おやすみラッピー   作:錫箱

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第四話:車輪の上、偽造の下

「メイヤーちゃん、追加人員って?」

「んー、まだ予備役扱いの戦闘オペレーターなんだけど『様々な観点からロドス職員としての経験を積みたい』っていうことみたい。あ、女の子だよ。えーっと……年頃は……これ見た感じ、ラップランドと同じ、くらいの……?」

「へぇ? そうするとまだ子供じゃないかい?」

「……こやつの(とし)なら訊かぬほうがよいぞ。他者に流させた血の量に比すれば若年に過ぎるが、見た目ほどにはうら若くもない」

「アハ、その問題についてはお互いに苦労しますね。先生?」

 

 

 第四話:車輪の上、偽造の下

 

 

 ボク以外、つまり学者連中はまだ色々と準備があるというので、ミーティングを畳んで慌ただしく動き回り始めた彼女らを放置し、ラボをあとにした。

 またエレベーターに乗って下層へと降りていく。「また」だ。このつまらない冷感の箱が、天井以外すべてガラス張りになっていたらどんなに楽しいことだろうか、とはよく考える。少なくとも望まない方法で運ばれていくような不快感は軽減されるだろうし、ちょっと下を見れば気を紛らわすことだってできる。夜空を見るな

 微かな揺れと失調する均衡感に耐えるとようやく扉が開く。そこはロドス下層のとあるセクション、たとえば装甲車とかジープなんかの素敵な乗り物が保管されている大きな車庫のような場所だ。むきだしのコンクリート床と鉄骨の柱。

 整然と並んでいる車両の類は用途別に迷彩色で塗られているものの、近づいてみれば車種がてんでバラバラ、雑多な寄せ集めであることが容易に判るだろう。この組織が軍拡を図るようになってからはまだ日が浅い、その証拠だ。

 

 やや騒がしい一角へ足を向ける。砂色のジープとトラックが数台まとめて並んでいるそこには果たして数人の人員がいて、貨物用エレベーターから次々と物品を運び出しては荷台へと積み込みくくりつけていた。

 ボクは歩み寄りながら手を広げ、声を上げる。

 

「やあ、やあやあ。ご苦労様、もしくはお疲れ様。メイヤー技師のキャラバンはこれかい? ビーチパラソルは積んだ? スイカのゴムボールは? レモネードは? イカした夏には大抵人工血液のパックも必要なんだけれど、少数派に対しての配慮はしてある? ん?」

 

 二つの沈黙があった。一つは作業をしていた彼ら彼女らがこちらに降り向くまでの数秒間という短い沈黙で、もう一つはその後に続く完全な無視に起因するものだった。

 手を降ろし、なんとはなしに大股で刀の柄をカチャつかせながら車両の一つに近づいてみる。こちらに背を向けて荷台の下のタイヤをいじくり回している中年がらみの作業服の脇に立ち、車体にもたれ掛かりながらぼやいてみせた。

 

「時々そこに積まれてるようなパラボラ・アンテナが羨ましくなるよ。彼女の聞き上手なことと言ったらどうだろう? 手続きさえ踏めば、少なくとも確実にボクの言葉すらも聞いてくれるはずだよ。死の如く押し黙ったままね」

「…………」

「で、こっちは独り言なんだけど──さっきドクターから聞いたんだ。素敵な仲間が一人ほど増えるってね。下で待たせてあるって話だったっけなぁ。もしその──ヒトのことをすこーしでも教えてくれるならボクの興味はそっちに移るだろうし、ここを立ち去りたくもなるんだろうけどなぁ」

 

 一瞬の沈黙の後、彼は低い声で「ジャッキの側から脚を退けてください」とだけ言い、手に持っていたスパナで右斜め後方を指した。

 立ち位置を十数センチ横にスライドしつつスパナの指す先を見ると、数十メートル先、エレベーターの扉(当然ボクの利用したものとは別だ)の前に立つ二人の人影が見えた。一人は白衣を着た医療部のニンゲン、もう一人は──黒っぽい服の女、ウルサス人か? 

