大仏の兄は飄々としている 作:奈良の大仏
「ボケー」
帰ってきてからと言うもの、兄はこんな調子で放心状態だった。
何があったのかは知らないが、こんな蝉の抜け殻と化した兄を
読みかけのファッション雑誌を手に持ち、目線は面白くもないB級映画を見つめている。
どこからどう見ても、何かあったのは間違いないはずなのに、兄から私になにか告げることもなかった。
側から見ていて鬱陶しいと感じるのが正直な気持ち。
なので私は、そんな腑抜けた兄をソファから蹴り落とすことにした。
「てい」
「あがっ」
私の蹴りによって力なく床に倒れ伏す兄。
それがゾンビのように立ち上がると、私に覇気のない視線を送ってきた。
「こばちちゃん……兄に向かってなにするんですか」
「見ていて、鬱陶しい、きもい、死ねばいいと思ったから蹴っただけ」
「いつにも増して毒が強い気がするんですけど……」
「いてて」と兄はおじさんくさい言葉を発しながら、改めてソファに腰掛ける。
見ていて少しだけ滑稽だなと思ってしまった。
ミコちゃんがこの場にいれば、かなりどやされただろうが、今は兄妹水入らずの時間だ。
家には兄と私しかいない。
「で、なにがあったの?」
だからこうやって聞きたいことを直球で聴くことができた。
兄も私がどう言う意味で聞いたのか察しているらしく、気まずそうな表情をしながらため息を吐く。
人前では笑ってばかりだが、家に帰ると案外表情豊かなのだ、兄は。
「少し長くなるぞ」
「は? 長いの?」
「……紅茶淹れさせていただきます」
私の率直な感想を聞いた兄は、そのまま台所に行って紅茶を淹れてくる。
こう言う時に兄妹とは実に便利な存在だ。
何を欲しているのか言わなくても、勝手に相手が心情を汲み取ってくれる。
言わないでも分かる関係というのは家族のことなのかもしれない。
さて、そんな訳で兄が紅茶を淹れてきて私が座っている隣に腰掛ける。
紅茶から湧き出る湯気は、まさにこのゆっくりと流れる時間を体現しているように見えた。
紅茶を手に取って一口飲めば、なるほど薄い。
普段から紅茶を淹れ慣れてないことが一発で分かる味わいである。
「今日帰り遅かったじゃん? 実はかぐやの見舞いに行ってたんだよ」
私がティーカップから口を離したタイミングを見つけて、兄が喋り始めた。
「四宮さんの?」
「ああ、風邪を引いていたらしくてな」
「ふーん。そうなんだ」
出てきた感想なんてものはその程度のものだ。
昔から兄と四宮かぐやが仲良しなのは知っていた。
誰がどうみても、友達以上、もしかしたら親友以上の間柄に見える二人。
そんな関係柄のせいか、兄が体調を崩した時は四宮さんが、四宮さんが体調を崩した時は兄が見舞いに行くことなんて、ざらにあった。
今更、この程度の情報で驚いたりする私ではない。
兄が悩んでいるのはきっとそれよりもっと先の話に違いないのだから。
「そこでな、少しトラブルがあったんだよ」
「トラブル、ね」
「ああ……かぐやが風邪を引いた時とかってアホになるだろ?」
「まあ私も二、三回くらいはそれを見たことあるし、知ってる」
初めてみた時は、あんな冷たい人が弱ればこんな感じになるんだなって驚いた。
それこそ天地がひっくり返るぐらいに。
「そう、そのアホ状態のせいなのかもしれないんだけどさ……あいつから 」
「四宮さんから?」
「"結婚したい?”って聞かれたんだ」
数秒の沈黙。
私は白い天井を見上げ、ゆったりとした動作で掛けている丸メガネを取る。
いま兄はなんと言っただろうか。
四宮さんが兄に「結婚したい?」と聞いてきた?
