お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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いきて   -Dear my friend-

 灰色の怪異、夜の廻送者――よまわりさんは、それを視ていた。

 

 突きつけられた剣の切っ先。

 

 それを持つ、人型のナニカ。

 

 青白い目に宿る、苛烈な意思。

 

 

 ――つれていけ。

 

 

 その言葉に、返す言葉をよまわりさんは持たない。

 

 ただ、その袋を振り上げた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 月明りに照らされた草原に、蜘蛛神の絶叫が響いた。

 その全身に開いた赤い目、その一つに、小さな黒い影が食らいついている。光の無い目でそれを見ていたユイが、呆然と口を開いた。

 

「クロ……?」

 

 見まちがえようもない。コトワリさまの神社に置いてきたはずの黒毛の子犬――クロが、蜘蛛神の目に噛みついている。

 なんでここにいるのか。

 狩人はどうしたのか。

 いや、そんなことよりも。

 

「だめ! 逃げて!」

 

 助けが来た、などと喜べるはずもない。

 あの巨大なお化けと、無数の子グモ。一匹の子犬でどうにかできるはずもない。

 クロがどうなってしまうかなんて火を見るより明らかで、そしてユイの目の前でそれは現実になろうとしていた。

 蜘蛛神が巨体を震わせ、虫けらを払うようにクロを弾き飛ばす。

 ゴムボールのように地面を跳ねて転がるクロを踏みつぶそうと、その巨大な足が動く。

 ユイの目が再び絶望に染まろうとして、そして、皆が動きを止めた。

 

 

 

 

 足を止めた蜘蛛神が、その全身の目をギョロギョロと動かす。

 子グモたちが、せわしなく周囲を見回す。

 執拗に痛めつけられていたハルが、地に伏せたままその揺れを感じ取った。

 ユイの目が、誰よりも先にそれを捉えた。

 夜の闇の中でもひときわ目立つ、赤茶色の毛並み。ピンと立った尻尾が、旗印のように揺れる。

 

「チャコ!?」

 

 クロの片割れ。もう一匹の子犬。

 ハルと別れる以前から姿を消していた怖がりな愛犬が、草原を駆けてくる。

 そして、その背後には。

 

 

 

 

 それは、ネズミだった。

 何百、何千、もしかしたら万も超えるほどの、ネズミの群れ。

 雪崩のように、津波のように、地響きをあげながら、そのネズミの大群は草原に押し寄せてきた。

 ネズミ達が子グモに殺到する。足を伝って体に取りつき、その鋭い牙で齧って、齧って、齧ってゆく。何十匹ものネズミに群がられた子グモが次々と赤い霧になって消えていく。

 子グモもやられっ放しではない。ユイとハルを散々痛めつけたように、その牙と爪で反撃する。あっさりと小さな体を貫かれて、ネズミは霞のように消えてしまう。お化けのネズミの大群だったのだ。でも、ネズミ達は決して怯まない。次々と子グモに襲いかかる。

 草原の中は、たちまち戦場のようになった。蜘蛛神は焦ったように子グモを放ち続けて、放たれた先からネズミに群がられる。右を見ても左を見ても、ネズミと子グモの大群ばかり。子グモから解放されて、その光景を呆然と眺めていたユイの足を、柔らかな和毛(にこげ)がくすぐった。

 

「あなた達が呼んだの?」

 

 行儀よく並んで尻尾を振るクロとチャコの頭を、両手で撫でる。チャコを連れてきたのは当然クロだろうし、あのネズミはダムにいた子達だろう。

 ユイがあのかわいそうなネズミを弔ってあげたことに対する、恩返しだろうか。あるいは、クロ達との間で何らかのやり取りがあったのかもしれない。どちらにせよ、それはもうユイには理解できない世界のことだった。

 

「……ありがとう」

 

 二匹(ふたり)を、ぎゅっと抱きしめる。ボロボロになっていたユイの心に、すこしだけ希望が湧いてきた。ハルの他にも味方がいればきっと――。

 

「――ハル!」

 

 やっと我に返ったユイは、鋏を拾って立ち上がった。辺りを見回して、すぐに人形のように打ち捨てられたハルを見つける。駆け寄って、絶句した。

 ハルは、虚ろな顔で横たわっていた。元から傷だらけだった体は更にたくさんの傷を刻まれて、特にその左足は見るに堪えない。お姉さんに巻かれた包帯も添え木も剥ぎ取られて、青黒く腫れた足には何か所も噛まれた痕があった。

 子グモ達に、散々弄ばれた痕だ。

 

「ごめんね、ごめんなさい……! もっと、わたし……」

 

