1938年9月hoi民からするといつも用にミュンヘン会談が発生、いつも通りズデーテンランドはドイツ第3帝国に編入された、どうやら会談にはチェコス・スロヴァキアの代表は呼ばれなかったようです、会談はドイツ第3帝国からアドルフ・ヒトラー、イタロス王国からベニート・ムッソリーニ・ガレア共和国からエドゥアール・ダラディエ、大ブリテン帝国からネヴィル・チェンバレン、の4名でズデーテンランドのドイツ領編入は決まったのだが、チェコス政府は反対したが意味がなかった
これによりだいぶ見たことのある地図になり始めていた
1938年11月29日四季島皇国横須賀軍港
中津「ついに完成しましたか新型の重巡洋艦が伊吹型4隻同時竣工とはめでたいものですね」
伊吹型重巡洋艦詳元
排水量12000トン
全長202メートル
全幅21メートル
喫水6.1メートル
主缶:ロ号艦本式缶8基
主機:艦本式タービン4基4軸172,000馬力
速力:35ノット
航続力:6300カイリ / 14ノット
燃料:重油 2180トン(満載)
兵装
50口径二号20.3cm連装砲5基
40口径12.7cm連装高角砲4基
ボ式40㎜4連装機関砲5基20門
25mm3連装機銃10基30挺
61cm四連装魚雷発射管4基
1番艦伊吹2番艦畝傍3番艦高千穂4番艦海門
中津「後8隻ですかね四季島皇国海軍には、それと輸出用のアレらは来月ですかね」
中津の言うアレとは装甲と航続距離を重視したドイツ、イタロス宛重巡であった
諸元
基準11000トン
全長 198メートル
全幅 17.558メートル
吃水 5.71メートル
主缶 ロ号艦本式専焼缶12基
主機 艦本式タービン4基4軸172,000馬力
最大速力 36kt
航続距離 7500カイリ/20ノット
燃料 重油2370トン
ドイツ向け
兵装
SKC/34 20.3cm(60口径)砲連装3基6門
SKC/33 10.5cm(65口径)高角砲連装6基12門
37mm(83口径)機関砲連装8基16門
20mm(65口径)機関砲単装8基8門
533mm水上魚雷発射管3連装4基12門
イタロス向け
兵装
アンサルド Models 1929 20.3cm(53口径)連装砲3基6門
OTO Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲6基12門
ブレダ M32 37mm(54口径)連装機関砲8基16門
ブレダ M313.2mm(75.7口径)連装機銃4基8門
53.3cm水上固定式3連装魚雷発射管4基12門
両国に4隻ずつ回された同艦艇群はドイツではアドミラル・ヒッパー型より使い勝手がいい、修理がしやすい、機銃を増設する余裕があるなど評価が高く追加発注の話が出るほどであった。一方のイタロスでは対水雷防御が素晴らしいなどの話が出ていた
1938年12月21日霧の島秘匿ドック
中津「完成しましたね、まさか機関関連であそこまで手こずるとは、とは言えど6隻とも無事に欧州に送れますね」
空母諸元
基準23000トン
219.32m
水線長
215.32m
垂線間長
206.00m
水線幅
26.70m
深さ
21.79m(飛行甲板まで)
飛行甲板
210.30m x 27.30m
エレベーター2基
吃水
公試平均 8.15m
ボイラー
ロ号艦本式専焼缶8基
主機
艦本式タービン4基
推進2軸
出力152,000馬力
速力25.68ノット
燃料
重油 4,100トン
航続距離7,500カイリ/20ノット
乗員 1,187名
艦載機52機
ドイツ向け武装
SKC/33 10.5cm(65口径)高角砲連装6基12門
37mm(83口径)機関砲連装8基16門
20mm(65口径)機関砲単装8基8門
イタロス向け武装
OTO Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲6基12門
ブレダ M32 37mm(54口径)連装機関砲8基16門
ブレダ M313.2mm(75.7口径)連装機銃4基8門
この空母を基幹として編成された機動部隊は大戦を通して大西洋、地中海を暴れまわり膨大な数の連合軍艦船と兵員を強制的に海の底に転属させていた、艦載機は当初は四季島製の96式艦戦や97式艦攻、ドイツ製のスツーカ急降下爆撃機の艦載機版が使われていた
1938年12月26日皇都東京中津商会ビル執務室
中津「ついに新型戦車が完成ですか、見た感じは3式チヌ車ですね、装甲は厚くなっているようですが」
中津の言う新型とは98式中戦車チヘの事であった、性能はチヌ車の装甲を厚くしたのもであった
諸元
全長
5.9 m
全幅
2.8 m
全高
2.81 m
重量
26トン
速度
38.8 km/h
行動距離
300km
主砲
98式7糎半戦車砲(口径75mm・45口径)×1
(弾薬搭載量 70発)
副武装
95式車載重機関銃
装甲
(砲塔)
前面65mm
側面前部55mm
側面後部35mm
後面30mm 上面20mm
(車体)
前面60mm 側面45mm
後面35mm 上面20mm
下面10mm
エンジン
中津38式
空冷4ストローク星型12気筒
ディーゼルエンジン
380hp
乗員
5名
