四季島皇国戦記   作:阿鬼羅

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第8話

1937年7月29日通州

史実のこの日は通州事件の発生日であったそしてこの世界でも同じく起きようとしていたこの日中津は自分の配下にいる陸軍少将でクローン将校の坂本少将とクローン陸兵100名とドイツから入手した高性能無線機と全員分の89式小銃と96式機関短銃それに15挺の95式機関銃に購入した民家にチハ改を更に改修したチハ改二を二両持ち込ませて配置していたこのチハは主武装に52口径57㎜砲副武装に95式機関銃を連装で装備、装甲も前面55㎜にその他も部位もチハ改より更に5㎜厚くされていた

これを見た坂本少将は次期主力として採用してほしいと中津に伝えたが1台辺りチハ改6台分と聞いて流石にやめた

史実チハ車

前面25 mm

側面25 mm~20 mm

後面20 mm、上面10 mm

底面8 mm、防盾50 mm

中津式チハ車改二

前面55 mm

側面45 mm~40 mm

後面40 mm、上面30 mm

底面15mm、防盾70 mm

 

もはや面影がない車両になっていた、当時の冀東防共自治政府保安隊の装備では何をどうやっても倒すことが出来ない化け物となっていた、

そんな事を知らない冀東防共自治政府保安隊約6000名は襲撃から1時間30分で統制を失い逃げ出し始めていたまぁ戦車を前にして指揮官即死して士気統制がとれるかと言われれば、無理だよな、結果四季島側死者0名重傷者7名軽傷者(捻挫、打撲、小さな傷など)71名冀東保安隊死者473名重軽傷者1547名行方不明(敵前逃亡者)3000名ほど帰還者1000名ほど完璧なワンサイドゲームの誕生である

余談であるがこの四季島側負傷者のなかにはリバティリア人の記者が居りこの記者はこの襲撃を生き延び怪我の治療も完全に終えぬまま上海の共同租界の某リバティリア新聞社にこの凶行とそれを防いだ四季島皇国軍の勇姿を写した写真(検閲済み)を持ち込み3日後の8月1の新聞の1面を飾ったその題と内容は

 

【暴挙冀東保安隊民間人襲撃】

7月29日の日の出ていない真夜中に激しいノックで目を覚ました、ドアを開けると四季島皇国軍の軍人がいて英語ですぐに避難するように伝えてきた、混乱している私に兵士は死にたくないなら急いで支度して1階の玄関ホールに集まってくださいと言うと隣の部屋をノックして隣の部屋の客にも同じ事を言っていた、

 

から始まる

当時の緊迫的状況と冀東保安隊を恐ろしさと中華軍閥の恐ろしさと四季島皇国の懸命な防衛戦と士気の高さを新聞の1面全てを使って書いた記事であった

この記事は世界各国にて大量に売れた、特に大陸の各租界ではこの記事を見て、護身用の銃が大量に売れた、中津は自分の身は自分で守ろうと、護身用の銃の購入を煽り、軍に採用された94式拳銃(グロック17)の民間モデル中津37式(グロック26)海外ではナカツタイプ37もしくはNタイプ37またはナカツの37と言われる物が大量に売れた、中津はこれを受け上海向けの銃器運搬専用の輸送隊を編成して運び始めると上海以外の租界(香港など)からも発注があった。

 

またこの後四季島皇国は在中臣民の安全を考え上海共同租界と天津租界に避難するように伝えると同時にその他の租界を競売に賭け他国に売却することを発表した、それと同時に上海天津両租界に避難する皇国臣民の避難に手を貸すように要請した、列強各国はこの知らせを受けるとその競売への参加と避難協力を約束し、四季島皇国民は全員が各国の軍人に守られながら大半が上海に1部が天津にある四季島皇国の租界に避難した

 

 

11月7日皇都東京中津商会本社執務室

 

中津「作戦は順調だな、リバティリアと中華民国が同盟を締結か、これで全てのピースがはまった、そして」

 

コンコン

 

中津「入れ」

 

?1 「総帥、リバティリアでトロツキストが自由と富の平等を訴えボストンなどで武装蜂起、1部の学生や労働者がそれに参加しています」

 

中津「本当かね山原君」

 

山原「はい、間違いありません」

 

中津「リバティリア軍の動きはどうか」

 

