JOKERとの会談を終えて部屋に戻れば、出かける前と変わらない姿で机に向かう馬鹿を見付けた。傍に積み上がっている完成したらしい海図の量と、見覚えのない楽譜を見るに、最低でも二日は寝ずに描いていた事が伺える。
「バオファン……報告しろ」
「あいよ~!」
相変わらずの軽い返事だが、報告には間違いが無い。その報告によれば、俺が船を開ける直前に共に食事をしたのを最後に、現在まで何も口にしていないと言うもの。
思わず頭を抑えそうになったが、バオファンがどこでどう広げるかも分からない為に耐える。怒り狂ったり呆れる前に、確認しておく必要があるな。
「水分もか」
俺の問い掛けに是と答えたバオファンに仕方ないかと小鍋等を持ってくるよう伝えれば、献身的ですねなんぞとほざかれた。他人に作らせた物では安心できないのは、俺とて同じなのだから仕方ないだろう。
自分が食べるなら問題もねェが、食うのはナミだからな。俺は死ぬ事で完成すると思っているのと、長く生きすぎた気がしてるから、毒程度で死ねるならそれもありだろうと思う。
それでも、ナミはまだ若い。うちの馬鹿息子よりも、歳下である事を思えば……俺より先に逝かせる気にはならねェ。
そうして用意された物でホットミルクを作り、ナミの蜜柑を隣に並べて机の片隅に置いてやる。それにより多少は口にするだろうとは思うが……JOKERの所に行くと、血生臭くなっていけねェな。
軽くシャワーでも浴びるかと傍を離れて、肌に張り付いたカピカピになったものを落として行く。思ったよりもこびり付いていたらしく、流れ落ちるそれはまるで俺自身が怪我でもしていたかのような様相だ。
「ナミに臭いがつかなくて良かった」
そんな事になれば、理性を手放して殺しかねねェ。妙に弱った姿が色っぽい上に、変に反抗的な所があるから加減が難しいのも原因だろう。
これでナミが俺に敵対する勢力として現れ、俺に囚われた後反抗的な態度を取っていたら……と考えれば、犯り殺しそうだなと嗤っちまう。ズタボロになっても、その瞳だけは反抗的な態度を崩しはしないだろうと分かるから、余計に。
そうして部屋に戻れば、机に伏すようにして寝ている姿があり、その近くに食べかけの蜜柑と口をつけたらしいカップが確認できた。息子や部下なら放置するか、摘み上げてベッドに放り投げる所だが、ナミだけはそうもいかねェ。
精一杯の優しさでそっと抱き上げてベッドに運んでやれば、甘えるように擦り寄るその身体。いつも負担をかけている俺に対して、ここまで従順なのはどうなんだと思いつつも嫌な気持ちにはならねェ。
ベッドに寝かせて離れようとした時、寂しそうに俺の服を掴んで来た小さな手に……動きを止める。振り払うのは、物理的には簡単な事なのに、どうしてそれができないのかと深く息を吐き出してから、啄むような口付けを落として俺もそのベッドに入り込む。
たまには自堕落に寝た所で問題はねェ筈だ。大きな仕事は終えて来たんだからよ。
そうして共に眠れば、目覚めたのは結局翌朝になってから。安眠効果の高さは、この香りにも原因があるのだろうか。
「うそ!?もう夕方!?」
そんな声で俺の脳は覚醒し、視線は焦るナミから窓へと移動する。そこに見えたのは当然夕陽ではなく、朝日だ。
これは教えた方が良いだろうと口を開いたが、馬鹿にするつもりは無い。それだけ熟睡していたと言う事だからな。
「朝焼けだ。……眠れたみたいで安心した」
俺が傍にいれば眠れるのだと甘えた様子で言う恋人を、愛しく思わないといえば嘘になる。ただ、これは麻薬のように思えるリスクと紙一重な存在。
そんな事を考えている間にナミは気持ちを新たにしたのか、呑気に挨拶をして来るからそれに返事をする。それに自分でも驚く程に優しい声が出たのには、内心ゲンナリしちまう。
