お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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ねずみ   -for Answer-

 この世で狩りにまさる(たの)しみなど無い。

 

 狩人にこそ、血の杯はあわだちあふれる。

 

 鐘の響きを聞いて、夜に身を潜め。

 

 闇を抜け、火をこえて、獣を追う。

 

 王者の愉悦。

 

 男の夢!

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ユイは、クロ達をつれて山の麓まで来ていた。

 何度かハルとも来たことのある山だったけれど、そこはもう、お化け達の楽園になっていた。

 町とは比べものにならないほどの、お化け、お化け、お化けの群れ。

 恐怖をぐっと抑え込んだユイは、ハルがさらわれたのはここに違いないと確信する。

 とはいえ、あまりに数が多い。まだ町なら、逃げたり隠れたりすることでやり過ごせていたけれど、どこを向いてもお化けがいるようなここでは、それも簡単ではない。

 ユイとクロのみであれば。

 

「うわぁ……」

 

 目の前の惨状に、ユイは何度目かも分からない呆れた声を出す。惨状の原因はもう一人の連れ合い、狩人のせいであった。

 ぶおん、と片手で振るわれた斧がまたお化けの脳天に直撃する。頭をかち割られたお化けは霧散してしまい、狩人はさっさと次の獲物に向かう。

 速い。とんでもなく速い。

 地面を滑るように走り、あんなに重そうな斧を片手で軽々と振り回す。黒一色の装束も相まって、それこそ映画に出てくるヒーローか悪役のようだけれど、左手に持った懐中電灯がいろんな意味で台無しだった。

 ユイが貸した物を何故かひどく気に入ったらしい。お礼のつもりなのか、バチバチと電気を発している変なアクセサリーをくれようとしたけど断った。危なそうだし。

 なんにせよ、非常に怪しい人物ではあっても、お化け退治は得意らしい。あれなら山の頂上まで簡単に行けるだろう。

 狩人のみであれば。

 

『わんッ!』

「うわぁっと!」

 

 クロの鋭い鳴き声に振り向けば、別のお化けが間近まで迫っていた。手に持った小石を放り投げて気を引かせても、その後ろにはまた別のお化けがいる。

 小石は、もう無い。

 

「ひゃっ!?」

 

 風のように走り戻ってきた狩人に担がれ、お化けの包囲網を潜り抜けて山を駆け下りる。クロも遅れずについてきた。

 これで実に4度目の撤退である。

 何度繰り返しても結果は同じ。狩人はいとも簡単にお化けを退治してしまう。でもユイとクロはそうもいかない。狩人がどんなに強くても、それ以上にお化けの数が多すぎるのだ。

 

「ごめんね、おじさん……」

 

 完全に足を引っ張っている。これでは助けを呼んだ意味もない。

 こうしている間にも、ハルは何かひどい目にあっているのかもしれないのだ。焦燥に頭を掻きむしるユイに、足元に生えた使者が手記を手渡す。

 

【敵の大群のにおいがする】

【銃を思い出せ だから 素晴らしい武器】

【この街を清潔にいたしましょう……】

 

 ドガシャン! と不吉な音に目を上げると、狩人の手には巨大な銃……というか機関砲(ガトリング)が握られていた。

 それこそ派手なアクション映画でしか見たことのないような兵器にユイが顔を引きつらせていると、狩人は使者に投げられた火炎瓶が頭に命中して転げまわる。狩人と使者の取っ組み合いを横目に、ユイは頭を抱えていた。

 こんな物を使ってしまえば、お巡りさんにつかまってしまうかもしれない。

 じゃあ、どうするのか。このままハルがひどい目にあうのを待っているのか。

 すこしぐらいバレないんじゃないか。

 ハルのためなら、わたしはどうなってもいい。

 ユイが無謀な決意を固めた時、またクロの鳴き声が聞こえた。見れば、クロはこちらに吠えながら山道をはずれて茂みの向こうへと走っていく。

 

「まってよ、クロ!」

 

 ユイがその後を追うと、狩人もついてくる。黒焦げになっていたはずの帽子は、何故か元通りになっていた。

 

