大仏の兄は飄々としている   作:奈良の大仏

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番外編:子安つばめの想起

 それを見たのは数年前、私がまだ中等部の時だった。

 彼氏とひどい別れ方をしてまだ私が傷心していた時期に私は、放課後の時間を持て余しながら、ぼんやりと夕暮れに滲む公園を当てもなく歩いていた。

 

「……おい、そっちに行ったぞ!」

「やっちまえー!」

 

 ばちゃばちゃ、けらけら。

 少し前方にわいわいと遊んでいる子供達が見えた。

 水鉄砲や水風船を使っているところから、何かごっこ遊びでもしているのだろうか。

 客観的に見ればかなり重装備をした子供3人が、ひとりの少年を追いかけ回している。

 逃げている少年も水鉄砲を持っていたが、反転に転じる様子はなさそうだ。

 グループの中では気弱ないじめられ役なのかもしれない。

 しばらく様子を見ていたら、逃げていた少年が足を滑らせて盛大に転げてしまった。

 見たところ、膝からは血が滲み出てていて、かなり痛そうだ。

 頭から地面に突っ込んでしまったらしく、ゴシゴシと土で汚れた顔や髪を手で払っている

 

「だっせ!」

「うわ……お前泣いてんの? キッモ! 明日みんなに言いふらしてやろーぜ!」

 

 仲間の3人はバカにしたように笑いながら転けた男を中心に見下ろしている。

 手を貸してやる様子はない。

 下校中の生徒や、通りすがりの老人も何人かいたが、そもそも関心を持っていないのか、無視しているのか、皆速度を買えずに歩き続けている。

 まあ、いじめているつもりはないんだろうが、転けてしまった少年はいまにも泣き出しそうだ。

 水で濡らしたハンカチで転んだ子の膝を巻いて上げて、ついでにちょっとやりすぎだと3人に注意してあげよう。

 気づいてしまった以上、ここで見ないふりして通り過ぎるっていうのは私にはできないし。

 そう、私が思った瞬間———。

 

「おー! あぶねぇー!!!」

 

 どっしゃあーと大きな音を立てて、男子中学生が硬い地面にダイブした。

 なにが起こっているのか理解できず、私はぽかんと口を開けた間抜け面でその光景を眺めていた。

 戸惑う少年たちをそっちのけにして、その男子中学生は盛大に痛がる。

 制服を見るにうちの学園の学泉の生徒だ。

 

「うおー!! ちょー痛い! 思ったより痛い! 助けてくれがきんちょ達!!」

 

 先ほどまでは名も無き通行人を装っていた他の人たちも思わず立ち止まり、その喚き散らす男を見て唖然としていた。

 友達同士でひそひそと話しながらシャッターを切る者もいる。

 会話が聞こえてきたわけではないが、その雰囲気から察するに、おそらく彼はかなりの有名人なのだろう。

 私の方向からは彼の後ろ姿しか見えないため、誰までかは分からない。

 秀知院学園の生徒であれば、確かに有名な生徒が1人や2人ざらにいるにはいるのだが。

 それなのに男子中学生は、周りの視線も、破けてしまったであろう制服のズボンも意に介さぬ様子で、少年たちに泣きついていた。

 あまりにも熱の篭った演技と勢いに、細かいことなはどうでも良くなったのか、転けた少年ですら「……馬鹿じゃん」と呟いている。

 

「誰がバカだよ。転んだら痛いものは痛いだろ」

 

 男子中学生はそう言って周りを取り囲んでいた3人の持っていた水鉄砲と水風船を指さした。

 

「お、懐かしい。どうせだし俺も混ざっていい?」

 

 あっけらかんと言った様子でそう言ってのける男子中学生。

 場の空気を読めているか、読めていないかで言うと、どう見ても前者である。

 そんな様子も少年たちからすれば受け入れ難いものだったらしく、彼らは男子中学生にも聞こえる声で内談を始めた。

 

「おい、この兄ちゃん、変だぞ」

「テレビでよく見るけど、こんな奴だったの? 姉ちゃんがファンだって言ってたのに」

「どうする? 追っ払う?」

「おー、なんだやる気か? いいぜ。”4対1”でも俺は勝てるから。あんまりオトナをなめんなよー」

「いや、お兄さん中学生でしょ。オトナじゃないじゃん」

 

 ごもっともなツッコミを入れながら、最初に転けた少年も他の3人と合流して男子中学生を襲う。

 

「おい! そっちに行ったぞ!」

「やっちまえー!」

 

 ばちゃばちゃ、けらけら。

 少年たちと男子中学生の追いかけっこが始まる。やっていることは先ほどと同じはずなのに、いつの間にかその空間はきらきらとした温かい笑い声に溢れていた。

 ……なに、なにが起こったの?