そんな時にナミが何故が小さくその身体を震わせたので、何を想像したのか、または思い出したのかと考える。思い出したとしたなら、あの魚共だろうか。
「そう言えば、朝ごはんって……」
「食わないって選択肢は無いからな」
俺の暗い空気に気付かないまま妙な事を聞くナミに、不愉快さを隠せずに言えば小さく肩が震えた。それに対し、虐めたい訳でも無いのだと思い直して、四日食ってねェだろうと告げてやれば笑って誤魔化そうとされる。
それを許しちまえば、倒れる未来しか待ってねェと知っているから、俺はそっと腕の中に閉じ込めて問い掛ける。その瞳を真っ直ぐに覗き込みながら。
「なんだ、口移しで食べさせて欲しいか?」
「ごめんなさい!普通に朝ごはん食べたいです!」
「ウォロロロロ!……最初からそう言え。何か食いたい物はあるか?」
「何も食べたくな「そうか、俺を食いたいか。朝から元気な事だ」ごめんなさい!ちゃんと食べるから意地悪言わないでー!!」
叫ぶナミに、今はこの位で許してやるかと笑う。そうして抱き上げるとシャワー室に押し込み、俺は朝食の準備を命じておいた。
風呂から出て来る迄に用意しろと命じたからか、即座に駆け出す部下にいい反応だなと小さく笑った。そうして用意されたのはオニオンスープと、サラダ、そして……オムライス旗付きだ。
当然俺にも同じ物が用意されたが……何の嫌がらせだ。誰がお子様ランチを用意しろと言ったのか。
「うわー、美味しそー」
「……嬉しいか?」
風呂から出て来たナミは嬉しそうに言うが、何がそんなに嬉しいのか皆目分からねェ。それにナミは小さく頷いて、はにかむように言った。
「オムライスの中味を少し変えたら違う料理になるからって、この間レシピ少し渡したの。まさかすぐに試してくれるとは思わなくて」
「……それでも、旗はいらねェだろ」
「その旗、カイドウの旗よ?」
言われて視線を向ければ、小指の爪程度のサイズの旗は確かに俺のマークだ。百獣海賊団のマークが、オムライスに刺さっている現実に溜息が落ちる。
こんな旗、誰が作ったんだ。暇なのか?
「成程、俺の部下は馬鹿だったらしい」
「また、そんな思っても無い事言って……」
そう言って笑うナミに、心底言いたい。本気で思っていると。
それから俺が1口食ってから皿を返して、ナミが安心して食えるようにすれば、食事の時間は穏やかに過ぎる。ナミが妙な事を言い出すまでは。
「ヤマトちゃんに、弟か妹欲しいと思わない?」
「……は?」
「もしかしたら、なんだけどね……私……」
そう言って目を伏せるナミに、喉が鳴る。ま、さか……?
俺の年齢を考えれば、ヤマトもできたのが不思議な位だ。だと言うのに、まさかこの歳で二人目……?
「……望んで貰えるなら、頑張れる気がするの!」
「できたって報告じゃねェのか!」
「うん。そういう嘘ついてみようかと思ったけど、なんか騙せる気がしなかったから」
ここで騙されかけた俺はなんなんだと深い溜息がもれたが、これは俺が老いたと言う事だろうか?
「カイドウ?」
不思議そうに首を傾げるナミに思う。もし、本当に子供が欲しいとナミが強く願うなら、俺はそれを拒めないだろうと。
どんな嘘でも、もしもナミが望むなら、それは現実にしてやりたい。俺は嘘偽りなく、どんなナミでも愛していると断言出来るのだから。
だが、俺がそれを伝える事は無いだろう。そんな事を簡単に口に出せる程、俺はもう若くはない。
「ナミの方は、オムライスに肉が殆ど入ってねェな」
「代わりにお豆腐が入ってるのよ」
「ナミが良いなら構わねェが、体力はつけとけよ。……今夜のためにもな」
寝かせてやらねェと笑ってやれば、真っ赤になったその姿。それにより思わずウォロロロロ!と笑っちまったのは不可抗力だろう。