が口から出てくるけど、お姉さんは聞く耳を持たない。あっという間に寝台に乗せられて、次々と手足を固定されていく。なぜかハルまでいそいそと手伝っていた。
今度は、ユイの絶叫が病院に響いた。
三人で蝋燭の明かりを囲む。
お姉さんがくれた飴玉を口の中でコロコロと転がすと、あまり食べなれない味がした。ひどく甘いけど、疲れた体に染み込むようで思わず声が出そうになる。隣を見れば、ハルも顔が緩んで変な表情になっていた。
ようやく一息ついたところで、今までのことをハルと話す。
夕方にハルと別れてから、ずっと探していたこと。町の中はお化けだらけだったこと。クロが拾ってきた変な鐘を鳴らしたら、変な狩人が来たこと。その変な狩人のおかげでハルを見つけたこと。でも見つけたハルはおかしくなっていて、不気味な鐘を壊した後でハルもユイも気を失ったこと。
自分で話しておいて信じられないような話だったけど、その後でハルから聞いた話も大概だった。
気が付いたら真っ暗な山の中にいて、不気味な鐘を鳴らしてしまったこと。鐘の音を聞いていたら心が滅茶苦茶になって、ユイを傷つけようとしてしまったこと。正気に戻った後で、奇妙な「声」を聞いたこと。鐘の残骸に吸い込まれて、ユイといっしょにこの街に来たこと。ユイを背負って歩いていたら、たくさんのお化けとあの骨獣に襲われたこと。
黙って二人の話を聞いているお姉さんが、時々むずかしい顔をしているのがユイには見えていた。もしかしたら、お姉さんも簡単な日本語ならすこし知っているのかもしれない。そうユイが考えた時。
「ごめんなさいっ!」
ハルが突然、謝った。
床に座り込んだ状態で深々と頭を下げて、ほとんど土下座でもしているような状態だった。突飛な行動にユイは飴玉を喉に詰まらせそうになって、お姉さんも目を丸くする。
「わたし……わたし、ユイにひどいことしちゃった! ユイは、わたしを探してくれてたのに!」
ハルとは思えないような大きな声だった。ボロボロの病院に、ハルの声が響く。でも、それは……。
「ハルは悪くないよ! あの変な鐘のせいじゃない!」
「そうだけど! でも鐘を鳴らしちゃったのはわたしだし……」
「もういいじゃない、わたしは怪我なんてしてないんだから!」
「でも、わたしはユイを……」
「あー、もう!」
後ろ向きなハルの悪い癖が出て、ユイもやきもきしてくる。どうしたものかと頭をぼりぼり掻いていると、お姉さんがハルの口に飴玉をつっこんだ。
「んーっ!?」
「Be quiet」
ダメ押しのように3個目を追加されて、ハルはモガモガ言いながらお姉さんに抗議の視線を向ける。でも、お姉さんが据わった目で見返すと、しゅんと小さくなってしまった。
きれいな人だけど、それが余計に怖い。ハルも距離をとるようにじりじりとユイの傍に寄ってきた。溜息をひとつしてから、そのおでこにデコピンしてやる。
「もがっ?」
「お返し。これで許してあげる」
納得したのかしていないのか、ハルはおでこを押さえながら涙目で見返してくる。ほっぺたは飴玉で膨らんだままで、その顔がおかしくてユイは笑った。
顔を真っ赤にしたハルはそっぽを向いてしまって、お姉さんも笑いをこらえるように口を押さえていた。
歪んだ扉を、3人でなんとか押し開ける。
冷えた埃っぽい空気が流れてきて、ユイはぶるりと体を震わせた。暗がりを懐中電灯で照らすと、穴だらけの床に注射器や鋏、他にもよく分からない物が散乱している。燭台に蝋燭を乗せたお姉さんが先を歩いた。
さっき懐中電灯を点けた時、お姉さんはすごく驚いた顔をしていた。狩人も同じような反応をしていたのを思い出す。あの人は、ちゃんとおとなしくしているだろうか。クロも置いてきたから、変なことはしていないと思うけど。
危険がないことを確かめたお姉さんが手招きして、ハルがそれに続く。ハルの手には、病院の入り口で拾った木の杖が握られていた。包帯でグルグル巻きにされた左足を浮かせながら、よたよた歩く。左手を前に出して、じっと中空を睨んでいた。
ハルの左手の傷だけは、お姉さんも触っていない。傷をじっと見た後で、何もせずに包帯だけを巻いていた。とても難しい顔をしながら。
あれはコトワリさまの鋏でついた傷だ。ハルが言うには、あの傷を通してコトワリさまが助けてくれたらしい。そして今も、赤い糸で道案内をしてくれているのだと。その糸はユイにもお姉さんにも見えていない。でも、ハルは昔から「そういうモノ」が見える子だった。ユイも疑ってはいない。
ハルの背中を守るように、ユイが最後尾を歩く。何度も後ろを見て、お化けがいないことを確認した。廃病院だなんて、いかにもな場所だ。何が出てきても不思議じゃない。
でも、そんなユイの不安をよそに、3人はあっさりと病院の奥に辿りついた。
「……これだ」
そこには、不自然に床から生えたランプがあった。その意匠にユイはどこか既視感を覚える。
ランプは暗がりから浮き出るようにうっすらと光っていて、どう見ても普通じゃない。でも、不思議と忌避感は抱かなかった。
このランプに赤い糸は繋がっているらしい。ハルが、おっかなびっくりな様子で手を触れる。
「ひゃあっ!?」
ランプが紫色に光りだした。
驚いたハルが悲鳴といっしょに飛び上がって、転びそうになったところをユイが支える。怖がりなハルらしい反応だったけど、ただランプが光ったからだけじゃなかったらしい。
