俺の手元にナミが来て、何年が過ぎただろうか。時に必要で島を出る時は、良いお守りと言えるだろうと思っているし、部下達もそう認識していると知っている。
それ以外は可能な限り奥に隠している事を、隠されている当人は弱いからだと思っているらしい。……ただ、弱いだけの役にも立たない存在を、俺が手元に置いておくと思う方がおかしいだろうにな。
幹部達は知っている。俺が、ナミを隠しているだけだと言う事実に当人だけが気付かない。
俺がブラック・マリアといる時は、特に顕著にそれが出る。スススッと消えようとするか、存在感を消して空気になろうとするのが気に入らねェ。
何度抱いたと思ってるのか。どうでもいい相手としてただ犯すだけなら、今頃壊れてるか死んでると自覚しやがれ。
「カイドウさん!ナミが表に飛び出して行きました!!」
「あ?……なら、指示に従え。沈みたくなければな」
今回はJOKERの野郎が、直接見せたい物があるなんぞと言うから出て来たが、さて……コレでつまらねェものなら容赦しねェぞ。それでも、その海域はナミを連れて行った事が無かったからと頷いた時点で、俺も焼きが回ったとしか思えねェな。
「帆を畳んで!旋回!!」
そんな声が聞こえて来るのを酒を呑みつつ聞いていたが、船が大きく揺れればその限りでもねェ。ナミがいて何故揺れる?
愚かにも攻撃して来た奴が居るのかと甲板に出れば、サイクロンがふたつ見える。流石に声を失い、指揮をとるナミを見つめちまう。
……航海士で測量士の能力を持ち、操舵手としての知識はあるって言えるかなって程度よ。……ってな事を、言ってなかったか?
「ウロロロロロロロ!!」
突然笑い出す俺に周りが視線を向けて来るが、これ程長く共に居ても知らない事がまだまだある。これだから、海賊を辞められねェんだよな。
異常気象にここまで見事に対処するナミに出逢えた事で、俺に歯向かう気概のある奴に遭遇できなかった不快感が吹き飛ばされる。本当に、この才能だけでも十分過ぎる価値を持っていると言えると言うのに、いつになればそれを理解するのか。
何とか問題の気象現象を乗り越えた時、ナミがフラリとその身体をよろめかせた。支えれば少しばかり熱くて、寝ていろと命じるがそれを拒むように首を横に振るから舌打ちかもれる。
「ナミ」
「だってカイドウ、点検とかしないと。さっきの衝撃は、多分船底っに「行かせるから、寝てろ。雑務はやらなくていい」」
船において特殊な能力を持つ者は、本来船長よりも大切になる。航海士、測量士、占星術師、医者、音楽家がそれに該当するのだ。
このほぼ全てに該当する存在である自覚を持ってくれと願うが、口に出せないのは俺の弱さか。ふとした時に、名前しか知らなかったけど……優しい人だったのねと微笑むナミに、何度お前相手だからだと言いかけて、その言葉を飲み込んだか分からねェ。
こんなに弱って、まともに喋る事さえできなくなっても働こうとする姿に苛立つ理由を、俺は本当は分かっているのだ。それでも、それがナミに伝わらないからと、苛立つ理由をすげ替えたくなる時がある。
俺に甘えろ。お前は、俺の女だろうが!と、言いかけた時、飛び込んで来た部下の声。
「食料庫に浸水確認しました!」
「瓶が割れました!」
同時に聞こえて来たそれに、ナミは困ったように笑うと軽く頭を振って立ち上がろうとするから、近くにある島へと向かうよう指示を出した。そのままナミを部屋に連れ戻して、風呂に叩き込んだのは素直に言う事を聞かない事への罰も含んでいる。
……なのに、風呂に押し込まれたナミは何故か楽しそうで、罰にはならなかったらしいと気付かされれば、体調が落ち着き次第貪ってやると決めたのは当然の事だ。そうしている内に船は動き出す。
サイクロンを抜けたからには、この海域を知らないナミの先導は見込めないからこそ、前に得ていた地図や海図から他の航海士達が動かすのは当然の事。どうしてもの時は、キングに案内させれば良い。
そうして少しばかり室内でゆっくりと過ごしていたにも関わらず、ナミは窓から見えるその情報だけで脳内に海図を描いているのが分かっちまう。世に……天才はいるものだ。
