おやすみラッピー   作:錫箱

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おや、■へ入っちゃいけないったら。




第五話:来る・得る・思惟

「──他に、後ろのアレについて訊いておきたいことはないか? 妾の知る限りすべてを答えよう」

「……えっと、ロドスに来る前はそもそもあの人って何者だったの? 出自、というか」

「本人の宣うようにシラクーザの出なのはまず間違いないだろうが……あの地に奴の痕跡は存在しない。シラクーザが秘匿している領域について探れるだけの力を、未だロドスが持っておらんということでもあるのだが」

「……」

「いいか、これだけは気をつけておけよ。奴が我々の前で見せる振る舞いは全て仮面の上の出来事だと思え。奴の機嫌が良かろうと悪かろうと、それは世を忍ぶための面の皮でしかないのだ。疑うことも、信じることもならん。全て流動する虚飾だ」

「えー、それってあの子はすっごいシャイってこと?」

「マゼラン話聞いてた?」

「……いや、解釈はそれでも構わん。そう思っておいた方が奴を変に刺激せずに済むからな。まったく、人選ミスも甚だしいところだ」

 

 

 第五話:来る・得る・思惟

 

 

(夢の中でボクは白亜のビーチに立っている。これが夢なのは百も承知だ。なぜならボクはもう、夢と記憶の中でしか失敗をしないから。

 手には透明な浮き袋が一つある。曇り空の下にうごめく■は黒々として、とてもそこから生命の母が生まれたなどとは信じがたい、恐怖に満ちた潮を静かに湛えていた。

 長い長い時間、ボクは貝殻か、硝子瓶か、もしくは古びたブイのようなものを探して砂浜を歩いている。ここに来たのは失敗だった。

 

(浮き袋を持って波打ち際に行こう。今なら誰も見てやしないさ)

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

【シエスタの皆さん、こんばんは。時刻はたったいま十八時を回りました。さあ、フェスティバルの開催まであとわずかとなった今宵の──といってもまだまだ明るいようですがね──今宵のシエスタ・インフォ・ステーションは、放送時間を普段より三十分延長してお届けいたします。MCはわたくしD・J・シューテッド、ゲストはお馴染み────】

 

「……フェル先生」

 ボクは呟いて目を開いた。運転席の灰色の天井。車輪や燃焼機関の駆動する音と振動。空調のせいか、口の中が渇ききっている。

 夢の内容はぼんやりとながらも覚えていた。白い海辺、初めて見た景色だった。額の汗に手のひらをあてがい、口の端に伝う涎の跡を舐めながら考えてみる。シエスタのビーチに穴を掘って星の反対側に突き抜けたら、果たしてあの浜にたどり着くのだろうか。

 ……トラックは黒ずんだ荒野の中を進んでいるらしかった。ハンドルの向こうのメーターが示す速度は時速五十四キロ。

 外に薄く立ち込めているのは靄か? といってもさほどフロントガラスの視界は悪いというわけではなく、十数メートル先にはコンテナを積載して走っているトラックの背が見えているし、やや傾いた暮れの日差しに照らされて……背の低い灌木の群生や、風食と虫食いに晒された枯木、地衣類に覆われた岩場などを含む景色が左右を通りすぎていくのも見える。

 

【──まずは設営がほとんど終了しました第三ステージ『White Tiger』の様子をお伝えします。全ステージの中で最もビーチに近いこの半野外ステージは──】

 

 ふと気づいた……しかし、なぜステレオのスイッチが入っている? 確かにオフにしてから眠りについたはずだ。ボクはステレオ兼通信装置のコントロールパネルを指で叩いてDJを黙らせ(殺し)、ユーザ・インターフェースのホーム画面を呼び出した。

 自動操縦設定、ロドス管轄のナビゲーションシステム、AV機器設定などに通じるバナーの並んだ画面の上部を、その文字列は横切っていた。

 

【一件の不在着信があります:send from……LANDROVER-B-1 17分前】

 

