お化け狩りの夜が廻る 作:甲乙
主の様子がおかしい。
己にしがみついている狩人の背中を撫でながら、人形は首を傾げた。
それ自体はなんら珍しいことではない。
また誰にも呼ばれなかっただの、血晶石が出なかっただの、あの赤蜘蛛ぜったい許さんだの、何かというと人形に抱きついて精神の均衡を図るのは狩人の常であった。
それに不満など無い。己はその為に創られた存在であり、そもそも何かに不満などを抱けるようにも出来てはいない。
故に、珍しく血塗れでなく、何故か額にだけ傷を残した狩人が戻ってきた時、一も二もなく抱きついてきた彼を慰めるのもいつもの事であった。
だが狩人は何も語らず、ただ人形の固い胸に顔を埋めるばかり。
愚痴をもらすわけでもなく、怨嗟の声をあげるわけでもなく、後悔に
また何か、ひどく悲しいことでもあったのだろうか?
それにしては、一瞬だけ見た狩人の顔はどこか穏やかにも見えた。まるで、別人のように。
なんであれ、心のない己に分かることではない。
そうして、いつものようにオルゴールを鳴らしながら狩人の背中を撫でた。
いつものように。もうずっと、そうしてきたように。
※ ※ ※
夜廻さんたちへの、よくわかる解説!
月の香りの狩人とは、悪夢の上位者によって夢に囚われた狩人である!
何度死んでも蘇って、いつまでも終わらない夜をさまようことになるぞ!
悪夢の中を永遠にさまよって、獣を延々と狩り続ける!
まるで、お化けのように。
※ ※ ※
「狩人さま、お客さまがお見えです」
どれぐらいそうしていたのか。
この夢に正常な時間などあろうはずもなく、ただオルゴールを千回ほど巻き直した頃だったか。
前触れもなく現れた来訪者の気配に、人形は死体のように動かなかった狩人をやさしく揺り起こした。
のろのろと起き上がった狩人は、何かを感じたのか、以前の客を思い出したのか、あるいはただ呆けているのか、装束を脱ぎだす。ほぼ全ての服を脱ぎ散らかした上に金のアルデオのみをかぶり、車輪と大砲を担いでフラフラ歩いていく主を見送り、人形も立ち上がった。
散乱した装束を畳み、スカートの中から双刃を備えた長刀――落葉を取り出す。
また指導が必要なのかもしれない。これもまた己の存在意義だと人形は認識していた。助言者は既になく、上位者の赤子たる主の伴侶であり母であることが人形の役目なのだ。
だが己が手を下すまでもなく庭園からは悲鳴と怒号が木霊し、人形はまた首を傾げた。
<●>
まるで犬でも躾けるかのように、ユイは腕を組んでこちらを見下ろしていた。だがその目は、以前よりもずいぶんと冷たい。
「ハルになんてもの見せてくれるの、おじさん」
最近、そういうのすごく厳しいからね? そうじゃなくても捕まっちゃうけどさ。だいたい……。
こんこんと続くユイの説教を聞かせられながら、正座する半裸の変態――つまり貴方はその巨大な
脱いだ理由は特にない。強いて言えば、
ハルはといえば、真っ赤な顔でまだ向こうを向いたままだった。時々チラとこちらを見ては、また慌てて顔を逸らしている。視線があった瞬間にさりげなくサイドチェストを決めると、火が出そうな顔を両手で覆ってしまった。……だが小さな手の指の隙間から瞳が覗くあたり、彼女の好奇心も限界と見える。
そんな貴方の態度に業を煮やしたのか、ユイの蹴りが再びアルデオに炸裂した。
衝撃でグルグルと回転する金色三角を少女らしからぬ力で掴んで止めた後、ユイが眼前(?)まで笑顔を近づけてくる。
「聞いてる? おじさん」
貴方の脳に人形の姿が浮かんだ。
『聞いていらっしゃるのですか? 狩人さま』
そう言いながら、球体関節の手に握られた長刀と短刀はどこまでも流麗に、冷酷に貴方の体を斬り刻む。人形は時々ああなる。心など無いはずなのに、いや無いからこそ、あそこまで容赦の無い指導を貴方に施すのだろう。
全身から冷や
貴方はユイに懇願した。
そろそろ服を着ても良いだろうか。寒いし、これでは刃からも身を守れない。
そもそも狩人の装束とは総じて軽量であり、着ていても脱いでいても動きへの影響は少ない。だが当然、身を守る効果には雲泥の差がある。つまりは、半裸であることには何の利点も無いのだ。
それを聞いたユイは、にこりと微笑んで。
「じゃあ最初から脱がなきゃ良かったよね?」
ユイは正しく、そして正論であった。
※
「お客さま、たいへん失礼をいたしました」
背後の、高い位置からかけられた涼やかな声に、ユイはぞっと総毛だった。
驚いた猫みたいに飛び退って、ハルを背中に庇う。視線を向けた先には、こんな近くに来られるまで気付かなかったのが不思議なほど、大きな女の人がいた。
