お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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ありがとう -for You-

 狩人なんて、ほんとうに勝手だ。

 

 

 

 

『……え、えっ……』

 

 窓ごしにわたされた、真っ赤なブローチ。

 とても大きくて、とても綺麗なブローチ。いつも、母の胸で光っていた。

 今はもう、その色も褪せて見えるほどの鮮やかな血に塗れている。

 誰の血かなんて、考えるまでもない。

 

『獣狩りさん……本当なの?』

 

 獣狩りの夜にひとりぼっちになっていた私の前に現れた、獣狩りの狩人さん。

 ぜんぜん知らない声で、でも懐かしい香りがした狩人さん。この街ではありえない程に親切で、私のお願いを聞いてくれた。

 母を、探しにいってくれた。

 

『……お母さん……お母さん……』

 

 その人は、たしかに母を見つけてくれた。でも、母はもう帰ってこない。

 私はもう二度と、母には会えない。

 

『ひとりはいやだよう……』

 

 狩人であった父は、もういくつも前の夜から帰ってきていない。

 この街で、行方知れずになった人が帰ってくることなどない。見つからないか、見つかっても、死体か獣になっている。

 私は、ひとりになってしまった。この街の、この獣狩りの夜で、ひとりに。

 私は泣いた。

 悲しさと、寂しさと、恐怖と、絶望と。でも心の底ではこうなると思っていたという、諦め。

 私が泣いている間に、あの人は行ってしまった。何も言わずに。

 そのまま、もう二度と戻ってはこなかった。

 

 

 狩人なんて、ほんとうに勝手だ。

 

 

 泣き尽くした時にはもう、家の外も中も完全な夜に満たされていた。

 獣狩りの夜は、特別な夜。いつも通りに朝が来るとは限らない。獣除けの香もいずれ無くなる。父も母も、もう帰ってはこない。

 私は、外に出た。

 もうここにはいられない。何も考えず、ランタンだけを持って、獣狩りの夜を廻りだした。

 

 

 

 

 街の中は通れない。街中はもう、獣になった人たちで埋め尽くされていた。

 だから私は、人気のない方へ、人がいない方へと進んだ。

 行きついた先は、下水道。

 たしかに人はいなかったけど、だからといって安全ではなかった。

 死肉を啄みすぎて飛べない程に肥えたカラス、ブヨブヨした腫瘍をぶらさげた大ネズミ、そして、巨大な人食い豚。

 走った。ただひたすら、走って逃げた。

 汚物と汚泥でいっぱいの道を、後ろから迫る重い足音と汚い鳴き声から。

 走って、走って、走って、逃げて、逃げて、逃げて。

 髪に結んでいたお気に入りのリボンを半分食いちぎられたところで、小道に飛び込んだ。

 助かった。怖かった。

 怖くて、怖くて、手も足も、体も体の中も血もぜんぶが震えて、もう一歩も動けなかった。

 なんで、こんな怖い思いをしないといけないの。私が、何をしたの。

 もう、すべてが嫌になった。

 道端に置かれた鉄の棺桶。なんとか、その中に入る。

 目と耳と、心もふさいで、体を丸めた。

 外は地獄。行く場所も無い。だったら、ずっとこの中にいよう。

 すべてを拒絶して、私は眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 どこか遠くで、赤ん坊の泣き声が聞こえて、そして止んだ。

 

 

 

 

 棺桶の隙間から差し込む光で、目を覚ました。

 重い蓋をこじ開けて外に這い出ると、街は朝日に照らされていた。

 夜明けだ。

 私は、生き残った。

 獣狩りの夜が、終わった。

 でももう、この街もすべてが終わってしまっていた。

 崩れた廃墟。焼かれた廃屋。そこら中に散乱する骨、骨、骨……。

 人の声も獣の声もしない、耳が痛いほどの静寂。

 ほんの一夜だったはずなのに、何もかもが朽ち果てていた。

 いったい、何が起こったのか。

 本当は、私も死んだんじゃないか。

 フラフラと歩く私の影に、もう一つの影が重なった。

 