 

 

 

 クロの鳴き声を辿り、まばらにいたお化けを狩人が片付けながら先に進むと、開けた場所に出た。

 山の斜面から突き出るように、コンクリート製の素っ気ない出入口がある。教科書で見た防空壕にも似たそれの前に、クロはいた。

 

「……ここから行こうって?」

 

 ユイの言葉を分かっているのかいないのか、クロは「わんッ」とひとつ吠える。

 鉄格子でふさがれた入り口は真っ暗な闇で満たされ、その奥から嗅いだこともないような悪臭が漂ってくる。赤い文字で書かれた「立入禁止」の看板がユイに警告していた。

 ごくりと唾を飲みこむユイの肩に、大きな手が置かれる。

 

「おじさん?」

 

 狩人はその青白い目でユイを見下ろすと徐に鉄格子に手をかけ、いとも簡単に開けてしまった。

 その扉ごと。

 

「おじさん……」

 

 狩人は、じっとりとしたユイの視線を受け、手に持っていた扉を茂みに隠すと素知らぬ顔で月を見上げた。遅れて鍵を拾ってきたらしいクロも、どこか呆れたような視線を向ける。

 一人と一匹の視線から逃れるように狩人は暗闇の中に足を踏み入れた。ユイもそれを追うと、すぐに戻ってきた狩人に担がれて入り口から飛び出す。

 どうしたのかと目を白黒させていると、入り口から小さな生き物が大量に走り出てきた。

 ネズミだ。

 

「もしかして、ネズミが怖いの?」

 

 ダラダラと冷や汗のように血を流している狩人を見て、ユイはすこしだけ口元を緩める。あんなに強いのにネズミが怖いだなんて、変なの。

 なおもジリジリと入り口を警戒している狩人の手を引いて、ユイは暗い通路に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ぬるぬるとした配管。水垢まみれの壁。あちこちに口を開いたトンネルに、黒とも緑ともつかない色のヘドロがぐずぐずと流れていく。

 ここは、ダムの水を管理するための施設のようだ。学校の授業で聞いたことを思い出したユイは、鼻をつまみながら顔をしかめた。

 ひどい臭いだ。クロもどこか元気が無い。犬の嗅覚は人間の何倍も鋭いという話も思い出したユイは足を速めた。早く抜けないと、クロの鼻がおかしくなってしまう。

 幸いというかなんというか、出てくるお化けは狩人が片っ端から始末してくれていた。

 ヘドロが人間の形になろうとすれば、人型になる前にバラバラにされる。

 水路の中から水草のような腕が飛び出せば、逆に手首をつかまれて引きずり出される。

 天井に張り付いて待ち伏せしていたヘドロも、石ころを投げつけられて落とされる。

 狭い通路の中では、お化けも少しずつしか出てこない。前を歩く狩人が道を開き、後ろはクロが睨みを利かせる。クロがひとつ吠えれば、狩人が振り向きざまに投げた石ころがヘドロの頭を撃ちぬいた。

 巨大な人の顔をはりつけた蟹が現れた時はさすがにユイも腰を抜かしたけど、結局は狩人の敵ではなかった。

 懐中電灯を腰のベルトに差し、ガキンッという金属音と共に斧の柄を伸ばして「変形」させる。狩人の身長ほどに長くなった斧を両手で振り回せば、お化けガニは……その、すごい事になってしまった。もうカニみそは食べられないな、とユイは思った。

 この上なく順調な足取り……と思っていたのに。

 

「ちょっと! 大丈夫だってば!」

 

 キチキチと小さな歯をかみ合わせる音の群れを耳にした途端、くるりと後退する狩人に担がれながらユイは抗議した。

 こちらの様子をうかがうようなネズミの群れは、クロの一吠えで暗がりへと消えていく。今にも火炎瓶を投擲しそうな狩人の手からそれを没収すると、足元の使者に手渡した。もう何度目になるかも分からないやり取りに、ユイは溜息をつく。

