お化け狩りの夜が廻る   作:甲乙

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はいきょ  -Yharnam-

 いったい、どれが両親の墓だというのか。

 女は、目の前に広がる墓石の墓場と化した惨状に、その碧眼を伏せた。

 

 元より、この街はあまりにも墓が多かった。

 街のいたる所に墓がある。それがどれだけ異常なことだったのか、街を出るまで知らなかった。

 棺とは、鉄で拵えて鎖で雁字搦めにするものではなかったのか。中身が二度と出てこないように。

 この街では、死が日常だった。

 安らかに死ねるということは、この街ではこの上ない幸せなのだと、そう教えられていたのだ。父に。

 

 その父は、この墓地で死んだのだと聞いた。母と共に。

 だがもうそこは、墓石も瓦礫も()い交ぜになって、それらを草が覆い隠そうとしている。

 仕方なく、女は手近にあった状態の良い墓石の前に跪く。ランタンを置いて、鞄から白い花を取り出して供えた。

 祈りの言葉は、この街のものとは異なる。異邦人でもあった父から教わったものだ。

 開いた碧眼に涙は無かった。両親が死んだのは、もう何年も前なのだから。

 

 見上げた空は、もう黄昏を過ぎている。ランタンを持ち直して、墓地を後にした。

 金の髪に結ばれた、白いリボンを揺らしながら。

 

 

 

 

   ※

 

 

 

 

 ハルは途方に暮れていた。

 やっとの思いで暗い通路を抜け出して、これでユイと家に帰れると思ったのに、目の前には見たこともない街が広がっている。

 こんなの、ハルじゃなくても心が折れる。

 

「起きて、起きてよぉ、ユイぃ……」

 

 甘ったれた声で、意識のない親友の肩を揺する。

 今はとにかくユイに起きてほしかった。ユイならきっと、こんな知らない街でもなんとかしてくれる。ハルの手を引いてくれる。でも願いも虚しく、ユイの目はぴったりと閉じられたまま。

 深いため息をつくと、ハルは寝かせたユイの横に並んだ。もう疲れた。限界だった。全身はひどい筋肉痛みたいな状態だし、足首もたぶん挫いている。そしてやっぱり左の掌が痛い。

 

「もう、ちょっとは休ませてよ……」

 

 掌の傷を通して、コトワリさまが「立って進め」とチクチク叱ってくる。お尻を叩いてくれるのはありがたいけど、今はもうさすがに無理だった。

 がんばれ、がんばれって言うだけじゃなくて、たまには助けてくれてもいいのに。

 そんなハルが内心でもらした愚痴が通じたのかどうか、ハルの目に奇妙な物が映った。

 

「……うん?」

 

 赤い糸だった。

 掌に巻かれたハンカチからひょろりと出てきた糸が、街の方へと伸びている。たぶん傷から出てきているその糸は、触ろうとしても触れない。その赤色は、コトワリさまの鋏によく似ていた。

 

 ――道しるべってことかな。

 

 知らない街でも、進む方向さえ分かればなんとかなるかも。すこしだけ元気の出てきたハルは立ち上がった。

 心の中でコトワリさまにお礼を言って、ユイを背負い直す。パチンと自分の顔を両手で叩くと、再びハルは歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで、絵本から出てきたような街だった。あるいは、ハル達が絵本の中に迷いこんでしまったと言うべきかもしれない。

 建物も、ハルの町の物とはまるで違う形をしている。自販機や電信柱はひとつも無いし、自動車の代わりに馬車が道に停まっていた。夢見がちな少女が憧れるような、もっと幼かった時にはハルも憧れていたような優雅な街並み。でも。

 

 ――ぜんぶ、ボロボロ。

 

 月明りに照らされた街並みは、すべてが朽ち果てていた。

 街そのものが死んでしまったみたいに、しんと静まりかえっている。ボロボロになった馬車の傍に、馬だと思われる骨がたくさん転がっていた。

 建物の窓にはどれも洒落た形の鉄格子が付けられていて、たまに大きく歪んでいたり、壊れていたりした。まるで怪物が壊して中に入ったか、中から怪物が出てきたみたい……。そんな想像をしてしまって、ハルは身震いする。