ふむ。なるほど。どうやら聞き間違いではないらしい。
では、そこにはどう言う意味が込められているのだろう。
結婚したい、結婚したい、結婚したい、結婚したい……。
「意味がわからない」
私の脳は完全にフリーズした。
「だろ? 俺もよく分からない。正直、かぐやが俺のことをそんな風に見ているとは思わなかった」
兄妹というのは常日頃から一緒にいることが多い存在だ。
さらに加え、私たちは家庭の事情的にも、歳が一つしか変わらないということからも、他の兄妹に比べて距離感が近い。
それ故に私と兄との間に隔壁というものはあまりなかったりする。
お互いのプライベートなんて、今までの恋人以上に知り尽くしてしまっているし、相手の癖なんかも色々と知っている。
だからこそ分かってしまうのだ。
兄のこの言葉が本当なのだと言うことを。
「でも、それはただアホになった四宮さんが適当に言った言葉じゃないの?」
「それも考えた。でも、あいつがアホになった時に出てくる言葉は全てあいつの本心だ」
本心、か。
「まあ、でもその程度なら悩むことないと思うけど」
「うーん……そうか?」
兄は私の言葉が信じられなかったのか、疑わしい目で見てくる。
「だって別に好きって言われた訳じゃないんでしょ?」
「残念ながら、その後に言われたんだよ」
「ほら、言われて……え? 言われたの?」
私が驚嘆の声をあげると、兄は冷静な表情で「うん」とだけ返してきた。
あちゃー、言われたのかー。
そうなってしまっては、「結婚したい?」が求愛の意味を帯びてくる。
今までただの友達感覚で共に接していた二人の関係が縮まってしまう。
さて、妹としてこれは喜ぶべきことなのだろうか。
これまでみたいにビジネスのような恋人関係ではない、本当に身も心も焼け焦がすような情熱な恋愛関係。
それを、昔から自分のことをぞんざいに扱ってきた兄が手に入れることに、私は心から祝福してやるべきなのだろうか。
「仮に、仮にだけどそれらが本当に私たちの考えているようなことだとしたら、お兄ちゃんはどうするの」
「どうするって、どう言う……」
「論理的に考えて、四宮さんと付き合うのかって話」
四宮さんと兄の関係は長く太い。
流石に兄妹より長いということはないが、それの次に長いのは間違いなかった。
そんな二人が恋人関係になる。
第三者から見てみれば、これほど望ましいことはないのかもしれない。
だけど、私みたいに四宮さんや兄の関係を近くから見ていた人間としては、あまりに唐突であまりにも意外すぎることである。
今まで友達のような関係性を築いていた二人が、いきなり恋仲の関係にまで進展する。
これによって起こる化学変化は誰にも想像ができなかった。
「でも、かぐやには両思いの奴がいるんだ」
「? そんなの関係ないじゃん。お兄ちゃんがどうしたいかでしょ」
私はそうやって兄の顔を真剣な眼差しで射抜く。
兄がどうして今まで四宮さんを恋愛対象として見ていなったのかなんてのは流石に分からない。
もしかしたら、四宮さんに本命がいるため、知らず知らずのうちに身を引いていたのか、それとも最初から勝ち目がないと感じ、無意識に考えないようにしていたのか。
どれも正しいようでどれも間違いな気もする。
それでもこうやって出てきた問題に対し、今兄の気持ちは揺らめているのを知った。
そうでなければこんな悩んだりしていないだろう。
兄はきっと四宮さんに対しての感情を再設定し、新しい答えを導き出す。
それがどんな結果になろうと、それを兄が望むのなら私は文句を言わない。
例えそれで友達が泣くことになってもだ。
「お兄ちゃんは、四宮さんのことどう思ってるの」
ここから始まる物語は、きっと残酷で、とても美しい物語なのだと私は信じている。
§
同時刻。
かぐやは寝室でゆったりと目を覚ました。
「目覚められましたか」
四宮かぐやの侍女である早坂は、主人の目覚めに合わせて頭を下げる。
「あれ、どれくらい寝てたのかしら……」
「3時間は寝ておられました。喉が渇いていると思いますので、こちらで水分補給を」
「ありがと早坂」
そう言って早坂の手から渡された水の入ったグラスを受け取ると、かぐやは一気にそれを煽る。