 いったいどういう怖がり方なのか。

 あんな大きなお化けガニにも恐れずつっこんでいくのに、小さなネズミの群れには脱兎のごとく逃げ出す。ネズミが怖いのかと思えば、猫のように大きなお化けネズミが一匹だけ現れてもまったく怖がらない。

 世の中にはいろんな恐怖症があるというけど、この人は「小さなネズミの群れ恐怖症」なんだろうか。

 

 ――変な狩人さん。

 

 だいたい、狩人を名乗るのに小動物が苦手でいいんだろうか。お化けガニに何度も斧を振り下ろすたびに飛んでいくハサミや足から目をそらしつつ、もうカニかまも食べられないな、とユイは思った。

 

 

 

 

 だいぶ上の方まで上ってきた。

 水路はほとんど見なくなり、配管やよく分からない機械ばかりが目立つようになる。カンカンと鉄製の通路をわたりながら、狩人に投げ飛ばされたお化けが遥か下まで落ちていくのを見てユイは息をのんだ。自分たちがとんでもなく高いところにいることを実感して、足がすくみそうになる。

 

 ――ハル……。

 

 何も握っていない右の掌をじっと見る。

 怖がりのハルは、高いところも苦手。歩道橋ですら上がりたがらないし、ユイが木登りすればハルの方が泣きそうな顔になってしまう。ユイだって高いところが怖くないわけじゃない。でもハルがそばにいれば、ユイ以上に怖がるハルの手を握ってあげれば、逆に怖くなくなる。

 でも、今ここにハルはいない。

 止まりそうな足をなんとか動かし、汗ばんだ手で冷たい手すりをギュッと握る。下を見ないようにしながら、前を歩く狩人の黒い背中を追った。

 

 ――ハル、まってて。いま、いくよ。

 

 勇気を振り絞って前に進む。

 進んだのに、またネズミの群れに逃げ出した狩人に担がれる。不安定な足場を逃走したことでグラグラ揺れる視界に、今度こそユイは悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 やっと外に出られた。

 ユイも狩人も、いろんな意味で疲れていた。クロがユイを元気づけるように細い足にじゃれつき、使者は情けない狩人の頭に鎮静剤をぶつける。地面から生える使者相手にモグラ叩きのようなことをしている狩人を横目に、ユイは予備の懐中電灯であたりを照らした。

 コンクリートの大きな橋に出たのかと思ったけれど、違う。ここはダムの上の堤体だった。気付いた途端に感じる澄んだ夜の空気に思わず深呼吸してしまう。肺にたまっていた淀んだ空気を入れ替えると、鉄柵に手をかけてダムの下を見下ろした。

 月明りに照らされた、半壊した建物がいくつも見える。どれも赤茶けた泥に覆われているそれらは、ダムの底に沈んだ廃村だ。今年はあまり雨が降らなかったから、ダムの水が減って姿を現したのだ。夏休みが始まる前、節水するように学校の先生が言っていたのを思い出す。

 ……元から水の出ないユイの家では、気にすることでもなかったが。

 頭を振って余計な考えを振り払うと、じっと目を凝らして廃村を見る。村の向こうに大きな山の影が見えた。このままダムを下りて、あの廃村を抜ければ山に入られるかもしれない。

 使者の群れに袋叩きにされている狩人を後目に通路の先を照らすと、道の端に何かを見つけた。ネズミではない、もっと大きな……。

 

「うっ……!」

 

 死体だった。

 ネズミでも犬でも猫でもない、人間の死体。それも一体ではない、何人分もの白骨死体が、黄色いヘルメットや黒い作業服を着たまま折り重なっていた。

 きっと、このダムで働いていた人たちだ。死体の近くには、その人たちの持ち物がちらばっている。指輪、腕時計、財布……。誰かも分からない家族の集合写真と、黒縁眼鏡を見てユイは表情を曇らせる。

 この死体の人にも家族がいたのだ。もしかしたら、誰かの父親だったのかもしれない。

 ……この人の家族も、おかしくなってしまうのだろうか。

 ズキンと額の傷が痛んだ。ぎゅっと唇を噛んで、死体に手を合わせる。

 

