お化け狩りの夜が廻る 作:甲乙
ええいままよ、と。
女は、鉄の門扉を押し開けた。
鉄が軋む音が鳴り響き、獣の唸りのような風鳴りが混じる。
血と獣の臭いとともに、風が女の長い髪と、そこに結ばれたリボンを揺らし……。
「まって、まってよー」
後ろから聞こえてきた、なんとも間の抜けた声に女は振り返り、ようやく追いついてきた親友に呆れた顔を向けた。
「遅すぎ」
「しかた、ないでしょ、山登りなんて、きいて、ないしっ」
昔から運動が苦手な親友は、あれから何年も経っているのに相変わらずだった。
はあはあ、ひいひい、と肩で息をしている親友の色白な額には、玉のような汗がにじんでいる。こんなに寒いのに。
「しかたないなぁ、ちょっと休憩しようか」
「賛成……」
重い荷物を土の上に下ろして、ハンカチで親友の汗を拭いてあげる。
つい最近に成人したばかりとはいえ、もう少女とは呼べない相手に対する行いとしては子ども扱いもいいところだが、親友はされるがままになっていた。
普段は顔を真っ赤にしてぷりぷりと怒り出すのに、今は周囲に人目がないためか、あるいはその余裕もないのか、ひどくおとなしい。明るい色の髪にくっついた葉っぱを取り除いて、この際だから三つ編みも結いなおしてあげた。
人里はなれた山の中。だというのに周りからは虫の声も聞こえない。静寂の中で、徐々に鎮まっていく親友の吐息の音だけが微かに聞こえていた。
「来ちゃったね……」
「うん……」
どちらからともなく、言う。
緊張。好奇。不安。期待。恐怖。様々な感情が渦巻いて、この旅の発案者でもある女でさえ二の足を踏みそうになっていたのだ。子どもの頃から怖がりだった親友なら尚更だろう。
……とはいえ、一緒に行きたいと言い出したのは、その親友なのだが。
あの頃より倍近くまで伸びた髪を最後まで編み、その先を白いリボンで結ぶ。次に青いリボンのカチューシャを頭に巻いて完成。
左掌の傷を撫でていた親友の肩を「いくよ」と叩いて、二人で門をくぐった。
無人の廃墟が、そこにあった。
周囲は濃い霧に包まれ、巨大な尖塔を持つ建物の影ですら茫洋としている。石畳の目地からは雑草が伸び放題で、レンガの壁は苔に侵食されていた。
道端に置かれた鉄製の棺桶は錆で赤茶けており、その傍らに木製であっただろう棺桶の成れの果てが散乱している。
不自然なまでに形を保った乳母車が道の真ん中に置かれていて、恐る恐る覗き込むと、中には何も無かった。
完全なる廃墟。すべて、記憶の中のままの。
「ここだよ、間違いない……!」
親友が興奮気味に声をあげる。そこまで大きな声でもなかったのに、廃墟の中ではよく響いた。そして、さっきからぎゅうぎゅうと掴まれている左腕が痛い。
「ちょっと、痛いってば」
親友にそう言えば、渋々といった様子で手を離してくれた。急に軽くなった左腕に寂しさを覚えなくもなかったが、女は努めて感じないふりをした。
「まあ、ここまで来て間違いでしたじゃあ、さすがに悲惨でしょ」
「うん、たくさん調べたかいがあったね」
荷物の中から分厚い本やら古い地図やらを取り出しては「やっぱり間違いない」と確認している親友を横目に、女はただ深呼吸をした。
埃の臭い。煤の臭い。かすかな血と獣の臭い。そして、ほんのわずかな月の香り。
記憶と嗅覚には密接な関わりがあるという話を女は思い出し、さらに確信を深めた。
――ここは、あの人と同じにおいがする。
何事も理詰めで判断しようとする親友には「野生児」だの「第六感お化け」だの散々な言われようの女だが、自らの勘を信じるのは子ども時代からの特技でもあった。
「ここが、ヤーナム」
なんにせよ、ついに目的の地に辿りついたことを、二人は同時に確信した。
コツコツと、二人分の足音だけが響く。
