仲間とはぐれたと気弱な雰囲気で海を見ていたその姿は、妙に儚く見えた。……そう言えば歳下だったと思い出したのはその時で、何故忘れていたのかと考えてみる。
いつもナミは俺やエースの事も含めて、庇うように戦っていた。その後姿ばかりを見ていたから、ナミが歳下だと言う概念が無かったんだと今になって気付く。
知らない事は何も無いと言わんばかりに、何でも器用にこなして、優しく微笑むその姿に俺は理想の母親を見てさえいたのかもしれない。可愛い弟達だと抱き締めてくれるその温もりが、突然去って行ったあの日……共に連れて行って貰えば良かったと思ったのは、俺だけじゃ無い筈だ。
記憶を無くしていた俺の中にさえも焼き付いていた、長い髪は再会した時も健在で……そう言えばあの時見た涙が、俺の見た最初の泣き顔だったと今更気付く。いつも微笑んでいたから、それ以外の時は、背中を見せていたか真剣な顔で紙を見ていたから……気付かなかった。
俺より2つも歳下の女の子だった事に。本来ならば守られて然るべき、か弱い存在なのだと言う事に。
高波に攫われて島に着いたと落ち込んでいたその姿に、とりあえず隠れ家的に使っていたコテージまで案内したのは、たまには姉を労わりたかったからに他ならない。それなのに、寝ているべき部屋にその姿は無くて、何処へ行ったのかと夜中に探し回る事になっている。
再会したあの日も、毒を気にしていた様子から命を常に脅かされていたのだとわかり、その真実に胸が焼けるような思いがした。庇う事に慣れたその姿は、庇われる事に戸惑いを見せるのだ。
人を頼る事が出来なくなっている姉を漸く見つけた時には、キッチンで何かを作りながら呑気に歌っていて、だがその歌声に聞き惚れる。普段の声とは違う低いその声は、何とも言い難い色気さえ感じられる。
……流石は〝宝玉〟かと、その見慣れた後姿に思う。
世界政府が探し回って、けれども見付けられない幻の存在。それがナミだと知った時、革命軍で保護すべきだろうと主張した俺を止めたのはドラゴンさんだった。
ルフィの航海士であり、海賊として生きているから宝玉だと知られずに済んでいるのだから、今はそのままで居させるべきだと言われれば否とも言えない。ルフィに航海術がない事は俺達が1番よく分かってる。
物理的に考えてルフィにはナミが必要だ。それに……昔からルフィをとことん甘やかしているナミが、ルフィに
1方通行の関係に思えたルフィとナミの関係も、漂着したナミの様子を見るにどうやらその限りでもなさそうだと気付けたのも大きい。そうなると……エースが少しばかり、気の毒ではあるがな。
それでも多分ナミは、エースが本気で求めてしまえば、それにも逆らえはしないだろう。可愛い弟を拒まずに、傷付けられずに、そして……独りで泣くのだろう事は火を見るより明らかだ。
優しいを超えて甘いとしか形容出来ない姉を、どうしたら守れるだろうか。救うなんて出来なくても、せめて少しでも休ませる方法は無いだろうか。
歌い終えたナミが月明かりの元へ向かうのを見て、浮世離れした存在だよなとしみじみ思う。そっとその背後に立って声を掛ければ、いつものように微笑むのだろうか。
「姉さん」
「サボ?」
驚いた様子で振り向いたナミは、俺が姉と呼ぶと少しばかりはにかむ。本気で弟として愛してくれる存在に、今更妹のように思えてきたとは言いにくい。
何より俺が、その無条件に向けられる愛情を失いたくないのだから、情けなくもなる。姉離れできない弟として我儘を言えば困らせるだけだと分かるから、聞き分けの良い弟でいるしか無いのが少しつらい。
「起こしちゃった?ごめんね。今日は中秋の名月だからお月見したいなって思って。1緒にどう?」
言いながら近くにそっと置かれたのはナミ手作りの団子で、胸元から取り出したお猪口を何の気なしに手渡してくる。この無防備さが、少し嬉しい。
嬉しいと感じるのは、俺をいくつになっても〝男〟として見ない辺りが、本当の姉だと思わされるからだろうか。それとも、俺の肩書きも立場も少しも気にせずに〝弟のサボ〟として接してくれていると分かるからだろうか。
「貰おうかな。
「お世辞言って見ても、ここにあるだけしか団子は無いわよ。大食い君」
そんな軽口を言って笑うナミは、当然のように酒を注ぎ月を眺める。そう言えば子供の頃から、やたらと酒を飲んでる姿を見た気がする。
それでこの体型かと思えば、奇跡の存在だなと思わされる。もしくはそれだけ……ハードな日々を送っているのかも知れないが。
「月が、綺麗だな」
俺が思わず呟くとナミは何故か吹き出した。どうしたのかと視線を向けると、言う相手間違えたらダメよなんて言われる。
「月が綺麗って言葉は、愛してるって意味としてとらえられる事が多いのよ。貴方の隣で見る月だから、美しいって事なんだけど……ね?姉に言ってる場合じゃ無いでしょう?」
「確かに。だけど……言っても通じなさそうだ」
思わず溢れた本音にナミは何故か納得気に頷く。そして俺の肩を軽く叩くとその眼差しで、エールをおくってくる。
「確かに通じない雰囲気はあるけど、通じたら多分真っ赤になって可愛い反応してくれるから、頑張って!」
……何故ナミがアイツを知ってる?
ドラゴンさんか?
あの人が話したのか?
いや待て、そう言えば昔からナミはやたらと情報通で……記憶のない俺を、新聞の記事から俺と認めて見守ってくれてた存在だ。今更か。
「通じるかどうか、1度試しに言ってみるか」
「そうね、普通に告白するよりは、難易度低いでしょうから、いいんじゃない?」
クスクスと笑うナミは、歳上のお姉さんらしい顔をしている。それが妙にイラッと来たので、少し揶揄うように俺も笑う。
「それで、
その瞬間ハッとしたように首筋を押さえるから、やはりルフィとそう言う事になってたかと笑う。真っ赤になったその姿は、珍しく年相応かそれ以下に見えた。
成程普段が大人びているから……これがギャップ萌えとやらかと思う。だが、珍しいもんを見たとしか思えない辺りで、俺には恋愛対象外なのだと痛感させられるだけたが。
「コアラちゃんの事、私は揶揄わなかったのに……。そう言う態度なら良いのよ、新聞社にサボの幼少期で恥ずかしいエピソードを売り込んでやっても」
しまったと思った俺は慌てて謝罪する事になったが、こんな穏やかな夜も良いものだと何処かで思う。どうせルフィは野生の勘で明日にはナミを取り戻しに来るだろうから、今だけは俺に姉を独り占めさせてくれと心で呟いた時、ナミがニンマリと笑って言った。
「月が綺麗ね、サボ」
「ははは!……そうだな、俺もナミを姉として愛してるよ」
「あら、普通に通じたわね。つまんないなー。動揺してくれても良かったのよ?」
じゃれ合いのような会話を楽しめる現実がある。その幸福を噛み締めながら、俺は長い事離れていた姉との時間を取り戻すように、他愛ない会話を重ねて行く。
もう少しだけこうしていたいと願っていたからか、俺は子供の頃に戻ったような気分で素直に笑えていた。それを見ていたのは、空に輝く月と星だけ。