終わりのリリィ 柊真昼、十六歳の転生(リインカーネーション) 作:志祈月織
柊真昼が恋をしたのは、五歳の時だった。
ほんの偶然出会ったあの子に、すぐに真昼は恋に落ちた。
真昼にできることが自分にできないと拗ねる顔が好きだった。
頭をなでると、恥ずかしそうに背けた横顔が好きだった。
時々だけど、向けてくれる笑顔が好きだった。
その子に会える機会は少なく、周りの大人たちの目を盗んで話すことも難しいほどだったけど、そのわずかな間に、真昼の恋心は大きくなっていった。
ずっと、一緒にいたい。
いつまでも、そばにいたい。
それだけじゃなくて、手をつないだり、好きと言いあったり、デートに行ったり。
それにいつかは、キスしたい、なんて、五歳にしてはませたことを考えていた。
ただ、楽しかった。
ただ、幸せだった。
大嫌いな神様に、あの子に合わせてくれたことだけは感謝した。
絶対に信じないと決めた運命を、あの子と恋に落ちたことだけは、どんなことをしても受け入れたい運命だと思った。
そして、真昼は走る。まだ小さい、子供の真昼は、丁寧に整えた髪が乱れたり、新品の服に汗が染みるのも構わずに、走る。
今日は、あの子と会う約束をしたのだ。一か月以上ぶりに、あの子と会うことができるのだ。
真昼は、満面のが身を浮かべて走る。そして、約束の場所についた。
そこは、小さな河原だ。そして、真昼と同じくらいの背丈の子供がたっている。
その子の後ろ姿を見て、真昼はその子を呼ぶ。
「──」
大好きなあの子の名前を呼ぶだけで、胸の奥がじーんと熱くなる。自分が、世界で一番幸せな女の子だと、嬉しさがこみ上げる。
だけど、心の片隅で思う。
今、自分はあの子のことを、なんて呼んだだろう。
大好きなあの子の名前は、なんだっただろう。
そんな、ありえない考えが、頭の片隅をよぎる。
だって、大好きなのだ。世界で一番、好きなのだ。親や、兄弟や、自分を慕ってくるクラスメイトよりも、ずっとずっと大好きなのだ。
そんな相手の名前が、わからないはずがない。
だから、こんなことは杞憂に過ぎない。
真昼の視線の先に立つその子が、ゆっくりと振り返る。
大好きな、あの子の顔が、真昼に向く。
「真昼」
そう、真昼の名前を呼ぶその子の顔は──
「……」
──霞がかかったように白くて、見えなかった。
「……それで」
小さく、だけど凍えるように冷たい声で、真昼が言う。
「これは、なんの茶番なのかしら」
すると、周囲の風景が溶けるように消えていく。
それは、五歳の真昼だったり、河原だったり、顔の見えないあの子だったり。
ただ、どこまでも白い空間が現れる。
「あれ、気に入らなかったかい?」
その声に、真昼は振り返る。
そこにいたのは、鬼だ。額から大きな角を二本生やした、少年の姿をした鬼が、裂けるほど大きな笑みを浮かべている。
「ノ夜……」
真昼は、その鬼の名前を呼ぶ。
「なんだい、その顔は? 僕の顔に何かついているのかな?」
「なんで、お前がここにいる? お前は──」
その声にかぶせるように、ノ夜が言う。
「真昼の中に封印されている、か?」
「ええ、そうよ。お前は、私の中に封じていた。なのに、なんでお前が私の中に、鬼としているの」
「はは、そう睨むなよ。美人が台無しだ」
「黙りなさい」
すると、何もなかった空間に、日本刀が現れた。その日本刀は振れてもいないのに宙に浮くと、すごい速度で飛び出し、ノ夜の体を貫いた。
すると、ノ夜の力が、少しだけ弱くなる。真昼の心を犯す、鬼の浸食が収まるのを感じる。
「まったく、酷いな。まあ、いいけどさ。実は、僕だって状況が飲み込めていないんだ」
「嘘を言わないで」
「本当だよ。例えばほら、真昼は好きな相手の名前を言えるかい?」
「バカにしないで。そんなもの──」
そんなもの、決まっている。
だって、五歳の時から、ずっと大好きなのだ。好きすぎて、その人の名前を呼ぶだけで、幸せな気持ちがあふれるのだ。鬼の誘惑に抗えないほどの欲望が、心の中にあふれるのだ。
だから、真昼はその名前を口に出した。
「──一瀬グレン」
口に出して、ただそれだけだ。
真昼の心は、何も動かない。欲望が、微塵も湧きあがらないのだ。
「なに……これ……?」
「ほら、わかっただろう。どうも、僕と真昼は、グレンから切り離されているみたいなんだ。そのせいかわからないけど、真昼の心に変化が起きたみたいだ」
そんな、ノ夜の声が聞こえないほど、真昼は冷静ではいられなかった。常に、冷静でいられるよう厳しい訓練を積んできたはずの真昼が、動揺を抑えることができなかった。
真昼は、懸命にグレンとの思い出を心に浮かべる。出会った時のこと、高校で再開するまで、地獄なような時間の中でも、グレンのことを想っていたこと。鬼になっても、世界を滅ぼしても、グレンの黒鬼となった後も、ずっとずっと好きだったのだ。
だけど、それは覚えているというだけで、真昼の大切な思い出とは思えない。その記憶は、まるで物語を読んでいるような感覚でしかなく、自分の経験として、実感できないのだ。
「なんで、どうして!! 私は、あの子を好きになった。五歳のあの時、恋をした。この気持ちは、間違いないのに」
「じゃあ、それはグレンじゃない、誰かなんじゃないのか?」
いつの間にか、ノ夜が真昼の正面に立っていた。反射的に、右手に刀を生み出しノ夜に振るが、あっさりと刃を掴まれる。
真昼の精神が乱れたせいで、再びノ夜の力が強くなったのだ。
「はは、いいね。お望みなら、もう一度幻覚を見せてあげようか。今度はちゃんと、グレンの姿で映してやるよ」
「ふざけないで!」
真昼は刀にさらに力を込めて、振るう。強い気持ちで、ノ夜を拒絶する。
「さすがに、そこまで甘くはないか。でも、真昼。僕は君の中にいる。欲望に身を任せたくなったら、いつでも言ってくれ」
そういうと、ノ夜の姿が消えた。
白い空間に、真昼だけが残される。
真昼は一人、虚空に呟く。
「……これは、どういうことなの? 今度は、誰が私のことを操ろうとしているの?」
真昼は、今まで自分のことを操ってきた存在を思い返す。
それは家だったり、組織だったり、人間以外の化け物だったり──。
「あるいは、神か運命か」
そのどれもが、真昼一人では太刀打ちできなくて、けど、決して屈することなく、抗い続けた相手だ。
「ええ、誰だって関係ない。私は、どんな相手でも、戦うことをあきらめない。だから、待っていて」
そう、誰ともわからない相手に告げる。
そして、
「……おはよう、でいいのかな?」
真昼は、ベッドの中で目を覚ました。
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