因みにポケモン研究所でサカキ様とタッグでミュウツーを倒したのは九歳なので、ミュウツーの逆襲編の過去回想より前になります。
前編:二人のNUMBERS
「任務ご苦労。帰参を歓迎するぞ──
「ありがとうございます。ですが、あの標的が
首級を上げ、報告した私には納得が行かなかった。
断っておくと、サカキ様直々の賛辞に喜びを感じていない訳ではない。
ロケット団の誇るAクラス・エージェントの最精鋭、
「その指摘は正しく、私も同意見だ。お前に標的の抹殺を命じたのは、真犯人の情報を掴む足がかりとなればと思ったのだが……疑念だけか?」
だとしたら失望とまでは行かないものの、低評価を下さざるを得ないと声音だけで言外に告げてきたサカキ様に「いいえ」と私は確信を持って返す。
「私が仕留めた男は、確かに二流以下でしたが、それでも明確に組織立った動きを行うエージェントでした。加え、我が方の情報にも確実に通じていました」
つまりはロケット団内に、裏切り者が居るということ。その裏切り者は、007をも暗殺し得るほどに深く、そして強かに潜り込めたということだ。
「先の007失踪と遺体発見の過程で、我が軍団は二機のヘリとパイロット、そして
「肯定します。お命じ下されば、必ずや首魁の首をサカキ様に献上致します」
「頼もしい限りだ。そして私だけでなく、お前にとっても喜ばしいことに、敵は自ら我々に存在を示してきた──見たまえ」
『ご機嫌麗しゅう、サカキ殿。
このメッセージが届いたということは、残念ながら我が組織のエージェント、№9は殉教者として先立ってしまったということらしい。
悼むべきことであるが、これもまた裏社会の業だな……しかし、無頼の世界にも相応の流儀というものがある。№9の死は、同じ数字を持つ009の死によって贖って貰うが、悪く思わんでくれ給えよ。
まあ、そのような前座はどうでも良い。サカキ殿、貴殿の組織するロケット団と、その表看板たるロケット・コンツェルンは表裏一体の関係だ。尤も、余人がそれを知ることは無いが、明るみとなるのは望ましくなかろう?
然るべき誠意を我々に示すなら、私としても同業のよしみとして口を固く閉ざそうじゃないか。何、貴殿らの〈事業〉の規模からすれば、然したる額ではあるまいよ。
とはいえ、ただ金のやり取りをするのでは、そこいらの田舎ヤクザの仕事だ。
猶予は四日……正確には貴殿の下に009が報告に訪れれば、三日だな。ゲームはそこからにしよう。私が009を始末するまでに貴殿は金を用意し、私の元に届けるというルールだ。
009の始末と同時に、貴殿の組織は世界の裏表を問わず、全てが白日の下に晒されるだろう。
金庫の中に009を仕舞うもよし、別の追っ手を差し向けるもよしだが、宣誓しよう──私は三日以内に、009を始末する。
……ああ。言い忘れたが、金銭は偽造紙幣でなくインゴットで頼むよ。貴殿らのやり方は承知しているのでね』
スクリーンに映し出された映像はそこで切れ、次の瞬間には、私が自分の頭から血が上るのを自覚した。固めた握り拳から発せられた骨の軋む音は、きっとサカキ様の耳にさえ届いたかもしれない。
だけど、固めた拳から血を滴らせるほどでなければ、今のこの煮え滾る憎悪を抑え、表面だけでも毅然とした態度を取り繕うことは出来なかっただろう。
「愉快だろう? ──我らロケット団の、比類なき野望への挑戦状だ」
反面、サカキ様はこの悪趣味なゲームにも、大上段からの物言いにも一切動じず、しかし瞳は全く笑ってはいなかった。
「……こそこそと寝首を掻きながら、我が軍の金に集る小物です」
「その小物相手に、我々は煮え湯を吞む羽目になった」
苛立ち紛れの感情を漏らしてしまった私の心に、サカキ様の言葉が冷や水を浴びせる。冷静になれというその振る舞いは確かに有り難く、私は深く、しかし、慎ましい程度に息を吸いこんで心拍を整える。
「そして、こともあろうに我々を恫喝しようというのだからな──大したタマだ」
賛辞は、裏返せば対等の敵として殺すという宣言だ。
私は敢えて、不敬を承知で一歩前へと進み出た。瞳が殺意に濡れるのを自覚する。あの戯言を囀った男の舌を串刺し、007と、他のNUMBERS全てが味わった苦しみを一身に与えてやりたいという殺意を、サカキ様に汲んで欲しかったのだ。
「そう急くな、009。私はお前を財貨のように仕舞い込む気は毛頭なければ、待機を命じるつもりもない──NUMBERSの恥辱は、NUMBERS自身の手によって注がねばなるまい。その上で、私の危惧するところは分かるな?」
「……NUMBERS内にも、裏切り者が居る可能性は捨てきれません」
「そうだ。現状、NUMBERS内で唯一信を置くことが出来るのは、任務をやり遂げた009を置いて他にない」
だが、私の単独で、というのは流石に限界があることはサカキ様にも、そして私自身にも、口惜しいが理解できることだった。つまりは……。
