Last Kiss   作:エビアボカドロックンロール

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 大学の入学式に出席した後の帰り道。サークル勧誘でごった返す正門を抜けて大通りまで出た俺は、そのまま下宿先へと帰る気にもならずふわふわとした気持ちを持て余すように歩いていた。

 そんな風にあてもなく歩き、やがてたどり着いた土手を下りたところで俺は一目でその風景に心を奪われた。

 

 薄紅色の花弁は河川敷の桜並木を見事に染め上げ、風に揺られる度さわさわと音をたてて舞い散る花の雫は、これでもかと春を春たらしめる。

 桜は一年のうちでこの時期だけ暴力的なまでに春を五感へと訴えてくる。

 

 しかし満開の桜も美しくはあったのだが何より俺の目を引いたのは、ひときわ大きな桜の傍にあるベンチで、こっくりこっくりと舟を漕ぐ美しい女性だった。

 彼女も入学式だったのだろう。スーツを着ているが新入生とは思えないほどよく似合っている。

 いつから眠っているのか頭に桜の花びらを乗せた彼女は誰かを思わせる亜麻色の髪を片側の鎖骨から胸元へと垂らしており、ブラウスを持ち上げるほど大きな双丘が殊更に強調されている。

 

 つーか昼間とはいえこんな街中で寝るとか警戒心なさすぎだろ…

 

 風邪をひかないように起こすか、せめてジャケットを掛けるか色々考えたが見ず知らずの俺にそんなことされる方が怖いだろうと悩みに悩んだ末、それでも何かあった時に知らんぷりをしたのでは寝ざめが悪すぎると思い起きるまで隣のベンチで本でも読んでいることにした。

 

「これは…寝落ちするまで座ってるのも分かるな…」

 

 座ってみて初めて分かったが正面に対岸の桜が一望できるベストポジションだった。

 川幅が5mほどしかないので対岸と言えど迫力は十分で、視界一杯に広がる桜並木はいつまで見ていても飽きない。

 

 ちらりと横目に確認してみれば美女が眠っており正面には満開の桜。とても先ほどまで人ごみの中にいたとは思えない安らぎに思わず口角が上がる。

 とりあえず取り出した文庫本に目をやるもどうにも滑り文章が入ってこない。なにをするでもなくベンチへと深く腰かけると、木漏れ日と桜の香りが全身を包み込み心地よい眠気を誘う。

 

「くぁ……」

 

 やがて眠気に抵抗することを諦めた俺はゆっくりとまどろみの中へと落ちていった。

 

 

ーーーーーー

 

 

「さむっ…」

 

 左側に温もりを、右側に騒がしさを感じて目を覚ますと辺りはすっかり暗くなっていた。

 寝起きでぼやける視界には街灯の明かりとその下でどんちゃん騒ぎを繰り広げる若者たちが映る。

 

「ケッ、花見を理由に騒ぎたいだけなら山にでも行って絶叫してろよ。いや、山にも登山客がいるな……合法的に大声を出せる場所……」

 

「カラオケなどはいかがですか…?」

 

「なるほど。迷惑な人間を自然に解き放つのではなく、部屋にまとめて隔離しようってわけか」

 

「あ、いえそういうつもりで言ったのでは…」

 

 眠る前に見た美しい光景とのギャップに思わず悪態をついたが、俺の呪言のせいで登山客の皆様にまで迷惑をかけてはいけないと思い言葉を詰まらせていると頭上からアドバイスが降ってきた。

 

 頭上?

 

「ふふ、おはようございます」

 

「お、おはようございます…?」

 

 慌てて飛び起きる。

 楚々と笑みを浮かべて俺を覗き込むのは、起きるまでせめて近くにいようと決めていた隣のベンチにいたはずの女性だった。

 左の頬に残る温もりから察するにどうやら…膝枕されていたようだ。

 どうしよう、知らない人に膝枕されちゃったよ。――後で怖い人が出てきてお金請求されたりしないよね?