 どうもこのおかげで機器の電源が入ったらしい。それにしても入電の後スリーブせずにラジオを垂れ流しにするとはなかなかお節介な奴だ。

 この識別番号は恐らくメイヤー達が乗っている先頭車両のものだろう……と、何の気なしにスクロール部分をタップすると即座にコール音が鳴り出した。待て。待てといったら。近頃の通信機器はみんなこうなのか? ボクは指で髪を漉き、口の端を拭って唾液を呑み込んだ。通信での会話というものはどうにも好きになれない。言葉の力を試すべき対象である水面が目の前にないというのに、どうやって自分の顔を見ればいいというんだい。

 余儀なく通信は開かれた。メイヤーのものらしい、機器を通して若干変質した声が「SOUND ONLY」の画面とともに現れる。

 

【はいはい、メイヤーだよ】

「……ああ、何か用だったかな」

【ううん、予定より早かったけどもうすぐ着くって言おうと思っただけ。もしかして寝てた?】

「人事部に出した履歴書にね、今までボクの寝込みを襲ったヒトの数を書いて渡せばよかったかもしれない。今になって後悔してるよ」

 

 半瞬だけ空白があった。

 

【あはは、君寝ててもすっごい切れそうだもんね。いや責めるつもりはないの。ごめんね。むしろゆっくりしてくれててよかった】

「ウカツもいいところ。そっちに何か変わったことは?」

【快調すぎてちょっと拍子抜けするくらいだよ。もっと悪路を予想してたんだけど。そういえばここってシエスタへの移動ルートとしてはわりと確立されてる主要道なんだよね。舗装こそされてないにしても、起伏もなくって路面状況もいい感じ。マゼラン寝ちゃったよ。そろそろ運転交代したいのに……まあいっか。もうすぐだし】

「他の面子は?」

先生(ブラッドさん)はなんかの治験レポート書いてる。アブサントは……ねー、アブサント?】

 

 スピーカーの向こうから小さくくぐもった声で「寝ておるぞ」と聴こえた。

 

「調査隊半壊だね」

【この大地にあるまじき平和っぷりだよ。じゃ、またね。着いたら色々手伝ってもらうかもしれないけどよろしくー】

 

 ほとんど口の中で「アイコピーリーダー」と呟いてボクは画面の通話終了キーを押した。一つ深い息をつき、サイドガラスから外を見やる。乳白色の夕暮れが野を木々を、黒い土を包み込んでいる様子が背後へとスクロールしていく。

 さて、どうしてボクはこんなところに来てしまったんだろうね。昨日から今までに起きた出来事の一つ一つを追っていけばここにたどり着くのは確かだ。それでも、論理的な正しさに導かれてあちこち連れ回されるのは愉快じゃない。夢路の隘路はあんなにも曲がりくねって魅力的だというのに、なぜ現実(ベルトコンベアー)には「始まり」と「終わり」しかないんだろう。

 こんな時にこそ欠伸をしてみたかったが、上手くいかなかった。膝を抱えてフロントガラスを睨め上げる。四台向こうの車両の中で、あの少女たちはどんな貌をして眠っているのだろうか。彼女らの首筋や顎のラインを思い浮かべながら自分の膝の皿をなぞっていると、身体の中に光っている源石がいっそう冷えてゆくようで少し面白い。

 ボクは空調のスイッチに手を伸ばした。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 道が緩やかな傾斜を帯びて弧を描き始めた。どうやら車列は小高い丘陵を渦巻くような軌道で登っているらしい。サイドガラスを通して丘の頂上の方角を望むと、黒っぽい灰のような質感の斜面が五、六十メートルほど続いている中にポツン、ポツンと、送電塔とおぼしい鉄のタワーが薄霧を貫いて立っていた。導線の続く先、斜面の上には四角い建造物らしきものもおぼろげに見える。

 ぞっとしないね、と呟いてみる。いかにも何かが起こりそうで、それでいて大したことは何もない、ただそこにある霧の予感だ。

 

 ボクは助手席を見た。いつそこに放り出したのか覚えていない二刀がシートの上にあった。ひっ掴んで腰のベルトに差し、運転席のドアを開けて外へ。

 何も投身してみようというわけじゃない。即座に運転席の天井の縁を掴んで身を持ち上げ、懸垂の要領で飛び上がっては車体の上に着地した。吹き付ける強い風が額の髪を掻き上げる。

