本を手に甲板に出たのは、図書室にナミの姿が無かったから。蜜柑畑に居ると思ってたのだけれど……だとしたらどこかしら?
多忙を極める彼女の居場所は、こうなると読めない。仕方ないわねと花壇と蜜柑畑の間に腰を下ろそうとした時、サンジがどこからとも無く現れてガーデンセットとパラソル、そして珈琲セットまで用意して行く。
「ふふ、ありがとう」
別に床に座っても問題ないのに。そう思いながらも、その気遣いは嬉しい。
この麦藁の1味に来る前は、こんな温かさを私は知らなかった。ルフィだけじゃない、ナミだけでもない。
この1味にいる人は、皆温かくて優しい。だから私は、いつも笑っていられるようになったの。
「喜んで頂けたのなら、それだけで」
「ここだと、見晴らしもいいし、ナミの蜜柑畑から良い香りがするから好きなのよね」
「分かりますよ。……ラベンダーが咲きましたね」
サンジの言葉に頷けば、目の前ではピンク色のラベンダーが風で揺れているのが確認出来た。ラベンダーは青という固定概念を、簡単に覆されてしまったわ。
「ええ、ピンク系もあるなんて知らなかったから実際咲いて驚いたわ」
そんな他愛ない事を話していたら、微かに聞こえて来たピアノの音。直後にそれは大きく聞こえ始めたから、誰かがアクアリウムに続く扉を開けたのだと分かる。
聞こえて来る綺麗なメロディと、悲しい歌詞。ううん、本当は悲しくない筈の歌詞なのに、ナミが歌うから……自分を認めようとしないナミが歌うから悲しく聞こえるだけの歌。
同じ歌を聞いて苦しそうに眉を寄せるサンジに、本当にナミの事が好きなのねと思えば切なくなる。この事に関してだけは、全員が幸せな結末には至れない。
どうしたってナミは1人しか居ないし、ナミは複数の人を選んで平等に愛するなんて博愛的な事はできないもの。……博愛主義に見えるけど、本当は大切なごく1部の為にしか動かない子だものね。
博愛主義に見せてしまうのは、ナミがお人好しで困ってる人を見捨てられないから。でもそれは、きっとこの1味の誰を見てもある程度そういう所があるわ。
歌声が止んで、曲の終盤……突然音が小さくなった。ドアを閉めたのだとそれだけで分かり、私はそっとアクアリウムに耳と手を生やす。
当然のようにナミを抱き締めるルフィが見えて、でもナミは何やら頓珍漢な事を言っていて……。このまま食べられそうねと思えば女部屋に置いてある『立入禁止』の札をアクアリウムの扉に掛けておく。
皆が二人に何が起きているのかを知っていても、気付いていても、事故でもそれを見られたりしたらナミはそれこそ部屋から出て来なくなりかねない。何時までも純心で……何処か幼い大切な妹を護りたいと願うのはきっと、当然の事だと思うから。
「それも、幼い姿を見せてくれるのが、身内だけだと言うなら……余計に守りたくなって当然よね」
「それは、間違いないですね」
声に出していたつもりの無かったそれに返った言葉に、私は少し驚いて……笑みを向ける。それにメロリンとせずに少し切なそうに蜜柑を見上げる事で応えたサンジに、彼も幸せになって欲しいと切に願う。
その日、ナミがフラフラした様子で姿を見せたのは、夕ご飯の頃で……後でルフィにはクラッチ位してもいいかしらと本気で思わされてしまった。それを宥めたのは、結局ナミの微笑みだったのだけれど。
その翌日、ナミはフランキーと何かを熱く語り合っていた。こういう時のナミは、頑固な職人以外の何者でもない。
フランキーもそれに乗せられるのか、口調がいつもより荒くなるし、声も大きくなる。なのにナミも負けないから、全く……と思いながらそれを見守っていた。
「ロビン、ロビンはこれ、どっちがいいと思う?」
「……見せてくれる?」
フランキーとナミが揉めた時は、どうしてもどちらも譲れない程に大切な存在だと分かってる私が呼ばれやすい。でも、ナミが私を呼ぶのは素直に、その知識を求めているから。
期待されているのだとわかる。私の読書好きである知識と、これまでの経験で得たそれを。
「……水袋を使うのは合理的だと思うけど、臭いが……。それにコストもかかるわ」
「だが、安全性を考慮する為の物だからな。ビニールだと熱にも衝撃にも弱過ぎるだろうが」
「普通のビニールならそうでも、少し加工したら違うでしょう。そうなれば後はフランキーの腕の見せ所じゃないかしら?」
クスクスと笑って言えば、フランキーは少し嫌そうな顔をしていたからどうやら水袋を使用する案を推していたらしいと気付いた。けど、私の言葉で照れながらもヤル気を見せてくれたのだから大丈夫だと思うわ。