 

「ありがとう。よい休暇を」

 

 手を振って車両の側を離れる。

 エレベーターの前で会話しているらしい二人に近づくにつれ、その容貌がはっきりしてきた。白衣の方は年配のリーベリ人女性で、医療部の──心療とやらをやっている部署にいたはずだ。ロドスに滞在するようになってから何度か顔を合わせたことがある。最後に会った時は確か心理テストの席上で、複雑な形をしたシミがプリントされている紙を見せられ「これは何に見えるか?」と訊いてきたんだったかな。

 何と答えたのかって? それは──ほら、彼女がボクに気づいた途端露骨に嫌な顔をして会話を切り上げ、そそくさとエレベーターの中に消えたことからも明らかだろう。

 

 かくして扉の前には、黒っぽい服を着たウルサス人の女が一人残された。ボクはエレベーターの去った天井の方を見上げながら彼女に近づいた。

 

「彼女……名前はなんだったかな。まあいいや。あの顔を見ていると、何故だか投影法の心理テストによく使われる黒いシミを思い出すよ。キミは──」

 

 そこで初めてボクは彼女を観察してみる。まだ年若いようだ。ガッコウに通っていてもおかしくはないくらい……髪は濃いグレー、瞳は暗いワインレッド。肌には血の気……というより生気が薄く、こちらを不思議そうに見上げる目元には薄く隈が浮かんでいた。体つきこそ豊かだったが、裾や襟から覗く手首や首筋などは青白く華奢で、とても健康とは言い難い、虚弱と衰退の印象を受ける。

 

「──キミはあの顔を見て何を思い起こす?」

 

 ボクは自分の首筋を撫でていた。そうしていないと、不審げにこちらを窺っている少女の首へ手を伸ばして、その脈に触れたいという衝動が膨らみ続けるような気がしていた。

 

「……あなたは?」

 

 ぴしゃっと首筋を叩いて。

 

「ああ、ごめんね。ボクはラップランド。向こうに見えるキャラバンの御守りを仰せつかってね。出立までやることもないから退屈してたんだ──さて、キミは?」

「……コードネームはアブサント。あの、直前に無理を言ってごめんなさい。ここに来てからはまだ日が浅くって──迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、よろしく」

 

 そう言って軽く会釈する少女──アブサントに、ボクは精一杯の自制心でもって微笑みかけた。

 水が呑みたい。

 

「……いや、いや、お互い様さ。ドクターや他の医者たちはよく、ラップランドは剣を振る以外に能のない患者だと言う。けれどそう思われたって仕方ないくらいには、ボクの経験も足りていないんだからね。たとえば、スポーツとか音楽とか、料理についての経験は特に」

「そう、なの?」

「だから気負う必要はないよ。ボクは長年に渡り様々な分野において欠落していて、キミはまだ……ああ、そういえば」

 

 彼女の容姿、というか年齢と今回のロドスを取り巻く状況にはやや齟齬がある。そう、ドクターが言っていたじゃないか。次のシエスタ行きは「若者たちのための息抜きだ」って。

 

「キミくらいの年の子だったら、浜辺のバカンスもそう悪いものじゃないと思うんだけど──シエスタ行きは嫌なのかい?」

「ううん、別に」

 

 アブサントと名乗る少女は即座に否定してみせる。眉間に寄った僅かな皺、一瞬硬直した背筋、呼吸の深さ。

 ボクはそういうの(防衛反応)も好きだよ。

 

「さっきも言ったけど、私はオペレーター活動をするようになってからまだ日が浅い。休暇なんていらない、早く色んな仕事を覚えたい、ってドクターに言ったら、この調査隊を紹介してくれたの」

「立派な心がけだね」

 

 ボクは本心から言った。彼女の腰や肩掛けのベルトから分厚く丈夫そうなポーチが提っており、腰のホルスターにはよく手入れされていることが一目で判る回転弾倉式の銃──を模したアーツ出力ユニットが刺さっている。

 ウルサス人。学生くずれ。この向上心。そして静かでひた向きな性根の窺える口調。たおやかというよりは弱々しい、しかし徐々に盛り返しつつある途上のような生気。

 ああ、そう、なるほど。ずいぶん掴めてきたかもしれない。

 立派な心がけだね。

 

「……ともかく、歓迎するよ。といってもボクには何の権限もないから、隊長や学者連にも紹介しなきゃいけないんだろうね──おや? 噂をすれば、というやつか」

 

 その時ひときわ大きな金属音がして、ボクたちはその発生源に振り返らざるを得なくなった。ジープの車列にほど近い壁のケージがガラガラと開き、中からかなり多数のコンテナと、防水シートに包まれた何らかの機材を積んだ台車が進み出てきた。どうも金属音は貨物用リフトが到着した際のものだったらしい。

