夜中に腕の中から抜け出したのは気付いていたが、水でも飲みに起きたと思っていた。それにしては帰りが遅いなと体を起こしてみると、ふわりと柑橘系の香りが漂う。
それに小さく笑ってから迎えに行くかと外に出ると、見張りの隊が驚いた様子で俺を見る。気にせず続けてろと合図すれば、素直に見張りに戻る息子達に幸せだと思う。
望んだものは全て、この手にある。焦がれ続けた叶わないと思った願いに包まれて、救われてるのは寧ろ俺の方だぜ息子達、と思いつつ移動する。
キッチンの方からナミの声が聞こえて、誰かと話でもしているのかと思ったらどうやら歌っているらしいと知る。可愛らしくうさぎが跳ねると歌うナミに頬が緩む。
だが、その直後に低い声で悲哀のこもった悲恋を歌い出されれば、何か嫌な事でもあったのかと勘繰っちまう。それにこれだけの歌唱力ならば、確かに宴の度に何か演奏か歌をとせがまれているのも分かろうと言うものだ。
だがな……大切な宝だから隠しておきてェっつう俺の気持ちも、少しは分かって貰いてェところだ。隠していてもすぐに他の男から目を付けられるのは、如何ともし難いがなァ。
キッチンで歌っているのならば、何か作っているのだろうと勝手に出てくるのを待つ事にして、俺はいつもの席に腰掛ける。そこへステファンが近寄って来るので、撫でてやれば甘えるように鼻を鳴らす。
そう言えばナミは、いつも動物に囲まれてると気付く。何か動物に好かれるフェロモンでも出してるのだろうかと考えて、だとしたら俺も動物かと考えれば笑えて来る。
考えてみれば自制の効かない男共だから、海賊になった訳だ。となれば当然人間よりも動物に近いと考えて、何らおかしくはねェか。
……だから、集めちまうのか。それとも、甘いナミだからそれに虫が寄ってきてるだけか。
その甘さを知るのは、俺だけで良いと心から思った時、ナミがふらりと甲板に姿を見せた。その様子はまるで月に恋でもしているかのようで、俺の存在にも気付かないで空ばかり見上げている。
仕方のねェ奴だと内心で呟きながら近付けば、声をかける直前で気が付いたらしくナミが驚いたような顔をした。それから微かに申し訳無さそうに眉を寄せるのが分かれば、いい子だなと思う。
「ニューゲート、起こしちゃった?」
「おめェが傍を離れると、いつも目覚めちまうからな」
俺の言葉に暫し考えるようにしてから、呆れたように溜息をつく。どうやら信じていねェらしい。
「そんな事を言っても、このお酒は半分までしかあげないわよ」
言われてから見てみれば、中々の上物を手にしているのがわかる。どこに売ってたんだそんな古酒と思うが、これで意外と金を持ってるナミは、常に金欠な俺の為にと必要に応じて出資してくれてるのは気付いている。
本人はこっそりやってるつもりのようだが、気付かない方がどうかしている。だがそれを指摘したところでナミは笑って、同じ事を続けるのだろうという事も分かっている。
下手すりゃ指摘したらその後は、堂々と俺の為にと金を使いかねねェ所が怖ェんだよな。そんな事を目的として傍に置いてる訳じゃねェってのによ。
と……いくら言ったところでナミは、何の貢献もしてないから少しくらい役立ちたいのとか言い出すのは目に見えてる。モビーの為にと稼いだ金を貯えてくれているだけでは、飽きたらねェらしいのが俺の天使だ。
……サイクロンの発生を予知して報せ、危険な海流も海を見据えて指示出しを行う事で超えてみせる。その上驚く程に正確で美しい海図や地図を描いてくれてるのに、何が貢献してないだと言いたくなるのを何度堪た事か。
「1人で呑もうとしてたのか?」
「起こす程の事じゃないもの。単なる月見酒よ」
「起こす程の酒だぞ、それァ……」
「あら、好きなお酒だったの?なら次の宴の時に1本あげるわ」
そんな事を言って笑うが、何本持ってるんだと聞きたくなって辞める。聞いたところで答えちゃくれめェ。
いつもの席に戻る時に当然のようにナミに手を差し出せば、甘えるように擦り寄ってくる。そのまま抱き上げて移動して座れば、俺の膝の上で悪戯な瞳を向けて来た。
「このお酒の事は、マルコには内緒にしてよ。私まで叱られちゃう」