怖気がするほど綺麗な人だった。
狩人より更に大きな、2メートルを軽く超える長身。それでいて、その体型は完璧なバランスを保っている。
血の気のない真っ白な顔には表情が無くて、色の無い目がユイ達を見下ろしていた。
顔も体型も大人の女性なのに、身につけているのは着せ替え人形みたいな可愛らしい服。それがどこかアンバランスで、不気味なのに似合っている。
そして、腰の前で行儀よく重ねられた指が……。
「はじめまして、私は人形。この夢で、狩人さまのお世話をしているものです」
球体関節をしゃなりと動かしながら、その動く人形は、人形を名乗った。
ハルと二人で口をあんぐりと開けていると、「ひゃっ」というハルの声で我に返る。見れば、二人の足元には見慣れた使者たちが何体も生えてきていた。
思わずハルと顔を見合わせて、また苦笑する。
「慣れちゃったね」
「もう、いちいち驚いてられないって」
この夏で、すっかり不思議なものに慣れてしまった。人形が動いて喋ったぐらいでなんだというのか。
ユイ達を見て首を傾げる人形がなんだかおかしくて、また二人で笑った。
人形から手渡される服を着ながら狩人が言うことには、ここは「狩人の夢」という場所らしい。
でも、ある街の捨てられた古工房が本来の場所であって、ここはそこを元にした別の世界でなんとかかんとか。
最初は、お化けみたいなモノが作り出した世界だったけど、それを狩人がやっつけたから今は狩人の世界だとかなんとかかんとか。
人形も、使者たちも、この世界の住人であって現実には存在しないとかなんとかかんとか。
「うん、分かった。どうせ分かんないって分かったから、もういいや」
ユイは理解を放棄した。ユイに難しいことは分からないけど、たぶんユイじゃなくても分からないと思う。
隣にいるハルは、分かったような分かっていないような顔をしている。
そのハルが、不思議そうな顔で呟いた。
「ねえユイ。なんで、わたしたち英語が分かるのかな……」
「……あ!」
いま気付いた。狩人も人形も、さっきから英語しか話していない。なのに、何故かユイ達にはそれが聞き取れていた。
服を着終わった狩人が、頭の
ここは私の脳の中のようなものだ。故に、言葉も通じるのだろう。
耳から聞こえるのは英語なのに、頭では意味を理解できる。でもその内容はさっぱり理解不能で、いろんな意味でユイは頭痛がしてきた。
それも、狩人の素顔を見た時にはもう、どうだって良くなってしまう。
狩人の顔は想像していたよりもずっと、普通だった。
人魂みたいに光る青白い目だけはそのままだけど、それ以外はどこにでもいそうな男の人。
普通の男の人に、あの変わった目玉を後からくっつけた。そんな印象をユイは覚えた。
そして、その額に走る裂傷。
その傷から、ユイは目を逸らした。
あの時はユイも必死で、母に暴力を振るう狩人を止めることで頭がいっぱいで、気が付いたら鋏で殴ってしまっていた。
今はもう、狩人があえて悪役を演じてくれたんだということはユイにも分かっている。荒療治もいいところだったけれど、あれのおかげでユイと母は本当の意味で仲直りできたのだ。
言いたいことも、言わなければいけないこともあったはずなのに、いざ目の前にすると言葉が出てこない。視線をさまよわせていると、ハルに背中を押された。一歩前に出てしまって、狩人と目が合う。
「……あ、おじさん、あのね」
言葉を選んでいたら気持ちが萎みそうだった。ええいままよ、とユイは思うままに口を開く。
「殴っちゃって、ごめんなさい! もう訳がわかんなくて、それでつい!」
「で、でもおじさんもどうかと思うなっ! いきなりお母さんボコボコにしちゃってさ!」
「ていうか、言ってよね! 言ってくれないと分かんないって!」
「それで、それで、あの後……、お母さんと、仲直りできたんだ」
「おじさんの、おかげで。だから、その」
「ありが、とう……」
最後は消えるような声だったけど、何の音もないこの夢ではよく響いた。
謝って、お礼を言っただけなのに、やけに顔が熱かった。なんだか気恥ずかしくなって、ぷいと顔を逸らす。
ハルが、「素直じゃないの」と呆れたみたいに呟く。……後で仕返ししてやろうと心に決めた。
使者が、【かわいい奴】と手記を掲げている。じっとり睨んでやると地面の下に逃げていった。
人形が、首を傾げながらパチパチと拍手している。分からないならほっといてほしい。
狩人が、表情は変えないままで目と鼻と耳と口から血を流していた。それどういう反応なの!?