 どうして、あの時すぐにハルを助けられなかったのか。どうして、ハルをちゃんと見ていてあげられなかったのか、どうして、どうして……。

 ユイが後悔と自責に沈もうとして、それを虚ろな目で見上げていたハルが、

 

「――――痛っ!」

 

 突然、飛び起きた。

 しかも、何故か左足よりも左手を痛がっているように見える。しばらく唸っていたハルが、涙目で笑った。

 

「……また怒られちゃった。“立て”って」

 

 ユイにはよく分からないことを言って、「いたた」と顔をしかめながらハルが頭を振る。涙をぬぐって、顔を向けてきた。

 

「ユイは大丈夫? それ、痛くない?」

 

 意外なほどにしっかりとした声に答えを返そうとして、ユイは顔を青くした。ハルの視線が上の方、ユイの額に向けられている。

 思わず、両手で額を覆って背を向けてしまった。

 

「だ、大丈夫だよっ。これは、階段から落ちて」

「……、……じっとして」

 

 上ずった声で言い訳を並べようとすると、後ろから何かを額に巻かれた。柔らかな布の感触と、薬の匂い。お姉さんから貰っていた予備の包帯だ。

 もともと不器用なハルは、慣れない作業に苦戦しているようだった。何度も巻き直されている間、ユイの目がじわりと熱くなる。

 自分が、情けなくて。

 

 ――なにやってるんだろう、わたし。

 

 ハルの方がよっぽど傷だらけなのに。この包帯だって、本当はハルが使わないといけないのに。

 こんな時にまで傷を隠して。ハルに嘘をついて。

 ハルを助けにきたのに。わたしが、ハルを助けないといけないのに。

 

「聞いて、ユイ」

 

 包帯を巻きながらハルが声をかけてくる。すこしだけ頭を動かして、それに応えた。

 

「やっぱり、あのお化けは、やっつけないとダメなんだと思う」

 

 いま、ここで。そう続けたハルの言葉にユイは振り向く。包帯はもう、固く結ばれていた。

 ユイの目を正面から見返して、ハルは続ける。

 

「あのお化けを放っておいたら、きっとまた悪いことをする」

「いろんな人をさらって、ひどいことをする」

「だから、やらなきゃ」

 

 ハルの手には、もう鋏が握られていた。ぎり、と強く握る音が聞こえるほどに。

 その手の震えを、抑えるみたいに。

 

「ねえ、だから、ユイ」

「……」

 

 ユイは、答えられなかった。俯いて、ハルから目をそらした。

 

 

 

 

 ユイは、逃げるつもりだった。

 怖かった。

 ハルの為なら、怖くないと思っていた。

 ハルといっしょなら、何でもできると思っていた。

 でも負けた。

 狩人から戦い方を学んでも、コトワリさまから強い武器をもらっても、それでも勝てなかった。

 結局は、手も足も出なくて。玩具にされて、遊び半分に痛めつけられて。

 クロと、チャコと、ネズミ達が助けにきてくれて。

 あれだけの味方がいればきっと、ハルとクロとチャコを連れて、()()()()()

 そう、考えていた。考えてしまった。

 

 ――無理だよ。勝てっこないよ。

 

 喉から転がり落ちようとしていた本音を、なんとか抑えこむ。

 もう折れかけの心を奮い立たそうとしても、ついさっきまで晒されていた痛みと恐怖に塗りつぶされてしまう。

 耐えることには慣れていた。痛いことをされるのは、ユイにとって日常だった。

 でもそれは、決して平気ということじゃない。

 お化けに傷つけられる度に、あの人の姿と重なった。痛くて、怖くて、つらかった。

 ハルは、どうして平気なんだろう。

 あんなにひどいことをされたのに、どうしてまだ戦おうとするんだろう。

 どうして、心が折れないんだろう。

 

 

 

 

 バチン! と、頬を張る音がユイの耳に響いた。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ハルは、必死に戦っていた。

 臆病な自分と、弱気な自分と、卑怯な自分と、必死に戦っていた。

 

 ……怖いよ。もう痛いのはたくさんだよ。

 ――そうだよ。だから、あのお化けをやっつけないといけないんじゃない。

 

 ……勝てないよ。あんな大きなお化け相手に。

 ――勝てるよ。勝つ方法ならあるもん。

 

 ……わたしには無理だよ。ユイに任せればいいじゃない。いつもみたいに。

 ――ユイも精いっぱいなんだよ。こんなに傷だらけなんだよ。

 

 ……どうして戦わないといけないの? 逃げればいいじゃない。

 ――逃げてどうするの。あのお化けが、他の人に、ユイにまたひどいことしちゃうじゃない。

 

 ……わたしには関係ないでしょ? だって、わたしはもう、

 ――ちがう。ちがうよ。

 

 ……わたしはもう、引っ越すんだから関係ないじゃない!