 ――あとで、かならず警察の人に言います。

 ――でもいまは、友だちを助けないといけないんです。

 ――すこしだけ、待っていてください。

 

 誰かも分からない死体に祈るユイの姿を、狩人はじっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

“ワタシはするどいキバがあるか”

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に響いた問いに、ユイは顔を上げた。狩人の方を見れば、彼も周囲を見回している。空耳ではない。

 

 

“ワタシはツバサがついているか”

 

 

 まさかと死体を見てみる。当然ながら何の反応もない。風に揺れる作業服の袖が「ちがうよ」と手を振っているようだった。足元の使者は、首を横に振って答える。

 

 

“ワタシはおおきなカギヅメをもっているか”

 

 

 問いだけが続く。

 ヒトじゃないモノが、ヒトの言葉をつぎはぎして発したような声だった。高いような低いような声で、遠いのか近いのかも分からない。今にも耳元で囁かれそうな予感がして、せわしなくユイは周囲を見回す。

 狩人は、じっと夜空を見上げていた。

 その夜空に、赤い光が、ふたつ並ぶ。

 

 

 

 

“ワタシはなにものか、しっているか”

 

 

 

 

 ユイは、空に「死」を見た。

 空に浮かぶ、巨大な頭蓋骨。男なのか女なのか、子どもなのか大人なのかも分からない、骨だけの顔。

 

 だってそうだろう?

 死ねば、みんな、この顔になる。

 男も、女も、子供も、大人も。

 おまえも。

 おまえの友だちも、最後はこうなるんだよ。

 

 言葉もなく、その絶望的な真実を、その巨大なお化けはユイに見せつけていた。赤い人魂のような目が、ユイを見据える。

 ユイは、その目を睨み返した。懐中電灯を剣のように構え、ガクガクと震える足で立ち上がる。

 

 やだ。

 そんなのやだ。

 ハルが死んで、あんな冷たい顔になってしまうなんて、絶対にいやだ!

 

 ユイに勝ち目なんて無い。あの死体の人たちは、このお化けに殺されてしまったんだ。小さなお化けにも勝てない自分にできることなんて、何も無い。

 でも、降参だけはしたくない。ハルが、自分の助けを待っているんだ!

 なおも心折れないユイの眼差しに対し、頭蓋骨はその赤い目を輝かせる。

 

 クルシイ コワイ ドウシテ

 ドウシテ ドウシテ ニクイ コワイ ニクイ

 

 赤い目と視線を合わせたユイの頭に、悍ましい声の濁流が流れ込んでくる。

 理不尽な怒りが、やり場のない憎しみが、癒えることのない悲しみが、どうしようもない恐怖が、ユイにのしかかる。

 折れろ、折れろと、その心を一方的に叩きのめしてくる。

 ユイは、ただ耐えた。

 耐えることには、慣れてしまっていた。

 それでも、心の奥底に入った亀裂から漏れ出すように、その両目から涙があふれ出す。

 涙で滲んだ夜空に、自分を叩きつぶそうとする巨大な骨の腕と、

 

 (からす)のように飛び上がる、狩人の影を、見た。

 

 

 

 

   <●>

 

 

 

 

“ワタシはなにものか、しっているか”

 

 ああ、知っているとも。

 獣だ。

 

 

 ――――【問う者たち】

 

 

 夜空に浮かぶ巨大な獣の脳天に、その金槌を叩き込む。確かな芯を捉えた手ごたえに、貴方は獣性が高まるのを感じた。

 貴方の右手に握られているのは、獣狩りの斧ではない。撃鉄を持った巨大な金槌、仕掛け武器「爆発金槌」だ。

 見るからに堅そうな獣だったが故の選択だったが、その効果は覿面だった。中に脳など無かろうに、フラフラとよろめくように挙動が不安定になっている。赤い目をぎょろりとこちらに向けた獣は、その両腕を振り上げた。