卵が先か鶏が先か……。その存在に惹かれたのか、才能に惹かれたのか……その明確な答えが俺の中で出ないから、この阿呆は俺の想いを勘違いしているのかも知れねェな。
「海ばかり見てないで、俺を見ろ」
「カイドウ?」
「ナミは、俺のものだ」
「……ええ、大切にしてね。壊れるまで、役に立つと約束するわ」
儚く微笑むナミに、道具として言ったんじゃねェよと言おうとしたが、その時、船が島に着いた事を報せる声が聞こえて来た。それにより話を途切れさせたままナミと甲板に出る。
俺の隣で島全体を見ていた筈のナミが、突然船縁へ移動してじっと何かを凝視する。その様子を何事かと様子を見ていれば、キラキラした様子で〝それ〟から視線を外さなくなった。
その事で声をかけようとした時、クルリと振り向いたその表情は欲望を隠そうともしていない。こういう時だけ、子供のような態度を見せるから俺もつい言葉を飲み込んじまう。
「買物に行ってくるわね!」
「雑務はしなくていいと言ってるだろ。そもそもナミの目的は買物じゃね「行ってきまぁーす!!」」
そうして飛び出す後姿から、にゃんにゃんにゃんと聞こえて来そうで頭が痛くなる。帰ったら暫くベッドから出られなくしてやると、内心で悪態ついて帰りを待つ事にした。
だが、それが通じた訳でも無いだろうに、荷物だけが届けられ当人が帰って来ない。これ迄、そんな事は1度も無かった事を思えば、背筋を冷たいものが走る。
蜜柑色の猫が俺のアキレス腱である事は、わかるやつにはわかる。それくらいには特別扱いしている自覚もあるからこそ、俺はその場で動きを止めそうになっちまう。
失いたくない存在では無く、失えない存在になっていたのだと今になって思い知らされる。息子が俺を小馬鹿にしたような姿が脳裏に浮かび〝逃げられたんじゃないか?〟なんて言うから、とりあえずそれを脳内で殴り飛ばしておく。
「後は任せる。もし先にナミが帰って来たら、部屋に押し込めておけ」
「はい!」
誰が応えたのか、それさえ確認する余裕はなく、嫌な音を立て続ける心臓をいっその事止めたいような衝動に駆られつつ探しに飛び出した。……贔屓目に見なくてもナミの容姿は抜群で、その能力は天才と呼ぶ他ない。
拐われる可能性も、ここが新世界である以上十二分に有り得る。売られる事は考えにくいが、売られたならJOKERから買い戻せばいい。
だが、無為に傷付ける必要など無いだろう。早く、取り戻さなければ……!!
「ナミ……何処へ行った!?」
「にゃー……」
俺の声に応えたのは唯一猫だけ。人間でさえ、近くに居る奴等は怯えて声も出さねェ。
そう考えれば、自殺しようと空島から落ちた先にいたナミが、心配して駆け寄ってきて手当までしてくれたのは脅威だろう。……本気で、俺を知らなかったらしいとは分かるが、体格差で怯えるもんだろうに。
そうして出会った時の事を思い出していれば、ふわりと香るナミの匂い。姿が見えないって事は、姿を隠しているのだろうか?
……俺が、いるのに?
だとするなら狙っているのは、海軍の大将クラスか、それとも同じ四皇レベルだと言う事になる。だが、その姿は見受けられない。
血の匂いもねェから、怪我じゃねェよな。ならば……なんだ?
「どこだ?……近くにいるのはわかるんだが……」
「にゃー……」
「猫……?」
お前に用はない!と思いながら向けた視線の先に居たのは、ナミを彷彿とさせる毛色の猫。少し怯えた様子で辺りを警戒しているのもまた、ナミと似ている。
「似てるな。……おいで」
これで来たら奇跡だろう。そう思いつつも、膝をついて手を伸ばしちまう。
すると駆け寄りスリスリと甘えて来るから、俺はそれにより暫し硬直する。抱き上げたら、潰しちまいそうで、それでも、抱き上げてみたくて。
細心の注意を払って抱き上げれば、無垢な眼差しを向けて来る。甘えるように尻尾を俺に向けて、ゴロゴロと喉を鳴らすそれは既にナミとしか思えない。
そう、まるで何者かに猫の姿へと変えられたとでも言わんばかり、で……?