 数台の台車の後かひょこっと出てくる二つの影。メイヤーとマゼランだ。

 

「上面のタグに車両番号が振ってあるから、対応する車両へ積み込みの方お願いします! みんな、よろしくー!」

 

 メイヤーのよく通る声に従い、車列の周囲にいた作業着たちがのろのろと積み込み作業にかかる。背を丸めたミーボが次々とコンテナに収まり、衣類やテントとおぼしい長包みが無造作に荷台へ投げ込まれ、マゼランのドローンが誤作動を起こして天井まで飛び立ち、混乱の最中に作業着の一人が収容待ちのミーボにつまづいてスッ転び、作業は実に順調な進行を見せていた。

 

「……あれ、手伝いに行った方がいいんじゃ」

「どうかな。キミはあそこの──角刈りのペッローがどうやってあんな速さで荷台へ荷物を結わえ付けているか解る?」

「ん……? ごめんなさい。そもそも見えない」

「あれはウルサス最西部の川で漁をしている銛師が好んで使う結びなんだ。彼がそこ出身かどうかは微妙なとこだけど。習得するにも少し時間がかかると思うし、他の連中が固定作業を彼に一任しているところを見ると、今さら一人二人増えたところで邪魔になるだけなんだろう」

「そ、そう」

「他の流れを見ても、ノウハウのないボクたちが加わって加速するかどうかはかなり怪しいね。すげ替えるとすれば指示を出しているあのメイヤーくらいかな」

 

 メイヤーは頭の回転が速く、実に合理的で分かりやすい指示を出す能力を持っている。人柄も明るく嫌味がない。

 が、なんだろうね。それでも開発部のスタッフの間で、彼女の評判がよろしくないという話は本当なんだろうと作業着たちの動きを見て思ったよ。

 アブサントはしばらく黙って積み込み作業を見守っていたが、やがてぽつりと言った。

 

「人の上に立つのって大変なんだね」

「単純に能力が高い、高すぎるというのも苦労するといういい実例だろう。こういう時、もう一枚上に立つべきはもっとこう、嫌に人の気持ちをコントロールするのが上手い輩とか、恐怖政治を敷けるような──」

 

 ちょうどその時車両群にほど近いエレベーターの扉が開き、真っ白な長髪をたなびかせた黒いコートの女が入場してきた。お待ちかねのワルファリン医師だ。

 医師は手を叩きながら作業場に接近し、

 

「おいお主ら、何をちんたらやっておるか。あと二十分もすれば妾たちは発たねばならんのだぞ。ぱっぱと動かんか! ……さもなくば楽しいシエスタ休暇前にお主らの血液を徴収することになるぞ。許容量いっぱいまでな」

 

 見る間にも作業の速度が向上した。荷物は丁寧に素早く積み込まれ、固定され、各車両の点検が行われ、ミーボは全て箱に収まり、マゼランのドローンは降下した。

 

「──ご立派なヒトでないとね。じゃあ、行こうか。見学くらいなら許されるだろう」

 

 ボクはまごついているアブサントを尻目に歩き出した。数歩遅れてついてくる足音が聞こえる。都合のいいことに、彼女は赤の他人と並んで歩こうという積極的な交流姿勢を持つ気はないらしい。

 運が良ければ、彼女のことを紐解く機会も訪れるだろう。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 五台の車両に必要な物資が積載され、いよいよ出発という段になった。

 アブサントをメイヤーたちに引き合わせると、マゼランもメイヤーも嫌な顔一つせず彼女を歓迎した。マゼランなどは握手した手をぶんぶん振ってアブサントを大いに困惑させたほどだ。なんでも、休暇を蹴ってまで未知の事柄に挑戦し、新たな技術をも身に付けたいという姿勢を評価したらしい。

 

「今どきこんな立派な子なかなかいないよ? あたし、たまにロドスが預かってる子供たちのところへ地理とか数学教えに行くけど、だーれも工学の特に面倒な部分とか、測量には興味ないみたいなんだよね……お医者さんとか戦闘オペレーターもそれはそれで立派だと思うけど、あたしの見てるような極地の夢を少しは理解してもらいたいーっていうのは傲慢かなぁ」

「……今の私に出来ることは少ないかもしれない。進む方向だってまだ定かじゃないから……でも、だからこそ技能は増やしておきたくって」

「うんうん、感心感心。向こうについたら、探索のたの字からしっかり教えてあげるからね!」

 

