人間なんてものは全て駆逐して、妖怪だけの世界になればこれ程煩わしい事に気を揉む事も無いのかねェ……。そんな事をグラスを傾けながら考えてると知られれば、親父に叱られるだろうか。
それとも、アホンダラァと笑ってくれるのだろうか。人間に悪戯する奴が居るらしいからと、親父自らこちらに足を向けたのだ。
そんな中で、俺達が何もしないなんて選択肢がある筈も無い。その為に、現在酔える訳でもねェのにグラスを傾けてる訳だ。
これでせめて親父と酒を呑めるならば違うのだろうが、何処に現れるか分からないからと全員が違う店に居るのだからそりゃ楽しくも何ともない。次は何を頼むか……。
そんな時店内が明らかにザワついた。苛立ちもあり何事かと視線を向ければ、噂の女だとしか思えない女が入口にいた。
その足取りには迷い無く、カウンターに向かっている。そこで女が頼んだのはプチ・スクウィレルだ。
おい待て、冗談だろうと恐らくカクテルに詳しい人間は全員思っただろう。アルコール度数が30を超えれば強いとされる中で、このカクテルの度数は42だ。
確かに甘い口当たりだが、だからこそ、何も知らない小娘に提供して持ち帰るのに使われる事が多い酒だ。カクテルの色と髪色は確かに合っているが、そんな事で決めていいような酒では無い。
それから自分の呑んでいたカクテルに酔わされて変な夢でも見ているのかと、ヴェルジーネと言う名のカクテルを睨んでみても、どうにもならない。ちなみにこのカクテルは、天女をイメージして作られている。
……天女かはともかくとして、目的の女を見逃したとあれば叱られるかと自らのグラスの中身を空けてから、ゆったりと立ち上がる。マスターにミモザを頼み、顎で女にと示せば納得した様子を見せられた。
群がろうとする愚かな男達を視線で制して、ゆっくりと歩み寄れば女の視線が俺に向けられた。困ってますと言いたげなその視線を受けて、まだ子供のようだと気付く。
肉体美と艶やかな髪、物憂げな雰囲気で顔立ちの幼さをカバーしていたらしい。……だとするならば、目的はなんだろうねェ?
男漁りをするような性格にも見えねェ上に、何処か小動物を思わせる怯えたような雰囲気。それでいて勝気な猫のような瞳。
……男好きしそうな女だ。だが、明らかに世間を知らないお嬢ちゃんだとも分かる。
「お前さんには、まだこっちの方がいいんじゃないかい?」
「……私、お酒には強い方なのよ。でも、気遣ってくれてありがとう」
「何故、気遣いだと?」
問いかければ不思議そうに俺を見て、女はクスクスと笑った。酒に湿った唇が妙に美味そうに見える。
「私の髪の色に合わせて、アルコール度数が10以下の物を出してくれるのが、気遣い以外の何かしら?」
「酒を見ただけでわかるのかい?」
女は小首を傾げて笑う。面白そうに。
「シャンパングラスにオレンジ色のお酒なんて、そう多くないわ」
「……参ったな。もっと無知なお嬢ちゃんかと思ったが……慣れてるのかい?」
女はその問いに困ったように笑い、お酒は好きなのよと言った。カクテルには言葉があるけど、そっちは専門外よと最後に付け加えて、グラスを空にするとご馳走様と言って去ろうとする。
ご馳走して会話してサヨウナラじゃ、間違いなく叱られると女の手を掴めば、驚く程に細い。その指に触れればペンダコがあり、色の白い肌の理由も見えて来た。
「……待ちなよ」
「私、帰らなきゃ」
指先が異様に冷たい。酒を呑んだとは思えない程に。
血を長く飲まなかった吸血鬼が、崩れる寸前にそうなるのを知っているが、どうにも吸血鬼と言うには何かがおかしい。そうだ、獰猛さが無い。
小動物のような吸血鬼がいたとしたら、襲う事等出来ずに襲われて終わりだろう。それでは血も飲めずに死ぬしか……とそこまで考えて、まさかと思う。
「お前さん、吸血鬼か?」
「なっ……!」
顔色が真っ白になり、成程と思う。殺さない程度に血を吸って、それでも生きる為に男達を見ていたと考えれば噂との合致もする。
「……俺は吸われてもそうそうで問題も無いタチだ。おいで、そのままだと崩れるだろ?」
声をかければ微かに瞳を揺らして、小さく頷いた。素直に着いてくる様子に、血を飲ませてから話を詳しく聞いてやるかと思う。
安い部屋を取ったからか、ベッドと窓しか存在しないそれにもう少しマシな所を選ぶべきだったかと1瞬考える。だが既に今更かと仕方無くベッドに腰を下ろせば、ビクリとする女に、良いからおいでと声をかける。
怯えた様子で俺に近付き、戸惑いながらもそっと首筋に唇を寄せて来る。血を吸う行為そのものに躊躇いがあるのか、男に触れる事に躊躇いがあるのか……。
どちらにしても、可愛いものだ。血を吸い始めて少しすると、吸うのを辞めた女にいくらなんでも早くないかと思うが、その後律儀に傷を消すから思わず笑ってしまう。
「お利口さんだな。血はそれで、足りるのかい?」
「これで、ひと月は持ちます」
そう言った女の頭には耳が生えていて、ハーフかと気付く。それにしても血の必要量が少な過ぎやしねェかと思わなくもないが、話を聞けば成程と思わされる。
「だから、見逃してください。私も、生きないといけない理由もありますから……」
「そういう事なら、俺の血を吸えば良い。下手な男に捕まれば、良いように扱われて最後には崩れ落ちる事になるぞ」
「でも、ご迷惑に……」
「俺は……」
なんだってこんなに親切にしてやるのか、咄嗟に言葉が浮かばない。それでも……この猫が欲しいと心が訴えたんだ、仕方ないだろう。
「お前さんが気に入った。死なせるには惜しい」
「あの、それならせめて、お名前を教えてください。私はナミと言います」
「……妖怪同士で名を教え合うのがどんな意味か、知らない訳か。良いだろう。全て……教えてやるよ」
信頼仕切ったような瞳で見詰めてくる子猫に、狐とは獰猛で狡猾なのだと言う事をゆっくりとその身に刻んでやろうと唇を重ねる。子猫の初心な反応に気を良くして、耳と尻尾が生えるのが自分で分かる。
Trick or Treat……可愛い子猫を捕まえた大妖怪は、子猫を騙す事に少しの罪悪感も感じはしない。永く続く夢の時間に溺れる事になるのは、さて……どちらなのか。