 空気は冷たく湿っていて、薄着な上に汗で冷えた体には厳しい。背負ったユイの体温がありがたいけれど、このままじゃユイも風邪をひいてしまう。道しるべの赤い糸は街の奥まで続いていて、ハルも先を急ぎたかったのだけれど……。

 

「っ!」

 

 心臓がぎゅっと締めつけられるような感覚に、ハルは道端に山積みされた棺桶の陰に隠れる。息を潜めていると、やがてその影たちは現れた。

 背の高い、人型の黒い影。でも左手の部分だけはやけに影が長くて、右手にはそれぞれ違う物を持っている。斧や鉈、中には長い鉄砲のような物を持った影まで。ぞろぞろと現れた5人分もの影が、道を歩いていく。先頭の影が掲げた松明が、赤々とした炎を燃やしていた。所々にある焚火の跡のような物や、どこか焦げ臭い空気はアレのせいなのかもしれない。

 うるさい心臓を押さえるように胸に手を当てながら、ハルは影たちが通りすぎるのを待つ。松明が弾ける音が遠く過ぎ去り、そっと目だけを出して影たちが通りの角を曲がるのを確認してから、やっとハルは立ち上がった。

 あの影のお化けたちとは、これでもう何度目かの遭遇だった。アレらは必ず複数で現れ、何かを探すように街を巡回している。しかも、どう見たって好意的なお化けじゃない。見つかれば、捕まってしまえばどうなるかなんて、考えたくもなかった。

 周囲にお化けや松明の火が見えないことを何度も確認して、ハルはホッと息をつく。その直後に、積まれた棺桶がガタガタ揺れ出してハルは悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 赤い糸を辿るほどに周りの建物は大きく、多くなっていく。たぶん、街の中心の方に向かっているとハルは思った。今思えば、最初に目が覚めた通路は下水道か何かだったのかもしれない。顔をしかめて、靴についた泥を石畳になすりつけながら歩く。

 カラカラと斧を引きずる音を聞いて、ハルは素早く物陰に隠れ、懐中電灯のスイッチを切る。そのまま、影たちが通り過ぎるまでじっと息を潜めた。

 あのお化け達のやり過ごし方もだいぶ慣れてきた。でもそれは、お化けとの遭遇が多くなってきたということでもある。街の中心に向かうほどにお化けは多くなる。まるで、生きた人間と同じように。

 

 ――じゃあ、あのお化けは……。

 

 もし、アレらがこの街の住人の成れの果てだとすれば、いったいこの街で何が起こったんだろう。そして、それと同じことがハルの町で起こったら、どうなるんだろう。

 お父さんや近所のおじさん達が、武器を手に夜の町を歩き回る。そんなことになるのはきっと、すごく怖くて悲しいことだった。

 

 

 

 

 ドンドンドン……ドンドンドン……ドンドンドン……

 

 ノックというには重い音がずっと響いている。いつまでたっても鳴りやまない音に、仕方なくハルはベンチの下から這い出した。ユイの頭がぶつからないように、そっと。

 角を曲がった先には、また影のお化けがいた。もう何度も見た人型の黒い影が、大きな扉をひたすら叩いている。扉を壊そうとしているのか、誰かに開けてほしいのかは分からなかった。

 問題は、その影の大きさだった。

 縦にも横にも、ハルの倍以上はある大きな影。実際に見たことはないけれど、シロクマなんかと同じぐらい大きいように見えた。きっと力もすごく強い。あんなに大きな扉もぐらぐら揺れているのだから。

 幸い、あのお化けは扉を叩くのに夢中で周囲を見回している様子もない。大きなノックの音がハルの足音もかき消してくれる。そっと通り抜ければ大丈夫。そう、ハルが油断した時だった。