 ――ちがう!

 

 左手で、おもいきり自分の頬を張った。

 加減のない一発に、頭がぐらりとする。口の中を切って、血の味でいっぱいになる。涙で滲んだ視界の中で、ユイが目を丸くしていた。

 

 

 

 

 夏が終われば、自分は引っ越さなければいけない。

 生まれ育った家とも、通い慣れた学校とも、思い出でいっぱいの町とも、親友のユイとも、お別れしなければいけない。

 嫌だった。嫌に決まっている。

 でも、ハルはまだ子どもで。一人で生きていくことはできなくて。結局は、親に従うしかない。

 でも、ハルはまだ子どもだから。

 

『ハルはまだ子どもなんだから』

『まだまだ、ハルの人生は長いんだよ』

『ユイちゃんとも、また会えばいいじゃない』

 

 泣きつくハルに、祖母はそう答えた。

 あの時は分からなかった。引っ越さなくてもいいよって、お婆ちゃんがなんとかしてあげるよって、そう言ってほしかったから。

 でも今なら分かる。嫌でも、分かってしまう。

 一時のお別れと、本当のお別れは、ぜんぜん違うってことを。

 今なら、逃げられる。あのネズミ達を囮にして、逃げ帰ればいい。そして引っ越してしまえば、ハルは助かる。あのお化けだって、きっと遠い町まで追ってはこない。

 でも、ユイは?

 この町に残るユイは、どうなるの?

 あのお化けを野放しにしたまま、ユイとお別れするの?

 ユイとのお別れを、もう二度と会えない「本当のお別れ」にしてしまうの?

 そんなの、

 

「そんなの、いやだ」

 

 左手の傷が、じんと熱を持った気がした。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「わたし、8月いっぱいで……遠くの町に引っ越すことになったの」

 

 夕方に告げられた言葉を、ハルはもう一度口にした。聞くのは二度目なのに、その言葉はまたユイの心を揺さぶる。

 なんで今、そんなことを言うの。

 思わず恨めしげな視線を向けてしまっても、ハルは目をそらさなかった。

 

「ほんとは嫌だよ。引っ越したくないよ」

 

 でもね。

 そう、続けて。

 

 

「死んじゃうのは、もっと嫌なの」

 

 

 ハルの目には、恐怖があった。怖がりなハルらしい目。

 でも、その目に暗さは無かった。強く、輝いていた。

 

「わたしが死ぬのは嫌。ユイが死んじゃうのは、もっと嫌!」

「ユイだって見たでしょ? お化けは、みんな辛そうだったよね」

「自分が誰かも分からなくなって、ずっと、ずっと、同じことをくりかえすの」

「わたしや、ユイが、そうなっちゃうなんて……、ぜったいに、いや」

 

 人は、生き物は、生きるために、危ないものを怖がる。

 そんな話を、ユイは思い出していた。

 

「ユイとは、もうすぐお別れになっちゃう」

「でも、わたしは、またユイと会いたい!」

「引っ越しても、手紙を書くよ! 電車に乗って、ユイに会いに帰ってくるよ!」

 

 ハルは、生きようとしている。

 別れを受け入れて、その先も見つめて。

 だから死ぬことを怖がって。だから立ち向かって。前に、進もうとしている。

 ユイは、どうだろうか。

 ハルの為ならどうなってもいいとか、ハルがいなくなったら生きている意味が無いとか。

 自分の命を、ハルに押しつけていなかったか。

 もし、このまま逃げ帰って。ハルとお別れして。またあのお化けに襲われたら。

 その時、ユイは一人で戦えるだろうか。簡単に、ぜんぶ諦めてしまうんじゃないか。

 死を、選んでしまうんじゃないか。

 

「ねえ、だから、ユイ!」

 

 ユイの両肩をつかみながら、ハルは泣いていた。その涙は、何の涙だろうか。

 

 

「わたしといっしょに、戦って!」

 

 

 生きて。

 そうも、言われた気がした。

 

「…………」

 

 ユイは、ただハルの目を見た。

 口を、開こうとして。

 

 

 

 

 

“ウゴクナ”

 

 

 

 

 ぎしり、と。

 ユイの体が固まった。

 ユイだけじゃない。ハルも、クロも、チャコも、ネズミ達も、子グモですら。

 蜘蛛神の「声」が頭に響いた瞬間、体が金縛りになった。

 