『あんた……』

 

 振り返った先に、(カラス)がいた。

 

 

 

 

 一目で、狩人だと分かった。それほど、その人は異様な姿をしていた。

 くたびれた帽子の下に見えるのは、鳥の嘴のような医療者の仮面(ペストマスク)

 ありふれた狩装束の上から、黒い羽根でできたマントを羽織っている。

 まるで鴉のような、いや、明らかに鴉を模した姿。

 

『まさか、(あたし)の他に生き残りがいるなんてね』

 

 でも何よりも驚いたのは、その狩人が女性――しかも母よりも年上そうな声だったこと。

 その英語には独特な訛りがあって、蓮っ葉な口調なのにどこか安心する声でもあった。

 何も答えられず固まっている私を、その人は仮面の目穴ごしにじろじろと見てから。

 

『あんた、ガスコインの(ガキ)かい』

 

 唐突に響いた父の名前に、気が付けば私はその人に掴みかかっていた。

 お父さんを知っているの。どこにいるの。お母さんもいないの。いっしょにさがさないと。

 そんなことを言った、気がする。

 

『死んだよ』

 

 鋭利な刃のような答えだった。

 なんの前置きもなく、なんの気遣いもなく、斬り捨てるように、その人は事実を口にした。

 

『あんたの親父は獣になったのさ』

『獣になって、狩人に狩られた』

『女房……あんたの母親も、同じ場所で死体を見たよ』

 

 私は手を離した。涙は、出なかった。

 きっと本当は、分かっていたから。

 

『目を逸らすんじゃないよ』

『あんたの親は二人とも死んだ。死んだんだ』

『……しっかりしな』

 

 この街では、死が日常だった。

 安らかに死ねるということは、この街ではこの上ない幸せなのだと、そう父は言っていた。

 狩人であった父のその最期は、幸せな死だったのだろうか。

 どちらにせよ、父は遠くに行ってしまった。母を連れて、私ひとりを置いて。

 

 

 狩人なんて、ほんとうに勝手だ。

 

 

『来な』

『ここにいても、野垂れ死ぬだけさ』

 

 どれぐらい呆としていたのか。

 その人はそう言うと、さっさと歩きだしてしまった。もう何も無くなってしまった私には、それを追いかけることしかできなくて。

『死に損なっちまったよ、まったく』と吐き捨てるような呟きが聞こえた。

 

 

 

 

 そして、私はその人――おば様と、街の外に出た。

 

 

 

 

 おば様との旅は、過酷だった。

 街へと続いていた雑草だらけの街道を、ただひたすら歩く。

 こんなに長い距離を歩くなんて初めてだった私は、すぐに足を痛めた。

 でも、おば様はどこまでも冷たくて厳しかった。

 私を背負ってくれることも、手を引いてくれることもなく、座り込む私を置いてさっさと行ってしまった。

 そうなれば私はもう、自分の足で歩くか、ここで死ぬしかない。

 泣いたってなんにもならない。誰も助けてくれない。助けてくれる人は、二人とも死んでしまった。

 涙をぬぐって、半分になったリボンで髪を縛る。

 長いスカートの裾を裂いて、短く仕立て直す。

 可愛いだけの靴は脱ぎ捨てて、スカートの切れ端を血豆だらけの素足に巻いた。

 拾った木の枝を杖にして、私は歩きだす。

 

 死にたくなかった。

 

 あの街では、死が日常だった。

 安らかな死は幸せだと父は言っていたけど、あの死んだ街を見た後では信じられなかった。

 道端に散乱した骨。炭化した十字架に括りつけられた骨。誰にも顧みられない、消えていくだけの、骨。

 あれが死後に待っていることのすべてだというのなら、ひとりで死ぬことはとても怖くて寂しいことだと思った。

 生きたかった。

 生きて、生きている人に会いたかった。

 そのために、私は歩き続けた。

 

 

 

 

