お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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そうじ   -Farewell-

 蝉の大合唱が鳴り響く。

 ほぼ真上から容赦なく降り注ぐ日差しが、人型の石畳にくっきりとユイの影を焼きつけていた。大きく膨らんだゴミ袋でさえ、柔らかく溶けてしまいそう。

 暑すぎる。

 滴り落ちる汗をタオルで拭いながら、ユイは一時撤退を決めた。

 

「ハル、休憩!」

 

 箒で石畳を掃いていたハルが、杖をつきながら拝殿の方に歩いてくる。

 おぼつかない足取りは、ギプスを外したばかりの左足のせいだけじゃないことは、よれよれになったハルの表情からも明らかだった。麦わら帽子の下の青いリボンも、心なしか萎れたように見える。

 大きな水筒から冷えた麦茶を注いであげて、干からびたような親友に手渡す。それをゆっくりと飲み干してから、やっとハルは元気を取り戻したみたいだった。

 

「うー、あづい……」

「だから家で待っててって言ったのに」

「うー……」

 

 喋る元気は取り戻せても、動く元気にはまだ足りないみたい。

 すっかり参った様子のハルに呆れながら、ユイは保冷バッグを広げる。遠くから、12時を報せるサイレンが聞こえた。

 

 

 

 

 あの夜から、もう半月あまりが過ぎていた。その間、ユイとハルは忙しない日々を送っている。

 

 ハルは、すぐに病院に担ぎ込まれた。

 傷の量も深さもユイの比じゃなく、お見舞いに行った時は完全なミイラ状態だったものだから、最初はハルだと分からなかった。

 ハルの家族もてんやわんやだったと言う。元々、遠くの町への引っ越しを目前としていた中での、娘の入院。色々と大混乱だったことは想像に難くない。

 幸い、左足は後遺症もなく経過は順調。今はもう杖をついて山道だって歩けている。

 ただ、左掌の傷だけは完治しないそうだった。

 

「まさか、コトワリさまが神様だったなんてね」

 

 弁当箱からおにぎりを摘まみながら、しみじみとユイは呟く。

 目の前には、あの夜に比べて格段にきれいになった境内が広がっている。大きな人型の石畳にも小石ひとつ落ちていない。何日もかけてユイが掃除した成果だった。石碑に刻まれたコトワリさまのいわれも、その時に読んだのだ。

 

 ――理様(コトワリさま)は、縁を司る慈悲深い神さま。

 ――「もういやだ」と唱え、頭と手足のある物を捧げれば、望んだ悪縁を断ってくれる。

 ――そして、悪縁ではない繋がり。「絆」を断ち切るための禁じ手。

 

 コトワリさまの怪談は、その逸話が歪んだ形で伝わったものだった。あの恐ろしげな姿のせいなのか、それとも歪んだ信仰のせいであの姿になってしまったのかは、ユイには分からない。

 

「まあ……見た目が怖いからね」

 

 ハルもそう言いながら、左手の傷を撫でている。もしかしたら、怒られたのかもしれない。

 コトワリさまの鋏でついた傷は、まだハルの掌に残っている。時々、ハルを導くみたいに痛んだり疼いたりするらしい。一生ものの傷になってしまったけど、「でも心強いよ」とハルは満更でもないみたいだった。

 そのハルは、塩おにぎりを頬張って梅干しみたいな顔になっている。

 

「うぅ、しょっぱい……」

「汗いっぱいかくからね。お塩多めでってお母さんに頼んだ」

「うー……」

 

 何杯目かの麦茶を飲むハルに苦笑して、母に作ってもらったお弁当をつつく。

 

 

 

 

 あの後、ユイと母がまず向かったのは病院ではなく、警察署だった。

 行方不明扱いだった父の死を、正式に届け出る必要があったから。

 当然、発見した時の状況も聞かれたけど、あの山で見つけたと言った途端に警察の人は黙りこんでしまった。結局、ろくに何も聞かれないまま手続きは終わった。

 ダムで亡くなっていた人たちのことも忘れずに伝えたけど、それも施設に忍びこんだことを注意されただけ。

 母曰く、この町の大人たちは皆、お化けのことを知っているのだそうだ。知っていて、知らないふりをしているのだと。だから、ハルの怪我の原因と同じように、お化けが関わることにはすぐ蓋をしてしまう。

