おやすみラッピー   作:錫箱

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「良いも悪いも」とこぼしながらボクは懐中時計のゼンマイを巻いている。いつものことながら、大それたことをやってのけるだけの時間は残っていない。


第六話:リブート

 ドアを開けると、いかにも古く、カビの舞うような湿っぽい空気が内側から吹き出してきて鼻を衝く。ボクは数回目をしばたいてやり過ごした。

 さて、この小屋の中はほとんど真っ暗闇だ。デクみたいに戸口に突っ立って目をパチパチさせていたのはこの暗さに目を慣らすためでもあったんだけど、いかんせん扉の外だって霧のせいで暗いものだから埒は明かない。すぐそばの壁に電灯のスイッチらしいものは並んでいるが……切り替えても当然何も起こらない。

 

「在りし日の灯火は絶え、肋屋の梁にも雪の積もりつ……」

 

 不運にもポケットやポーチの中に灯りになるようなものは入っていなかった。こんな時にうってつけの方法をお見せしよう。デンチも寿命(アーツ)も使わないで済むよ。

 ボクは腰のモノを二つとも抜いた。なんだって今日はこんなにも本来の用途から外れた使い方が続くんだろうか。苛ついた気分のツケを求めようにも、この廃れた村落じゃ元は取れそうもない。

 左手に構えた刀の鎬に右手の刀の刃を当てがって、一気に擦り上げるように右手を薙ぎ払う。瞬間的に削られた鎬からは、(残念ながら以前この手を試した時よりずいぶんシケた)火花が散り、瞬く間ほどの閃きで室内を照らした──

 

 一回目。大まかに室内の構造が把握できた。床はせいぜい一辺七メートルほどの正方形、天井は三メートル上。剥き出しのコンクリートで形成された壁が分厚いのか、小屋の外観よりは少々小さく見える。ボクの立っている場所から右に三歩の地点に大きな箱のようなものが数個立ち並んでいたが、あれはなんだ? 

 二回目。箱は金属製のロッカーのような形状だ。表面は若干錆が浮いている他に特筆すべき点が──あった。どの箱の上部にも樹脂製のパネルがついていて、

 三回目。パネルにはスイッチやランプが突き出しているのが見える。この施設の装いを考えるに、お目当ての配電盤の類いに違いない。

 四回目……をかち合わせる前に、若干慣れてきた目とここまで焚いたフラッシュを合わせて、配電盤を弄れるだけの情報は十分得られたということにしておいた。コートのベルトに刀を納めて暗闇に目を凝らす。視野に現れた微かな輪郭を確かめて、一歩踏み出す。

 

 コツン……

 湿った音が耳に届いた。ハァ、床が(水たまりになっていないにしても)シケている。

 コツ……

 それに、入り口に立ったときには気づかなかったがやや息苦しいか? 長い間締め切っていた建屋の空気は淀む。致命的なまでに「薄くなる」ことも──ボクはサビの浮いた(酸化した)扉を思い出して、己のウカツさを少しだけ呪った。

 

 欠伸が一つまろびでた。ハハ、ラップランドは呑気なヤツだねえ。しかしこの調子ならちょっと気だるさを感じるくらいで済むだろう。

 コツン……

 三歩目。わずかに光る輪郭に手を伸ばすと、果たしてなめらかな感触に指が届いた。そのまま横に腕を動かすと、指がいくつかの突起の上を掠めていくのを感じる。

 ポケットから例のエステル袋を取り出して開け、中の紙片を確認する。暗闇の中に白く浮かび上がるマニュアルを見る限り、

 

「メイン・グリッド。このボックスの横にあるレバーを手前に引いて」

 

 棒状のものがが手に触れた。錆のざらついた感触に顔をしかめながら力を込める。耳障りな音を立ててレバーが倒れる。一瞬の後、どこからともなく建屋の空気を底から震わせるような唸りが……街の臓腑の鼓動が……低く、微かに聞こえ始めた。同時にボックスの左上のランプが汚れた赤い光をボクの目に投げかけた。

 

「機動音を確認、ランプ点灯を確認、配電盤の上列にある五つのスイッチをすべてオンに……」

 

 スイッチを一つ一つ押し込む。一、二、三、四、五。伴って、スイッチの上部に緑色のランプが点灯した。ボクを包む駆動音がよりいっそう大きくなる。

 

「続いて下列のスイッチをすべて……」

 

 上のスイッチは金属製だったがこちらは樹脂らしい。軽いパチパチという感触を楽しみながら押していく。一、二、三、四、五……六。

 

 …………六…………? 