 篝火の傍に座っていたおば様は、ようやく追いついた私に、黙って肉をくれた。

 何の肉を焼いたのかもよく分からないそれを、私は夢中で頬張った。

 涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 おば様との旅は続いた。

 いくつかの街を点々として、でもおば様は冷たいままだった。すこしでも私が甘えようとすれば、冷たく突き放された。

 ろくに会話も無い。おば様は名前も教えてはくれなかったし、私の名前だって聞かなかった。

 ただ、父とはどういう関係なのかを聞いた時。

 

『ただの腐れ縁さね』

 

 それだけは、答えてくれた。

 

 

 

 

 今まででいちばん大きな街に着いた。

 おば様は私を安宿に放り込んだ後、いつものようにふらりといなくなった。

 そして、そのまま帰ってこなかった。

 途方に暮れる私を訪ねてきたのは、気難しそうな老人。老人は、おば様と似た訛りで、どうでもよさそうに話し始めた。

 

 おば様の古い知り合いだというその老人は、この街で診療所を営んでいる医者。

 そして私は、成人するまでの間、診療所の下働きとして住み込みで働くことになった。

 すべて話はついている。

 

 そんなことを、言った。

 そんなことを言われても、急すぎて頭がついていかない。

 混乱する頭で、おば様はどこにいるのか、それだけはなんとか聞いた。

 老人は、すこし間をおいてから『知らん』と、どうでもよさそうに答えた。

 

 

 

 

 狩人なんて、ほんとうに勝手だ。

 父も、おば様も、「あの人」も、みんな勝手だ。

 私を守るだけ守って、助けるだけ助けて。最後は、ほったらかし。

 みんな、私を置いていなくなってしまう。

 

 

 

 

 ――しっかりするんだよ。

 

 

 

 

 おば様のその口癖だけが、頭に響いて。

 私はまた、歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣き崩れる狩人を、ユイとハルはただ見ていた。

 白いリボンに顔を埋めるみたいにして泣き続ける狩人の目からは、血じゃなくて透明の涙が流れていた。

 ユイには、狩人が泣いている理由なんて分からない。

 思えば、狩人のことは何ひとつ知らなかったし、ユイ自身のことだってほとんど何も話してはいなかった。

 それは恩人、いや、友だちに対しては、あんまりではなかったか。

 

 ――あとで、いっぱいお話しようね、おじさん。

 

 でも今はとりあえず、この変わった友だちが泣き止むのを待つのが先。

 狩人の背中を撫でる人形に並んで、ユイもその大きな背中を撫でてあげることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

   <○>

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日に掲げた頭蓋骨からは、まだ微かに月の香りがした。

 

 

 

 

 診療所の廃墟で不思議な少女たちを見送った私は、そのまま朝を待った。

 獣狩りの夜がまだ続いていたなら朝が来る保証は無かったけど、幸いにもそうではなかったらしい。

 廃墟となったこの街――ヤーナムが朝日に照らされ、群衆の影も見えなくなったのを確認してから、足早に街を脱した。

 鞄に、診療台の上にあった人骨を詰め込んで。

 

 

 

 

 あの時、おば様と歩いた街道を今度は一人で歩く。

 私はまた、ひとりで歩いている。

 

 

 

 

 私が成人してすぐ、老人――先生は亡くなった。

 あとは勝手にしろと。ただそれだけを言い遺して。

 先生の元で働きながら知ったのは、ヤーナムの医療は外の世界より異常なほどに進んでいたこと。そして、あまりにも道を外れていたこと。

 今なら分かる。ヤーナムの医療者たちに、患者を救いたいという意思なんて欠片も無かった。求めていたのは、もっと別の何か。

 それを知りたいとは思わない。それはきっと、獣だとか、あの影たちだとか、ああいう恐ろしいモノに違いないのだから。

 私は新米の医者として診療所を継いだかたわらで、旅医者の真似事も始めた。

 街の中だけでなく外にも、より遠くに、より多くの人に医療を届けられるように。ヤーナムより数段遅れた、でも正しい医療を。

 私なんかがいてもいなくても、第二のヤーナムが生まれるとは思わないけれど。ほんの一滴でも流れる血と涙を減らせるのなら、私は医者を続けたいと思う。

 