 大人ってずるいな、とユイは思った。

 

 でも、ユイの怪我についてだけは、そうはいかなかった。

 母は、ユイに暴力を振るっていたことを、すべて警察の人に話した。ユイは止めたけど、母は「けじめ」だと言って聞かなかったのだ。

 だから、ユイはしばらく母と離れて暮らす羽目になってしまった。保護とかなんとか言われて連れていかれた先で、施設の人に何度も訴えた。

 母は変わった、もう大丈夫だから家に帰してほしいと、何度も、何度も訴えた。あれだけ帰りたくなかった家に、今は必死に帰ろうとしているのがひどい皮肉に思えた。

 何日か後、ようやく帰れた家からゴミは消えていた。

 元々、家事が得意な母だったのだ。かつてのようにきれいになった家で母に出迎えられた時、ユイは涙が止まらなかった。そんなユイを、母も胸に抱きながら泣いていた。

 

 その後も、ユイは様々なことに忙殺された。

 父の葬儀をあげた。クロとチャコを家で飼う準備をした。ハルのお見舞いに行った。コトワリさまの神社を少しずつ掃除した。夏休みの宿題だって忘れてはいけない。

 日々は瞬く間に過ぎていって、そしてついにこの日が来てしまった。

 

「……明日だね」

「……うん」

 

 明日、ハルはこの町から引っ越す。

 夏が、終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これあげる」

「あれ、ユイってカリフラワー嫌いだったっけ?」

「嫌いじゃないけど……なんか、なんとなく」

「?」

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

「わぷっ」

 

 布団に寝転んだハルの顔に、またチャコが飛びついた。引きはがしても、ボールみたいに跳ねまわるチャコはハルの長い髪にもじゃれついて、まるで落ち着きが無い。

 ユイは溜息をついて、ハルの背中にくっついていたチャコを摘まみ上げた。

 

「チャコ! だめ!」

 

 精いっぱい怖い顔をして叱りつけると、チャコはしゅんと耳と尻尾を下げる。思わず撫でたくなるけど、ここは心を鬼にして表情を保ち続けた。

 その内、チャコは尻尾を引きずるみたいにすごすごと寝床へ戻っていく。先に寝ていたクロが、片目だけを開けてそれを迎えた。

 

「ごめんね、うるさくて」

「いいよ、にぎやかだし」

 

 並べた布団の上で、パジャマ姿のハルがいつも通りに微笑んだ。

 ハルは、ユイの家に泊まりにきていた。

 あれ以来ほとんど一緒に遊べていない二人を見かねたのか、お互いの親が提案してくれたのだ。最後なのだから、夜通し起きていても良いという特別な夜。

 家にいるのは、二人と子犬たちだけ。母も、今日はハルの家にお邪魔している。

 お菓子とジュースをたくさん並べて、寝ころんだまま行儀悪く飲み食いした。そんなことだって今夜は許される。

 トランプ、ボードゲーム、スケッチブック、色々と準備したけど、結局はハルとお喋りするのが一番楽しい。

 面白い話、こわい話、なぞなぞ。お腹をかかえて笑ったり、悲鳴をあげたり、頭をひねったり、楽しい時間はどんどん過ぎていく。

 夜が更けて、話題も尽きて、瞼が重くなってきた頃、話はあの夜のことになった。

 

「ほんと、大変だったよね」

 

 ユイは、今も勉強机の上に置かれた赤い鋏を見る。

 夕方、ユイたちはこの鋏をコトワリさまに返そうとした。やっとのことで掃除を終えた神社で、拝殿に鋏と藁人形を供えると、コトワリさまが二人の前に現れた。

 久しぶりに見るその姿は相変わらず怖かったけど、蜘蛛神みたいに嫌な感じは一切しなかった。本当はやさしい神さまだということを知った後だからか、余計にそう感じた。

 でも結局、返そうとした鋏はまた返されてしまった。だから、この鋏はありがたく頂戴することにしたのだ。

 ……ユイの頭すれすれに鋏が突き刺さった時は、さすがに悲鳴をあげてしまったけど。

 

