お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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いたみ   -Phantom pain-

 古都ヤーナム

 

 

 遥か東、人里離れた山間にある忘れられたこの街は呪われた街として知られ、古くから奇妙な風土病「獣の病」が蔓延っている。

 

 獣の病の罹患者は、その名の通り獣憑きとなり人としての理性を失う。

 

 そして夜な夜な「狩人」たちが、そうした、もはや人でない獣を狩っているのだと言う。

 

 だが、呪われた街はまた、古い医療の街でもある。

 

 数多くの救われぬ病み人たちが、この怪しげな医療行為を求め、長旅の末ヤーナムを訪れる。

 

 

 彼もまた、そうした病み人の一人であった。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ハルは、ぼんやりと月を見上げていた。

 頭がボーっとして、何も考える気にならない。

 体もすごく怠くて、起き上がる気にならない。

 どうしてこんな所にいるのか、思い出そうとしても頭が働かない。なんだか眠くなってきて、もう寝てしまおうかと、そんな気になる。

 でも、お腹の上に何かが乗っていて、寝る前にどかそうと左手を動かす。

 

 ズキン、と左手が痛んだ。

 

 感じたこともない痛みに思わず悲鳴をあげる。それを引き金に、全身の痛みが一気に襲ってきてハルは悶絶した。

 涙をぬぐいながら左手を見ると、掌にハンカチが巻かれている。元は白かったみたいなのに、今は真っ赤に染まっていた。

 左足も痛い。挫いたみたいに、足首のあたりがジンジン痛む。

 ギシギシと軋む体をなんとか起こして、お腹の上にあったものを見る。

 

「ユイ!?」

 

 ぐったりとしたユイが、ハルに覆いかぶさるように倒れていた。

 なんとか仰向けにして、顔を軽く叩いてみても、まったく起きない。月明りに照らされた顔は、真っ白だった。

 血の気が引いたハルは、あわててユイの胸に耳を当てる。トクトクと小さな音が聞こえて、心底ホッとした。

 

 すこしだけ落ち着いたハルは、周囲を見回す。

 校庭ぐらいの広さの草原だった。周りはぐるりと木に囲まれている。近くに、スイッチが入れっぱなしの懐中電灯が落ちていた。たぶん、ユイの物だ。

 月明りだけでは心もとなかったから、その光はとてもありがたい。ホッと息をついて懐中電灯を拾い、その光が真っ赤な鋏を照らしてハルを腰を抜かした。

 

 ――この鋏……。

 

 ようやく思い出してきた。

 夕方、家の前でユイと別れた後で赤い鋏のお化け――コトワリさまに襲われたのだ。ユイといっしょになんとか逃げて、町中を走り回った。

 また家に帰ってから、ユイと花火大会に行く約束をして、ユイの背中を見送って、それから、

 

 

 

 

“帰りたい?”

 

 

 

 

 そう、こんな声が聞こえてきて……。

 

「……え?」

 

 ハルは周囲を見回す。誰もいない。もちろんユイも起きていない。だいたい、ぜんぜんユイの声じゃなかった。

 男の人のような、女の人のような、とにかく甘い、すごく、すごく安心する声。

 その「声」は続けて言った。

 

“お家に帰りたい?”

 

 ハルの不安を包みこんでくれるような声だった。思わず、ハルは「はい」と答えてしまった。

 

 

“いっしょに帰りたい?”

 

 帰りたかった。ユイと一緒に帰りたかった。「はい」以外の答えなんて、ハルには無かった。

 

 

“ずっといっしょにいたい?”

 

 決まってる。「はい」に決まってる。

 

 

“じゃあ、その鋏を持って”

 

 分かった。持ったよ。

 

 

“その鋏で、その子の首を”

 

 ユイの首を? どうすればいいの?

 

 

“切ッテ”

 

 

 

 

 左手の傷が、焼けるように痛んだ。

 

 

 

 

 まるで、鋏が熱を持ったように掌の傷を焼いた。声にもならない悲鳴をあげて、鋏を投げ捨てる。手を押さえて草の上を転げまわりながら、ハルは我に返った。

 いま、自分は何をしようとした?