 空気を伝う微かな振動がはっきりとした動揺に変わった。にわかに高くブゥゥン……という音がそれに続き、先ほど押したスイッチの下に並んでいたらしいランプがすべて点灯した。若干辺りが明るくなり、今や明瞭に浮かび上がる配電盤のディテールを眺めながらボクは今自分のしでかした仕事を訝っていた。

 

「メイングリッドへの送電を行うためにはスイッチを五つ押し、そしてその下に並んでいるもう一列のスイッチを入れる。間違っちゃいない」

 

 キカイを使うのは正直専門外なんだよね。仕事柄どうしてもバラす方法しか思い付かないもので……しかし、スイッチが二列に並んでいて、手順からしてもこの二列は上下で対応しているとおぼしいのにも関わらず、下段のスイッチの方が一つ多いのはどういうことだ? 何か引っかかる。

 顔を近づけて下段のスイッチをよく見ると、それぞれの上にラベルが貼ってある。黄ばんだ薄い樹脂の上に掠れたインクの手書きで、

 

【Central】

【North】

【East】

【West】

【South】

【Underground】

 

 と書いてあった。

 はて。こんな阿呆な表示があるものかね。表現せんとするところは大方わかるけれど、いったいこのスイッチは東西南北中央地下の「何」なんだい? 

 発電機械の駆動音は部屋を満たして低調に続いている。ボクの意図はともかく、この仕組み自体はうまくいっているようだ。しかし気に入らない。この一等アヤしい「Underground」のスイッチでもオフにしてみるかな? 

 

 スイッチに伸びかけた指先を制するように、不意に頭上から眩しい光の明滅が降ってきた。電灯だ。あーあ、いよいようまくいっている。まばたきを数回挟むと、黒の濃淡のみで表されていた部屋の様子が一気に明らかになる。何のことはない、くすんだ灰色の床壁に錆びかけたロッカーのような箱に納められた機械と計器の群。天井の四隅にはくまなくムシの手掛けた巣がレースのような糸細工を張っている。床はといえば、こちらはこちらで脚のやたら多い長ムシが光に悶えるような格好でのたうちながら機械の陰へと逃れていくのが見えたりする。

 ああ、シエスタ万歳。ラジカセ担いでビッグアリーナへ繰り出そう。

 手元の紙片に目をやる。残る記述の内容は発電機に不備が生じたときなど、予備電源への切り替え方やメンテナンスの方法についてのものらしい。まあ、何か間違っていれば丘の下で待っている本職に任せておけばいいさ。

 開けっ放しの扉から忍び込む霧の気配ににやつきながら、ボクの足はこの陰気な建屋の外へと向かっていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

(CALL)

(CALL)

(CALL)

(CALL)

(CALL)

(CALL)

 

 ボクは気が長い方じゃない。これまでの人生をすべて待つことに捧げているから、些事に関して使える忍耐力のストックを持ち合わせていないんだろうね。

 

(CALL)

(CALL)

【はい、こちら……ええと『回収隊』一号車、アブサント】

 

『食糧品店のカウンターに立つ、たった今彼女にとって初めての来客を迎えた日雇いの女学生』そのものといった香りを漂わせる、冷えたトリニクみたいにこわばった声がイヤーモニターからやってきた。

 ボクの舌の上に心地よい痛痒の幻覚が乗る。

 

「──ラップランド。アブサント、調子はどう? 寒くはない?」

【寒──? いや、全然……あの、今誰もこのジープにいなくって。工場前に着いたから、三人とも外に出てるの】

「わかるよ、わかる。焦らなくてもいいから、隊長さんを呼んできてくれる? こっちの用は済んだんでね」

 

 待ってて、という言葉を最後にレシーバーの向こうから彼女の去る気配が感じられた。

 今しがた後にした建物の屋根をよじ登り、崖の下の霧海に見え隠れする町を改めて見下ろす。さて、我らがキャラバンの放つハイビームは……あった。アブサントの言った通り、窪地の中央近くまで進出しているようだ。

 

(待ってて)(あの、今誰もこのジープにいなくって)

 

 ああ、あの静かな、しかし何かに駆り立てられるような憔悴を含んだ声色は実に好ましい。かわいらしいとか麗しいとかではもちろんなくって、例えるならなんだろう? 遠くの空中にピンと張り詰めた綱を渡っている寂しい軽業師や、かつて誰かに愛でられた窓辺のドライフラワーを思い浮かべてしばらく悦に入った後、ボクは「野暮だな」と口に出して言ってみる。その瞬間レシーバーが耳障りな音を立て、通話口への来訪者を告げた。

 

【ハーイ、ラップラ──なんか言った?】

「うん? 何にも」

 

 存外早いご登場だ。そういえば今朝ラボで初めて会ったときだって、彼女は普通の人間の行動を一・五倍速で早回ししたような機敏さ・勤勉さを見せていたっけ。小動物の心臓の鼓動はボクたちのそれよりもずっと速いが、果たして。

 

「発電機は動いたよ。そっちに何か変化はあるかい」

【あ、やっぱりやっちゃった? まあいいけど。おかげで工場前の歩道んとこにちっちゃい……えーっと、電気の中継施設って言えばいいのかな。とにかくさっきそこにあったメーターを見たら電気来てたから、今はマゼランがこの地区に通電させようとして頑張ってるところ。ありがとね】