「あの街は、なんだったのかな」

 

 眠そうな目をこすりながら、ハルがつぶやく。

 ハルと一緒に迷いこんだ、あの大きな街のことはユイも気になってはいた。

 気になってはいたけど、あの時のユイはずっと気を失っていたのだ。実際に街を歩いたハルにも分からないのなら、ユイに分かるはずもない。

 

「あのお姉さんに、もっといろいろ聞けば良かったね」

「う、うん……」

 

 つい「治療」のことを思い出したのか、ハルの眉が下がっていた。たぶん無意識に、自分の左足を撫でている。

 ほぼ同じ目にあったユイとしても怖くないわけじゃなかったけど、とても親切な人だった。ハルの足を診てくれた上に、包帯や飴玉も持たせてくれて……。

 

「……あ」

 

 そういえば。

 ユイは立ち上がって、椅子にかけられたナップサックを探る。あれから本当に色々とありすぎて、今の今まですっかり忘れていた。

 

「なに、それ……?」

「最後にね、お姉さんがくれたの」

 

 ハルが欠伸まじりに聞いてくるそれは、真っ白なリボンだった。輝くような光沢といい、繊細なレースといい、相当に上質な物だということがユイにも分かる。

 こんな高そうな物、本当にもらって良かったんだろうか。

 

「あれ?」

 

 すべすべとした手触りを楽しんでいると、リボンが途中で千切れていた。補修したような跡もあって、元から千切れていたことが分かる。きれいなのに、なんだかもったいない。

 せっかくだから髪に結んであげようとハルの方を向いて、ユイは苦笑する。

 ハルはもう寝息を立てていた。口を半開きにして、すっかり眠ってしまっている。

 朝までお話できないのは残念だけど、ユイもそろそろ限界だった。ハルにタオルケットをかけてあげて、部屋の明かりを消す。隣の布団にユイも寝ころんだ。

 

「……おやすみ、ハル」

 

 寝て、朝になれば、それでお別れ。

 涙を一粒だけ流して、投げ出されたハルの左手に右手を重ねる。そして、ユイも目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 丑三つ時。

 

 もっとも夜が深く、陰の濃いこの時。

 様々なお化けが跋扈する町中とは異なり、少女たちが眠る部屋は静寂に満たされていた。

 聞こえるのは、微かな二人の寝息のみ。

 その静寂の中、音もなく輝くものが三つあった。

 

 一つは、赤い裁ち鋏。縁神より授けられた、正真正銘の神器。

 一つは、白いリボン。かの地より持ち帰られた、ある縁物。

 一つは、刃に残った血。人を超え、人を失ったモノの、()()()()()

 

 心の奥底で少女が願ったか、あるいは文字通りの神の悪戯か。

 欠片ほどであっても、啓かれた蒙が成した交信か。

 

 その夜、少女たちの魂は「夢」へと至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 月のにおいがした。

 

 薄く開いた目に映ったのは、斑色(まだらいろ)の空。

 青空でもない、曇り空でもない。夕焼け空でも、夜空でもない。

 見たことのない、そんな色の空。

 そこに浮かぶ、真ん丸の、とても大きな、月。

 

「……」

 

 それを見てから、ユイは目を閉じる。

 ゆっくりと10数えてもう一度、目をあけた。月がユイを見返している。

 

「……勘弁してよ」

 

 そろそろ、このパターンにも飽きてきた。

 気絶したり眠ったりした後は、たいてい大変な目にしかあっていない。それが、こんな現実味のない場所なら尚更だった。静かに体を起こすと、パジャマから伸びる手足をさわさわとくすぐられる感触に身震いする。

 辺り一面が、真っ白な花に埋め尽くされていた。

 この世のものとは思えない、それこそ天国かどこかと言われた方がよっぽど納得できそうな光景。ただ、所々に立てられた木の十字架みたいな物が、この場所をどこか不気味に見せてもいた。

 とりあえず動かないことには始まらない。ひとつ息を吐いてから立ち上がろうとして。

 

「……ハル?」

 

 すぐ隣に、ハルが寝ていた。ユイの手を握ったまま、呑気にすぴすぴ寝息を立てている。

 起こしたハルが腰を抜かしたのは、もう言うまでもなかった。

 

