お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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よあけ   -Rest In Peace-

【「青ざめた血」を求めよ。狩りを全うするために】

 

 

 

 

 それが、すべての始まり。

 

 気が付けば、ヤーナムという街の診療所にいた。

 それ以前の記憶は曖昧で、おそらくは不治の病に侵された病人だったと思われる。

 ヤーナムとは、東の果てにある辺境の地。極めて排他的で、人が獣に変わる「獣の病」という風土病まで流行っている。

 しかし、街を牛耳る医療教会という組織が施す「血の医療」は、どんな病でも治してしまうと言われていた。

 己も、その医療を求めて旅してきたのだろう。たしかに怪しい輸血を受けることで病は完治したが、かわりに「夢」に囚われてしまった。

 それが、この狩人の夢。

 かつてここにいた、助言者を名乗る老狩人に言われるがまま、狩人になった。

 狩人になって、獣を狩り続けた。

 獣をすべて狩り尽くせば、獣狩りの夜は終わる。

 獣狩りの夜が終われば、元の世界に戻れる。

 そう信じて。

 

 だが、いくら狩っても獣は尽きず。

 そのうち、生きていた人間まで獣に変わり始めた。同じ狩人でさえ。

 夜が濃くなるにつれ獣は増え、もっと恐ろしいモノたちまで現れた。

 上位者。神のようなナニカ。

 常人には理解できない。理解すれば正気ではいられない。そんなモノたち。いつしか、街はそんなモノで溢れていた。

 いや、最初からいたのだ。視えていなかっただけで。一度視えてしまえば、どこを視ても街は神秘と狂気ばかりに満ちていた。

 すべてが悪夢であってほしいぐらいに。

 

 狩り続けた。

 獣も人も。狩人も医療者も。上位者も、その眷属も。

 ヤーナムの街を、医療教会を、それらに端を発したあらゆる場所を、組織を、悪夢を。

 狩って、狩って、狩り尽くして。

 最後はこの夢で、助言者と、すべての根源である「魔物」をも狩った。

 

 そして己はついに人ですらなくなった。

 上位者の赤子。人を超え、人を失ったナニカ。

 

 それから、どれだけの時間が流れたのか分からない。

 この夢に時間は無く、そしてヤーナムの街の夜は未だ明けていない。

 生きている人間などとっくにいなくなった街で、なのに湧き続ける獣を狩り続けている。

 時折、力を求めて神の墓を暴き、その力で更に獣を狩った。

 時折、別次元の狩人が符丁の鐘を鳴らすのを聞き、助けに向かった。

 だが、その鐘すら聞こえなくなって久しい。

 もう、どの次元にも他の狩人はおらず、己が最後の狩人なのではないか。

 

 そんな時、久しぶりに聞いた鐘の音が、ユイのものだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく分かんない」

 

 貴方の話を、ユイはその一言で切り捨てた。元より口下手な貴方も頑張って話したというのに、あまりにもあんまりな反応。

 空になっていたティーカップに鎮静剤を注ぎ、飲み下してなんとか血を噴き出すことは避ける。せっかく人形が用意してくれた茶の席に血を撒き散らすわけにはいかない。

 そんなことをしてしまえば、後で改めて庭園に血を撒き散らすことになるだろう。最近の人形は厳しいのだ。

 ユイの隣で焼き菓子をつまんでいたハルも、慌てた様子でユイを窘める。

 

「ちょっと、ユイ! それはひどいよ」

「じゃあ、ハルは分かったの?」

「それは……」

 

 淡々と返された問いに、ハルは目を泳がせながら誤魔化すようにカップを傾ける。もう中身は空だろうに。

 夜の闇に似た失意と絶望を胸に、貴方はテーブルに突っ伏した。

 

【心が折れそうだ……】

 

 視線の先で、使者が手記で貴方の心境を代弁している。表情などないはずのその顔が、ニヤニヤと嗤っているのを幻視した。

 誰か、私の癒しを知らないだろうか。ここはずっと冷たいのだよ……。

 さめざめと涙を流す貴方の肩に、そっと柔らかく触れる固い手の感触。

 

「狩人さま、顔をお上げください」

 

 宇宙は空にある。聖歌隊のその気付きは、かつて突然に訪れたという。

 同じく、貴方の癒しはそこにあった。

 それは天啓にも似て、だが到底理解などできぬものであり誰に理解される必要もないものだ!