山原「リバティリア軍は蜂起軍を包囲していますが蜂起軍がリバティリア陸軍に対して発砲、死者負傷者が出ています」

 

中津「リバティリア政府内のシンパを動かせ、赤を狩らせろ」

 

山原「はい」

 

パタン

 

中津「これでリバティリアの対ソレンドリースは不可能

、あったとしても量は少なくなる、それにこれで幾分かの工場は破壊され生産力は幾らかは落ちるだろう、これで対ソ戦は枢軸側の勝利で終るだろう、参加しなければならんな、ウラル以東は貰いたいものだ、対ソが終われば対ブリテン、対リバティリア、イタロス海軍も空母をどうやら追加で建造しているようだ、これなら勝てる」

 

同日リバティリア合衆国ボストン

 

タンタン

 

リバティリア陸兵「1名負傷、衛生兵早く」

 

リバティリア陸大尉「撃ちまくれ、共産主義のクソッタレを撃ち殺せ」

 

ダダダダダダダ

 

リバティリア陸大尉「見たか共産主義者を一掃したぞ」

 

リバティリア陸下士「大尉、隣のブロックから救援要請です、火炎瓶を高所から投げ込まれて指揮官が後送されたようです」

 

リバティリア陸大尉「クソッタレが、中尉、分隊を率いて救援に迎え、航空隊のやつらは何をやってやがる」

 

リバティリア陸中尉「了解、分隊着いてこい」

 

リバティリア陸兵「伝令、戦車隊がこちらに援軍に来るようです」

 

リバティリア陸大尉「よし、野郎共踏ん張るぞ」

 

反乱は半年続き最終的には死者約70000名負傷者約400000名、その後の赤狩りで更に1000000名が逮捕拘束された、その後合衆国では共産主義の禁止、それに関する書籍の販売所持の禁止する法案が合衆国上院下院を通過1938年6月8日に共産主義禁止法が施行された、これに対してソビエト連邦は声明をだしこの度の反乱はリバティリア合衆国政府の言いがかりであり共産主義は関係無いと発表した

 

1938年6月15日リバティリア合衆国ボストン

 

リバティリア陸少佐「よし、その瓦礫はD-2地区に運べ、急げよ」

 

ここボストンは反乱の発生地でもあったため市内の27%が瓦礫の山となっていた特に港に続く道は爆薬を箱にいれて作られた簡易地雷が大量に置かれ多数の死者を出していたまた、港と近海は反乱軍に乗っ取られた艦船が自沈しており更に機雷も敷設され航行も不可能となっていた、復旧工事は1942年まで掛かるとされていた、

他にもデトロイトはゲリラ化した共産主義者の破壊工作が39年中頃まで続出した全てが工場の小規模な火災であったが失われた工場67棟、死者72名を出していた他の都市でも特に中小都市は取り締まり人員も少なく大都市から逃げてきた共産主義者と現地共産主義者の抗争すら起きる有り様となっており時には警察だけでなく軍の投入すら検討される有り様であった、これに対して合衆国政府は州軍の増強と州警察に強行突撃部隊の設置を決定された、陸軍から人員を派遣し重装警察による強行検挙と治安維持を目指していた、また、自衛武器が大量に売れていた、中津は出来るだけこの運動を煽ったが銃器の販売は利にならない(距離的な意味で)として参加はしなかった、

 

他国ではこの一件以来共産主義は危険思想であると言う意見が広がり始めていた特にソビエト連邦と国境を接する国は軍備強化を宣言していた、また満州国軍では89式中戦車改(装甲を6㎜厚くした物)やハ号や37㎜対戦車砲などの陸戦兵器や95式戦闘機の導入を進めていた、珍しい四季島兵器導入国はフィラルド共和国であった、1934年末に中津商会がスノーモービルを手に出店、その後中津37式拳銃や中津式34式輸送機を購入小銃も中津の仲介で安価で大量の38式と89式軽機関銃(史実96式軽機関銃)を戦車も89式中戦車改20両購入戦闘機も95式戦闘機50機を購入海軍も砲艦2隻と水雷艇4隻と800トン級の小型潜水艦6隻を購入するなどきやがれソビエトの赤熊野郎と防備を整えていた。




対ソレンドリースは事実上不可能になりました、相対的にブリテンが強くなるのかな?

さてそろそろノモンハンに入れるかなぁ
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