「メイヤーさん」
「うん? どしたの?」
「ヒューズボックスなんですけど。これだけ合いませんでした」
「ホントに? うーん、もう一つソケットの径落とせば行けるかな。いいよ、マゼランが持ってきてたパーツから適当に見繕ってやっとくから、アブサントはマゼランと
「待ちますから、これだけでも最後までやってしまいます」
「そう? じゃあ……」
「あ、ひとつ質問があるんですけど」
「ヒューズソケット150ボ……なぁに?」
「こういうの、全部壊れることってあるんですか? ほとんど交換しちゃったけど……」
「おバカさんが無茶やればね。落雷って感じじゃなさそうだし。テスターテスター……あった。わざとかどうかはわかんないけど、相当な電流流さないと一気に全部は飛ばないよ」
「はあ」
「うーん、工場の調査は明日になりそうだけど、楽しみになってきた! なんか訳アリっぽいんだよね」
「あれを見ただけで分かるんですか?」
「ふふ、勘。あとねー、霧。ちょっとワクワクしない?」
「…………」
「しないかー。あっ、彼女……来たかな? ──はいこれ最後のヒューズね」
─────────────────
第七話/せっせい
心象の内側はいつでもボクの願った通りの霧中迷走だけれど、現実ではそうもいかない。町の南北を貫くこの大通りのど真ん中をただ走るだけで、目的地の工場がその偉容……と表現するには少々慎ましいスケールのシルエットを霧の中に浮かび上がらせた。道の行く手に工場を囲んでいるとおぼしい高さ三メートルほどの塀が立ちはだかっていて、鋼鉄製のゲートが──通りを来た者を工場の敷地へと迎え入れるような格好で──口を半分ほど開いていた。ほら、あの、地面に敷かれたレールの上をスライドするタイプの金柵。
その門の横にトラックが三台並べて停車してあった。そのうちホロつきの一台(ああ、なんと健気な我が愛車じゃないかね、あれは)を背にして立っている人影がこちらにひらひらと手を振っている。近づくと、白濁した大気の中にあってもオレンジ色の上着が鮮やかだった。
「遅参遅参。悪いね。道草が青々としすぎてて」
苦笑が二割ほどブレンドされた
「いいのいいの、お疲れ様。でも、今度走行中のトラックから降車する時はちゃんとドア閉めてね。あと、資格のない人は家電製品の裏蓋を勝手に開けちゃダメ」
「帰ったらウチの冷蔵庫修理してくれるかい? ニクが凍らなくてね……」
「当ラボの有償パンフレットをご購入していただければ、他のどのお店よりもリーズナブルな料金プランをご用意しまーす……はい、状況説明していい?」
パン、とメイヤーが手を打ち合わせたのでボクはちょっとにやつきながら一礼した。
「えーっと、現在時刻は十八時二十五分。予定より若干早く着いたね。日没までにはまだ三十分以上あるとは思うけど……」
メイヤーは渋面を作った顔の横で手をもにゃもにゃ動かした。それが霧の不快さ、不便さを現すジェスチャーであることに気づくまでは数瞬を要してしまったが。
「余裕ってわけじゃなさそうだね」
「うん。君のおかげで今日やんないといけなかった工程──電力復旧ね──の一部が省けたけど、暗くなる前に片付けようと思うとちょっと忙しいかな。今、この区画に電気遠そうと頑張ってるとこなんだ。アブサントが」
ボクはちょっと背伸びをしてトラックの向こう側に声を掛けてみた。
「器用だねぇ」
返答の前に、今まで息を潜めていた「向こう側」から何かの工具を石畳の上に取り落とす音と靴の擦れる音が聞こえてきた。
「作業は言われた通りやってるだけで……正直、この機械がどうなってるかとかはよく分からないんだけど」
「ロドスの教練でも、まだ戦闘用アーツ出力ユニットのメンテナンスくらいしか教わってないんだって」
メイヤーはトラックの荷台に上半身を突っ込みながら、防水ケースとおぼしい樹脂の箱に入っている何かをまさぐっていた。
「……今日のこの子たちの寝床はここかなぁ。──アブサント、どう?」
「ん、終わったと思います」
「じゃ、ラップランドをホテルまでつれてってあげてよ。後の諸々はこっちでやっとくから。街灯とか点くの楽しみにしといてね」
鼻歌でジングルベル、ジングルベルとやってみるとなるほどメイヤーの視線がじっとりと冷たい。