 どうやらボクは彼女の面倒を見ずに済むようだ。それでいて探索中、調査隊の「安全」はボクの手中にあるというのだから、見方を変えればこの旅も中々悪くはないのかもしれない。

 なおも弾んでいるマゼランとアブサントの会話を後ろに聞きつつ、車列の先頭に位置するジープの運転席を覗き込む。メイヤーは先程からそこで何やら書き物をしていて、鉛筆の走る音が車内にぎっしりと籠っていた。

 

「隊長どの?」

「うわ! ……あーびっくりした。なぁに?」

 

 ちょっと顔を近づけすぎただろうか。ボクは助手席の半ばから身体を引いて車外に出た。

 

「失敬失敬。いやね、クルマは五台もあるけれど、一体誰が運転するんだい? まさかあの娘にもハンドルを握らせるつもり?」

「あぁ、いやいやそんなことないってば。後ろ四台はオートパイロットだよ。このジープだけ私が運転するの」

 

 チラッと後続に停まっている四台を見てみる。ジープがもう一台、コンテナを背負ったトラックが二台、最後にホロつきのトラックが一台。

 

「じゃ、ボクは一番後ろの荷台を借りようかな」

ガード(護衛)的に背後への備えね。んー、ありがたいけどオススメはできないかな。荷台だと十分に身体を固定できるものがないから、荒地を走ってる間あちこちに身体をぶつけることになるよ? それか、ミイラみたいなぐるぐる巻。運転席にしなよ。視界ならミラーとモニターがついてるし、なによりふかふかのシートとベルトつき」

 

 なに構うものか、とせせら笑いかけてやめておく。メイヤーの提案の方が合理的だし、理屈を抜きにしても今のボクはさほど自分を罰したい気分でもない。立場上は、荷台の隅で振動に打ちのめされながら犬ッころのように丸まっているのがお似合いなんだろうがね。ボクたちの昔を思い出すよ。

 

「では遠慮なく──何かまだ、ボクに手伝えることはないかい」

「んー、大丈夫。君は万が一の切り札であって、作業員じゃないからね。あ、そうだ。暇だったらカーステレオとかナビのモニター使いなよ。出発してもしばらくはロドスの艦内放送くらい拾えるし、現地ではシエスタの放送も視聴できると思う」

「検討しよう」

 

 ジープから離れて車列の最後尾へ向かう。途中、四台目にあるトラックの陰から出てきたワルファリン医師と鉢合わせした。

 

「……何か?」

「いや」

 

 老獪なブラッドルードは実にわざとらしくボクから目を反らし、片手でコンテナの扉をロックした。

 

「お主の健康状態には留意するようケルシーから釘を刺されている。あまり妾の手数を増やすような真似はしてくれるなよ──事実、積んだ医薬品の三分の一がお主のためのものだ」

「それなりに長いこと──貴方ほどではないでしょうがね──健康に関する仕事に携わってきましたが、断頭台の比喩がいつ訪れるかなんて予測できたこともありません。アハ、確約はしかねますよ」

「ふん。その口が叩けるなら簡単にくたばりはしないだろうが……此度はそうでないとしても、いずれロドス・アイランドの存在はお主の死になりうるかもしれんぞ」

「そう、『ボクの日』はまだ先です。その日はきっと満月の頃合いで、紙タバコの火も失せるほどの雨が明け方の路地裏に降っているでしょうから」

 

 ボクはポケットから例のヘッドセットを取り出し、イヤーモニターを耳朶に挟み込んだ。この話はそろそろおしまいにした方がお互いのためだ。

 

「先生に従いましょう。タブレットに溢れんばかりの錠剤を飲んで、健康的な生活を」

「つまらん奴だ。……夜更かしもほどほどにしろよ」

「お互いにね」

 

 するとこの医師は踵を鳴らしながら「阿呆! 妾の夜行性は種族上の特性であって不摂生ではないわ!」と、先ほどまでの加減をかなぐり捨てて年端も行かない娘御のようにむくれ始めたので、ボクはカラカラわざとらしく笑いつつも、さっさと退散することにした。中型とみえるトラックの運転席へ登り、ドアを閉めてしまえば誰の声も聴こえない。

 