 

 

 

 ヤーナムからすこし離れた、街の尖塔が霞んで見えるか見えないか、そんな場所の樹の下に、骨を埋めた。

 適当に摘んできた花を供えて、異邦の祈りを捧げる。簡素な木の墓標に刻む名前を、私は知らない。

 

 

 

 

 父から聞いた、狩人達に伝わる不思議な話。

 

 狩人は、一度だけ「夢」を見る。

 その夢は一夜だけのものだけど、何かを果たすまで夜が明けることはなく、夜が明けるまで死ぬこともない。

 その「何か」は夢を見た当人しか知らず、夢から覚めた狩人も、そのことは忘れてしまう。

 だから、誰にも分からない。

 そして、夢を見る狩人は「月の香り」を身に纏っているから、勘が良ければすぐに分かるのだと。

 

 その夢を父も見たことがあるのか。すぐにそう聞いた私に、父は苦笑して包帯に閉ざされた目を天井に向けた。それが肯定だったのか否定だったのかは、当時の私には分からなかった。

 ただ、あの夜に私の前に現れた「あの人」から感じた懐かしい香り。あれは、いつか父から感じた香りではなかったか。

 そしていま埋めた骨と、あの赤いリボンの少女からも、同じ香りがしていた。

 

 ――獣狩りさん。

 

 診療所の白骨死体。

 あれが、あの人の成れの果てだという証拠はない。ただ、月の残り香しか。

 ただ、言葉と態度から異邦人だったことは確かなあの人が、ヤーナムの医療を求めた旅人だったと考えれば、全ての辻褄は合ってしまう。

 私の前からいなくなった後、診療所で力尽きたのか。()()()()()()()()()()

 あの街の夜では、何が起こっても不思議じゃない。

 だから、もしかしたら、遠いどこかでまた誰かを助けているかもしれないあの人に伝えたくて、少女にリボンを託した。

 少女が帰った先にあの人がいるかも分からない。いたとしても伝わるかも分からない。そんなことに両親から贈られたリボンを使ってしまったけど、後悔はしていない。

 それに、形見は一つではないのだから。

 鞄の奥からブローチを取り出す。血から生まれた石で作られたというそれは、今でも鮮血のように赤く輝いていた。

 狩人であった父から母に送られ、そして、あの人から私に渡されたブローチ。

 

 ――ああ、もしかして。

 

 父を狩ったのは、救ってくれたのは。

 だから貴方は、私にこれを渡していなくなってしまったのだろうか。

 私から父を奪ったと、母を救ってくれなかったと、私が憎んでいると、そう思ったのだろうか。

 そんなこと、あるわけがないのに。

 だって、私が今ひとりでも歩いていられるのは、生きていられるのは。

 

 私を生み、愛してくれた母が。

 私を守り、狩りを続けてくれた父が。

 私を助け、全ての切っ掛けをくれたあの人が。

 私を拾い、外の世界に導いてくれたおば様が。

 私を育て、医者の端くれにしてくれた先生が。

 そして、奇妙な出会いと縁を与えてくれた、二人の少女が。

 

 たくさんの人たちとの、たくさんの縁を辿った末に、今の私がある。

 今はひとりで歩いていても、それまでの道には、たくさんの人たちがいた。

 だから、貴方に伝えたい。

 

 

 

 

 ありがとう。獣狩りさん。

 

 貴方のおかげで、私は、生きています。

 

 つらいこともたくさんあったけど、それでも、生きていたいと思います。

 

 いつか私が老いて、父と母の元で眠りにつく、その時まで。

 

 その時、貴方にも会えるかは分からないけれど。

 

 どうか。どうか。

 

 貴方の眠りが、安らかなものでありますように。

 

 

 

 

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