転生ベビーと森の魔女   作:縫畑

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3話 転生ベビー2

 果たして転生を自覚してから何日経っただろうか。

 10から先は数えるのをやめてしまったが、物や壁に掴まりながら立てるようになったから一ヶ月以上は経ってると思いたい。

 多少動けるようになった俺は、ようやくベッドの箱庭から開放されることとなった。つまりはハイハイで床を自由に移動できるようになったのである。

 そして視力もだんだん良くなってきたのか、前よりはっきりと周囲のものが見える。

 となればもうすることは探索行動ただひとつ。

 母親の言語から察していた通り、この家のある国はどうやら日本ではないようだった。家の中を練り歩いた俺は壁に備え付けのランプを見つける。電気でなくロウソクの火で灯すものだ。そもそも電灯どころか、電化製品らしきものが家のどこにも見当たらない。その代わりに大きなチーズの塊を保管する部屋や巨大な肉のブロックを吊るした部屋があった。

 国どころか文化レベルが違うのは、もはや一目瞭然である。

 とんでもない世界に転生してしまった。

 元現代人の感覚からすれば電気の存在しない場所で生きていけるのかと困惑するばかりだが、実際に生きている人間を目の当たりにしてしまえば可能なのだと納得せざるを得ない。

 こうなってしまっては腹をくくるしかないだろう。俺の新しい人生は電気に頼らず生きていくのだと。

 

「うー……」

 

 現在、俺はトイレを探していた。

 転生してから毎日の介護や赤ちゃんごっこによって小指の先ほどまでにすり減った俺のプライドが、なるべく早くオムツを卒業したいと訴えている。

 排泄時は年頃の少女に下半身露出させられて毎回恥ずかしいのだ。どれくらい恥ずかしいのかというと両手で顔を覆いたくなるほどに恥ずかしい。実際毎回そうしている。相手が母親だと頭で理解していても、出会って一ヶ月程度じゃとても実感などない。文明レベルを鑑みれば便利な水洗トイレは望めないだろうが、もうなんでもいいから最低限自分で排泄できるようになって強制露出プレイとさよならしたい。

 そう思いながら床を這いずり回っていた。

 赤子の体力ではすぐ眠くなってしまうが根性で探し続ける。

 きっといまの俺の姿など、何も知らない者が見れば微笑ましく思うだろう。傍目にはハイハイで動き回れるのが楽しくて探索をやめられない赤子に映るだろうという自覚がある。

 だが。

 俺はかつてないほど真剣なのだ。尊厳が懸かっているのだ。

 若い異性に服を脱がされ下半身の世話をされている現状に抗い続けなくてはいけない。これを受け入れてしまったら俺はきっと自分を大人の男だと認められなくなってしまう。

 だから乳酸でパンパンになった腕を動かす。心のなかで歯を食いしばる。ちなみに本物の歯はまだ下に2本しか生えていない。

 日々探索範囲を広げていった結果、俺はひとつの扉の前にたどり着いた。いかにも倉庫らしい場所を除けばここが開けてない最後の扉だ。消去法でいえばここがトイレとなる。壁の配置からそれがどこにも繋がらない小さな部屋だとわかり、俺はますます確信を深める。

 ここまで頑張ってきてトイレは家の外でした、なんてことがあったら俺は泣くだろう。それはもう情けなく声を上げて泣くだろう。悲しいかなこの身はもう泣くことへの抵抗感を失ってしまったのだ。俺の尊厳は「せめて排泄だけは取り戻したい」というギリギリのラインで保たれている。

 だからお願いだ。ここがトイレであってくれ。

 切実な祈りを込めて俺は扉の隙間に指を差し込み、そして開け放った。

 いや、開け放とうとした。

 実際は俺が扉を開ける寸前で何者かに扉を押さえられてしまい、開けることは叶わなかった。

 目の前には細いふたつの足。

 見上げればそこに母親がいた。

 

「あ……」

 

 何やら厳しい表情で俺を見下ろしてきている。

 何故そんなことをするんだと怒りが湧きそうになったが、すぐにピンと来た。そして確信した。ここがトイレに違いないと。

 考えてみれば赤子がひとりでトイレに入ろうとしたら誰でも止めようとするだろう。俺でも止める。衛生的な場所ではないし、万が一便器へ頭から落ちたら溺死しかねない。俺は俺が転生者だと知っているから問題ないと確信しているわけで、そうと知らない母親が止めるのは当然のことである。