「他のAクラス・エージェントを、NUMBERSに昇格させるので?」
NUMBERS自身に恥を雪がせねばならないというサカキ様の言。
そして、最精鋭でありながら空席が目立ってきてしまったNUMBERSの現状を鑑みれば、それしかないのは理解できる。
しかし、他のAクラス・エージェントの中に、これまでのNUMBERSと同様の任務を任せられるだけの逸材は、少なくとも私の記憶には存在しない。
「昇格は正しいが、加えるのは新参だ──実に見どころのある、な」
成程と私は首肯した。他ならぬ私自身、一年と満たずしてNUMBERSの座を掴み、以来一切の瑕疵なく任務を遂行してきた自負がある。
齢や経験など歯牙にもかけず、実績で以って他を黙らせる手合いならば……ましてや、サカキ様がここまで太鼓判を押す逸材となれば、私が口を挟む理由は何処にもない。
……そう、ここまでなら無いのだが。
「──入り給え」
その言葉を受けて、無言のまま開かれた扉の前に立つ『新参』を前に、私は思わず呆気にとられた。
「紹介しよう。この任の間、お前と行動を共にするエージェント──新たな007だ」
サカキ様が全幅の信頼を寄せるような声音で紹介されたのは、どう見ても一〇歳に満たない男の子だったのだ。
◇
“夢か冗談であって欲しかったわ”
どれだけ若いと言っても、自分が入団した頃と同じ、一四かその辺りだと思っていただけに、流石にこれは予想外も良い所だった。
“しかも八歳って、一体どんな冗談よ……”
倍も開きがある年下と組まされるなどとは思いも寄らなかったが、これで「吉報を期待する」と自信満々に送り出したサカキ様や、そもそもにしてこんな子供をスカウトした人事部の連中にも正気を疑った。
『まさかとは思うけど、サカキ様の隠し子って言わないわよね?』
『父と祖父は、物心つく前に蒸発しました』
音は盗聴の可能性がある為、モールス信号を用いて互いの手の甲を叩きながら会話する。
短く返された内容は否定を含んだものだろうが、中々に重い事情だった。
とはいえ、複雑な家庭事情など日陰者の世界では殊更珍しいものではないし、知りたかったことを知れた以上、そこを深く追求する気は全くない。
“子供は確かに便利だけど……夏季休暇を利用して、『ロケット・コンツェルンの社会見学ツアーに当選しました』って親御さんにまで連絡するの、下の連中は苦労したでしょうね”
一〇歳になれば自由に動かせるが、成人と同等の扱いを受ける為『子供』というメリットはその時点で消えてしまう。
それを考えればこれぐらいの年齢で、早熟であることは確かに有用ではある反面、今回のような任務では、社会的制約が足枷となってしまっている。
「着いた先で遊びに行くのは良いけど、迷子になっちゃダメよ?」
「分かってるよ『お姉ちゃん』」
宜しい、と努めてにこやかに。けれど心の中では、この演技派な子供に舌を巻く。
先程までの大人のように落ち着き払った空気と異なり、設定通り姉に懐いた弟を演じてくれるのは、こちらとしても助かるが、余りの落差に思わず眩暈がしそうだった。
“どんな育ち方したら、こんな子供が出来上がるんだか”
世の中、歪んでるなあと……我ながら褒められた人生を歩んでいない自覚はあったが、それでも内心零さずにはいられなかった。
◇
青い海に白い砂浜。コテージの外には富裕層の優雅なビーチが広がる、オレンジ諸島屈指のリゾート地に到着し、荷物を下ろして一息入れる。
これで休暇なら言うことは無かったが、生憎と青い海すら赤く染める程の血を流すのが私達の仕事であるし、何より遊ぶ気持ちには全くなれない。
とはいえ、それらしいことの一つでもするのが、プロとしての役作りである。
今の自分達は、ビジネスに勤しむそれなりの富裕層の親とは別に、優雅に寛ぐご令嬢とお坊ちゃん姉弟なのだから。
「何か飲む?」
「僕、水が良い! お腹冷えちゃダメだから、氷は要らないよ!」
利尿作用のある茶の類や、舌が渇くジュースを避けてチョイスするのは私としても及第だ。
“しっかり教育は行き届いてるわね”
コテージに置かれた飲料水は、全てロケット団の構成員が入れ替えてくれている筈だが、それでもチェックは忘れない。案の定、飲料水の類には幾つか細工がしてあったので、安全な物を自前のグラスに注ぎつつ、それとは別に毒入りの方でカクテルを作る。
「お姉ちゃん、それ飲むの?」
「ううん。これは、私の大好きだった人へのお供え」
盗聴器が仕掛けられていようが知ったことではない。むしろ、来るならさっさと来て欲しいという思いでマティーニを作る。
“ウォッカ・ベースの、ステアでなくシェイクしたマティーニ……いつか大人になったら、バーに誘うって言ってくれたっけ”
私ぐらいの背丈なら変装してしまえば誤魔化しは利くだろうに、あの人は頑なに私を拒んだ。絶対に連れて行くからと。こういう楽しみは、年を取ってからの方が良いからと。
