そろそろ休もうかと思いつつ、少し水でもと思って調理場へ向かえば、歌声が聞こえて来た。低い声で歌われているそれが、少年ではなくナミの声である事はすぐに分かる。
中を覗けば何かを作りながら歌っているらしいと気付き、今日は何かの日だったかと脳内でカレンダーを捲る。イベントごとが好きなナミだからそう思ったが、特に何かのイベントの日とは思い出せず、なんだろうかと黙って見守る事にきた。
その時背後から人の近付く音を聞いて振り向けばその正体はローで、ローもまたナミの歌声に惹かれて来たのだと分かる。小さく頷いて親指で中を示せば、納得したのか肩を竦めてみせた。
元々少年らしさはない子供だったが、ナミと再会してからは随分これでも刺々しさも減ったと俺は思っている。ナミはそれでもローを心配そうに見ているが……。
ナミの歌声を聞きながら、最近クルーが話していた事を思い出す。優しい姉や母親みたいだとナミを表現する言葉を皆が口にしていたのを。
だが俺には……心配症で自己犠牲型の〝妹属性〟に思えてならない。頑張り過ぎるきらいのあるナミを姉や母に見立てて甘えていたら、壊れてしまうだろう。
いつも俺なりに心配はしているが、何故かそれが伝わらない。ドジと言う意味では迷惑をかけている分、他では必ず守ってやりたいと思う。
そう思って煙草に火をつけようとしたらローに止められ、火を付けられた煙草を渡された。その様子に、口に咥える事無く火をつけるのは器用だといつもながら思う。
煙草は息を吸いながら出なければ、火が中々つかない仕様になっている。つまり、普通に燃やすのはそれなりに面倒なのだ。
「……何してるんだ、ナミは」
「何かを作ってるみたいだな。そのついでに、鼻歌を歌ってるようだ」
「鼻歌でこのレベルか」
そう言って笑うローは妙に優しい顔をしている。男2人に対して女は1人。
どちらも共有しようなんて出来る性格でもない上に、ナミがそんなもの耐えられる筈も無い。だからこそ、ローとはいつか本気でぶつかる事も覚悟するしか無いだろう。
「……静かになったな」
「作り終わったみたいだな。行ってみるか?」
ローは俺の言葉に少し考える素振りを見せてから頷く。こうした妙に幼い行動を見せてくれるのは俺やナミの前でだけだと言う事を考えれば、どうしたってローも本気で想っているのだと突き付けられたような気持ちになる。
2人でナミの居る甲板に移動すれば、月を見上げる姿があり、それに1瞬息を飲む。光の中を泳ぐ人魚のように思えたのは、欲目だろうか。
「「ナミ」」
俺とローの声が重なる。それにナミは驚いた様子で振り向き、微笑んだ。
「あら、お揃いで。折角だから1緒にお月見する?」
楽しそうに笑うナミもまた、俺やローといる時だけ少し幼い顔を時折覗かせる。それだけ、気を抜いているのだろう。
家族に近いという意味では嬉しいが、男としては少し切ない。……我儘だな。
「折角だから、そうさせてもらおうかな」
俺が答えればローもそれに頷き、3人で甲板に腰を下ろすと月を見上げる。それから先程作っていたと思われる物を差し出してくる。
「ローは兎も角、ロシーは好きだと思うのよ。ただ、味の保証はしないけど」
悪戯に微笑むその表情が何処か寂しそうに見えて、手を伸ばし掛けて止める。隣にローが居なければ、恐らく抱き締めていた。
その手を見たナミは何を思ったのか、突然胸元から取り出したお猪口を俺に持たせて、そのまま酒を注いで来る。それを受けて腕を戻せばローもまた同じように渡されていて、ナミは小さく良くいい酒だって気付いたわねなんて言っている。
この鈍さに、初めて救われた。いつもは恋心をミキサーで粉砕されてるような心持ちにさせられる事が多いんが……。
鈍さが役立つ事もあるのかと妙に冷静に思う。そんな中でローが口を開いた。
「ナミ、この酒どうしたんだ?」
「クーちゃんに頼んで仕入れたのよ。苦労したんだから」
ローの問い掛けに当然のようにナミはそう言うが、ニュースクーに酒を買わせて運ばせるとか普通じゃねェって気付いて……る、筈もねェか。そう思って肩から力を抜く。
団子に手を伸ばせば、ナミが少し不安そうに見ているのがわかり、本当に自信がないらしいと知る。口に含めばこれに自信が持てないとは何事かと問い詰めたくなる程に美味い。
「美味い。ナミは味見とかしないのか?」
「怖くて、出来なかったのよ。久々に作ったから」
それを人に提供できただけ凄いと褒めるべきなのだろうか。それとも……。
そんな事を考えながらナミを眺めていると、ローもまた団子に手を伸ばした。ローの反応も悪くない事から欲目ではなかったかと考えて、その直後にどちらも欲目の危険性があると気付く。
俺とローの想いに欠片も気付かずに呑気に月を眺めるナミは、何を考えているのか。その横顔からは、何もその答えを導き出す事が出来ない。
「今夜の月は綺麗ね」
突然発せられたナミの言葉に俺とローは同時に反応して、同時に固まる。石化に近いような気さえする。
今の言葉はどちらに向けて言ったのか。その答えを持つ唯1の存在は呑気に酒を呑んでいて、此方には視線を向けてさえくれない。
ここでローに向けて言ったと言われたとして、俺はそれを素直に受け入れられるのかと考えて、可愛くて大切なローでもそれは出来ないと思ってしまう。強欲な俺はナミもローも手放す事無くずっと傍に居てもらいたいと願っている。
だが、ナミに愛されるのは俺でありたいとも思っているのだ。なんと言う矛盾だろうか。
「……お酒も無くなっちゃったし、そろそろお開きかしらね?」
軽い調子でナミに言われては、引き下がるしかない。答えは得られなかったが、共に過ごせただけでもとりあえずは良しとするか。
使い終えた食器を片付けようと手を伸ばせば、ローがそれを止める。そして、何故か深い溜息が落とされた。
「これ以上食器を無駄にしたくねェ。用意はナミがしたんだ。片付けはしといてやる。……2人共早く寝ろよ」
「「ローにだけは言われたくない」」
俺とナミの声が重なればローは少しバツの悪そうな顔で俺達を見てから、食器を持って足早に立ち去る。ナミはそれを見送りつつさっさと部屋に戻るからそれについて部屋の前まで送ると、無意識で問い掛けていた。
「さっきの言葉は、俺に向けて言ったと思っても構わないか?」
そう問い掛けたのは、どちらだと問い掛けられない臆病な心を隠す為だった。だが、ナミは頬を赤く染めて視線を彷徨わせるから、まさかと期待してしまう。
そっとその頬に触れるとナミはその瞳を細めて、照れたように笑うだけで拒まない。だからこそ俺は、自制心なんてもう既に失っていた。
「……ナミ、嫌なら殴ってとめろ」
言いながらナミを抱き締めてナミの部屋に入り込んだのは、誰にも邪魔されたくなかったから。ローへの罪悪感が無いとは言わないが、俺はナミを諦める事も出来ない。
「待って、ロシー」
「殴って止めろって……「お願い、聞いて」」
ベッドに押し倒した俺にそう言ったナミは、それから優しく微笑むとその唇で俺を誘うように言葉を口にした。
「月が綺麗ね、ロシー」
喉が音を立てたのを理解するのと同時に、俺の理性は砕け散った。2人の影が重なったのを見ていたのは、中秋の名月だけ。