それに今回は、ナミの言うビニールタイプがいいと思うのは確か。浮き輪は遊び用だけど、それをもう少し強化出来るならその方がいいと思うもの。
それからウソップも呼ばれて、デザインや衝撃により膨らむそのシステムの拡充の為に話し合いが持たれる。どうやら悪魔の実の能力者が多過ぎるこの1味で、皆が安全に過ごせるようにと考えてくれてるらしい。
「防災の日?」
「うん。今月はそういう日があるのよ。それでね……どうかなって思って」
本来は9月1日だから過ぎてるらしいけど、どうしてその日が防災の日なのかと聞いてもナミは笑って誤魔化すばかり。大地震があった名残なのよとは言われても、どこの島の話なのかナミは教えてくれなかった。
「確かに海に何時もいるんだし、そう言うのも必要だよな。ゾロとサンジがだいたい助けに飛び込むけど、奴等は大切な戦闘要員だから、助けに入られると他の所で押し負ける可能性も出てくるからよ」
ウソップの言葉で確かにと皆が頷いて、海に落ちても大丈夫なように作られるそれは、甲板に出る時に着用していたら確かに安全性は高まるかも知れないと思う。少なくとも悪魔の実の能力者達は、身に付けるべきかも知れないと思える位には、良い物に思えた。
その他にもナミの思い付きで色々と話は盛り上がるけど、実用性はちょっと無さそう。そんな話し合いの途中も、ルフィはナミにちょっかいを出していて、恥ずかしそうにしているナミが可愛くてつい微笑んでしまっていた。
勿論途中でサンジに蹴り飛ばされて、ゾロの元へ向かって相手にされず、ブルックにねだって演奏会を開始して貰って居たようだったけど。サンジに暇なら釣りしてろと叱られて、チョッパーと並んで船縁に座るのを眺めて……確かにこの道具は急務だわと思わされた。
その日の夜、フランキーに呼び出されて首を傾げながらも図書室へ向かうと、風呂場へと連行されてしまう。若い二人じゃあるまいし、何をするつもりなのかと睨めばフランキーは薄く笑った。
「明日に備えて、性能確認だ」
「あァ……それなら……」
「この時間にびっくりプールって訳にもな」
「ルフィやチョッパーが騒ぎそうだものね」
クスクスと笑う私にフランキーは水着をと言うから素直に従い、けれど胸のすぐ下に装着されてしまえば少し違和感はある。肩に付けると聞いていたのにと思ったけど、浴槽に投げ入れられてしまえば力なんてもう入らない。
「ちゃんと浮くな。衝撃に対しても良い働きをする。これなら大丈夫だろ」
「……まったく……乱暴ね」
「ゆっくり入ったんじゃ、機能しねェからな」
「結果がわかったなら、もう充分でしょ。縁まで引っ張ってちょう」
言葉は最後まで紡げない。フランキーが、当然のように脱ぎ出していたから。
この状態でフランキーが何をしたいのか、それが分からない程子供でもなく、悲鳴をあげる程乙女でも無い。そしてそれを拒む程その行為を嫌とも思わなくて、寧ろ……。
「フランキー……仕方ない人ね」
「そんな所も気に入ってんだろ」
「否定はしないわ」
その夜、私とフランキーがそれぞれの部屋に帰る事は無かった。ただ、詳細は省かせて貰うけれど。
その翌日、試行錯誤の上完成させた装着型の浮き輪は、皆の目の前で紹介されナミがその性能を説明してくれる。悪魔の実の能力者には肩に装着して貰えたら、普段は服の下に身に着けてるだけでも防災になると言う。
けど……単純に、ナミが心配性なだけよね。そう思ったら可笑しくなってしまう。
そんな時大きな音が聞こえて皆が海を覗けば、ぷかりと浮いてる浮き袋が二つ。即座に飛び込もうとするゾロを制して飛び込んだナミを見て、その顔を見て、皆が揃って笑い出す。
必死な顔で、血の気の引いたその顔で、折角の道具で死のうとする我らの船長を助けに向かう皆のお姫様。足の生えた人魚姫は、泳げもしない人間の〝未来の海賊王〟を助け出す。
未来の王だから今は王子だもの、これも童話として成り立つわねと笑う私に、ブルックはヨホホと笑って同意してくれる。どうやらこの童話は、幸福なエンディングを迎えられそうだと、皆で笑い合う。
その笑顔の中に昨日散々人を弄んだサイボーグが居たから、腕をそっと生やしてお礼をこっそりしていたら、それを見ていたらしいチョッパーが怯えてしまう。それでもやっぱり、ルフィとナミが戻って来たら、解決してしまうのよね。
その証拠に、ブルックは演奏して、ウソップは歌う。皆が楽しそうに集まって、ナミとルフィは中央で困惑の表情を浮かべるけど、その周りは笑顔と愛で満ちてる。