 着地した貴方を叩き潰さんとする腕に対し、貴方は一歩も退かない。むしろ前に出る。

 巨大な獣相手に後退することは死を意味する。それは、わざわざ獣が屠りやすい間合いに立ってやることでしかないのだ。故に、前に避ける。

 凶暴な獣に対し、自ら間合いを詰める。言葉にするほど容易ではない。だが狩人なら皆できることだ。できない者は死ぬのだから。

 振り下ろされた右腕を避け、振り向きざまに金槌を叩き下ろす。まだ「仕掛け」を使っていないにも拘らず、その一撃は手首にあたる部分を打ち砕いた。ボロボロと骨が崩れて、ダムの底へと落ちていく。

 獣の分際で多少の思考は持っているのか、今度は左腕で通路全体をなぎ払おうとしているのが見えた。

 貴方は、チラと後ろを見やる。ユイは既に通路の奥へと退避していた。勇敢だが利口な少女だ。今ここで自分がするべきことを分かっている。

 守る者はいない。そして見張る者も。

 懐中電灯をベルトに差し、左手に新たな武器を呼び出す。それは一見、金細工を施された美術品のように華美な代物だった。だが引き金に指をかけると同時に、その折りたたまれた銃身が本来の位置へと戻る。

 獣が、その左腕をなぎ払おうとする刹那、貴方は引き金を弾く。轟音と共に、その長い銃身から散弾が放たれた。

 ルドウイークの長銃。獣ではなく、もっと別の怪異を狩るための銃。目の前に浮かぶ、この巨大な頭蓋骨のような。

 長射程・高密度の散弾がその一撃を挫く。まるで体勢を崩したかのように、その巨大な頭蓋骨が堤体の上に落ちた。

 ちょうど、貴方の目の前に。

 血除けのマスクが無ければ、耳まで裂けたような笑みが見られたであろう昂りと共に、貴方は金槌の「仕掛け」を起動した。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 狩人の邪魔をしないよう、クロと共に堤体を走り抜けたユイは、背後から聞こえてくる轟音に転びそうになった。

 後ろを見れば、大きなお化けが虫をつぶそうとするように、何度も手を振り下ろしている。そのたびにユイ達が立っている足場もグラグラと揺れ、まるで怪獣が暴れているような光景にユイは呆然とする。

 

「そんな……」

 

 いくら狩人が強くても、あんな大きなお化けに勝てるんだろうか。あの死体の人たちに仲間入りしている狩人の姿を想像してしまい、思わず戻ろうとするユイの足を小さな手がつかんだ。足元の使者が、首を横に振っている。

 ユイは唇を噛んだ。戻っても足手まといになるのは分かっている。分かっているけど!

 

 

 ドオォォンッ!

 

 

 銃声だった。

 それもピストルじゃない、もっと大きな。

 ユイは噛んでいた唇をひくつかせ、クロですら溜息をつく。足元の使者が額に手を当てた。

 言ったのに。鉄砲は撃っちゃダメって言ったのに。でも、あのお化け相手なら仕方ないのかな?

 身を守るためなのは分かるけど、わたしがいなくなった途端に撃つってどうなの?

 そういうのって、先生に怒られちゃうよ? でも死んじゃったら元も子もないし……。

 発砲した狩人の是非を悩むユイの耳に、小さな鳴き声が聞こえた。

 振り返れば、ダムの堤体の端、山肌はすぐそこだった。山に足を踏み入れ、耳をすませて鳴き声を辿り、

 

「これって……」

 

 小さなネズミの群れが守る、ソレを見た。

 

 

 

 

   <●>

 

 

 

 

 この世で狩りにまさる愉しみなど無い。

 月の魔物を狩り、青ざめた血を得、上位者と化した貴方であっても、狩りに酔うことは避けられない。

 何故なら、貴方は良い狩人なのだから。

 

“ワタシはなにものか、しっているか”

 

 倒れ伏した獣が、なおも貴方に問いかける。

 その赤い目を、貴方は青白い目で見返した。目を通し、脳に芽生えた瞳が、その意思を読み取る。

 獣と貴方は、瞳だけで会話した。

 

 

 我らが何者なのかを知っているか。

 おまえ達が、己のために何を犠牲にしたのか、知っているか。

 我らが落ちたあの地獄を、知っているか。

 この怒りを、憎しみを、悲しみを、恐れを、知っているか。

 知っているか!