 

「ううー」

 

 とはいえそれを説明することもできない。まだこの世界の言語を知らないのだ。

 

「□□□!」

 

 言語を知らないのだから当然、母親が何を言ってるのかもわからない。大方ここは危ないから入っちゃだめということだろう。

 若いシングルマザーの前では聞き分けの良い子でありたかったが、背に腹は代えられない。俺の尊厳が懸かっているのだ。

 残る体力を振り絞り、彼女のスカートへと飛びかかる。

 

「っ!?」

 

 相手が中高生ほどの女性といえど、おそらく生後1年に満たない赤子ではとても敵わない。

 だが勝利条件を考えろ。

 俺の目的は彼女の打倒なんかじゃない。一時的に無力化することだ。

 それならばやりようはある。

 

「―――□□!?」

 

 母親が驚きの声を上げる。無理もない。俺は体重を掛けて彼女のスカートを引きずり降ろそうとしていた。成人男性メンタルを有する人間が一体何やってるんだと胸中を自己批判が吹き荒れるが、これ以外に勝利への道筋はないと黙殺する。

 彼女は大慌てでスカートが脱げないよう両手で引っ張る。俺はそれをぐいぐいと引っ張る。力の差は明らかで決してスカートが下がることはないが、俺が引っ張り続けるかぎり彼女は手を離すことができない。

 このあいだ、俺はつかまり立ちの要領で立ち位置を変える。じりじりとトイレの扉へ近づくのだ。

 

「□□□、□□□□□!」

 

 母親の放つ言葉は相変わらず意味がわからない。だが俺は日々の様子から頻出する単語をひとつ覚えていた。

 俺に向けた彼女の言葉のなかで、もっとも登場頻度の高い短い単語。

 それはまさしく、俺の名前に違いなかった。

 

「□□□!」

「……!?」

 

 ゆえにその単語の発音を精確に再現した。

 母親が硬直する。

 一歳未満の赤子が急に自分の名前を叫んだら驚くだろう。間違いなく驚くはずだ。前世で子供のいなかった俺は子供が何歳から言葉を操るようになるのか詳しく知らないが、一歳未満はかなり早いはずである。

 俺が前世の知識と精神を引き継いだ子供だからこそできる芸当だ。

 すぐさまスカートから手を放し、扉へと反転する。もう母親の妨害はない。

 俺はそして扉の隙間に指を差し込み、そして開け放つのだった。

 

「あ……!」

 

 狭い部屋の中央に鎮座した凹型の白磁の石。

 それは間違いなく便器だ。前世でよく見たそれから便器蓋と貯水タンクを取り払ったような形をしている。扉を開けていても特に匂いがしないのは一定の技術水準がある証左だろうか。

 俺は逸る気持ちを鎮めつつハイハイで近づく。

 長かった。これまでとても長い時間がかかった。

 ひとりでは食事ができず食べさせてもらい、ひとりで排泄もできず下半身を洗われて、ひとりで着替えもできないから服を剥かれてきた。

 俺の成人男性としての尊厳は地に落ちたままだった。

 だがいま。

 この瞬間、第二の生で一歩踏み出すのである。失われたものを取り返す日々が始まるのだ!

 

「あ」

 

 しかし、俺はひとつの現実を思い知らされる。

 便座が高い。

 いやちょっと高すぎる。

 両足で立ち上がっても俺の首まで到達するほどの高さは、とても登って座れるレベルじゃない。赤子の身長では無理だとすぐに悟った。

 あーあー、と気の抜けた声が喉から漏れる。

 

「……」

 

 つまり身長がいまの倍になるまで現状を卒業できないのだ。

 俺は失意に包まれ、全身から力を抜いて、床に顔を埋めて、疲労感に誘われるまま眠りに落ちた。

 




魔女「初めてしゃべった単語が『おしっこ』だった」



3月に生活環境が激変したせいですっかりモノを書く習慣が抜け落ちてしまいました。
しばらく牛歩のペースになるかもしれませんが少しずつ更新していこうと思います。
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