「月見酒の1杯や2杯で怒るか」
俺が笑えばナミは何故か悲しそうに俺を見る。叱られるのは私だけなのかしらと呟いたところから見て、どうやらマルコは正確に俺の弱点を見抜いてナミを攻撃していたらしい。
問題はその弱点たるナミが俺にこれまで泣きつかなかった事と、その読みができなかった俺とマルコの見通しの甘さか。慰めるように頭を撫でればナミは、はにかんだ笑みを向けて来る。
その笑顔が眩しくて空に視線を向ければ、そちらもまた眩しく輝いている。どっちを見ても目が痛ェな。
俺が空を見ている間にナミは酒を注ぎ、ついでとばかりに団子まで差し出してくる。それを見てこれを作っていたのかと分かれば、何とも可愛く思えて口元が勝手に笑みの形を作る。
「まだ、自分で作った物かサッチの作った物しか食えねェか?」
団子をつまみながら問いかければ、ビクリと体を揺らして少し怯えたような視線を向けて来る。どうやら叱られると思っているらしい。
小さくなってるナミに笑いかけ、また団子を摘みながらそうじゃねェよと言えば、不思議そうな顔をされる。比較的素直に考えが顔に出るらしいナミは、喋らなくても意思疎通がしやすい。
「怒っちゃいねェ。ただ……しなくていい苦労は、させたくねェと俺が思ってるだけだ」
俺の言葉に暫し沈黙してから、返事では無く決意としか取れない言葉を返してくる。その凛とした姿に、何度でも心を奪われるような心持ちにされる。
「ニューゲートがいる所が、私の居場所よ。ニューゲートが危険だからと私を残して戦場に行く事を決めたとしても、もしそこでニューゲートが命を喪ったら……私もすぐに海に還るわ」
真剣な表情で、真っ直ぐに見つめて言い切られては、何処へ行くにも置いていく方が危険だと思い知る。そしてまるで、その時がいつ来るのか分かっているかのようなその眼差しに、胸が苦しくなる。
こんな老耄と共に散るには、おめェは若すぎるだろうが。このアホンダラァ。
「……なら、どこへ行く時も連れて行くしかねェな」
「そうして。そうじゃなかったら、誤報でも命を断ってしまうもの」
そう言って微笑むその強さに、その深過ぎる愛情に目眩さえしそうだ。俺からの告白を信じるのに時間はかかったが、信じてからはこれだ。
昔からずっと憧れてきたのよなんて言われては、どちらが先に溺れたのかわかりゃしねェ。誤魔化すように酒を口にすればそれがまた美味い。
本当に、いい女過ぎて困っちまうな。月を見上げれば無駄に輝いていやがる。
「……月が、綺麗だな」
眩しいなとは流石に言えずに口にしたが、その言葉の持つもう1つの意味を思い出した時には、ナミが湯だり切っていた。あたふたとするその様子に、何度も抱かれていてこの反応かと笑っちまうのは仕方ねェ事だろう。
「そう、ね。綺麗だわ……」
「だが、ナミは可愛いな」
言った瞬間ナミがキッと睨み付けてきて、その表情から人で遊ぶなと言ってるのが伝わるが……遊んでる訳じゃねェよ。
「……ナミを部屋に閉じ込めたくなってきた。と、言ったらどうする?」
問い掛けの形をしてはいるが、これが決定事項なのは分かっているらしい。視線をさ迷わせた後で小さく頷き、俺に抱き着いてくる。
「閉じ込めて、ずっと……離さないで」
俺の理性を崩壊させたら、壊れるのはナミだと言うのに、どうしてこれは学習しないのか。そう思いながらも上機嫌でナミを抱き上げると、月光から隠すようにして部屋へと向かう。
その時微かに震える声でナミが囁く。その言葉に1瞬俺の足が止まったのは、不可抗力だろう。
「月が綺麗ね、ニューゲート」
「あァ、ナミを返せとか言い出しそうなくらい、綺麗だな」
思わずそう返してしまうくらいに、月明かりに照らされたナミは綺麗だ。汚い事なんて何も知らないとでも言いそうな程に。
実際は尋常じゃねェ苦労を重ねて、苦渋を舐めて生きて来たはずなのにな。そう思えば、幸せにしてやりたいと思う。
そして何時までもナミを照らす月に、いつまでも人の女を見てんじゃねェと、ひと睨みしてから部屋のドアをしっかりと閉める。例え天女が月へ帰りたがったとしても、還る場所は海だと既に約されているのだから。