大仏の兄は飄々としている   作:奈良の大仏

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白銀圭は推している。

 ある日のことである。

 勉強の息抜きにとつけたラジオからそれは流れ出た。

 

『大仏って書いて”おさらぎ”って読みます。どうか、覚えてくださいね』

 

 最初はただの気分転換のつもりだった。

 それこそ作業用B G Mとして機能すればいいな、くらいの短慮な考え。

 しかし、私はいつの間にか彼の話すことを一言一句逃さないよう、耳をそば立てていることに気がついた。

 

『好きだからですよ。好きだからこそ、時には逃げたっていいんです。また向き合うために』

 

 だからこれは運命の出会いだったのかもしれない。

 母との生活に疲れ、心労を削っていた私に対して、優しい神様がくれた素敵なプレゼント……。

 

 

 

§

 

 

 

 秀知院学園中等部は高等部より徒歩5分の距離にある。

 近さ故にO B O Gを尋ね、高等部に訪れる後輩たちも少なくない。

 白銀圭(わたし)もそのうちの一人。

 今日は、兄が部活連会議があるのと、中等部生徒会の仕事として訪れていた。

 

「しっかり賄賂は送ってくれたんだろうな?」

「まあ、送ったけど、どうなるかは分からんぞ」

「ダメだった時はお前の給料で天文部(うち)の足しにしてやる」

「いや、それは横暴すぎな」

 

 高等部の廊下を歩いていると、そんな不穏な会話が聞こえてきた。

 今回の部活連会議は部の予算案についてらしいので、こういう話題が蔓延っているのだろう。

 事実、兄も今日の朝まで説得するための準備やら、プレゼン資料やらを作っていた。

 兄は外部入学の生徒会長なので、通常の倍は準備に手間取るらしい。

 まあ、確かに。こういう会話が聞こえてくるくらいだ。分相応以上の覚悟で挑まなければ、やはり外部入学の生徒会長は務まらないのだろう。

 それにしても、すごく聞き覚えのある声なのは気のせいだろうか……。

 女性と男性が話しているのだが、そのうちの男性の方に関してだけ聞き覚えがある。

 

「あ、それと夏休みだけど」

「あーすまん。今回の夏休みはほとんど撮影だ。暇な日が分かったら連絡する」

「またかよ。少しは休めよ、”たいき”」

 

 私がその言葉を聞いた瞬間だった。

 持っていた資料を全て廊下にぶち撒けてしまう。

 先生や中等部の生徒会長から、大事な資料だと言われていたものたちだが、今の言葉を聞いてどうでも良くなった。

 それと同時、先ほどまで会話していたであろう人物たちが、角から現れる。

 

「それじゃ、私は会議にいくわ」

「おう、ガンバー……ん?」

 

 私に気がついたのは男性の方だった。

 女性からたいきと言われていた高等部の先輩。

 その老若男女問わず見惚れてしまいそうなほど美しい造形に、私は思わず唾を飲んだ。

 

(な、な、な、生たいき君!!!!)

 

 次の瞬間、心の中でファンファーレが吹かれた。

 ずっとずっと推している芸能人が目の前で私の顔面を見つめているのだ。

 しかも至近距離で!

 これで興奮できないファンなら、いつ興奮できるというのか!

 たいき君が昔からこの学園に在籍していることは知っていた。

 兄から知り合いだということを聞いたことだってある。

 それでもファンとして彼のプライベートへ勝手に突っ込むのを嫌い、下手に見にいくのも失礼だと考え、他の子達とは違って待ち伏せはしなかったし、高等部にはわざと近づかないようにしていた。

 今日だってたまたますれ違えばいいなー、くらいの気持ちはあったものの、自分から会いにいくと言うことは全く考えなかったし、ましてや会話をしようなどと算段も立てていなかった。

 それなのに……それなのに、だ。

 なんたる偶然なのだろう。こんな至近距離で見つめ合うことができるなんて考えもしなかった。

 後で萌葉に自慢しなくちゃ。(使命感)

 