 車内は薄暗く、シートやドアの内側に使われている合成樹脂に特有の、胸の悪くなるような重たいニオイが微かに漂っていた。それよりも──誰かここで数日内にフライドポテトを食べたね? 興味が湧かないだけで忌避すべきニオイではないが、これを麗し日々の友とすることを是とする世界ならば今頃焼肉の香りを封じ込めた香水が大流行していることだろう。

 ああ、吐いたため息さえいずれはその臭気の一部だ。ボクは数十秒車内を見回し、ようやく発見したエンジンスイッチ(この手のクルマには乗らないものでね)を捻った。空調が目当てだったが、それ以外にも成果はあった。カーステレオのスピーカーから音声が流れ出したのだ。

 

【……へ、第二格納庫から制御中枢へ、こちら『回収隊』のMayer。要件は送付したコードの通りです。そちらの準備が整い次第、ハッチの開放をお願いします。オーバー】

【こちら制御中枢臨時預かり中のクロージャだよん。了解Mayer。本船は既に減速段階に入っており、320秒後には停船シークエンスが完了します。ハッチ開放とタラップ展開にはもうちょい掛かりそうだから、気長に待っといてね。オーバー】

【こちらMayer。ありがと。シエスタ土産よろしくね!】

 

 どうやら勝手に近辺の無線通信を受信しているらしい。しかし、あと五分か! ボクは半ば投げ遣りな心持ちで適当にダイヤルを回し、その時々で流れ出る言葉の数を受け止めてみた。

 

【──三十一分、四十秒をお知らせします】

【『きょーのゲストは~ハイ! 戦場カメラマンとして有名な『シーン』さんです! お越しいただいてありがとう! シーンさん、カシャのラジオルームへようこそ!』「よ──ーろ──ーし──……】

【──ンジフロア清掃、完了しました。もうフケても大丈夫っすか。ラジオ始まっちゃうんで】

【お土産何がいい? 食べも──】

【さあ頑張るぞクリちゃん! 内側からワサワサとハガネガニのピーちゃんも来る! しかし先頭は──】

【もしもしメランサ隊長ですか? こちらメイリィです。こないだケーちゃんに噛みちぎられちゃったやつの代わりに教官から新しいイヤホンもらったので、試しに連絡してみました! 今日のおやつはチョコビスケットです。メランサちゃんは何食べるの? どうぞ】

 

 ……ポケットにはメモリーカードが一枚入っている。ボクの大事な音ばかりが詰め込まれたフェイバリットだ。ステレオの端に見える挿入口にこれを入れるべきだろうか? 

 シートに深く身体を預け、ポケットから取り出したそれをフロントガラスの光にかざして見つめる。この耳障りな電波たちを潔く受けとることが、果たして代わり映えのしない脳内の哲学に何か変化を与えてくれるだろうか? 

 無線の呼び出し音が鳴った。光っているパネルスイッチを靴先で押す。

 

【メイヤーだよ。そろそろっぽいからベルト締めて準備しといて】

「了解リーダー。他のイカれたメンバーは?」

【マゼランなら私の隣(助手席)で寝てるよ。いや寝ちゃいないけど。アブサントとワルファリン先生は後部座席】

「そう。他に用は?」

【あー。純粋に興味から来る質問なんだけどいいかな」

「どうぞ」

【君、私物全然持ち込んでなかったみたいだけどいいの?】

「いいんだよ」

 

 昨日転入した新しい居室と、そこへいくらか運び込まれた私物を思い描こうとする試みは、途上で稚気によるささやかな抵抗に遭いストップした。他者の手によって再現(軽蔑)されたあの部屋とガジェットたちを、ボクは自分の帰る場所だとは思えなくなっていた。それに、

 

「このハサミの二刃さえあれば、ラップランドはいつでもハッピーなのさ」

 

 メイヤーがどんな反応を示したかは覚えていない。ボクは無線のスイッチを切って座席を更に奥へと倒し、ほとんど身を横たえた。メイヤーと、ついでにワルファリン医師との会話を思い出してシートベルトを締める。もし事故ったら──ボクの墓碑には「シートベルトとエアバッグに命を救われたループス、拾った命を決闘で無駄遣いした挙げ句犬死にしここに眠る」という一文が刻まれるだろう。

 もはや噛み殺す気すら起こらない欠伸がまろび出る。ひとりでに発進準備をスタートした車のエンジンが足元で振動するのを感じながら、ボクは目を閉じた。

 

 おやすみ、ラップランド。次に目を覚ますときはもっとスリリングな展開になっているといいね。

 

 

 








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