 

「テーブルクロスが汚れてしまいます」

 

 あんまりじゃあないか。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 この「夢」には好きなだけいても良い。

 

 狩人は、ユイ達にそう言った。

 だから、ユイはここでめいっぱいハルと遊ぶことにした。

 なにせ、ここには時間というものが無いのだという。しかもユイとハルの体の怪我はきれいさっぱり消えているし、いくら遊んでも眠くならない。

 お腹もすかないけれど、人形が用意してくれるお菓子やお茶はとてもおいしい。

 花畑で飽きるまで鬼ごっこをした。

 大きな木のてっぺんまで登った。

 ハルと二人で作った花冠を人形と使者にかぶせてあげた。

 人形と同じ服を着てもらったハルはすごくかわいかった。

 洋館の中にある不思議な本を読んだ。

 天井からぶら下がった変な道具を触ろうとしたら狩人に取り上げられた。

 棺桶みたいな箱に入っていた、色んな形の石でおはじきをしていたら狩人が悲鳴をあげた。

 人形が、狩人(おじさん)以外の狩人の話をしてくれた。

 ユイたちも、お化けや神さまの話を人形と狩人に聞かせてあげた。

 人形が鳴らしてくれたオルゴールは、とても綺麗で哀しい音色だった。

 

 ユイとハルは、時間を忘れて遊んだ。

 今まで遊べなかった分を取り戻すみたいに遊んだ。

 この夢が覚めれば、もう当分の間は会えなくなる。その隙間を埋めるみたいに、遊んだ。

 

 

 

 

 遊びつくして、ついにやることがなくなったユイたちは、ただ花畑で寝ころんでいた。

 もう話すこともなく、並んで、手をつないだまま、斑色の空と大きな月を見上げていた。

 風は無く、聞こえるのは隣にいるハルの小さな吐息だけ。

 つないだ手は、あたたかい。

 

 

 ……放したく、ないな。

 

 

 むくりと、ユイの中で良くない考えが首を擡げる。

 

 ……帰りたくないな。

 ……このまま、ここでずっと。

 ……ハルと、

 

 ハルの左手が、びくんと震えた。

 

「いったぁ……っ!」

 

 涙目になったハルが、左手を押さえて転げまわる。あの痛がりよう、コトワリさまはずいぶんとお怒りなようだった。

 ユイの目にも、いつの間にか涙が滲んでいて、お互い涙目で笑い合う。

 

「同じこと考えてた?」

「そうみたい」

 

 二人で起き上がって、正面から目を合わせる。きっと、思っていることも同じ。

 

「……狩人さんは、ひとりぼっちなのかな」

 

 悲しげな声で、ハルは言った。

 狩人の話は、ユイには半分も分からなかった。

 分かったのは、狩人がもう人間ではないこと、そして、この夢から出られないこと。

 ここでは時間が過ぎない。きっと歳をとることもない。

 ずっと同じ姿で、ずっとここに居続ける。

 それは、まるで。

 

「お化け、みたいだね」

 

 ユイが見てきたお化けは、みんな悲しそうだった。

 望んでお化けになったわけじゃない。なんで、どうしてと、やり場のない怒りと悲しみをユイに向けてきた。

 ハルが見てきたお化けは、みんな苦しそうだった。

 あの街の影たちは、ああやってずっと火あぶりにする相手を探し続けるのだろうか。これからも、ずっと。

 この夢に留まるということは、ユイ達も「そう」なるということ。

 

「そんなの……」

「やだよね」

 

 ユイもハルも、まだ子どもで。

 これから、まだまだ大きくなる。大きくなりたい。

 いろんな事をして、知って、いろんな所に行って、いろんな物を見て、聞いて、食べて。

 嫌なことも、つらいこともたくさんある。

 それでも、いや、だからこそ。

 ハルの目は、涙に濡れて強く輝いていた。その目に、ユイの目も映っている。

 もう一度、手を繋ぐ。立ち上がって、決心が萎まない内に歩き出した。

 

「帰ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 貴公たちに渡したいものがある。

 

 帰ることを伝えると、だしぬけに狩人はそう言った。

 両手をそれぞれユイとハルの前に差し出して、手袋に包まれた黒い手を開く。

 

「これ……」

「え……?」

 

 白いリボンだった。でも、何故か二本ある。

 一本は、ユイが渡した物。あの街で、お姉さんから貰ったリボン。なら、もう一本は?