「な、なにアレ……」
「……あっ!」
しがみついてくるハルを支えながら、ユイは見覚えのあるその姿に声をあげた。
使者だ。
何体もの使者が、ランプを囲んで祈っている。ユイがそっと手を差し出すと、使者の一体が握手するように指に触れた。
「ユ、ユイ? 大丈夫なの?」
「
「けっこう可愛いんだよ」とハルの手をとって使者に近づける。小さな手がぺたぺたとハルの手に触れて「ひいぃ」とハルが震えあがった。助けを求めるようにハルが涙目を向けてくる。可愛いのに。
お姉さんは特に驚かなかった。驚かなかったというか、こちらを見てもいなかった。ユイ達に背を向けて、壁際に立っている。
「……お姉さん?」
その様子がどこか気になって、ハルと一緒に近づく。そこには。
「ひっ!?」
「うっ……!」
お姉さんの前には、死体があった。
ダムの上で見たような、ボロボロの服を着た、白骨死体。寝台の上に寝かされたそれは、とてもきれいな状態で、まるで眠ったまま骨になったみたいだった。
お姉さんは、どこか悲しそうな顔で、それを見下ろしていた。
ひくりと、ユイにしがみついていたハルの鼻が動いた。そのまま、クロやチャコみたいに鼻をスンスン鳴らす。
「どうしたの?」
「うん……なんだろう。お月さまの匂い……? みたいな……」
また、ハルが妙なことを言いだす。
ユイは月の匂いなんて知らない。そんなもの、誰も知らないだろう。これも、ハルにだけ見えたり聞こえたりするナニカと同じようなモノなのか。そうユイが考えた時。
「“ツキ”……Moon?」
お姉さんが、振り返った。
“ムーン”ならユイも知っている。月のことだ。ハルも「ムーン」と返しながら自分の鼻を指す。
目を見開いたお姉さんがハルに歩み寄った。そのままハルの頭を抱くようにして、髪に顔を埋める。突然のことに固まるハルを離すと、今度は同じように固まっていたユイの頭も抱いた。
「え、なに? なに?」
匂いを嗅がれている。
でも今日はまだ体を洗っていないし、もうずっと歩いたり走ったりしていたから、絶対に汗臭い。だんだん恥ずかしくなってきたけど、お姉さんはなかなかユイを離してくれなかった。
「……Moon scent」
「Moon scented Hunter……」
間近で見たお姉さんの青い目から、涙が一筋流れる。
でもその顔は微笑んでいて、不思議なランプの光の中で見た笑顔は、とても綺麗だった。
「じゃあ、行くよ?」
「う、うん」
ふたりで、ランプの前に座る。ハルの手をしっかりと握りながら、もう片方の手をランプに伸ばした。
これで元の町に帰られるかどうかは分からない。でも他に方法なんて無いし、今はハルとコトワリさまを信じるしかない。
ランプに手を触れると、視界がぐにゃりと歪んだ。深い眠りの夢から目覚める時に似た、引き上げられるような浮遊感を感じる。
意識が完全に閉ざされる前に、後ろを見た。
「ありがとうございました!」
「さよなら! 元気でね!」
すこし離れた場所でユイ達を見守っていたお姉さんにお礼を言う。ほんの少しの間だったけど、お世話になった。ハルの怪我も診てもらったし、やっぱり年上の人がいたのは安心できた。こんな知らない場所でも、確かな休息になった。
ユイ達には、これから最後の戦いが待っているのだから。
お姉さんが何かを投げて、ユイの顔に当たる。それが白いリボンだと分かって、お姉さんが手を振っているのが見えて、ユイが口を開く前に、意識は闇に閉ざされた。
<●>
芋虫のような体を蠕動させながら廻送者は進む。貴方はただ黙ってそれを追った。
鉄の街を出て、暗い夜の町を歩く。ユイと会った町と似た風景だったが、ここは更に静かだ。どの家も門扉を閉ざし、窓からも明かりは見えない。人の気配はまるで無く、亡霊すらもその姿を見せない。
この町も夜を恐れている。そして、その夜もまたナニカを恐れている。
おそらくは、貴方の前を進むこのナニカを。
今なら、狩れるだろうか。
音もなく右手に直剣を呼び出す。その刃を背の巨大な鞘と連結させても、廻送者は振り返らない。気付いていない筈もなかろうに、何の反応も返さない。
余裕の表れだろうか。それとも、己の生死にも貴方の生死にも関心が無いのか。
あるいは、そんなヒトの物差しで計れる存在ではないのか。勝利と敗北。生と死。そんな物に当てはめること自体が間違いなのかもしれない。
如何にして狩るか、そもそも狩るべきか否か。考えあぐねる貴方をよそに、廻送者は進み続ける。町の出入り口らしき場所をくぐり、暗い街道を抜け、また別の町へと。
その町は、貴方にも見覚えのあるものだった。他でもない、ユイに呼ばれた町だ。
「!」
それを裏付けるように、目の前にユイが現れる。幼い矮躯も、後ろ髪をくくるリボンもそのままの姿で。
だが、その姿は無機質な灰色に染まっており、現実の存在でないことは明らかだった。途方に暮れたような顔をしているその髪に触れても、貴方の手はすり抜けてしまう。
過去の残像か。貴方はそう考えた。
少女の残像は、子犬の残像をつれて町の北側へと駆けていく。そこに、貴方の残像は無い。
振り返れば、廻送者は消えていた。
「……」
これを見せる為につれて来たのだろう。
貴方は踵を返して、ユイの残像を追った。貴方が召喚されなかった
それを見届ける為に。