「おーい、大丈夫?」

 

 私があまりの感動に固まってしまっていたせいか、彼は困ったような笑顔を浮かべた。

 ああ、私のせいでたいき君が戸惑っている……。

 それだけでなんとも罪深いような気がして、私の気分は180度に急降下する。

 しかしそれと同時に、自分を心配してくれているという事実は実に幸福な心地だ。

 今日は間違いなく良い夢が見れる。

 

「だ、大丈夫、です……」

「? まあ、それならいいけど。はい、これ」

「え?」

 

 そうやってたいき君が渡してきたものは私が落としていた生徒会の書類だった。

 どうやら私が昇天しかけている間に拾っていてくれたらしい。

 やっぱりたいき君は優しいな。

 ……って、そうじゃない! お礼を今すぐ言わないと!

 

「あ、あの! ありがとう、たいき君!」

「え?」

「あっ……」

 

 私は咄嗟に出してしまった自分の言葉に対し絶句する。

 思わず口をもらった書類で塞いだが、出てしまった言葉は今更引っ込むことなどなかった。

 現在、秀知院学園でたいき君は私の先輩。

 ファンが推しを君付けで呼ぶのはともかく、先輩に敬語もつけず「君」付けで呼んでしまうなんて……。

 私としたことが、あまりの思いがけないアクシデントに素を出してしまった。

 いつもテレビやラジオの前でやっている自分を出してしまった。

 途端に顔が茹蛸のように火照りだしたのが分かる。

 この羞恥心を掻き消してくれるのなら、真冬のプールだろうと飛び込める。

 

「す、すみません……! い、今のは違くて……ですね! 緊張してしまったというか、あの、慣れない高等部の校舎に……!」

(何言ってるの私!?)

 

「あはは、いいよ別に。俺のこと知ってるんだ」

 

 たいき君が私を宥めるようにはにかんだ。

 その光景があまりにも美しくて、一瞬、私の口から言葉の一切合切を無くさせる。

 

「っ、それは……有名ですし」

 

 当然だが、さっきの無礼を踏まえて「ファンです」、などと啖呵切って言えない。

 こんな非常識な後輩が自分のファンと知ったら幻滅されてしまいそうだし、何よりマイナスな印象を最初に持たれたくなかった。

 いっそのことこの出会いすら記憶からデリートしてくれないだろうか。

 私は忘れないけれど。

 そんな傲慢な考えを浮かべながらも、ひとまず、私は”名前だけを知っている後輩”を装うことにした。

 

「大仏先輩はいつも放課後学校に残ってるんですか?」

 

 ついでに話題も挿げ替えよう。

 そう判断した私は、口から己の欲望を吐き出すかのようにそんな質問を投げかけた。

 弁明にはなるが、決して学校に残ることが多いのなら放課後に高等部へ突撃しようなどとは考えていない。

 時折、たいき君のファンが待ち伏せしていたりするのを見かけるが、私はあんな非常識なファンになりたくないのだ。彼のプライベートを自分の欲望で潰したくはない。

 

「んー。前までは多かったかな。話相手がいたからさ」

 

 たいき君はそう言って、にへらと力なく笑った。

 いたからさ、という表現の仕方には幾分か疑問を挟む余地がある。

 まるで旧来の親友がどこかへ転校してしまったかのようだ。

 

「今はいないんですか?」

 

 私は自慢の髪の毛を耳にすっと掛けながらたいき君に問うた。

 

「いないと言うかぁ、気まずいと言うか。なんだかお互いにギクシャクしちゃってる感じなんだ」

「それは……悲しいですね」

 

 たいき君が私の言葉を聞いて視線を空中へと投げれば、なんとも言えない空気感だけが漂った。

 少しばかり踏み込んだ質問をしてしまっただろうか。

 そんなことを考えれば、数秒前の自分を殴り飛ばしたい衝動にかられる。

 

「ごめんごめん、君が心配することじゃないよ。大丈夫だから」

 

