大仏の兄は飄々としている   作:奈良の大仏

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早坂愛の告白、そして罪。②

『無理だし! こんなところから降りれないし!』

 

 数年も前の夏の出来事である。その日は茹だるような暑さだったのを覚えている。

 その日、私は主人が初めての男友達だと言って連れてきた人と虫取りをしに、家の者たちに黙って自然公園へと遊びに来ていた。

 

『降りれないって……君が俺の忠告も聞かずに登ったんじゃないか』

 

 主人の男友達は呆れた目をしながら、木から降りれなくなって泣きじゃくる私を見ていた。

 私はそれが堪らなく恥ずかしくて、さらに目頭へ涙をため嗚咽を漏らす。

 

『だって、登ってる時は下なんて見ないから……こんなに登ってるって思わなくって……』

 

 今人生を振り返っても、あれだけ人前で泣いたのはこれが最初で最後だっただろう。

 あまりの醜態さに主人も私を見ていられなかったのか、さっさと虫取りを再開してしまった。

 そのため今そこにいるのは、降りれなくなった私と、それを呆れながら見てる彼だけである。

 

『はあ、仕方ない待ってろ』

 

 少しすると男は呆れたようにため息をついて、肩にかけてあった虫カゴをそっと地面に置く。

 一体なにをするつもりなのか、そんな風に泣きながら考えていると、男は私でも降りれなくなった大木にひょいひょいと上がってきた。

 

『登れたんだから降りれるはずだ。降りれなくなったのは怖いから』

 

 男はそう言って恐怖で縮こまっていた私にそっと手を差し出した。

 

『怖いなら一緒に降りてやる。さ、行こうぜ』

 

 なんでもないような声をさせながら、さも当然のような振る舞いで私を誘う男。

 まるで風に吹かれている鯉のぼりのように飄々としていて、雄大で……。

 私はそれを見て思わず流れていたはずの涙を止めてしまうのであった。

 

 

 

§

 

 

 

 早坂愛(わたし)にとってあれは非常にレアなケースだった。

 誰かに自身の感情を爆発させる。普段、絶対にしないようなことを、あの瞬間、私は大仏たいきにしてしまったのだ。

 その理由はなんとなく察しがついている。

 ———四条眞妃との秘密の交際発覚。

 彼の情報は仕事柄、そつなく全てを集めていた私だが、この情報だけは手に入れてなかった。

 たいきであれば私やかぐや様に嘘を言わないだろうという信頼。

 さらには彼らへの後ろめたさが足を引っ張っているのは間違いない。

 今までは彼が話すことだけで全てを完結させていたのだ。

 しかし、それを差し引いても解せないこともある。

 恋愛事情を全て話せとまではいかないが、四条の娘と付き合っていたのなら、それは四宮家側の人間からすれば一報くらい入れて欲しかった。

 これは本家から情報を流すという意味ではなく、かぐや様との関係上を鑑みての感想である。

 もしかしたら友達と思っていたのは私たちだけで、彼から見た私たちはそこまで大切な友達じゃなかったのだろうか。

 そう思うと、体の芯が冷えて堪らなく辛い気持ちになる。

 それと同時、裏切り者の自分を棚に上げている私が、嫌いで嫌いでしかたなかった。

 

「こんなところにいたか」

 

 主人が帰宅する時間を手持ち無沙汰で待っているとその声は聞こえた。

 振り返ってみると、先ほどまであれやこれやと悩まされていた件の男が、ヘラヘラとしたにやけ面で立っている。

 私はそれを見てどうしようもない怒りが込み上げ、ちっと思わず舌打ちをした。

 

「なんで舌打ちされたの俺」

 

 たいきはそれでも臆することなく私のところへと近づいてくる。

 私が苛立っていることには気づいていないのか。

 

「べっつに〜。ロリコンの大仏くんには関係ないし」

「ロリコン……? 取り消せよ、今の言葉……!」

「誰もワンピースのモノマネしろなんて言ってないじゃん」

 

 素でネタをぶっこんでくる彼に呆れながら私は、頭を左右にふった。

 これじゃ色々と考えている自分が馬鹿らしい気持ちになる。

 どうせ彼は特に何も考えていないだろうし。

 

「まぁ、それは良いとして、早坂はここで何してんの」

 

 そう言って彼が見渡すのは、現在私たちがいる図書館。

 彼の手にも何冊かの本が持たれており、どれもこれも見たことのない本たちであった。

 