「アハ、そういう日だってあるよね」
「
ボクがポッケをまさぐっている間に車体の陰から姿を見せたウルサスの少女の手には、ダボついた灰色の軍手が嵌められ、首には薄汚れたタオルが巻いてあった。こちらを遠慮がちに窺う血の気の薄い顔には汚れひとつないのを見てちょっと安心する。なんとなく、この子にオイルや煤の黒ずんだ汚れは似合わない気がする。野暮で。
「はい──こっち。といってもすぐ近くだけど」
アブサントは上衣やストッキングをパタパタと手で払いながら、交差点を西へ歩きだした。ボクがやってきた方向から見ると左へ伸びる大通り、工場の敷地を囲む塀を右手に見ながら歩く形になる。ボクはメイヤーにクシャクシャの紙片を渡し、アブサントの後を追った。
「この町は好きになれそう?」
水面へ適当な投石。鈍色の後頭部と丸っこい耳が一メートル先で微かに揺れている。ボクとさほど背は変わらないが──あの実に幸薄そうな肉付きの印象がもたらす先入観がそうさせるのか、彼女はかなり小柄に見えた。
「まだ何とも言えない。でも、ブリーフィングの時に想像してた感じよりもずっと霧が濃くて驚いたかも」
「ここが湿気てるおかげでシエスタはカラッと晴れるんだから、皆には感謝してもらわなきゃね」
「…………」
「特にジャージを着たサンクタなんかには。まったく、こっちは肺いっぱいの霧で溺れそうだというのに……で、陸地はどこ?」
「? ……ああ、もうすぐそこ。ほら、あそこにジープが停まってる」
確かに道の反対側にジープが──半分歩道に乗り上げるようにして──停まっている。その陰からゆらりと人影が姿を現した。細ッこくて白っぽい幽鬼じみて、まさにこの不快な霧の中がお似合いのアレはワルファリン医師だろう。アブサントが小走りに駆け寄った。
「お疲れ様です」
「うむ、今しがた厨の水質調査が終わったところだ。飲用に十二分耐えるだろう。循環システムも問題なく働いている……地下水を汲んで使っているようでな。この町に上水道があったとしてもおそらく止まっておろうが、この建屋は水が使えるぞ」
タイミングを見計らわず、ポケットに手を突っ込んでデタラメな口笛を吹きながら二人の側に歩いていく。すると首をもたげてこっちを見る先生の顔。通りすがりの酔漢がもたらした吐瀉物が靴に引っ掛かってもなかなかこんな顔はしないだろうけれど、そんなにボクのことが×?
「電気も来てないのによく水が汲めましたね? 釣瓶に手押しポンプですか? ハハ──」
「……裏庭にある予備電源の発電機だ。単独ではそれこそ、この宿一軒分の水ライフラインを賄う程度がやっとだろうとマゼランが言うておったが。肝心な折に手元から消えるハサミなどよりは役に立つだろうな」
「お望み通りの
ボクは目の前に建つ四角い建造物を見上げた。赤煉瓦造り、四階建て、こちらから見える窓の数は各階六つずつ。前面がガラス張りのエントランスの上に灯らざるネオン管で綴られたタイトルは、
【Hotel Cigar-Kiss】
「──立ち話もなんですし、チェックインを済ませてしまわないとね。こんなに湿気た場所にいたら腐ってしまいそうだ」
ハハと刻んだ笑い声はいつもに増して乾いて聞こえた。ラップランドに関して言えば、湿気で腐るよりも、むしろこのように干からびる心配を先にした方がいいのかもしれない。身体の中の水よりイシの方が多くなってしまったら大変だ。
「好きにしろ。妾はこのジープに用があって付き合えん。メイヤーはまだか?」
この問いには医師の後ろの方でまごついていたアブサントが答えた。
「もうすぐこの区画の電力復旧が終わって、合流されるはずです。『あと一押しだから先に行って』と仰ってましたので」
「左様か。正直、荷解きや明日の準備なぞ
ブラッドルードの食事風景に対しイササカの興味もないというヒトが、果たしてこの大地に幾人存在しているだろうか。経験上、血液は戯れて摂取するものであって決して普段の飲用には向かない。ブラッドルードが迷信深い人々の間の怪奇譚に語られる通りの存在なら──女史の食生活が心配だ。
エゴイズムに満ちたこだわりを一つ。誰であろうと関係なく、ボクの目の前で食事をするなら良い物を摂ってほしい。ロドスの怪しげな技術で作られた人工血液なんかを飲んでいたらどうしよう?