 私が気まずさに目を伏せていたからだろうか、たいき君は私を励ますようにそう声をあげた。

 こんなんじゃダメだな。

 ファンとしても、後輩としても、私はたいき君に会ってから困らせてばかりだ。

 いつものテレビで見る笑顔のたいき君を私は取り戻したい。

 

「あ、あの」

「でも不思議だなー。俺は君とどこかで会った気がするんだ」

 

 私の言葉を遮って、そんなナンパ師みたいな言葉を吐くのは、意外にも私の推しであった。

 

「え? 私と……ですか?」

「ああ。どこで会ったんだろう? すごい見覚えがあるんだけど」

「しょ、初等部の時ならすれ違ってる可能性があるかも、しれません……ね」

 

 そうやって書類で口元を隠しながら私は言う。

 今は頑張って冷静に分析している感を出しているが、内心では心臓が張り裂けそうでやばい。

 推しが私のことを知っていた? これはファンとして光栄すぎることである。

 確かにイベントごととなれば、ほぼ毎度のこと参加していたし、色々と節約しては彼のグッズなども買い漁ったりしている。

 そんな私にとって、相手が自分のことを認知していると言うのは、神に祝福された信徒並みに嬉しい事実であった。

 

「んー、いや。最近見た気もするんだけどな」

「最近ですか?」

 

 思わず口がにやけた。

 口元を隠していなければ、今頃わたしは完全に変質者扱いされそうな顔面をしている。

 そんな私の苦労も知らず、たいき君はさらに小首を捻った。

 

「失礼だけど、名前聞いてもいいかな?」

 

 たいき君がそう言って私の顔面をじっと眺めてきた。

 あー、だめだ……。私は今日きっと死ぬんだ……。

 そうに違いない。こんな幸福なことが立て続けに起こった場合、人は死ぬと相場が決まっている。

 幸福と不幸は帳尻を合わされるものだ。

 ああ、ごめんね。おにぃ、お母さん……ついでにお父さん。

 先に旅立つ私を許して。

 

「し、白銀圭です///」

 

 私は頬を朱色に染めながら、推しに名前を告げた。

 今日からたいき君は私の名前を覚えてくれるのだろう。

 つまり、彼の脳みそに私の一部が刻み込まれると言うことになる。

 さっきまでの傲慢な考えなど最早切り捨てた。

 たいき君の頭の中から私との出会いが消え去ってほしいなど、微塵も思わない。

 今日、私が死んでもたいき君の心の中で、私は生きていけるに違いないのだから。

 

「白銀? 白銀って高等部生徒会長の白銀と同じ字の?」

 

 たいき君が驚いたような表情をしながら、私にそう尋ねた。

 ——なんだか嫌な予感がする。

 これ以上聞いてはいけないと、防衛本能がけたたましいサイレンを鳴らしている感覚。

 だけど、ここで踏み込まなければ永遠とこの蟠りが残りそうで嫌だった。

 なので私は恐る恐る、天に祈るように彼に聞いてみる。

 

「え、えーと。その白銀は私の兄ですけど……」

「あー! やっぱりそうか! どうりで見覚えがあると思った!」

 

 だめ! やめて! それ以上は言わないで!

 それなのに体が動かない。

 私の体が無意識にたいき君の声を求めているせいだ。

 動画サイトでも彼の切り抜きばかり見ているせいだ。

 それがこんなふうに仇となって返ってくるなんて……。

 

「圭さんは御行と目元がそっくりだね」

 

 その瞬間、私は死ぬよりも不幸なことがこの世にあるのだと自覚した。

 

 

 

§

 

 

 

「そういえば圭ちゃん。今日、高等部の方に来てたんだって? 藤原書記が見かけたって言ってたけど、大仏には会えた? ファンなんでしょ?」

「……さい」

「え? なに?」

「うっさい! きもい! 死ね!!」

「えぇぇぇ!? 何で!?」

 

 これからは非常識なファンと思われてもいいから、たいき君から兄のイメージを払拭させようと決める白銀圭であった。

 

「寝る前にたいき君のドラマ見よ」

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