 

「寝苦しそうにしていたのでつい……迷惑、でしたか?」

 

「あ、いや、ご、極上でした」

 

「極上ですか…ふふ」

 

 やばい、焦って気持ちの悪いこと言ってしまった…

 俺の言葉をかみ砕くように口の中で転がし、何がおかしいのかまたも笑顔を見せてくれる。

 ちくしょう、可愛いなおい。

 うっかり花見客の喧噪も忘れて見入ってしまいそうになるがこれだけは言っておかないといけない。

 

「あの…知らない人にこんなことするのは…勘違いする人もいるので良くないと思いますよ…」

 

「入学式で新入生代表の挨拶をしてた比企谷さんですよね?」

 

「……同じ大学なんですね」

 

 俺の入学した大学では毎年、各学部が持ち回りで入試の成績優秀者を代表挨拶に選ぶのだが運の悪いことに今年は文学部がその担当だった。

 そして学費免除による錬金術を狙っていた俺は無事それを達成し、引き換えに1万人以上の学生の前で壇上に立たされ、もはや緊張すら越えて夢見心地で過ぎていく時間に身を任せるはめになった。

 

「つーか結局知らない人じゃないですか」

 

「あはは、やっぱり覚えてないですよね…」

 

「…思わせぶりなこと言いますね」

 

「ほら、入試の日に電車で、ち、痴漢されそうになってた」

 

「………あー」

 

 ふっ、まったく記憶にないわ。

 

 いや、そういえば電車で路線図を見ようとドアの方へと移動したときに妙に鼻息の荒いおっさんが舌打ちしてきたが、あの時の人だろうか。

 実際は女子高生が痴漢されそうになっているのを見過ごして罪悪感を抱えながら試験を受けるのが嫌で無理やり割り込んだだけなので、その女子高生を助けようと思って行動したわけでもないし、本来なら駅員へとそのおっさんを突き出すのが正しい行動だったはずだ。

 

 結果的にその時の女子高生である目の前の女性も同じ試験を受けていたので、事情聴取などで時間を取られなかったことを考えるとあれが最善であったと言えるかもしれないが少なくとも俺は俺のことしか考えていなかった。

 

「あの日はお礼も言えないですみませんでした。どこかでお会い出来たらあの時のお礼をしようと思っていたんですけど、まさか同じ大学で、それも壇上に立っている所を見つけられるなんて思いもしませんでした」

 

「……膝枕をしてあげるのがお礼だなんて、ずいぶん自分を高く見積もってるんですね」

 

「そ、そういうわけではないですっ!膝枕は私がしたいからしていただけで…」

 

「………」

 

 入試の日に痴漢に遭いそうな所を助けられ、お礼を言う前に消えてしまった人と入学式で再開することができた。

 ここだけを切り取るとまるで今からラブコメでも始まりそうなもんだが、お礼を言えずに消えた人と再会するのは1年開けるのが俺のルールだしあの時と違って今回はそもそもお礼を言われる権利すらない。

 

「さっきも、たぶんですけど私がこんなところで寝ちゃってたから隣にいてくれたんですよね?」

 

「それは…」

 

「今日のことも含めてお礼をしたいので…連絡先を、教えていただけませんか?」

 

「………」

 

「申し遅れました。私…三船美優、です」

 

 

ーーーーーー

 

 

 それからもう遅い時間だからと帰っていく彼女を駅まで送っていった俺は家までの道を歩きながら考える。

 

 断ろうと思えば断れたはずだ。

 彼女からのお礼を受け取る権利は俺にはないし、それ以前に事実を説明すれば彼女は失望の表情とともにどこかへと消えていくだろう。

 しかしどうしてもそれをすることが出来なかった。

 

 これがうわさに聞く一目惚れなのだろうか。

 

 “初恋”がまだなわけでもあるまいに、この歳になってまさかこんな感情になるだなんて思いもしなかった。

 桜が舞い散る中で眠る姿に、寝起きの俺を見て微笑む姿に。

 どうしようもないほど彼女の笑顔が俺を捉えて離さない。

 

「おかえり八幡、友達はたくさんできた?」

 

 いっそ“初恋”ならよかったのに。

 

 玄関で俺を迎えてくれる“彼女”を見てそんな事を思う俺は、本当に最低だ。

 

 

 

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