「さて、どうするかな」
吸血生物がジープの後部座席に乗り込んでドアを閉めたのを見計らって呟いてみる。この手のアピールに反応してくれるヒトなぞ(ロドスに限らず)とうにボクの周囲には存在しないが、今回は違う。どうやら少しは休暇の楽しみになりそうだ。
「……あ、どうする? 中、入ってみる?」
「他にないしね」
ホテルのガラス製ドアはチョっと見慣れない形状のものだと思ったら、これは回転ドアだね。子供が喜びそうなやつ。そういえばむかーし、こういうドアでヘマやらかしたヒトがいたっけなぁ。かつてシラクーザのモールで夜勤をしていた時の話だ。だから今でもボクはこの類いのドアがあまり好きではない。
仕切りの中に入ってドアを軽く押す。滑車の中の愛玩用オリジムシ(そんなモノがいるのかって? キミもロドスを訪ねてみるといい)の心持ちで歩き、ぐるりと一回転してまたドアの外に出てくるとアブサントの怪訝そうな顔が待っていた。
「失敬失敬、ちょっとボーッとしてたらどこから出ればいいのか分からなくなってね」
「はぁ……」
さてさて、もう一回。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エントランスホールには既に灯りが入っていた。といっても、低い天井に吊り下がっているちゃちな平たいシャンデリア型の照明のうちいくつかはバチッ、バチと瞬いて今にも光を絶やしそうだったし、さらに多くの数の照明はそもそも黙りこくっていた。
「ちょっと暗いかな……」
傍らに立つアブサントが腰のホルスターから懐中電灯を抜いて、照明の届かないホールの細部を照らしていった。建物の外観から察してはいたがさほど広くはない。入り口から見て右に受付らしいブース、左手には小さな円形のテーブルが七、八置かれたカフェテリアらしい空間。正面にエレベーターのドア。その横に階段口。下りの階段もある。
細かい調度品や室内の若干荒れた様子──カフェテリアの一角に乱雑に積み上げられた椅子や埃っぽい絨毯とか、立ち枯れた観葉植物の鉢とかね──についてじっくり見るのは後にするとして、これらの要素がおおよそ二十メートル四方(奥行きはもう少し浅い気がする)の空間に収まっているようだ。
総じてホールは往時に誇っていたであろう体裁をほとんど保っているように思えた。照明を換えて隅から隅までハタキやホウキを入れ、白シャツに黒いベストのスタッフたちがくるくる回転しているさまを思い浮かべるだけで完璧だ。逆に言うなら、それらが欠けているだけでこの場所の虚しさや悲しさは「廃墟」と呼ぶに相応しいステージにまで上がっていた。
「趣深い場所だね」
これは九割本気で言ったけど、アブサントからは数拍ほど置いて「そうかも」と気のない返答があるだけ。横目で窺うと、彼女は入館前と比べて数段冷めた表情であたりを睥睨していた。
「マゼランさんを探さないと」
それってあの極地リーベリの名前だっけ? とわざとらしく訊き返そうとしたちょうどその時、正面の階段口からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。下りの階段から姿を現したのはいかにもマゼランその人の円筒形的フォルムだ。口を滑らせなくてよかった。
「おー。二人ともお疲れさま」
この「おー」が実に
ボクが薄めの笑みを噛み殺している間に、マゼランはホテルのライフラインを正常化した旨を伝えてくれた。
「まあメイヤーちゃんの作業がもうすぐ終わりそうだし、電気については折を見てそっちに切り替えていいかなとは思ってる。どのみち、裏のちっちゃい源石発電機じゃ客室の空調とか家電までは賄えないっぽいね。一階と地下階の厨房が精一杯」
背後の屋外から微かにジープのドアの開閉音がした。
「本当に非常電源なんですね」とアブサント。
「そういうこと。あ、お水使うときは気を付けてね。一応どの部屋でも蛇口捻れば出るようにはなってるけど、最初は錆や水垢が出てくるから」
「浄水器は通しているが、シエスタの活火山の影響か若干硫黄が強い。そのまま口に入れん方が賢明かもしれんな」
唐突と言えば唐突に会話に加わった声に、先ほどの気配に全く気づいていなかったらしいリーベリとウルサスの少女二人が同時に肩を跳ね上げて驚きを示したので、ボクはいよいよ笑みを噛んで噛んで噛み倒した。ゆっくりと振り返ると、ワルファリン女史が入口前の絨毯の上にしゃがみ込んで、指先についた埃を眺めるような仕草をしている。小姑かな。
「計器は源石汚染の兆候を示さなかったとはいえ、差し置いても不衛生だな。客室はまともだとよいが。特に妾の部屋は──」
その時、半端に薄暗かった室内に鮮やかなオレンジ色の光が射し込み、女史の残した語尾はちょっとした悲鳴に変わった。何かと思ったら、通りの街灯が点いたんだね。ボク自身の網膜にも光斑がちらついている。
ややあって舌打ちの音が響き、ワルファリン女史はこめかみを指で抑えながら立ち上がった。奇談に語られるブラッドルードのように肌から煙でも上げてくれれば面白かったけれど、その表情には不快さ以上のものは浮かんでいない。
「……裏手を所望する。
「そうしたら窓が南向きになっちゃうけど」
マゼランの言葉に女史は「……食事にするぞ」とだけ返してボクたちの側を通り抜け、地下へと続く階段を降りていった。
「シエスタ行きを蹴るわけだねぇ」
そう言ってみると、マゼランは微妙な顔をしてボクを見た。
「んー、もちろん個人差はあると思うけど、別にブラッドルードは強い光が弱点ってわけじゃないよ。せいぜい日焼けしやすいー、とか眩しいのが苦手ー、とかその程度に留まるんだってさ」
「なんだ面白くないなぁ」
「私に言わせれば、君も先生と同じくらい顔色よくないよ。ちゃんと食べてる?」
脳で文字に起こすと嫌みッたらしいセリフだったが、表情や口調からはこのリーベリが善意にまみれた舌で話していることは容易にわかる。ボクは抜かれた毒気が鼻あたりから中空に漏れ出してゆくのを見送りながら笑った。
「むしろ食べすぎるとこうなるのさ。摂生摂生──さて、ボクたちも降りようよ。オナカ空いてきちゃった。アハ……」