 またユイの手に戻ってきたリボンを撫でつつ、ハルの手にある方を見る。その端にも、千切れた跡があった。

 

「元は一本だったってこと?」

 

 狩人が頷く。

 ユイの中で、たくさんの糸が一本に繋がった。それこそ、その白いリボンみたいに。ハルも気付いた様子だった。

 

「じゃあ、あの街が……」

「ヤーナム……」

 

 でもまだ疑問はある。

 あのお姉さんは何者だったのか。狩人との関係は。どうして千切れたリボンを二人で持っているのか。

 そして、ヤーナムはどこにあるのか。そもそも、この世の街なのか。

 聞きたいことは山ほどある。あるけど、それは。

 ユイは、不敵に微笑む。

 

「また来るからね、おじさん」

「その時に、たっぷり聞かせてもらうから」

「……ひとりじゃ、寂しいだろうし」

 

 最後の一言は余計だったかもしれない。

 また熱くなりだした顔を背けていると、隣でハルが噴き出していた。……起きたら覚えててよ、とユイは思った。

 そんなユイたちを、狩人は青白い目で見つめている。その目は、今までにないほど穏やかだった。

 そして、口を開く。

 

 

 

 

 いいや、さようならだ。

 

 

 

 

 ユイは思わず顔を上げる。口だけが開いて、声が出てこない。

 狩人が続けた。

 

 ヤーナムは呪われた地。

 あの地に関わるすべては悉く狂気に侵されている。

 そんなものに、貴公たちが関わることはない。

 私とて、それは同じこと。

 これ以上、ヤーナムによって不幸な人々が増えるのは――。

 

 狩人が、左手を掲げた。

 ユイは、止めようとした。

 ハルは、動けなかった。

 

 

 

 

 ()()()()()

 

 

 

 

 金属音が響いて、狩人の左手が地面に落ちる。

 同時に、あの時ランプに触れた時と同じ、夢から引き上げられる強烈な浮遊感がユイを襲った。

 でも今度はもっとひどい。地面が崩れてしまったみたいに、天地がぐるぐるになってしまったみたいに足元がおぼつかない。

 夢との、縁を断たれた。

 そう確信した時、ボロボロなのに力強い腕がユイの腰を掴む。

 立て続けに起こる異常に混乱するユイの目に、赤い鋏を持ったコトワリさまの姿が映った。別の腕にはハルも掴まっている。

 

「まって! コトワリさま! ……おじさんっ!」

 

 もうどちらが上でどちらが下かも分からない。何もかもが曖昧になっていく中で、狩人らしい影がいる方にユイは叫んだ。

 だって、まだ話したいことがたくさんあった。聞きたいことだって、たくさん。

 名前すら、聞けていないのに!

 ぐるぐると回る視界の中で、ほんの一瞬だけ狩人と目が合う。

 一瞬なのに、時間までバラバラになったのか、スローモーションみたいゆっくりで。

 

 貴公たちに血の加護が……ああ、いや。

 

 狩人が、はじめて微笑んで。

 

 

「元気で」

 

 

 その声を最後に、ユイは目覚めに落ちていった。

 一滴だけ零れた、透明な涙を狩人の足元に残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

   <●>

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢に静寂が戻った。

 ユイたちから聞いた言葉(まじない)を口にし、裁断者に少女たちとの(きずな)を切らせた貴方は、ぐらりと体を揺らめかせる。

 手足を失うことによる平衡感覚の狂いなど慣れたもののはずが、何故か足元がおぼつかない。

 ひどく重要な何かを失った、あるいは解放されたような。

 倒れ伏す直前に、人形が貴方の体を抱きとめる。そのまま、いつものように固い膝に頭を預けた。

 そしてまたいつものように、見上げた満月を背景にして、人形の美しい顔が逆さまになって貴方を見下ろしていた。

 

 貴公(きみ)は、いつ見ても美しいな。

 

 人形が首を傾げる。どうやら、声に出ていたらしい。貴方は苦笑して、垂れてきた人形の灰髪を右手で弄った。

 ひどく疲れていた。体が怠い。脳に霞がかかる。

 いや、これは。

 貴方は、大きく欠伸をした。

 