「あれ?ナミ?」
「にゃ!」
ナミなのか?と問い掛ける予定が、ナミ?で止まる程の衝撃。手の中にいた猫は、人の形へと姿を変えて行く。
光に包まれたそれは、けれども傷付けるのが怖くて手を離したその形のまま動けない俺の前で静かにその形を落ち着かせていった。人の姿に戻ったナミは、だが、それ迄には無かった筈の物を頭と尻につけている。
自らの耳に触れて、尻尾を撫でて、キョトンとした顔で首を傾げる。……俺の想いをまともに受け止めてもくれない女が、またその辺の奴等を誘惑しようしてるとしか思えない。
いっその事、鎖で縛り上げて閉じ込めれば……こんなにも悩む事も苦しむ事も無いのだろうか。だが、そうなればこの無邪気な様子を見る事もなくなっちまうんだろう。
「わかってくれてありがとう。気付いて名前呼んで貰わないと戻れなかったみたいなのよ」
「……そうか」
俺の葛藤を笑顔ひとつで霧散させる。先に惚れた俺に、勝ち目がある筈も無かったんだ。
そもそもこれは、相手がナミだから気付けただけの事。他の奴なら、恐らくは視線を向けた所で興味を持ちはしなかっただろう。
だが、叶うならナミの姿を変えた能力者は手元に欲しいな。使えそうだ。
「この耳とかも暫くあるみたいだから、その間この島に停泊して貰える?安全の為に」
「……わかった」
なんだと!?と、ナミを責めなかった己を褒めたい。その凶悪に雄を惹きつけそうな姿が、暫く続くとは困ったものだ。
とりあえずそれが治るまで、JOKERには会わせねェ。ナミを欲しがられたら、ビジネスの有効な取引先を殺しちまう。
「ありがとう!」
満面の笑みを向けられて、俺はそっとナミの頭を撫でる。それに対して無防備にもその瞳を閉ざすから、俺はどうしたらいいのか分からなくなっちまう。
「……カイドウ?」
「ナミ、帰るぞ」
「え!?……測量、したかったのに。……猫になってたから、測量できてないの」
しょんぼりとするナミは、それに連動するようにその耳と尻尾が落ちる。それに対して面倒だと思う事さえなく、仕方ないなと受け入れた時点で俺に勝ち目なんぞねェのだと、幾度目かも分からないくらいに思い知らされるばかり。
そっと腕に乗せる形で抱き上げれば、落ちないようにかするりと俺の腕に抱き着くからそのまま歩き出す。何処に行くのかを問うでもなく、ただ俺に全てを任せる様子は幼い子供にさえ見えちまう。
「……だからって、手放せもしねェ」
「カイドウ?」
「なんでもねェよ。……人の姿がない所へ行ったら、飛んでやる。空から測量しろ」
「いつも、ありがとう」
ゴロゴロと甘えて来るナミは、本当に猫にしか思えない。この耳と尻尾が消えるまでは、部屋から出してやれそうもねェなと苦笑した時、街中に猫の耳をつけてる奴が多い事に気付く。
何事かと思った俺に、ナミが代わりに答えてくれた。何も言わなくても、こういう事は伝わるんだよな。
「今日はね、猫の日なのよ。だからって猫になるとは思わなかったけどね」
「猫の日か、なら……俺の猫を好きに甘やかして良いって事だな」
「いつも、甘やかされてるわ。……勘違い、しそうになるくらい」
苦しそうに声を出して、僅かに瞼を震わせる姿は痛々しい。だが、何故甘やかされていると知っていてそんな顔をする?
待てよ、今ナミはなんと言った?
「勘違い?」
「……気にしないで。私は、カイドウの役に立てるならそれだけで充分よ」
切なそうに笑うナミに、そんな顔させたくないと思うのは傲慢なのか。望んだモノの大半は、己の力で得て来たが……どうしてこうも、小娘一人……思うようにできないのだろう。
人気の無い場所でそっと唇を重ねれば、複雑そうな顔をするナミがいる。俺は身体で伝える他に、伝え方なんぞ知らねェよ。
その言葉を飲み込んで、どうやればこの猫が笑うのか、そればかりが気になっちまう。望むなら、世界だって手に入れてやるのに。
今はただ、抵抗を知らない猫を貪る。もう少ししたら、約束通り、測量くらいさせてやるよと心の中で囁いて。
今日が猫の日だと言うのなら、俺は俺の猫を甘やかしたい。俺だけの猫を独占したいと願って、何が可笑しいだろう?