 ギャグ漫画ならここでトンネルか看板が車体の上を掠めて、ボンネットにへばりついていた主人公は助かり悪役(ラップランド)の首がチョン切れてアクションシーンが終わるんだろうな、と思いながらボクはしばらく片膝を立てて天蓋の上に座っていた。左手の眼下には荒涼とした黒い荒れ地がどこまでも続き、右手の頭上には険しい斜面がそびえている。

 

「シエスタはどっちかな」

 天蓋を蹴って跳び立つ。久々に宙を舞った身体はボクの想像より少し重たかった。車内もロドスもエコノミー症候群の温床だ。飼い慣らされる前に血流を着地。大きな衝撃。跳躍。

 再び宙へ。黒い地と灰色の空が二度転回し、二刀の鍔が擦れてけたたましい音を立て着地。瞬間、血が身体の末端を縛りつけているかのように重たく感じられる。しかしエンジンが掛かるまで十七歩もあれば十分だ。

 ボクは山の斜面を跳びつ駆け登りつして上がっていった。時に手指で岩や立ち枯れた木の枝を掴んで身体を引き上げ、速度を維持する。普段ならこんな品のない走り方などしないけれど、悪役のループスとしてはどうしてもね。いつか赤ずきん(PRJEKT RED)ちゃんと追いかけっこをするときには役立つかもしれないから。

 坂も残りわずかだ。頂上に金網フェンスで囲まれた建物が見える。周囲の送電塔と導線はどうやらこの建物を起点に配置されているらしい。であれば、

 

【WARNING:高圧電流注意! 関係者以外立ち入り禁止! フェンスにも野生動物対策のため電流を流しています:WARNING】

 

 そんな看板がフェンスに結わえ付けられているのは当然だ。ここは変電所か発電所か、ともかくこの、あと数メートルに迫った、駆け登ると気持ちの良さそうなフェンスやその向こうに張り巡らされている鉄線に触れるのは得策ではなさそうな──ボクはスライディングの要領で急停止する。

 

 ところどころ錆びたフェンス。夏の夕暮れの生ぬるい風に揺られて警告看板が金属音を立てる。霧にじっとりと濡れたボクの肌……

 

「やれやれ、シエスタの反対側にはふさわしい場所みたいだ」

 

 肩をすくめてフェンス沿いに歩く。しばらく行くとこの施設の敷地内に入るための片開きのドアがあったが、(かんぬき)に三十センチほどのエステル製の紐が結わえられていて、その先にはやはりエステルの袋がぶら下がっている。つまみ上げて開封してみると、中から防水シートに包まれたカードと数枚の図面のようなものが出てきた。

 

【■■■■■■(トランスポーター登録番号C191184)よりこの発電施設を利用する方への連絡事項。1097年五月■日時点でこの発電所は稼働しておらず、従って村落のほとんどの施設は通電していないことを確認しています。村落の施設を利用する場合、■種以上の電気技師免許をお持ちの方は同封のマニュアルに従って発電機の再起動を──】

 

 カードにはそんなことが書いてあった。ボクは図面を折り畳んでポケットに仕舞い、ドアとフェンスを見上げた。ドアにはやはりご丁寧に【WARNING:高圧電流注意! 関係者以外立ち入り禁止! フェンスにも野生動物対策のため電流を流しています:WARNING】という例の看板が掲げられている。閂をちょっとつつくと、電流の衝撃の代わりに赤黒く汚らしい錆が指先に残った。

 

 ボクは腰の刀を抜いた。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

(CALL)

(CALL)

(CALL)

「──ボクだよ」

【あ、出た。ちょっとー、君どこにいるのさ? 着いたのになかなか出てこないと思ったらもぬけの殻なんだもん。まさかシエスタが魅力的に思えてきちゃった?】

「違うよ。アハハ」

【メイヤー調査隊の護衛担当オペレーターの名前は?】

ボク(ラップランド)だよ」

【はい、ラップランド隊員! 今どこにいるのか報告して!】

「そうだね……キミたちは今町の南側かな? 霧中の視界は厳しいけれど、ボクのいる場所からは車列のフォグランプらしいものが見える」

 

 浅い角度で霧を、薄暮を裂き、空へ伸びている光線の源をボクは見つめた。

 ここがどこかって? 例のフェンスに囲われた敷地の端に建っているコンクリート小屋の屋根の上だ。登ってみてわかったんだけれど、鉄塔なんかを除けばこの地点が村落で一番高い場所に位置しているようだ。