 そして、無数の赤い糸が、子グモごとネズミ達を貫いた。

 

 赤い花が炸裂するように地面から伸びる糸は、針のような鋭さで獲物を次々と貫いていく。百匹近いネズミ達が霞に消えて、それの巻き添えになった子グモも赤い霧になる。

 ユイ達の金縛りが解けた時にはもう、戦場の一角にぽっかりと穴が空いていた。同じく金縛りが解けたネズミと子グモが穴になだれこんできて、また乱戦の騒がしさが戻ってくる。

 その真上で、蜘蛛神が戦場を見下ろしていた。裂けた口はもう嗤っていなくて、ただただ憎々しげに歪められている。何かを探すように赤い目をギョロギョロ動かして、そしてユイ達を見た。

 ゾッとユイは総毛立つ。

 蜘蛛神はもう、遊んでいない。本気だ。本気で、ユイ達を殺す気でいる。

 

“ウゴクナ”

 

 また声が頭に響いて、体が固まる。同時に、赤い糸の奔流が地面を切り裂きながら迫ってきた。

 それに立ちふさがるように、ユイの前でハルが両手を広げている。自分を盾にしたままで、ハルは固まっていた。

 

 その絶望的な光景を、ユイは加速した時間の中で見ていた。急速に色を失くしていく無音の世界で、糸がゆっくりと迫ってくる。

 

 でも、体が動かない。もう少しで動きそうなのに。先に糸が来る。

 

 死ぬ。

 

 死んじゃう。

 

 嫌。

 

 嫌!

 

 怖い! 死にたくない!

 

 わたし死にたくない! ハルが死ぬのも嫌!

 

 だから、だから! わたしの体!

 

 

 

 

「うごいて――っ!」

 

 

 

 

 ユイの叫びと、盾が糸に貫かれるのは、まったくの同時だった。

 

 

 

 

 電動ノコギリが木材を削るように、盾――ひと固まりになったネズミの群れを糸が削りつくしていく。

 その盾を糸が貫く瞬間、その一瞬前に、ユイはハルを抱えて横に跳んだ。糸はユイのつま先を掠めて草原の端までを切り裂いていく。

 跳びながら、消えていくネズミ達を見た。無駄になんてできない。それになにより。

 

 ああやっぱり、死にたくない。

 

 跳んだ勢いのままゴロゴロと転がって、その勢いを使って飛び起きる。

 上を見れば、蜘蛛神は全部の目をこちらに向けていた。

 また次が来る。時間が無い!

 

「どうすればいいの!?」

 

 焦る気持ちのまま、腕の中のハルに質問をぶつける。ハルは、目をキョトンとした。

 

「え、ユ、」

「教えて! どうすれば、あいつをやっつけられるの!?」

 

 ここまで言ってもポカンとしている親友の顔に、ユイはひとつだけ深呼吸した。落ち着いて、ちゃんと伝えないと。

 しっかりと目を合わせて、言った。

 

 

「わたしも戦うよ! ハルといっしょに!」

 

 

「だから教えて!」そう続けて、すこしだけ間が空いて、やっとハルは笑ってくれた。笑って、頷いて、そして。

 

 

「おんぶ!」

「…………は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草原を、駆ける。

 サクサクと草を踏み、入り乱れる子グモとネズミをすり抜け、飛び越え、駆け抜ける。

 ユイの健脚は、軽やかに地面を駆ける。その背負ったものの重みを感じさせないほど。

 ユイは走り続けた。ケラケラと笑いながら。

 

「もうっ! 笑うことないじゃない!」

「ご、ごめんって! でも、だって! “おんぶ”って! あんなかっこいいこと言ったのに、おんぶって!」

「しかたないでしょ! もう走れないんだからっ!」

 

 ぷりぷりとご立腹なハルを背負いながら、ユイは走っていた。上機嫌な主人の後を、クロとチャコが跳ねるようについてくる。

 

「はあ……っ、はあっ、は、ひ、ふふへへっ! お、おんぶ!」

「やめてってば! ユイのばか!」

 

 完全に笑いのツボに入ってしまった上での全力疾走。ひどく息苦しくてお腹も痛いけど、心は軽かった。ぺしりと頭を叩かれても、それすら心地よい。

 まるで馬鹿になったみたいに、笑いながら走る。心も、体も軽い。

 

「止まって!」

 

 ハルの声に従って足を止めると、そこは草原の端だった。特に何も、変わった物は無い。

 何も無いのに、ハルは迷わずその手に持った物――連結させた赤い鋏の刃を閉じた。

 

 

 ジョキン

 

 

 ハルが何も無い所で鋏を閉じると、確かに何かを切った音がした。同時に、一瞬だけユイにも見えた。太くて赤い、糸のような物が。

 

“――――!?”