 全身の血が凍ったみたいな寒気だった。両手で肩を抱いて、それでも震えが止まらなかった。

 自分がユイを傷つけようとしたことが信じられない。しかも、それは初めてじゃなかった。

 

 

 カラ――――ン

 

 

 とても綺麗で、澄んだ、聞き覚えのある音だった。そして、もう二度と聞きたくなかった音。

 すぐ近くで、真っ二つになった鐘が浮かんでいる。

 カチャカチャと元の形に戻ろうとしながら、音を鳴らしている。それが動く死体か何かのように見えて、ハルはゾッとした。

 

“キッテ キッテ キッテ”

 

 カラ――――ン

 

 声が、鐘の音が、競い合うようにハルの耳に入りこんでくる。ハルの正気を取り合うようにその強さを増してくる。

 声と音によってたかって責め立てられて、ハルは耳をふさいで蹲った。

 

 ――聞いちゃダメ。どっちも聞いちゃダメ!

 

 とても甘い声がハルを誘惑する。ハルが望む答えを導いてくる。

 とても綺麗な音がハルを魅了する。ずっと聞いていたいほどに綺麗な音色。

 それらに逆らうことは、とても苦しかった。苦しくて、でも我慢して、やっぱり苦しくて。

 その「声」が、よくがんばったね、もう大丈夫だよと甘く囁いてくる。もう我慢しなくていいんだよって。

 めちゃくちゃになった心に染みわたるように、綺麗な綺麗な「音」がハルを慰めてくれる。ずっと聞いていたい。

 苦しめて、慰めて、また苦しめて、ハルの心を弄んでくる。言いなりにしようとする。

 どんどん、ハルの力を奪っていく。

 

 そんな中で、その手の「痛み」だけがハルに力をくれた。

 

 心が(しぼ)んでいくハルに喝を入れるように、掌の傷が焼ける。その痛みはどこまでも厳しくて、そして優しかった。

 カッと見開かれた瞳に、ユイが映る。傷だらけになって、疲れ果てて眠る、ハルのいちばんの友だち。

 いつもハルを助けてくれて、今も助けてくれた。そんなユイを、自分は二度も傷つけようとした。

 それを謝らなければいけない。

 だから、わたしは――!

 左手の傍に、投げ捨てたはずの鋏があった。まるで、自分から戻ってきてくれたみたいに。それを、掴む。

 

「うるさい! うるさい! もう黙ってよ!」

 

 大きくて重いそれを、両手に力を入れて持ちあげる。睨みつけた鐘が、怯えるように大きく鳴った。

 

「わたしは、ユイといっしょに帰るんだ!」

 

 地面ごと断ち切るように、鐘に向かって鋏を閉じた。

 元から壊れかけだった鐘は、あっさりと、今度こそガラクタに変わる。

 最後に、断末魔のような鐘の音を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 座り込んだハルの左手が、チクリと痛んだ。まだ終わっていない、と諭すように。

 

「うん、分かってる」

 

 立ち上がって、鋏を握りしめる。

 何がどうなったのかは分からないけど、コトワリさまは自分に力を貸してくれている。ただ助けるんじゃなくて、挫けそうなハルの心を引っぱたいてくれる。

 その厳しさが、今のハルには心強い。

 ユイを守るように立ち、周囲を警戒する。もう「声」は聞こえない。でもイヤな気配だけは強くなってくる。

 気を尖らせていると、不意に風を感じた。

 

 風が流れる方に向き、ハルはそこに「穴」を見た。

 

 鐘の残骸。その上の空間に空いた、赤黒い穴。天体の図鑑で見た、ブラックホールの絵に似ていた。

 指先ぐらいの大きさだったそれは、徐々に大きくなっていく。野球ボールぐらいになって、サッカーボールぐらいになった頃、それは突風のような強さですべてを吸いこもうとしていた。

 だから、意識の無いユイがそれに逆らうことなんてできなくて。

 

「ユイ!」

 

