転生ベビーと森の魔女 作:縫畑
広大な大陸の西端に、ひとつの豊かな森があった。
いくつもの丘をまるごと飲み込んだ森はそれはもう広く、大小様々な木が枝を垂らし屋根を作るため薄暗く、そこをいくつもの動物が葉や実を食み、さらにその肉を狙う者が跋扈する。
おかげで人間が森に立ち入ることはほとんどない。足を踏み入れるとしてもせいぜいが浅い領域ばかりで、奥の領域がどうなっているかなど誰一人として知る者はいないだろう。
夜の森。
それが森を畏れた人間たちが付けた呼び名だという。
彼らは踏み込まないから何も知らない。森の奥の丘陵地帯は木々が低くなり、夜の森から朝の森になることを知らない。そこに魔女が住んでいることさえも。
森の奥地では魔獣の縄張りが点在しており、そこに紛れるようにして魔女の縄張りも存在している。
私は魔女ナタリア。まだ若い魔女だけれども、およそ一世紀ほどの年月を森で過ごしてきた者である。日々自然の恵みを採取して薬を作り、ときに仲間と知識や情報を交換し、そして真理を探求する者たちの端くれ。
魔女のなかでは、私はかなり暇な部類の魔女だった。
家から出ない日は少なくないし、出たとしてもせいぜい縄張りの見守りと採取するくらいでそんなものは半日も掛からない。家ではだいたいゴロゴロしながら本を読んで気が向いたときに薬鍋かき混ぜる。
掃除などは使い魔に丸投げにして、私は怠惰で快適な魔女ライフを送っている。
いや、送っていた。
久しぶりに訪れた森の浅層で人間の赤子を見つけるまで。
人間の赤子はバスケットの中で布にくるまれて眠っていた。まるで誰かの贈り物のように綺麗な様子で、しかし忘れ物のように孤独だった。
近づかずに周囲の気配を探ってみると無人だということがわかった。つまり赤子は捨て子なのだ。人間の風習には明るくないが、たまにそういうことがあると聞いたことがあった。
さてこの赤子、どうしようか。
ふくふくと柔らかそうな頬を眺めながら、私は魔女仲間のことを思い出す。
なんでも人間を拾って弟子にするのが一時期ブームになっていたらしい。別段弟子など求めていなかったが作りたくないわけでもない。それならせっかくの機会だ、私もブームに乗ってみることにしよう。どうせ私が拾わなければ飢えるか獣に襲われるかして死んでいた命である。赤子に後から文句言われることはないだろう。
森の深層。木々の背が低くて日当たりの良い場所に私の家がある。周囲には私の作った畑もある。柵などない簡素な畑だけれど、どうせ魔獣どもは私を恐れて手を出してこないから問題ないのだ。この森に私を敵うものは存在しない。
赤子を連れて帰った私はさっそく難問に直面した。
「人間の赤子って何を食べるのかしら」
赤子を居間の隅に置くなり呟いた。
私にもただの人間だったときがあるものの、赤子の頃のことはとんと覚えていない。いまこうして生きている以上はちゃんと食事を与えられて育ったのだろうが、量と頻度すら覚えていないのは問題だった。子育ての何の参考にもならない。
「パイ」
仕方がないので私は使い魔を呼ぶ。衣擦れをさせて飛んでくるのは綿布で作ったフクロウだ。本物のフクロウの骨格に布と粘土で肉付けしたものだが、これがなかなかに役に立つ。
「『人間』と『赤子』で検索して」
口頭で検索ワードを伝えながら書棚を指差せば彼はすぐに該当する単語の記載された本を見つけてきてくれるのだ。食べ物や薬物の本で調べれば赤子の食事くらいは簡単に見つかるだろう。
さっそく使い魔が寄越してきた本を手に取る。該当ページを開いた状態だから楽できていい。
分類:滋養食 効果:およそ成人の10日分の栄養を摂取可能 保存:固形状にすれば冷暗所で20日まで保存可能 製法:材料1を鍋で煮込んだのち、材料2を少しずつ投入しながら水分を飛ばす
|
「あら、これいいじゃない」
そうそう、こういう物を探していたのだ。大人で10日分の栄養が取れるなら間違っても栄養不足にはならないだろうし、製法も簡単で大変にありがたい。とりあえずこれを量産すればいいかと材料欄を見る。
材料1:アルカノ蛇の内蔵 1匹分 項垂れカズラ 1本(根の部分は捨ててよし) 人間の赤子 1体(生後6ヶ月以内が望ましい)
|
私は本を閉じた。そして勢いのまま放り投げた。
「パイ、次のもの見せて!」
分類:栄養剤 保存:鉛製の容器に入れて密封
材料:赤子の頭蓋骨 1個(あらかじめよく乾燥させておくこと)
|
「ふん!」
ぶん投げた本が壁と鈍い音を立てる。
八つ当たり気味に新しい本を要求。そして確認が終わり次第また投げる。
どの本も私が求めるものでなく、赤子を材料にするなど製造過程に利用するなどそんなものばっかりだった。たまに赤子用のおしゃぶりの作りかたなんてものが載ってるが、食べられないものに用はない。赤子用じゃないおしゃぶりも存在するのか文句を言いたくなる。
「……だめね。パイ、もう戻っていいわ」
都合10冊ほど確認を終え、私は寝室に飛び込んでベッドへと身を投げだした。
もう何もかも面倒くさくなった。赤子の食事なんて私の食べてるものを与えればいいだろう。食べなければそれまでだ。餓死したいなら好きにすればいい。
私のなかで赤子を育てるハードルが高くなるほどにやる気が反比例していく。
もう元の場所に戻してしまおうか。次にまた人間を拾うならもう少し成長した個体のほうがいい。最低限言葉を交わせるくらいの。
どうせ既に親から捨てられた子である。いまさら私が見捨てたところで何も変わらないだろう。むしろ元の鞘に収まるというものだ。いっそ先程見た滋養食の材料にしてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら目を閉じる。飽きたり面倒になったときはこうして眠るのが一番だ。
けれど。
求めていた眠気は一向にやってくることがなく、およそ10分20分とベッドで寝返りを続けることになった。
現状に少し腹が立ってくる。
全然眠れない。何も思い通りにならない。あんな小さな生き物を捨てる親がいることも信じられない。捨てるくらいならなぜ産んだ。
ぐるぐる回る思考はまったく鎮まる気配を見せない。瞼を閉じたまま無為に時間が過ぎてゆく。
いつもならこの怠惰で何も生産しない時間が大好きだったのに、いまはずっと後ろ髪を引かれてるような気がしてちっとも心地よくなかった。赤子の眠った顔が瞼から離れなかった。
「……」
不意に、赤子の頬をつついたときの柔らかさを思い出す。
「……今回だけよ」
今回だけ、少し親切にしてやろう。
あの赤子が眠っているうちに食事を作っておいてやろう。なにを食べるかわからないから3パターンほど。
それだけ用意してもし食べなかったら。食べなかったとしたら。
その次は何を作ってやろうか。