日が落ちてから部屋に帰ったというのに、居るべき存在が不在で、俺は珍しい事もあるものだと迎えに行く事にした。外に出れば満月で、やけに眩しい。
風呂に行く事は基本的に無い。部屋のシャワーか陸にいる時に宿でのんびりという形をとっているからだ。
だから部屋に居ない事は希で、そうなると何処にいるのかと考えて酒でも貰いに行ったかと厨房に向かえば、案の定声が聞こえて来た。だがそれは誰かと会話をしているのでは無く、どうやら歌っているらしい。
うさぎがはねると歌うナミに、可愛い歌だなと声をかけようとして止まる。低い声で歌い始めた次の曲は、決して可愛い物ではなかったから。
喪った相手を花に例える歌は多くあるが……鼻歌でこれかと思えば、楽士団がナミを求めるのもわかる気はする。だが、恐らくナミがマルコのサポートから離れる事は無いだろう。
マルコの船医としての仕事に加えて、副船長として航海士達の様子見をしたりするのをナミが手伝い、事務手続きを2人が分担しているのだ。だからこそ、マルコは倒れなくなったし無理も減った。
本来なら恋人なのだからと俺の手元に置きたいが、それを言えばナミは困ったような顔で笑って謝るだろうからね。兄弟としてはありがたいが、恋人としては切ないと言ったら……ナミを困らせるだけだと知っているから、耐えているに過ぎない。
そんな俺に楽士団は恋人なのだから説得しろと言う。そんな事ができるならナミは俺の隊員だと、何度叫びたくなったか。
もしもナミを喪えば、この歌の男のように夜になる度に、月の欠片を集め無ければ眠れなくなるのだろうか。それともこれまでにも幾度も超えてきた別れと同じように、何事も無いかのように超えてしまえるのだろうか。
花を見る度に、ナミを想い出すような、そんな繊細さがまだ俺の中に残っていたら良いと思う。だが同時に、そうならないと知っているからこんな事を考えるのだろうと自嘲する。
何かを作り終えたらしいナミが、それを持って甲板へと向かうのを眺める。甲板に月明かりが落ちて、そこに佇むナミはそのまま光に溶けるのではないかと思う程に儚い。
思わず近付きながら、そっとその肩に触れると、ナミは驚いた顔をしてから船縁に作ったらしい団子を置いた。そして少し幼い笑顔を向けて来る。
「今日は満月なので、お団子作ってみました」
「……あァ、お月見か。なら、ススキが欲しいな」
「残念ですね。代わりに、如何ですか?」
そう言って胸元から取り出したお猪口を差し出すから、それを受け取り差し出された酒を舐める。辛口のいい酒だ。
目の前に置かれた団子に手を伸ばせば、何とも懐かしい味がした。驚いてナミを見れば、お口に合いましたかなんて笑う。
それに笑って驚いた事を伝えれば嬉しそうに微笑むから、可愛いなと思う。誰にも見せたくない程に、可愛い。
月明かりがナミを照らして、
「今宵の月は格別に美しく見えるね」
その瞬間酒に酔わない筈のナミが、耳まで赤くして俺を凝視した。……そう言えば、抱いてる時に睦言としてしか伝えた事は無かったかと思う。
小さく笑い酒を口に含むと、ナミの顎を掴み唇を重ねる。そのまま酒をナミの口内へと流し込めば、苦しそうにそれを嚥下した。
酸素を求めて唇を少し大きく開けたナミの口内を更に深くまで蹂躙すれば、小さく喘ぐような声が聞こえる。先程の歌声よりも、俺はこの声が好きだと頭の片隅で思う。
唇を離すとナミは体をふらつかせたので、その腰を抱いて支えればナミの腕が俺の体に回された。そのままギュッと抱き着いて来るので、ここは甲板だから耐えろと自分に言い聞かせる。
微かに震えるナミの腕に、どうやら羞恥心からこうしているらしいと気付く。だが……煽る行為にしかならないのが、問題か。
「……ナミは衣通姫のようだね」
「ワノ国の、話でしたっけ?」
「あァ、衣を通しても光り輝いて見えたと言う、伝説の美しい姫さんの話さ」
笑いながら答えればナミは小さくまたからかってなんて返すが、本気でそう思うと言っても、信じないんだろうな。ナミは己の容姿に無頓着だ。
可愛いと言えばそうなのよね、可愛いわよねと納得したような、それどころか別な人を褒められたかのような対応をする。だが、可愛い以外の褒め言葉は基本的に信じていない。
自分が魅惑的な肉体を保持している事も、全く理解していないらしい。結果いつも、肉体美を褒められてもこの世界にはこれくらいの体型ならいくらでもいるとか、そんな言葉を平然と言うのだ。
……確かに、有名な海兵や海賊には多いが、1般人にそんな体型の女がゴロゴロしてる筈も無い。無論王族にも多いが、王族ってのは、美しさも商品価値があるのだから当然なのだ。
「……イゾウさんと見るから、今宵の月は格別の輝きを放っているように思えるのです」
突然のナミからの言葉に俺は小さく笑う。俺の言葉に返してくれた事が嬉しいと思う。
「甲板でも良いから、この可愛い子猫を食べたくなるよ」
「ばっ……!ばかっ!」
「馬鹿だから、ナミの言いたい事が分からねェと言ったら……どうする?」
揶揄うように言葉を口にすれば、ナミは少しいじけた様子を見せてから、何かを閃いたような顔で俺を見る。何だろうかと言葉を待てば、可愛い睦言が紡がれた。
「月が綺麗ね、イゾウ」
そう言って恥ずかしくなったのか、これ以上はどうあっても赤くなれないだろうという程に赤くなった紅葉の君が、俺を突き飛ばして団子と酒を残して部屋へと逃げて行く。だがね……。
「その部屋は、俺の部屋でもあるんだが……わかってるのかねェ」
思わず呟きながら喉の奥でクツクツと笑い、残された物達を回収しつつ部屋へと向かう。衣通姫は紅葉の君となり、俺の帰りをソワソワしながら待っているだろうから。
……例え満月が相手でも、俺はナミを渡すつもりは無いよ。己の使う銃口と良く似たそれを見上げて歩き出す。
夜はまだこれからだと、ほくそ笑む俺を見咎めるように、美し過ぎる月が明かりを強めたが、俺の歩みを止める事は出来そうにない。……本当に今夜の月は、憎らしい程に美しいね。