 ユイの体をつかんだ時にはもう、ハルも穴に飲みこまれていた。

 視界は赤黒く染まって、ハルも意識を手放す直前に。

 大きな、鐘の音を聞いた気がした。

 

 

 

 

 不吉な鐘の残骸が、力を使い果たしたように塵となって消える。

 月明りに照らされた、山上の草原。静寂に満ちたそこには、もう誰もいなかった。

 ただ、赤い鋏だけが地に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

   <○>

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほう……“青ざめた血”ねえ……』

 

『確かに、君は正しく、そして幸運だ』

 

『まさにヤーナムの血の医療、その秘密だけが君を導くだろう』

 

『だが、よそ者に語るべき法もない』

 

『だから君、まずは我ら、ヤーナムの血を受け入れたまえよ』

 

『なあに、何も心配することはない』

 

 

 

 

『何があっても……悪い夢のようなものさね……』

 

 

 

 

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 

 

 

 ピチョン。

 水滴が落ちる音で、ハルは目が覚めた。今までのことを思い出して、すぐに飛び起きる。

 でも、吸った空気のあまりの臭さに、ハルは激しくむせ返った。

 ユイと河原で遊んだ時、大きな土管の中で嗅いだ臭いを思い出す。土と水が腐ったような臭い。

 なんとか咳が落ち着いた後で周りを見渡しても、やっぱり暗くて足元しか見えない。

 

「……ユイ?」

 

 返事は無かった。まだ眠っているのか、それとも……。

 手探りでなんとか懐中電灯を探し出し、スイッチを入れる。レンガでできた高い壁が照らしだされた。そのまま周囲を照らして、ユイを探す。

 ユイは、すぐ近くにいた。でも、やっぱり意識は無いまま。見たところ大きなケガはしていない。

 ……「寝ぼけて階段から落ちた」と言っていた、頭の傷はそのままだけど。

 しばらくの間、ハルは周囲を警戒する。あの声も鐘の音も聞こえない。時々、水滴が落ちる音だけが響いていた。

 赤い鋏は、どこにも無かった。置いてきてしまったみたいだ。

 

 ――どうしよう。

 

 ここがどこなのか。何がおこったのか。何も分からなかった。帰りたいけど、どこに行けばいいのかも分からない。

 ……ここで待っていれば、その内だれかが助けにきてくれるかな。

 ……危ないし、へたに動かない方が良いよね。

 

「痛っ!」

 

 ハルの甘い考えを叱るように、掌の傷が痛んだ。「進め」ということだろうか。

 流れそうになっていた涙を拭って、ハルは立ち上がった。

 

 

 

 

 泥が固まったような、グズグズした地面を歩く。

 ハルと、背負ったユイの二人分の体重が脆い地面を崩して、何度も転びそうになる。このままじゃ懐中電灯が持てないから、二人のナップサックを使ってユイの体をハルに括りつけた。

 歩いても歩いても、同じような道が続いている。足元は乾いた泥のような土。汚れたレンガの壁。天井は無くて、ずっと上に暗い空が見えるけど、壁は高くて登れそうもない。

 いったい、ここはどこなのか。ハル達の町に、こんな場所はあっただろうか。

 

「はあ……、はあ……っ」

 

 息が切れる。歩くたびに左足が痛んだ。背負ったユイが重い。

 せめて地面が平らだったらいいのに。壁の上は、ここよりはきれいな地面になっているように見える。途中で梯子のような物は見たけれど、どれも壊れていたり、ハルに意地悪するように高い位置にあった。

 とにかく上に行こう。上に行ける梯子か、できれば階段を見つける。そう決めて、足を進めた。

 

 

 

 

 どれぐらい歩いただろう。

 壁はまだ途切れず、上に登る道も見つからない。ぜえぜえと吐く息が白くて、夏とは思えないほど気温が低いことに今さら気付いた。でも、汗だくになったハルには大して関係のないことだった。