「どうも。合流するよ」

 

 適当に通信を切り上げる。やはり口振りからしてメイヤーはボクの持つキカイやデンキの知識を一切信用していなかったようだ。確かにソッチの学はあまりないけど、ラップランドはやろうと思えば10m先からだって君の持ってるようなドローンたちをバラバラにできるかもしれないよ。

 菓子作り検定合格者。バラバラにしたミーボやなにやらをもう一度組み立てて、メイヤーから工学のお墨付きをもらうお話を想像してみる。どう考えてもボクの仕事ではないような気がして、飽きっぽいボクはそれ以上イメージをこねくり回さずに屋根を蹴って霧の中に身を投げた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 崖を降りるとしばらくは黒ずんだ湿原が続くが、数十秒も駆けるうちに低い木柵が行く手を阻んでいるのに行き当たる。歩を緩めて近寄ってみると、柵の向こうには明らかに湿原のそれとは異なる質の黒土が続いていた。地衣類や雑草にまみれ、風雨に崩れなだらかになりつつある土の起伏がかつての農耕を語っている。

 数年前までヒトが住んでいたって言ってたっけ。しかしこの、柵の向こうに見渡す限り続く荒れた農地は、ヒトが持つ力と知恵の涙ぐましい痕跡からは相当離れた位置にあるように思えた。こうも霧が深いと思念が錆びるのも早いんだろうか。

 身を翻し、再び地面を強く蹴る。柵沿いに町の影へ、更なる文明の脱け殻に向かって走り出す。

 途中で駄獣が一頭、柵の向こうで黄色っぽい骨だけになって休んでいるのを見かけた。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 唐突に霧の中へ(カラ)の街灯の立ち並ぶ石畳が現れ、土くれと石との境界線を跳び越えるとついにヒトの町が始まった。最初は三十メートルほどの間隔を置いて佇立していたデクノボウたちの間隔が、最初の家屋が見える頃には二十メートルほどに狭まり、フィラメントの透けて見える頭を垂れて延々と列を成している。

 ほどなく、およそくすんだレンガか味気ないモルタルの二択で造られた箱型のオウチが道の両側に並び始めた。街灯、街灯、箱、箱、その合間の路地、行き当たりは霧の中。画一化された町並みに時折混じる、小洒落た個性を主張するような建物(芝生の庭に二階建て、テラスと煙突つき、とか)に限って窓が破れていたり、手入れする者のいない植え込みがみっともなく往来に垂れ下がっていたりしていて滑稽だった。それらを横目に見つつ走りながらボクはふと、ひょっとするとこの町の住人は全員退屈で死んじゃったか、出て行くかしたのかもしれないと思った。

 気づけば髪や上着がすっかり濡れそぼっている。やれ、まったく。大通りはどこだろうね。こうもきっちり造られた町だと方角をトチることはないけれど……霧だ。それにこの家々家。はて、町に入ってからいくつ角を過ぎたかな? 似たような景色ばかりで数えていても仕方がな──

 

「ああ」

 

 左右に連なっていた家屋の群れが不意に消え、乳白色の海に放り出される。駆け足を止め、歩を緩め、両腕を広げてボクは辺りをぐるりと睥睨した。

 キの触れた浮浪人をイメージしながらフラフラの弧を描いて歩く。

 

 ヌルい霧の海へ徐々に浮かび上がっていく輪郭は、さっきまで走ってきた道に倍する幅を持つ大通り……両側に立ち並ぶ商店やアパート、民家の壁がずうっと霧の向こうに消えていって……軒先に吊り下げられた質屋、青果屋、肉屋、時計屋などの看板は無風にピクリとも動かず……街路樹は骨ばった枝に葉を付けず……

 もはや往来としての機能を為さない幽霊街道(ゴースト・ブゥルバード)に街灯だけが道の両端に等間隔で並び、立ち尽くしていた。

 見渡す限りの町の脱け殻に包み込まれていることを意識すると、ボクの身体を悪寒にも似た汚ならしい歓喜のようなものが通り抜けた。この広ぉい通りにズラと並んでいる建物の、どのドアや窓を蹴破っても叱られない。水道が生きてるなら、どこかのシンクの排水口に栓をして、家中が水浸しになるまで蛇口を開けっ放しにして眺めていてもいい。お気に入りの歌を口ずさみながら、あらゆる家具に自分のマークをつけて回っても、誰かが見ているわけじゃない。

 そういうのは最後に誰かに見つけてもらうから楽しいんだよ。ボツだ。

 

 その辺の霧を全部吸い込んでしまうくらいの勢いで息を吸って、それから吸った息の半分くらいを使って笑い声を出してみる。ア・ハハ・ハハ。なるようになるだろう。

 だいたいそんな「発散」の真似事は必要ないんだ。ボクは常に漏洩している。

 残りの息をふっと吐いて走り出す。大通りを北へ辿れば彼女らがボクを見つけてくれるだろう。

 

 

 





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