いい女が現れると言われている日に、ただ家に居るのも味気ないと酒場に入れば視線が吸い寄せられるような気持ちにさせられた。……これが、噂のいい女か。
想像していたのとは違い、まだあどけなく更には何処か不安そうにしている様子に、確かに噂通り無垢な雰囲気だなと思う。それにしても……美味そうだ。
俺が女に近付けば人が勝手に散っていく。そんな中で戸惑いを隠しもせずに、けれども真っ直ぐに俺を見つめてくる女。
近付くと柑橘類の香りがフワリと漂い……その食欲を誘う色も相俟って即座に喰らいつきたくなる。隣に腰を下ろせば、女はグラスの残りを1気に飲み干して逃げるように立ち上がった。
その腕を逃がすものかと掴めば、怯えたような眼差しで俺を見てくる。……俺を、知っているのか?
「酒は、得意じゃねェのか?」
「……人が、得意じゃ無いのよ」
予想外の返しに驚く俺に、女は続ける。叶うなら人の多いところになんて行きたくないと。
なら何故こんな所にと思い、あの噂話を思い出す。金が根こそぎ取られるのだと。
……金が必要なのか。ならばとその腕を引き寄せて、その体を抱き締める。
手首も細かったが、腰も細い。それなのに豊満な胸に幼い顔立ち。
食われる為だけに存在するような女だなと小さく笑うと、酒を頼んでもいないのにマスターに金を投げ渡す。それを受けて親指を上に示すから、女をそのまま抱き上げて移動する。
「あのっ!」
「今夜は、俺が相手だ……問題は?」
女は細く息を吐き出してから、分かったわと小さく答えた。その声は震えていて、本当に慣れていないのだと伝わってくる。
部屋に入りベッドに女を下ろすと、首に自ら手を伸ばして抱き着いてきたので、とりあえずそのままにさせてみる。全身が微かではなく震えている事から、顔を見られたくないとかなのか?
そう思った直後に首筋に唇が触れて……微かな痛みを俺に与えた。それにとりあえず人間のフリをして大人しく静観してみる。
それがキスマークをつける行為ではないのは〝同族〟であるが故に分かっちまう。成程、この女吸血鬼か。
主祖たる俺から血を奪おうとするとは……随分、ん?
その時飲むとも言えない量しか吸わずに吸うのを辞めた女は、申し訳無さそうな顔で俺の首筋に残る跡を舐めて消し、その上で……猫耳と尻尾だと?
……ハーフか。通りで必要な血液量が少ない訳だと納得する。
そして、小さく声を掛けてくる。心配そうに、耳をしおれさせながら。
「意識ありますか?多分、幸せな夢を見られる筈なので、許してくださいね。後、違和感無くす為に、お金貰っていきますね」
その言葉は随分と丁寧でそれまでの口調と違う事からみても、相当に気にしているらしい。可愛いもんだな。
そんな言葉が終わるのと同時に、俺の頬へと伸ばされる手を俺はガシリと掴み、引き寄せる。驚いた様子の女は素直に俺の胸に飛び込んでくるから、その唇を奪う。
すると反応が驚く事に、まるで口付けすら初めてであるかのように戸惑いしかない。苦しそうにしている女に、まさかこれまでこうやって来たから無垢なままなのかと気付けば、少しばかり哀れに思えて来る。
……こんな男に見初められるとは、不運な奴だな。子猫ちゃん。
そのままベッドに押し倒せば、遅ればせながら必死で抵抗して来る。だが、ここまでノコノコとついて来たんだ。
今更抵抗するなんてのは、無粋だろう。それにしても、このランクの吸血鬼ならば何故人間を干からびさせずに居られるのか分からないが……。
そこ迄考えて、精神力で生きるのに最低限必要な量で耐えているのかと思い至る。主祖は、人間の血等飲まなくても数百年は問題無い。
それよりも寧ろ同族の血液を数年に1度舐めればその方が有意義で、健康に居られる。それに引替え、最下層の吸血鬼は3日に1度人を1人乾涸びさせる必要がある。
この女のようにハーフだとしても、7日に1度乾涸びさせる必要がある筈だ。となれば、1月に1度では生命維持等本来出来る筈もない。
それも、こんな少量で……。考えている間に、涙声が耳に届いた。
「や、だ……!ベルメールさんっ!ノジコ!」
……耳と尻尾が本気で嫌がり怯えていると伝えて来る。さて、どうしたものか。
怯える子猫を無理矢理と言うのは趣味では無い。しかも呼んでるのも、明らかに女の名だ。
「……同族から血を奪うからこうなる」
「……同族!?え?なら、耳とか無いし、吸血鬼さん?私、干からびるの?」
「いや、俺はそこまで飢えてねェし、それ程多くの血もいらねェから、安心していい」
軽く説教でもと思ったのに驚き怯える姿を見れば、それさえ出来なくなる。そっと動く耳に手を伸ばすと、怯えながらもその場を動かないから適当に触らせてもらう。
「……私、月に1度異性の血液が100mlいるのよ。でも、家族以外とまともに話した事もないし、今回こんな大失敗だし……もうやだ。血液入手しないで私が灰になったら家族が悲しむと思うからそんな事も出来ないし……」
さっき呼んでたのは家族か。珍しいな、家族と住む妖怪なんて基本いねェってのに。
まァ、だからこそこんなに甘いんだろうが……。
「なら、俺の嫁に来るか?」
「……なんでそうなるのよ」
基本的には気の強い猫気質なのかも知れないなと、耳や尻尾を撫で回しながら考える。だが……こりゃァ本気で分かってねェな。
「俺は主祖だ。数百年に1度の血液採取で事足りる。俺の血をさっきの量で良いなら、定期的に分けてやってもいい」
「……助かるけど、対価は?」
「だから、嫁に来いって……」
「形だけ?」
「いや、勿論子猫ちゃんが怯えてたような事をする普通の夫婦生活だ」
子猫は困ったように俺を見て、尻尾を揺らす。それから本気で悩み始めた。
……家族がどれだけ大切に守って来たか伝わるような箱入りっぷりに、つい笑いそうになる。これが手に入るなら数日に1度血をやるくらい、構わねェと思わされる。
「ところで、名は?」
「ナミよ。シャンクスさん」
「俺を知ってたか」
「丘の上にある豪邸に住んでるって、本で読んだわ。……50年前のね。その時点で、息子さんとかかしらなんて考えないで、素直に逃げれば良かったわ」
口ではそうだなと言いながら、俺は逃がす気なんて無かったのだから、無駄な事だと思う。妻にならないと言うならは、ペットとして連れ帰る気満々で俺は返事を待つ。
Trick or Treat……楽しい悪夢は、これから始まり永遠に終わる事などないのだと、子猫は知らずに男を見詰める。どちらにしても今宵、このまま味見はしておこうと考えている男の傍で、無防備に尻尾を揺らしながら。