熱が出ていたし、かなりの量の汗をかいていたに違いない。
かぐや自身に記憶は無いが、それでも苦しかったりしたのだけは覚えている。
見てみれば着ている服もぐっしょりと濡れていた。
そのため、あらかじめ早坂が用意していたであろう換えの服にかぐやは着替えることにした。
「かぐや様、こちら学校のプリントです」
かぐやが着替え終わると、扉の近くで待機していた早坂から今度は茶封筒が手渡される。
「あら、ありがとう。あなた学校休んだんじゃなかったの?」
「たいきと会長がお届けしてくださいました」
「へ、へー、たいきと会長が……」
そこまで聞いてかぐやの顔は自然と青ざめていく。
昔から自分は弱っている時に何かしらやらかしていることが多いと、たいきから聞かされていた。
そんな時に今もっとも会いたくない二人と会っていたとなると、自分が何かやらかしていないか不安で仕方がなかった。
「は……早坂……私どこまであの二人に……!!」
聞いておかなければいけないこと。
それを真っ先に確認するべく早坂に問いかけると、彼女は持っていた端末をかぐやに見せた。
「一応、録音はしました。会長に対してかぐや様は同衾を強請り、たいきに対しては告白まがいのことをしてしまっていますね」
「あ、ああああ……」
早坂から提示されたタブレットから流れ出る音声。
それは全てかぐやの胸に突き刺さる現実をことごく告げるだけの物だった。
「私はふしだらな女だわ。死んだ方がマシかもしれない……」
「そうかもしれませんが堪えてください。まだ、なにがどうなったのか分かりませんので」
あまりの事実に塞ぎ込んでしまうかぐやを、早坂はそっと肩に手を置いて静止した。
かぐやとしては、明日からの学校生活、誰とも顔が合わせられそうにない。
現状でも、早坂の顔を彼女は直視することができなかった。
「かぐや様が三日前に私に言ったこと。たいきが自分のことを好きかもしれないという話。それがもし本当なのであれば、かぐや様がおこなったこれは……」
早坂の声と同時に聞こえてくる「わたしと結婚したい?」という音声。
それに加えて「わたしはたいきのことすきよ」とまで言ってしまっている。
誰がどう聞いたってこれだけだと勘違いしてしまう。
「わ、分かってるわよ……! でも、この『結婚したい?』はたいきが本当に私のことをそういう風に見ているか確認したかっただけで……そ、それに『好き』って言うのは友達とか親愛としてって意味で……離れたくないって言うのも……」
「たいきからすれば、文脈上どうやっても男として好きって聞こえてしまいます」
「う、うぅ」
反論の余地も挟まさない早坂の口撃によって、かぐやは何も言えなくなった。
普段よりもどこか攻める口調になっている気がする早坂。
しかし、彼女はそんな感情を顔には出さず、はあと盛大なため息を漏らすだけにとどめた。
今ここで主人を問い詰めるのは意味がないと思ったのだろう。
「さて、かぐや様はどうなさるつもりですか」
「ど、どうって」
「かぐや様が好きなのは会長。それは私も分かってます」
そうかぐやの好きな人は白銀御行と言う男である。
その事実だけは絶対に変わることがない。
これまで生徒会室で繰り広げた恋愛頭脳戦だって、かぐやからしてみれば全て真剣に打ち込んできたものばかりである。
それも、たった一人の男を落とすために。
「ここまでしてしまったのですから、たいきがもし告白してきたら付き合うのですか?」
「そ、それは……!!」
かぐやは早坂の言葉を聞いて咄嗟に振り返る。
反論できないけど、それでも反論しなければと言う気持ちから焦ってしまったのだろう。
だけど、かぐやから言葉が出ることなどなかった。
中身の伴っていない空虚な嘘も、単語を並べただけの支離滅裂な妄言も、何も出なかったのである。
だってそこには、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる早坂の顔があったのだから。
「かぐや様はたいきのことを本当はどう思っているのですか?」
ここから始まる物語は本当に、残酷で、とても美しいものなのだろうか。
次回はみんな大好きな白銀圭ちゃんが主役。