「狩人さま?」

 

 また人形が首を傾げる。それを、眠い目をこすりながら貴方は見上げる。

 眠い。

 そう、眠いのだ。

 あの診療所で目覚めてから、死ぬことは幾度とあれど、ついに一度も眠ることはなかった貴方が。

 

 ……枷が、外れたと、貴公は言ったな。

「はい、狩人さま」

 

 時計塔のマリア。人形の原型(モデル)であった彼女を狩った後、人形はそう語った。

 いま貴方が感じているのは、それと同じものではないだろうか。

 裁断者が断ち切ったのは、少女たちとの縁だけだったのか。

 それとも、あのリボンに込められた遺志を視たからだろうか。

 あるいは……。

 

 人形は、変わらず貴方を見下ろしている。ずっと、貴方を見守っていてくれた。

 失っていないほうの右手()でその固い頬に触れると、自然な仕草で人形が手を重ねてくる。

 

 ――貴公に、伝えたいことがたくさんあるんだ。

 ――貴公にこそ、聞いてほしいんだ。

 ――こんな、血塗れの私でも、あの子たちを助けられたんだ。

 ――あの子だって、死んではいなかったんだ。

 ――彼女に助太刀したことだって、無駄じゃあなかったんだ。

 ――私が、狩人になったのも、無駄じゃあ、なかったんだ。

 

 人形の指が、貴方の目元を撫でる。その指はもう、赤く染まってはいなかった。

 視界が、どんどん暗くなっていく。狭くなっていく。

 瞼が重くて、もう眠気を堪えられない。

 

 

 ――目が覚めたら、すべて貴公に伝えたい。

 ――伝えたいことが、数えきれないほどある。

 

 

 ――目が、覚めたら……。

 

 

 

 

 ずっと忘れていた、眠りに落ちる前の安息に沈みながら、

 貴方は、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狩人さま?」

 

 人形は、重くなった主の右手をそっと下ろした。

 顔を覗き込めば、その目はぴたりと閉じられ、(わらし)のように穏やかな寝顔をさらしている。

 そのままの姿で、ぴくりとも動かなかった。

 

「……」

 

 両手で、その頬を包み込む。胸の内から湧き上がってきた何かを、人形が解することはない。

 もう、その時間も無いのだから。

 

 

 

 

 パチパチと、火が弾ける音が聞こえる。

 人形たちのすぐ傍で工房が燃えていた。夜明けと目覚めの兆し。人形はもう幾度もそれを見てきた。

 だが、今回は違う。炎は工房だけでなく、その他すべてにも燃え広がっていく。

 目覚めの墓石に、聖杯の祭壇に、庭園に、大樹に。炎はすべてを飲みこんでいく。

 

 夢が終わる。

 

 遥か遠くの石柱が、音もなく崩れていくのが見える。

 斑色の空に亀裂が入り、硝子のように砕けていく。

 巨大な満月が、朧に消えていく。

 いつしか、人形と狩人の周りには使者たちが集まっていた。その小さな手を組んで、祈りを捧げている。

 炎は、使者も、狩人も、人形も包み込もうとしていた。

 

 炎の熱を感じながらも、人形には元より何の痛痒もない。

 ただいつものように、懐からオルゴールを取り出す。

 ゼンマイを巻こうとして、手を止めた。何故そうしたのかは、人形には分からない。もう分かることもない。

 ただ、主の頭を抱きながら、歌った。

 幾千回、幾万回と聞いた、オルゴールの音色を真似て、歌った。

 ごうごうと、炎が夢を飲みこんでいく。

 その中で、人形の涼やかな歌声が、最初で最後の子守歌が響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明けない夜は無い。

 

 それが、どれほど(なが)い夜であっても。

 

 それが、どれほど(くら)い夜であっても。

 

 望まれようと望まれまいと、夜は明ける。

 

 いつか、必ず。

 

 

 

 

 月も太陽も(ことわり)のまま廻り続け。

 

 夜は廻り続け。

 

 時には、深い夜が廻ってくる。

 

 幾度も、幾度も。

 

 

 

 

 だが、獣狩りの夜だけは廻らない。

 

 もう二度と、廻ることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――おやすみなさい。狩人さま。

 

 ――貴方の眠りが、安らかなものでありますように。

 

 

 

 

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