 男子中学生たちはその後10分ほど遊び、なぜか元気の良い声で別れを告げあっていた。

「じゃーな、兄ちゃん! また遊ぼうぜ!」と言って、そのまま4人全員が肩を並べて元気に駆けていくのは、びしょ濡れになった少年たち。

「おう。次は手加減しないぞー」と気の抜けた返事をしているのが、思いっきり汚れた男子中学生である。

 私はそこでようやく彼の顔を見ることができた。

 全てのパーツが整った顔に、太すぎず痩せすぎず、誰もが見惚れるような洗練された体格。

 テレビを見ていれば、一度はその顔を見たことがある人物に私はふと声をかけ、水で濡らしたハンカチを差し出した。

 彼はそれを受け取った後、私の制服をじっと眺めてふと口を開く。

 

「ん? もしかして同じ学校の先輩?」

「えー、あー、うん。そうだよ。確か大仏くん、だよね?」

「俺のこと知ってるんすね」

 

 彼は何が楽しいのか、子供のようにころころ笑う。

 

「あー、かなりズボン破けちったな。こりゃ新しいの買わないとダメか。ねえ、先輩。悪いんですけど、先輩は体操服とか持ってないっすか? 俺、今日何も着替え持ってないんすよ」

 

 血が滲み出ている箇所を私のハンカチで巻きながら彼は言った。

 

「……あるけど、体育で使ったから、そのー……匂うかも」

 

 カバンに仕舞ってあった体操服を取り出して渡すと、彼は「気にしないっすよ」と言って受け取った。

 

「俺こう見えても芸能人だから、何かと注目されるんすよ。だから、こんなボロボロだと流石に、ね?」

「あー、まあ学校の体操服なら男女一緒のデザインだし問題ないのか」

「そう言うことっす。なんかすみません、ハンカチも借りたのに体操服まで借りちゃって。女の人、そう言うの嫌いでしょ」

 

 さっきまでの子供っぽい印象はどこへ投げ捨てたのやら。

 彼はあまりにも大人っぽい対応で私に頭を下げた。

 

「いいよ、気にしなくて……ただ代わりにひとつ聞いてもいいかな?」

「はい?」

「どうしてあんなことを? 普通に考えたら、転けた子を起こして、他の子を軽く叱るっていうのが正解だと思うんだけど、私もそうしようとしたし……」

 

 彼は口元に手を当て「うーん……」としばし考え込む。

 何か具体的な理由があっての行動ではなかったらしい。

 

「よく分かんないですけど、叱るって面倒じゃないですか? やった方もやられた方も嫌な気持ちになって帰らないといけないし」

「でも、自分を汚す方が面倒じゃない? 君って有名人なんだし、きっとさっきの行動はS N Sで拡散されると思う」

 

 彼はそれを聞いてもまだ微笑みながら、真っ直ぐ私の目を見た。

 なぜだか私は、心の奥まで見透かされているような気持ちになる。

 

「先輩がどうしてそんな辛そうな顔してるのかは分からないですけど……」

 

 優しい微笑みが、力強く、温かい、それでいて芯の通った笑顔に変わる。

 

「自分がしたいからそうしました。誰かにどう思われたいとか、誰かに褒めてもらいたいからとか、そんなのどうでも良いんです」

 

 ……すぐには言葉が出てこなかった。

 ほとんどの人間にとって、自分の言動や行動に伴う他者の目は切っても切れない関係にある。

 彼氏と別れたのだって、そういうのが原因だったりするし、私が女の子たちから嫉妬されているのもそれが起因してる。

 だけどこの人は、「自分がそうしたい」というシンプルでいて、他人から許容されなさそうな気持ちひとつで行動したのだ。

 まるで、自分が自分であることを誇りに思っているかのように、今俺のいる場所が俺のいるべき場所で、俺の意思が俺の道標だと言わんばかりに。

 そうして導いた結末は、私が想像していたそれよりも、もっとずっと素敵なものだった。

 

「……もうひとついいかな」

「いいですよー」

 

 彼は私の考えていることなんか気にもしないかのように、せっせと濡れた制服の上着を絞っている。

 

「友達になってください。私と」

「———うん、わかった。俺の名前は……って知ってるんだっけ」

 

 真っ赤に染まる夕焼けをバックに、彼はふわりと微笑んだ。

 濡れて頬についた髪の毛も、土で黒くなった頬の部分も、転んで破けてしまった制服のズボンさえ、なぜかとても尊く、美しいもののように映る。

 

「先輩の名前は?」

 

 だからこれはきっと運命なのかもしれない。

 迷っていた私に舞い降りた、ひとつの小さな幸運なのかもしれない。

 気がつかなければ見つけられなかった、道端に咲く小さな小さな奇跡。

 

「私の名前は子安つばめ。子安つばめだよ」

 

 そっと胸を抱きしめ、それを慈しむかのように、私は彼の目を見て名前を告げるのだった。

 

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