 

 

 知らぬよ。そして知っているとも。

 貴公が何者であったかなど知らぬ。だが今の貴公は獣だ。

 あの哀れな男たちを喰らったのは貴公だろう?

 己のために、彼らを喰らったのだろう?

 ならば、貴公は獣だ。

 そして、私は狩人だ。

 狩りに優れ、無慈悲で、血に酔った、良い狩人なのだよ!

 

 

 爆発金槌を、振りかぶる。

 仕掛けにより、仕込まれた炉がごうごうと炎を滾らせる。振り下ろせば脳天を砕き、同時に炸裂する炎が内から焼き尽くすだろう。

 どこまでも獣を憎んだ者が生み出した、この狂気の凶器(さんぶつ)を、貴方は目の前の獣に……。

 

 

「やめて!」

 

 

 

 

   ※

 

 

 

「もう、いいよ。おじさん」

 

 ユイの手には、ネズミの死骸が抱かれていた。

 ネズミの群れが守っていたモノ、それがこの死骸だった。

 ネズミというには異様に大きな死骸を抱きながら、ユイは歩みを進める。狩人とお化けは、ただそれを見ていた。

 右を見る。

 ダムに沈んだ村が見えた。ただ静かに生きていたこのネズミたちは、みんな水にのみ込まれたんだろう。なんで、どうしてこんな目に、と。水の底でもがいて苦しんで、死んでいったんだろう。

 左を見る。

 お化けに殺された人たちの死体が見えた。ただ真面目に働いていたのに、家族のために働いていたのに。なんで、どうしてこんな目に、と。心の底まで恐怖を味わって、死んでいったんだろう。

 目を閉じる。

 ユイには、難しいことは分からない。まだ10年しか生きていないのだから。きっと大人であっても、正しい答えなんて分からないのに。

 ユイは目を開けて、倒れ伏した頭蓋骨と目を合わせた。

 

「もう、いいでしょ?」

 

 ただ、それだけ。

 諭すような、願うような言葉を聞いたのか、聞かなかったのか。

 命の灯が消えるように、その赤い眼光が消えた。

 ボロボロと、頭蓋骨が崩れていく。無数の、ネズミの死骸になって。

 ダムの底で溺れ、ヒトを呪いながら死んでいったネズミたちがダムに降り注ぎ、その堤体に積もることもなく消えていく。

 後に残ったのは、一匹の死骸を抱くユイと、クロと、死体たちと、

 

「おじさん……」

 

 ネズミの群れに恐れをなし、ユイを担いで逃げ去る狩人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃村を見渡せる場所に、小さな穴を掘る。ネズミの死骸を横たえて、土をかぶせた。近くにあった石をその上に乗せる。

 簡単なお墓だけど、ユイたちは先を急いでいる。あの死体の人たちのことだって、忘れてはいけない。

 狩人はその青白い目でユイを見下ろし、両手を合わせる姿をどこか不思議そうに眺めていた。

 

「こうやるんだよ」

 

 ピンと伸ばした掌をしっかりと合わせる。そうして見せると、狩人はぎこちない動きでユイの真似をした。その足元で使者も同じ動きをしているのがおかしくて、ユイは笑った。

 

 

 

 

   <●>

 

 

 

 

 慈悲深い少女だ。そして強い。

 ユイを見下ろしながら、貴方はあの鴉羽(からすば)の狩人を思い出していた

 血に酔った狩人を狩る、狩人狩り。呪われたその業を受け継ぐ者には、それ故に類い稀な資質を求められた。

 

 まず強く、血に酔わず、仲間を狩るに尊厳を忘れない。

 

 貴方は、そうなれなかったのだろう。

 だから貴方は、彼女から受け継いだ「鴉の狩人証」をそっとユイに差し出した。貴公にこそ、これは相応しいと。

 不吉な鴉を象り、影のように真っ黒な首飾りを一瞥してユイは、

 

「いらない」

 

 あんまりじゃあないか。

 

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