 汗がしみる目をこすって前を見る。懐中電灯が今までとは違う物を照らして、ハルは速足で進んだ。

 それは、トンネルだった。レンガの壁を、半円状にくりぬいたトンネル。

 それ自体はハルも見慣れたものだけど、ここには電灯なんてない。懐中電灯の光も飲みこむような暗闇に、ハルの足が無意識に後ずさった。

 でも、他に道なんて無い。傷の痛みに背中を押される前に、ハルは進みだした。

 

 

 

 

 懐中電灯で足元を照らしながら、一歩ずつ進む。

 さっきまでは星空が見えていたから、すこしは明るかった。でも今は完全な暗闇の中。聞こえるのも、ハルの息遣いと反響する足音だけ。出口も、まだ見えない。

 ……今なら引き返せるんじゃないかな。

 ……こんな暗いところ、ぜったいに危ないよ。

 ……他の道を探したほうがいいんじゃ。

 弱気な考えが頭をよぎる度に、傷がチクチクと痛んだ。それにお尻を叩かれるようにしてハルは進む。

 そして、背負ったユイの体温と、小さな寝息がハルの心を支えてくれた。ユイは疲れている。いつだって助けてくれたユイを、今はハルが助ける番だ。

 それに、暗いけど、お化けが出るわけじゃ……。

 

 ドスン

 

 まるでハルの期待に悪い意味で応えるように、重い音が聞こえた。

 足を止めて耳を澄ませるハルの耳に、その音は続けて聞こえてくる。ドスン、ドスンと、重い音の中に、聞いたことのあるような鳴き声も混じっていた。犬じゃない、猫でもない、これは。

 奥の暗闇に、ぼうと浮かび上がるように、それはハルに答え合わせをした。

 豚だった。

 顔の肉をだらしなく緩ませた、どこか悪意のあるような顔をした豚。

 でも、おかしい。遠くにいるはずなのに、どうしてこんなに顔が大きく見えるのか。これじゃまるで、あの豚がとんでもなく大きいみたいな……。

 

“ブヒィィィィ――――ッ!”

 

 可愛らしさの欠片もない鳴き声を響かせて、トンネルを埋めつくすぐらい巨大な豚が突進してくる。

 

「ひゃあぁ――――っ!?」

 

 豚に負けないほどの悲鳴をあげて、ハルは逃げ出した。

 だって、あんなのもうどうしようもない。それこそ、トンネルの中で電車の前に立っているのと同じだ。もう逃げるしかない!

 足の痛みもユイの重さも忘れて、固い泥の上を必死でハルは走った。これだけの悪条件でも、きっと運動会の時より速く走っていた。それでも、足音はどんどん大きくなってくる!

 はやくはやくとにかくまえにはしってはしってはしってもっとはやく!

 気が付けば、トンネルの入り口から飛び出して、レンガの壁が目前に迫っていた。

 

「ぶえっ!?」

 

 なんとか両手を前に出して、顔から激突することは避ける。それでも頬を壁にはりつけるように停止して変な声がでた。

 足音は、もう聞こえなかった。

 

「……へ?」

 

 恐る恐る振り返っても、暗いトンネルがあるだけ。巨大豚なんて、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ……」

 

 再びトンネルの中に足を踏み入れ、おっかなびっくり進んで辿りついた場所に、それはあった。

 大きな、動物の骨。

 遠足で博物館に行った時に見た、恐竜の化石みたいに大きな骨格だった。豚の骨がどんな風になっているのかなんて知らないけど、きっとあの巨大豚のものだと、ハルは思った。

 

 ――大きな豚さんの、お化けだったのかな。

 

 すこしだけ手を合わせてから、奥に進む。小さな横道を見つけて中に入ると、わずかに風を感じた。

 出口が近い。そう思うと足も軽くなる。狭い道を進んで、その先に。

 

 

「うそ…………」

 

 

 断崖にはりついたような通路に立つハルが見たのは、月明りに照らされた、ハルのまったく知らない、滅びた街だった。

 

 

 

 

 ――――廃都ヤーナム

 

 

 

 

   <○>

 

 

 

 

 ――ああ、狩人様を見つけたのですね。

 

 

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