昼のヤーナムは、光と影がまじりあった街だった。異様に高く、また密集した建造物がそうさせるのか、昼間であっても影となる部分は夜のように暗い。明るい場所と暗い場所を不規則に歩くせいか、一向に目が慣れてくれないのだ。
その内、ある意味ではありがたいことに、密集した建物の影で夜と化した一角に出た。すかさず、荷物から取り出した懐中電灯で通りを照らす。それを見た親友が、くすりと笑いをもらした。
「なんだか、懐かしいね」
「そう?」
今でも定期的に夜廻りをしている女にとっては日常そのものだが、親友にとってはそうでもないらしい。もっとも「視える」度合いに関しては、親友のそれは女の比ではない。子どもの時から、ずっとそうだ。
暗がりを懐中電灯で削りながら歩く。マンホール、ベンチ、木箱……。ごく見慣れた物であっても、暗闇の中で照らされるだけで、こうも違う物に見えてくる。
だんだんと、親友の口数が減ってきた。心なしか、歩く距離も近い。そして。
「……ねえ、ユイ」
親友が、女の名を呼ぶ。その声音にどこか既視感を覚えた。
「なに?」
嫌な予感はしつつも、女――ユイはあえて視線を前に向けたまま返す。
「手を、繋いでいてくれる?」
ピタリと。二人は歩みを止めた。じっとりとした目で親友を見返すと、落ち着かない様子で三つ編みを弄っていた。
「ハル」
「う、うん」
親友――ハルに、窘めるように声をかける。自分がハルに甘いことはとっくに自覚しているユイではあったが、さすがにそれはどうかと思ったのだ。
「今、
「………………はたち」
あれから10年も経ったというのに、ハルは相変わらずだった。
傷が疼くのか、しきりに左掌を撫でている。コトワリさまも叱るならちゃんとしてほしい。まさか神様までハルに甘くなっているのではないだろうか。
その内に大きな目に涙が滲みだしたのを見て、さすがのユイもギョッとする。不安で幼児退行でも起こしたのか。
――ああ、まったく。
「ほら、代わりにこれ持って」
「うわわ」
結局は、自分も相変わらずだった。ハルの頼みは断れない。
さっさと左手でハルの手を握り、懐中電灯をハルに押し付ける。そして、懐のホルスターからそれを抜いた。
「それ、よく空港で見つからなかったよね」
「まあ、神様の鋏だしね」
赤い鋏は、10年経っても錆とも刃こぼれとも無縁だった。それでも、手入れを欠かしたことは無いが。
あの時には剣のように感じていたそれも、今ではナイフのように扱える。クルクルと指先で回して、二つの刃を付けたり外したりしているとハルが小さく悲鳴をあげた。
「さて、ちゃっちゃと行こう。ハルだって、ここで野宿はしたくないでしょ?」
「やめてよ、縁起でもない!」
きゃあきゃあと、二人の姦しい声が廃墟へと木霊する。
いくらか明るくなった雰囲気と共に、ユイとハルは、ヤーナムの奥へと足を踏み入れていく。
狩人さん、お元気でしょうか。
遅くなってしまいましたが、私もハルも、会いに来ました。
もう、貴方がここにいるのかは分からないけれど。
それでも何か、貴方との縁があるものを見つけたくて、ここまで来ました。
ところで、大きくなったハルはどうでしょうか?
とても綺麗になったと思いませんか?
私はそう思っています。
私はどうでしょうか?
もし会えたら、ぜひ感想を聞かせてもらいたいです。
でも、貴方のことだから、私だとは分からないかもしれませんね。
その時は、また私のキックをお見舞いしてやりますから、覚悟しておいてください。
私たちは、街の奥へ奥へと進んでいく。
この後、このヤーナムで私たちは、またとんでもなく大変な目にあってしまうのだけれど……。
「ひゃあっ! いま、誰か触った!」
「ちょっと! ハルこそ、どこ触ってるの!」
それはまた、別のお話。