 

 同時に、頭上から蜘蛛神の狼狽えたような声が聞こえた。見上げれば、夜空に張り付いていた蜘蛛神が、大きく傾いている。まるで、バランスを崩したみたいに。

 

「やっぱり!」

 

 ユイの背中で、ハルの歓声をあげた。

 

「あのお化けは浮かんでるんじゃない。クモと同じだよ、糸で巣を作ってる!」

「! じゃあ、」

「うん! 落とせるよ! 次に行こうユイ、このまままっすぐ!」

「了解!」

 

 再び、ユイは走り出した。

 悠然と夜空に浮かんでいるように見えた蜘蛛神は、今はもうみっともない程に取り乱した様子で、糸を張り直そうとしている。

 よっぽど落ちたくないんだ。もしかしたら、コトワリさまの鋏が怖いのかもしれない。

 このまま糸を切って、あのお化けを落とす。落として、直接鋏を突き刺せば、もしかしたら。

 ユイにその糸は見えない。でも、ハルには見えている。

 ハルはもう走れない。でも、ユイはまだ走れる。

 普通は切れない糸。でも、この鋏なら切れる。

 ハルの目と、ユイの足と、コトワリさまの鋏。蜘蛛神を地に落とす為の駒は揃っていた。

 

“ウゴクナ!”

 

 そうはさせじと、ひときわ大きな蜘蛛神の声が響く。ユイの足が固まる。

 でも。

 

 ――()()

 

 心で強く叫べば、絡まった糸を引きちぎるみたいに足が動く。更に、後ろから迫っていた赤い糸をくるりと身を翻して避けた。

 なんてことはない。

 あの声は催眠術と同じだ。気持ちを、心を強く保っていれば効かない。その程度のもの。

 だから、あの蜘蛛神はユイ達をあんなに痛めつけた。嗤って、弄んで、ひどい事をして、心を弱らせた。そうしないと効かないから。

 今のユイには、通用しない。

 

「そこ! もうちょっと右!」

「ここ!?」

「行きすぎ! もどって!」

 

 矢継ぎ早なハルの指示どおりに動いて、見えない糸を探す。それがなんだかやけに楽しい。まるでハルと遊んでいるみたいで、いつもみたいにユイは笑った。

 それが、またユイに力をくれる。

 糸が切られて、またバランスを崩す蜘蛛神に向けて「あっかんべー」してやってから、ユイは走り出した。

 

 

 

 

 ユイ達の反撃が始まった。

 頭に響く「声」を跳ねのけ、赤い糸の攻撃を躱し、蜘蛛神の巣を支える糸を探す。糸を切り、蜘蛛神を少しずつ地に落としていく。

 でも、蜘蛛神もやられっ放しではない。

 

「っ! ユイ、うしろ!」

「おっと!」

 

 追いすがってきた子グモの爪を前に跳んで躱す。すかさずハルが鋏を振り下ろして、子グモを霧に変えた。

 

「ありがと!」

「まだいるよ!」

 

 今度は前に並ぶ3匹の子グモを大きく迂回する。すぐにネズミ達が加勢に来たけど、倒せたのは2匹だけだった。残りの1匹が追いかけてくる。

 子グモの数が増えてきていた。対して、ネズミの数は目に見えて減りはじめている。

 

「あいつ……!」

 

 ユイは、傾いたままで子グモを放ち続ける蜘蛛神を睨んだ。

 気が付けば、蜘蛛神の「声」も赤い糸の攻撃もほとんど無くなっている。ユイ達には通じないとみて、子グモを放つことに注力しだしたのだ。

 いくらネズミの数が多くても、それは減っていく一方。減った端から補充される子グモにはいつか逆転されてしまう。

 そうなれば、始まるのはまた数の暴力による一方的な蹂躙だ。ユイもハルも、今度はもっとひどいことをされるかもしれない。

 ユイ達が嫌がることを、あの蜘蛛神はよく知っているのだ。

 ユイ達が糸を切り終わるのが先か、子グモ達がネズミを削りつくすのが先か。

 戦況は五分五分。ユイ達が確実に勝利するには、あともう一押しが必要だった。

 あと一押し。

 例えば、あの蜘蛛神みたいなお化け相手でも一人で戦えてしまうような、そんな超人みたいな存在が……。

 ユイの頭に、ある一人の男の姿がよぎった時。

 

 

 

 

 月が、真っ赤に輝いた。

 

 

 

 

   <●>

 

 

 

 

【上位者狩りの時間だ】

 

 

 

 

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