チヌ車の装甲を厚くして砲を45口径に変更したものであった、中津考えていた対M4シャーマンに対抗するには充分な性能であり、T34-76とも殴り会える車両であったがT34-85相手には厳しい車両であるとして42年から43年中にドイツからライセンスを得た88㎜高射砲を戦車砲に転用した仮称99式戦車砲を搭載し、前面装甲100㎜の戦車を完成させる予定であった、中津はこれを量産することでソ連、リバティリア合衆国の戦車を全てスクラップにしようとしていた、これの他にもしものために105㎜砲を積んだ戦車、通称5式の研究を密かにさせていた、中津としてはこれは戦後に生産できればよいとしていた、それと同時にクローンの増産を予定していたのであった、新に人智の神の加護を得た中津は新型の培養機の製造法を入手、これは既存型が5年かかるところを2年ですむと言う画期的なものであった、中津はこれを使い40年中に500000ユニットの航空パイロットと1500000ユニットの各種整備員の増強を決定していたそれと同時に新型戦闘機仮称零戦の開発を三菱中島と協力して行っていた、新型発動機晴風1350馬力がどうにか完成これを積むことで三社合意していたが、武装では中島の13.2㎜6挺搭載案と三菱の20㎜2挺と13.2㎜4挺搭載案で揉めていた中津としては三菱案を採用したいが中島案も捨てがたかった
中津「さてどうしたものか、三菱案は史実の52型丙に近いのか、それに対して中島はどちらかと言えば史実のF6Fに近いのかね、、防弾板は双方ともに13.2㎜弾に対応できるものを装備か、機体は此方でほぼ設計してるから見た目は同じ、速度は中島の方が5キロほど速いか、とは言えF6Fが出てきた場合13.2㎜で対処できるものかね、とは言え三菱をあまり重用するのもな、いや待てよ、艦載機は三菱にさせて中島には迎撃機を作らせればいいのか、迎撃機なら中島の方が秀でてるようだからね、それに陸軍使用機は中島にやってもらうかね、これでも頷かないなら最悪、爆撃機の方も頼もうかね、発動機はうちの豊風1700馬力を使ってもらうが」
服部「総帥、非常事態です」
中津「どうした」
服部「メヒコでトロツキーが暗殺されました」
中津「なんと」
服部「史実より2年ほど早いですが暗殺されました」
中津「ソ連が殺ったと思うかね」
服部「なんとも言えませんが、ソ連だと思います、ですが、リバティリアの反共産主義勢力の仕業かもしれません」
中津「可能性はあるな、まあよい、そう言えば陸軍の師団再編は終わってるのかね」
服部「はい、各師団定数は20000名になっております」
歩兵師団はそれまでものより人数を減らしその代わりに戦車や砲戦車を編成にいれ質の向上に努めていた
編成
歩兵4個連隊14000名
野戦重砲1個連隊3000名
多連装自走噴進砲(カチューシャ擬き)1個連隊1500名
戦車1個大隊24両
砲戦車1個大隊24両
及び付属整備隊合わせて500名
本部大隊1000名
合わせて20000名
上記の師団が既に60個編成されていた
中津「知っての通りもうすぐノモンハンだノモンハンではよもや負けるとは思ってはおらん、服部」
服部「なんでしょう」
中津「明日島原中将を呼んでくれ、彼に部隊を任せてノモンハンに送り込む」
服部「了解しました」
中津「さて勝てることを祈ろう、まあ勝てるだろうが」
12月27日皇都東京中津商会ビル執務室
中津「よく来てくれた島原中将」
島原「ご用と聞いて参上しました総帥」
中津「うむ、知っての通りもうすぐノモンハンだ、君にはある隊を指揮してもらいたい」
島原「ある隊、ですか」
中津「そうだ、新設した特殊部隊だ、戦車や機械化歩兵で編成した師団規模の隊だ通称は島原支隊となる」
島原「総帥、確かに私は装甲部隊を指揮するクローン将校として製造されましたが、いきなり師団規模とは」
中津「編成はこうなっておる」
編成は
戦車連隊6個
砲戦車連隊2個
自走砲連隊2個
自走多連装噴進砲連隊2個
機械化歩兵連隊2個
補給隊1個
本部大隊1個
戦車連隊
戦車288両
砲戦車連隊
砲戦車96両
自走砲連隊
自走砲96両
自走多連装噴進砲連隊
自走多連装噴進砲300両
機械化歩兵連隊
装甲車100両
装甲兵員車360両
本部大隊
装甲指揮車8両
装甲兵員車80両
戦車24両
輸送隊
トラック150両
車両合計1502両
兵員11000名
中津「戦車は新型のチヘ車だ砲戦車は新型の88㎜砲を試験装備したホロ車だ自走砲は15榴を積ませている」
島原「なかなか凶悪な部隊ですね、ノモンハンでソ連兵を殲滅しろと言うのですね」
中津「そう言うことだ、ノモンハンをソ連兵の集団墓地にしてくれ」
島原「了解しました、ソ連兵の墓場建設慎んでお受けいたします」
年明け1939年1月7日島原支隊11000名は満州方面に向け出撃した、満州国軍は歩兵12個師団騎兵2個旅団戦車2個連隊で編成されていた
関東軍は歩兵6個師団野戦重砲2個旅団戦車2個旅団と幾つかの警備隊で編成されていた、ノモンハンには警備隊1個と第19師団が展開していた
島原支隊は途中1月19日に釜山に上陸、そこで燃料弾薬食料を補給した後に島原は満州国新京にて行われた会議に出席、ノモンハン戦役においての独自行動権を得た
島原「さて、総帥からの指令は厄介だね、ソ連極東方面軍の撃滅とは、総帥は出来ればと言ったが出来れば行いたいね、クローン将校内の序列をあげるためにも出世のためにもな」
1934年4月四季島皇国軍は陸海軍航路防衛総隊海上保安庁の全軍の統一指揮が可能な部署として統合作戦室を設置
1939年5月四季島皇国軍統合作戦室はソ連軍のノモンハン侵攻に対して航空隊によるソ連極東方面軍攻撃を決定、ノモンハン会戦が近づく
次こそノモンハンです