 一歩踏み出したハルの足が、道に転がっていた容器を蹴飛ばした。

 ブリキのような金属でできた軽い容器は、甲高い音を立てながら遠くまで転がっていく。ハルは頭が真っ白になって、顔は真っ青になって、そしてノックの音が止んだ。

 大きな、大きな人影がゆっくりと振り向く。それを見ることなく、ハルは元のベンチまで全力で走っていた。頭から滑り込むようにしてベンチの下に潜り込む。ゴン、とユイの頭がベンチに当たったような音がして、ハルは心の中で何度も謝った。

 影のお化けは足音がしない。しないのに、ドスドスと聞こえてきそうな動きと大きさだった。お化けはきょろきょろと辺りを見回している。体の大きさには似合わない、どこか子どもみたいな動きだった。あの大きさなら視点も高い。ベンチの下にいるハル達の姿は見えないはず。また、そうハルが油断した時だった。

 

“Aaa――!”

 

 お化けが大声をあげて、ベンチを投げ飛ばす。大人が3人は座れそうなベンチが、3階はありそうな建物の屋根の上まで飛んで行ってしまった。悪い冗談としか思えない光景に、ハルは顔を引きつらせた。

 お化けは次のベンチに手をかける。ハルが隠れているベンチの、ふたつ隣だ。

 冗談じゃない。

 真っ白になった頭を必死に働かせる。ユイはまだ起きない。コトワリさまも何もしてくれない。ハルがどうにかするしかない。でもどうやって!?

 ベンチの下に隠れたまま、あちこちを見回す。

 すこし遠くに、ブリキの缶が見えた。

 すぐ近くに、石ころが落ちていた。

 隣のベンチが、飛んで行った。

 もう時間が、無かった。

 石ころを、掴む。

 

 ――当たって! お願い!

 

 ハルは運動が苦手だ。球技なんてもっと苦手だ。体育の授業で球技がある日は、朝から憂鬱になるほど苦手だ。

 だから、投げた石ころがブリキの缶に命中する自信なんて、ハルには無かった。でも投げるしかない。ほとんど自棄になって、目をつぶったままハルは石ころを投げようとした。

 

 石を握った左手の傷から、血が噴き出した。

 

 悲鳴はなんとか堪えた。堪えて、血塗れになった石ころを投げた。ブリキの缶には、当たらなかった。

 絶望するハルの目の前を、大きな足の影が通り過ぎていく。影は、ハルの血に塗れた石ころを愛でるように撫でていた。まるっきり、子どもみたいな様子で。

 呆然としていると傷の痛みに叩き起こされ、ハルはベンチの下から這い出ると、そっと走り去った。

 

 

 

 

 広場の真ん中に、大きな十字架のような物が立てられていた。それを囲むように、影のお化けたちが集まっている。その数は、30を軽く超えるほど。

 絶望するには充分な数だった。さっきまでのハルであれば。

 コロリと転がってきた石ころに、影たちが群がっていく。真っ赤な血を塗られたそれを取り合い、中には武器で同士討ちを始める影までいた。それを横目に、ハルは広場の端を静かに走り去る。

 

 ――血が好きなのかな。

 

 まるで吸血鬼みたい。掌の傷から流れる血を石ころに塗りながら、ハルは思った。そう考えると、この古びた優雅な街並みも、いかにもそれっぽい。吸血鬼の街だなんて、ハルには御免だったけれど。

 広場に血の石ころを投げ入れながら、ハルは進んでいく。半分ほど過ぎたあたりで、中央の十字架が近くに見えた。

 そこには、大きな骨格が括りつけられていた。下水道で見た巨大豚の骨とは違う、全体的に細長い、どこかヒトにも似た骨格。周りには、松明を持っている影がたくさんいる。

 火あぶり。

 歴史の教科書で見た、昔の怖い出来事を思い出してハルは青ざめる。もしかしたら、あの影たちは火あぶりにする獲物を探しているのかもしれない。

 ここに来て、抑え込んでいたハルの恐怖がぶり返してきた。

 見つかっちゃいけない。見つかったら、つかまって、火あぶりにされてしまう!