 

「どうやらここは発電所らしい。キミたちから見て右手の崖の上だ」

 

 眼下に広がっているのはのっぺりと平たい山の中腹にくりぬかれた窪地のような地形だ。大雑把な円形をしている外周の270°ほどはちょっとした崖で囲われていて、唯一麓に向かう南方は比較的緩い坂になっている。車載ライトの位置から察するに、メイヤーたちがいるのは南の坂、つまり窪地の入り口にあたる場所のようだ。ボクが立っているのは窪地の東の縁だね。

 

【今、車載の暗視モニターで探してる──あ、これかな? ちょっと手振ってみて……そうそう、それ足ね。うん。でも位置は分かった】

「何か役に立てることがあるかな? 簡潔に頼むよ……霧のせいで眺めはイマイチだし、それにコートが汚れていて不快なんだ。さっさと降りたい」

 ほとんど本心だ。

【あ、じゃあね、そこから工場みたいなものが見えたりする? 大きな道路とか鉄塔でもいいんだけど、とにかくランドマークの類い】

 

 誂え向きのものがある。窪地の中央に敷設された工場の灰色の屋根と、そこから突き出す三本の煙突のような構造物だ。工場自体の敷地は百メートル四方ほどの中規模なものだが、俯瞰してみると村落全体がこの工場を中心に造られていることが判る。工場の敷地の四方から伸びている四本の道路が主要道であり、その沿道に家々が建ち並ぶ……

 

「お目当ての建物ならここから見えるよ。工場だろう? キミたちの位置から真っ直ぐ五、六百メートルも北上すれば着くと思う。霧に隠れて一部は見えないけれど、道は工場から四方に真っ直ぐ延びているから、通りに出さえすれば迷うことはないはずだ」

【あー、了解。視界悪すぎてここからだとよくわかんないんだよね──マゼラン、左折して通り沿いに行けばいいみたい──】

「……ボクからの報告に興味あるかい?」

【え? ああうん、どうしたの?】

「発電機のマニュアルらしい紙片を回収したよ。ここの管理者じゃなく、ここを訪れたトランスポーターの置き書き。ちょっと読んでみたけどね、ボクでも動かせないことはなさそうだ」

 

 ポケットから、顔も知らないトランスポーターの某が遺していった紙束を取り出して広げる。稼働までの手順が箇条書きにされている上、手書きの絵まで添えてあるなかなかの力作だ。

 

【トランスポーター? IDとかわかる?】

「C191184」

【ほいほい。ちょっと待っててね】

「今から発電機を起こしてみる」

【……もう無駄だと思いつつも訊くんだけど。君、そっち方面の資格は?】

「ロドス艦内B級通行証、ラテラーノ公用語二級、菓子作り検定──」

【えーっと、電気技術者云々とか、第二種以上の源石機械取扱とかは?】

「二番目は免許証を持ってるよ。たしか」

 

 ボクはコートの前を開いて内ポケットをひっくり返した。レム・ビリトンで流通している硬貨が数枚、湿気た紙煙草の数本、U字型磁石などに混じって五、六枚のカードが出てくる。

 その中の一枚には確かに源石機械取扱免許と書いてあったが、有効期限は元の持ち主の名前や、カードそのものにへばり付いている赤茶けたシミの出所と同じくらい昔の日付だった。

 

「ああ、期限切れてる。まあいいさ、やってみるよ。(トランスポーター)の親切に報いるためにも」

【え?】

 

 メイヤーが通信機の向こうでまごついている間にレシーバーのスイッチをオフにしてやる。構わない、この施設にメイヤーかマゼランが来るのを待つよりは合理的で、ついでにヤケクソじみていていい選択だと自分でも思う。

 小屋の屋根から飛び降りる。すぐ目の前で錆の浮いた鉄の扉がボクを誘って佇立していた。錠前はとうの昔に朽ち……いや待て、これは誰かに工具で捻切られた後腐食したのかな? ……ともかく誰の侵入も阻もうとはしていない。

 ほら、物知らずの医者(Dr)が町を叩き起こしに行くよ。

 

 






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