「ちょっとね〜。アルバイトが始まるまでここで暇つぶし? みたいな〜」

「ふーん。ならちょうどいいや。ちょっと付き合ってくれね?」

 

 そう素っ気ない態度で突き放すように言ってみるも、彼はそれを歯牙にも掛けない様子で返事する。

 やっぱり、私が怒っていることなんて彼は気づいていないらしい。

 もし気づいてれば、ここまで素っ気ない態度など取れないだろう。

 

「付き合うって何だし。そもそもウチが付き合う必要なくな〜い?」

 

 私はそう言って、気分が悪いと言わんばかりに席を立ち上がる。

 図書館には現在、司書さんしかいないため、人の目を気にせず私は彼を睨んでやった。

 どうせだ、このままかぐや様を連れて帰ろう。

 今日は生徒会もオフのため、弓道部に寄ったまま帰宅すると言っていたし。

 少し早めに帰宅するよう誘導しても、文句を言われないだろう。

 そう思って彼の隣をすり抜けるように歩き出せば、ばっと目の前に彼の体が立ちはだかった。

 

「この前のこと謝りたいと思ってな……めんどくさがって逃げたし」

 

 そう言われて私は少し黙考した。

 この前のことを謝りたい?

 さっきまでどうでも良さげに飄々と会話していたくせに、次はそんな事を言うのか。

 

「何それ。怒ってるって気づいてるなら、もうちょっと言い方あったはずだし」

「いや、まあ、そうだな。悪い」

「そもそも面倒くさがってってなに……? そんなの許せるわけない」

「はは、おっしゃる通りでございます」

 

 自分で言ってて気持ち悪くなる。

 どの口がほざくんだと思ってしまう。

 毎夜、彼らの情報を本家に流している分際で、彼に機嫌をとってもらおうなど烏滸がましいと感じてしまう。

 それなのに私の口は止まってくれなかった。

 決壊したダムのように、ダラダラと言葉の波が溢れては流れた。

 止まって欲しいのに、その感情の止め方を知らない。

 彼はそんな私を見ながら、どこか居心地悪そうに、私の汚いところを受け止め続ける。

 

「スタバでも行こう。奢る」

「だめ……、イニシャルがいい……」

「えー、表参道だろ。絶対人多いぞ」

「関係ないもん……」

 

 私がそういえば、彼は静かに口元に手を当て考える。

 

「……しゃーねー。変装するから家寄ってからでいいか」

 

 諦めたように彼はそう言うとポケットからスマホを取り出して、ぽちぽちと操作した。

 多分、かぐや様に「愛かりる」とでも送っているのだろう。

 彼女もたいきからこう言われば基本的に折れてくれるし、そう言った時は便利である。

 

「愛も制服は脱いでから来いよ」

「分かってる。ついでに寄りたいところもあるから寄っていい?」

「いいけど、遅くなるのはちょっとまずいんじゃ無いのか」

「別に……少しくらいならいいはず」

 

 私たちはそう言って図書館を後にする。

 彼と2人だけで出かけるのなんていつぶりだろうか。

 ずい分と懐かしい気がする。”あの時”から彼とは話しづらくなったため、こういう時間も減った。

 所詮、私は情報を垂れ流しにする裏切り者で、目の前にいる彼は私に裏切られている可哀想な役者だ。

 それ相応の関係を保たなければ、いつかは破綻してしまう。

 もし私が情報を流していると知られれば、彼女や彼はどのような反応をするだろうか。

 やはり軽蔑するだろうか。いいや、それくらいで済めばまだマシな方だろう。

 きっと、どうしようもなく嫌われて、どうようもなく穢される。

 私という薄汚い人間が迎えるところが、ハッピーエンドなわけないのだから。

 

「ねえ、たいき」

 

 だからこれはただのエゴだ。

 押し付けたいだけの気持ちでしかない。

 相手のことも考えず、自分だけを省みる気色の悪い自己満足。

 自慰となんら変わらないだけの汚れた考え。

 それを私は今から彼に実行する。

 

「もし私が困ってたら、またこうやって昔みたいにたいきは手を差し伸ばしてくれる?」

 

 私がそう言うと、彼は思い悩むように目線を空中へと投げた。

 1秒か、それとも1分か、時の概念がおかしくなるような感覚が私を襲う。

 それでも聞いてしまったからには、相手の答えを待つしか私にはできない。

 

「何かの謎かけは知らんけど。その言葉通りの意味で聞いたんなら、その時は多分———……」

 

 彼はそう言ってぽそりとその答えを呟いた。

 

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