 

 

 

「とりあえず行こっか」

「なんだか、慣れちゃったね」

 

 二人で苦笑して、自然に手を繋ぎながら歩きだす。

 すぐそこに、とても大きな木が立っていた。木の周りにはお墓みたいな石がいくつも並んでいて、それほどに太くて立派な木。その根本に置かれた、古びた車椅子がユイの目にとまる。

 

「乗る?」

 

 冗談半分、心配半分でハルに言う。杖なしではまだ左足が痛むみたいだから、使ってみたらどうかと思ったのだけど。

 

「……あれ?」

 

 ハルが自分の足を見下ろす。そのまま、左足を撫でたり叩いたり、ぴょんぴょん跳んだりしはじめる。

 

「痛くない」

 

 やっぱり夢?

 そう言って、ほっぺたをつねるハルの目に涙が滲んで、夢じゃないことが分かった。さくさくと、花畑を二人で歩く。遠くに洋館みたいな建物が見えていた。

 

 

 

 

 匂いが、だんだん鮮明になってくる。

 イヤな匂いではないけど、今まで嗅いだどんな匂いとも違う。とにかく不思議な匂い。そもそもこれは本当に「匂い」なのか、だんだんユイにも分からなくなってきた。

 すん、とハルも鼻を鳴らす。

 

「この匂い、やっぱり」

「月の匂い?」

「そう、それ!」

 

 あの時、あの街の廃病院、奥に寝かされていた白骨死体からも同じ匂いがするとハルは言っていた。そして、たぶんあのお姉さんも。

 これがハルの言う「月の匂い」かと、ユイも深呼吸してみる。澄んだ空気の中に花の匂いと、少しだけ血の匂いもした。

 

「……そういえばね」

 

 ハルが、どこか言いにくそうに口を開く。

 

「あの狩人さんからも、同じ匂いがしたよ」

「……」

 

 狩人。

 その名前を聞いて、ユイの表情が曇った。

 あの後、気が付けば狩人の姿はなくて、ハルが後を追ったけれど、目の前で突然消えてしまったのだという。

 あれだけ助けてもらったのに、最後はあんなお別れになってしまった。それは今でもユイの心に小さな棘になって残っている。

 

 ――もし、また会えたら……。

 

 そう思ってやまなかったけれど、どこにいるのかも分からない、それどころか本当にこの世の人間なのかも分からない相手にもう一度会える可能性なんて、無いのと同じだった。

 ため息をひとつだけして、頭を振る。今はそのことを考えている場合じゃない。ユイは頭を切り替えた。

 花畑を囲むような鉄柵に辿りついて、アーチ状の出入り口に設けられた扉に手をかける。ハルと二人で扉を開けようとした、その時。

 

 

 

 

 ガチャン! と、目の前の扉が勢いよく開かれた。

 

 

 

 

 弾かれたみたいにハルと後ろに跳ぶ。

 すぐにハルの手を引いて走れるよう、重心を落として――。

 

「…………へ?」

「…………は?」

 

 二人で、馬鹿みたいな声を漏らす。それほど、目の前のモノに言葉をなくしてしまった。

 

 まず何よりも目立つのは、その頭。顔は見えない。その()()()には、一切の覗き穴も模様も無かったから。

 その色は黄金。何かを見せつけるように、ギラギラと光を反射している。

 右手には巨大な車輪を担いで、左手にはまた巨大な大砲を括り付けている。その人間離れ常識離れした装備に、ユイは見覚えがあった。

 そして何より。目の前のソレは、あとは薄手のハーフパンツしか身に着けていなかった。

 固く引き絞られた筋肉で形作られた裸体が、少女たちの目に惜しげもなく晒されている。

 

 

 変態だ。

 

 

「きゃあぁ――――っ!?」

「うわあぁ――――っ!?」

 

 ハルの悲鳴と、ユイの絶叫と共に。

 変態の鳩尾にユイの飛び蹴りが火を吹いた。

 

 ――あれ、なんか……。

 

 割れに割れた腹筋に、ユイの素足が突き刺さる。

 その蹴った感触にひどい既視感を覚えて、ユイはげんなりとため息をついた。

 

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