 血を塗りたくった石ころを、何個も広場に投げ入れる。棺桶の陰を、ほとんど這うようにして進んでいく。慎重に、臆病に、ゆっくりとハルは進んでいった。

 ハルに油断は無かった。でも、それが(あだ)となってしまった。

 投げられた石ころ、その一つが十字架に括りつけられた骨に当たった。その血が、骨にかかってしまった。

 じゅう、と。骨に血が染み込む音は、ハルに届かなかった。

 

 

 

 

“Beast!”

 

 背後から聞こえた声に、馬車の陰から出ようとしていたハルは再び頭をひっこめた。そのまま待っていても、声は止まない。それどころか、どんどん多くなってきた。

 

“Cursed beast!”

“Beast! You foul beast!”

“Away! Away!”

 

 見つかってしまったのかと思えば、影たちは慌ただしい様子で馬車の傍を通り過ぎていく。朧気な姿には似合わない、はっきりとした言葉を発しながら。ハルも恐る恐る顔を出し、そしてそれを見た。

 

 

 ギシギシと音を立てながら、十字架が揺れている。影たちが揺らしているのではない。揺らしているのは、括りつけられた骨だった。

 どこかヒトに似たその骨が、束縛から逃れようともがいている。動くはずもないモノが、動いている。

 そして、元から朽ちていた十字架が折れ、それを背負ったままで骨が地面に降り立った。その異様に長い四本の足で、しっかりと。獣のように。

 骨の獣が、吠える。

 

 

“GeeOoAaaaaaaaa――――!”

 

 

 聞いたこともない鳴き声だった。犬の遠吠えをすごく高くして、カラスの鳴き声を混ぜて、そこに人の悲鳴も足したような、悍ましい鳴き声。

 骨の獣に、影たちが群がっていく。もう一度、獣を火あぶりにしようとする。その時ばかりは、影たちが頼もしく見えてしまった。それほど、あの獣は怖かった。

 

“Gyoaaaaa――!”

 

 咆哮と共に、獣がその前足をなぎ払った。ただそれだけで、影たちはあっさりと掻き消えてしまう。その手に持っていた武器だけを残して。

 影を消す度に、獣の頭のあたりに黒い影が纏わりつき始めた。まるで、人影を食べてその影を血肉にしたみたいに。

 ほんの一分も経たない内に、獣は影たちを平らげてしまった。獣の頭には、影がベールのように揺れている。

 獣は、血の付いた石ころの匂いを嗅ぐような動きをしてから、首を巡らせた。

 ぐるりと、ハルの方へと。

 

 

 ――――【血に渇いた骨獣】

 

 

「やだ、やだよぉ……」

 

 来ないでよ。やだよ。

 尻もちをついたまま、ずりずり後ずさるハルに対し、骨獣はゆっくりと歩み寄ってくる。コツコツと骨が石畳を叩く音がする。

 足音がする。お化けじゃない。骨が動いてる。なんで? わからないよ。なんにもわからない。

 気付けば、すぐ目の前に骨獣の頭があった。影のベールに半分隠されたような頭が、ハルの顔を舐めるように撫でる。

 ハルはもう、恐怖を感じてはいなかった。心がもう、現実を拒否していた。そのまま意識を手放そうとした時。

 

「――――ぅ……ん」

 

 背中のユイが、呻いた。

 白目を剥こうとしていたハルの目が骨獣を捉える。振り下ろされようとする前足を見て横に飛んだ。一拍遅れて、骨が馬車を叩く音が響いた。

 立ち上がって、バチンッ! とまた自分の顔を両手で叩く。叩いて、骨獣を睨みつけてやった。

 

「……ぜったいに、ここから出てやる」

 

 まったくハルらしくない、強い言葉だった。それは自分に向けた決意で、骨獣に向けた宣戦布告だった。

 今のハルは一人じゃない。ハルが諦めてしまえば、ユイも死んでしまう。

 そんなのはイヤだった。ぜったいに、ユイと一緒に、家に帰りたかった。

 そのために。

 

「ぜったいに、ここから出てやる!」

 

 ハルは走り出す。もう、掌の傷は痛まなかった。

 

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