その内にハルが笑いだして、思わずそのおでこにデコピンしてやる。それをまたハルが笑って、すぐに鬼ごっこが始まった。
迷路みたいな坂道をぐるぐると走り回っていると、そこら中から使者が生えてきて応援でもするみたいに呻き声をあげる。
ずらりと並んだ祭壇に置かれていた器みたいな物を蹴飛ばしてしまって、狩人がまた血を噴き出していた。
人形の背中に隠れたハルを捕まえようとして、三人でもみくちゃになった時は、人形の顔もどこか困っているように見えた。
ハルの笑い声はずっと絶えなくて、最後はユイも笑っていた。
二人で遊ぶのは、ずいぶんと久しぶりだったから。
息が切れるまで走り回った後、ハルと二人で階段に腰掛ける。
笑って、走って、ひとまずは満足できたけど、まだまだ物足りない。
人形がいる洋館の中からは、カチャカチャと食器が鳴る音と甘い香りがしてきて、思わず期待してしまった。
隣に座ったハルは、長い髪をかきあげて汗ばんだ首をパタパタ仰いでいた。
ユイもハルも寝る前だったから、髪は下ろしたまま。お気に入りのリボンも外してしまっている。
「こんなことなら、結んでおけば良かったね」
「せっかくだからさ、これ使おうよ」
ポケットに入っていた、白いリボン。それでハルの髪を結んであげようとした時、食器が散乱したような音が響き渡った。
人形が食器を割ったのかと思ったけど、その人形はどこか不思議そうな様子で洋館から顔を出している。
「……おじさん?」
音の発生源は、狩人だった。
さっきまで変な祭壇に変な器やら変な花やら変なカビやらを供えていた狩人は、今は呆然とした顔でこちらを見ている。その足元で、落ちた器がカラカラ揺れていた。
そのまま、ふらふらした足取りでユイ達に近づいてくる。その間も、青白い目はユイの手元をずっと凝視していた。
震える手がユイの手に握られたリボンを掴もうとして、触れる直前で止まる。
貴公、それは、どこで手に入れた。
ハルと顔を見合わせる。
どこで手に入れたか。つまり、あの街がどこだったのかは、ユイ達の方こそ知りたかった。しかも、どう伝えたものか。
仕方なく、あの夜に狩人と別れた後からのことを順を追って話す。
ハルを見つけたこと。変な鐘に吸い込まれて、ボロボロの街に飛ばされたこと。
そこで出会った、若い女の人から貰ったこと。不思議なランプに触って、なんとか戻ってこられたこと。
話していくほどに、狩人は何か信じられない事を聞いたみたいに、わなわな震えだす。最後は口を覆いながら頭を抱えてしまって、なんだか変な姿勢になっていた。
よく分からないけど……。
「気になるなら、もっとよく見てみたら?」
特に何も考えず、開かれていた狩人の手に、リボンを乗せた時。
青白い目が、見開かれた。
<●>
この感覚には、覚えがあった。
あの大聖堂で、獣と化した教区長を狩った後。祭壇に祀られていた異形の頭蓋骨に触れた時。
その物の過去を、遺志を脳の瞳で覗く、この感覚。
ああ、ならば。
ならば、これは。
本当に、君なのか。
貴方の意識は、遺志の中へと溶けていった。