年を取ることなんて、女からすれば嫌なことの筈だけど、だから私は早く、小娘から成熟した女になりたかった。
“隣に並んで、デートをして……嗚呼、もっともっと、楽しみたいことが一杯あったな”
一口で飲み干してしまえば、すぐに『前の』007と同じ場所に行けるだろう。けれど、私は
手早くも美しく。本職顔負けのキレで出来上がったマティーニにオリーブを添えて、テーブルの中央に置く。
今、私の前に座って一緒に飲んでいるのは、そんな大人な雰囲気など欠片も見出せないお子ちゃまだ。
“こんな子が後継者だって知ったら、貴方はどう思うんでしょうね? 007”
きっと彼は、苦笑しながらも認めるだろう。
彼が、彼の元恋人だったという009の後釜の私を認めたように。前任者と比べれば、きっと不出来だっただろう私を認めて、受け入れてくれたように。
“だから私も、この子を認めるわ──007”
貴方が拙かった頃の私を何度もサポートしてくれたように。今度は私が、この小さなエージェントを護って上げよう。こんな稼業で、NUMBERSでさえ命を落としてしまう世界で長生きなんて出来る筈もないけれど、それでも私は年長者として、後に続くエージェントを導く義務があると思うから。
◇
腰の見える位置にはいざという時の備えを用意し、水着の上にパーカー付きのラッシュガードを羽織って、僕は海水浴へと出かけた。
元よりNUMBERS自体が単独行動を前提としているということもあるが、新参者の僕はあくまで囮であり、撒き餌に過ぎない。
ロケット団内には万一の際や、応援の為に僕を監視してくれている者も居る筈だが、そのうちの何人が寝返っているかも分からない状況下である以上、本作戦の最終段階を除けば、009以外に頼れるのは誰一人としていないと考えるべきだ。
“正直に言って、007なんて名前負けも甚だしいけど”
ジェームズ・ボンドなんて柄ではないし、しかも組んだ相手がボンド・ガールのコードネーム持ちの美少女と来れば、出来過ぎている気がしなくもない。と言っても、この世界にボンド映画もMI6も存在していないのだから、出来過ぎた偶然という奴だろう。
“それはさておき”
子供らしく遊べということだが、泳いだりした日には即沈められてお陀仏になる結果が目に見えている為、砂浜で城など作ってみる。
……正直、自分の中身が中身なだけに、全く楽しくない。周囲に居る者大人ばかりであるため、これ幸いとばかりに「つまんない」と言いたげな表情で城をとっとと崩し、冒険と称して裏路地へと駆け込む。
日本のような治安の良い土地でもない限り、こうした場所は地元の人間でも、たとえ富裕層の人間が多く出入りする土地であっても入り込まないのが暗黙の了解だ。しかも──
「手を上げろ」
ああ、やはり。身なりからして金を持っていそうなガキだから、誘拐してやろうという魂胆でなく、一切油断のない声音。しかも音が響く銃ではなく、ナイフの切っ先を肝臓の位置に押し当てながら、
「ぎゃっ……」
バチィ! とボールを……正確には、モンスターボールと同サイズのビリリダマを掴んだ男の体に〈でんきショック〉が走った。
「このッ」
片割れがナイフを肝臓に抉り込もうとするも、もう一方のボールに擬態したビリリダマの〈リフレクター〉がナイフを弾き、そのまま片割れを気絶させたビリリダマが、もう一方の男にも〈でんきショック〉を流して昏倒させた。
但しこちらの方は、ギリギリで意識を保たせている。
“弾いたナイフは……そこか”
転がったナイフは直接掴まず、僕の顔に貼り付いていたメタモンに運ばせる。流石に敵地に潜り込むのに、素顔を晒すほど馬鹿ではない。
身分証を含め、ロケット団が用意した偽造書類と寸分違わぬ偽の顔をメタモンに作って貰った上で、ルパン三世も顔負けの変装をオレンジ諸島に潜り込む前からしていた訳だが……いざ人気が無くなった途端の襲撃を鑑みるに、どうやら完全に情報が洩れている上、いざという時の監視兼応援も沈黙していると来た。
この分では完璧な特殊メイクで偽装した009の方も、間違いなく顔が割れていることだろう。
“どうやら本当に、僕と009以外はごく一部を除いて当てにできない状況らしい”
さて。指紋が残ると何かと面倒であるので、メタモンに気絶した男の指紋を確認させた後、僕の腕に張り付いて、そのまま大人の腕に〈へんしん〉させる。
これで後々投棄したナイフから指紋が見つかっても、使用していたのは気絶した男の方だけだが、本格的な作業を開始する前に、ビリリダマの〈テレポート〉でコテージの地下に移ることにした。
◇
「早かったわね」
既に準備を終えていたのだろう。口にした009の方こそ拷問の準備は万全らしく、薬品の類は揃えているようだが、何事も
“まずは、必要のない歯と片目を手早く抉る所から始めよう”
『口を割らせるには、要求を伝える前に痛みを与えろ』という教えを忠実に守りつつ、大声を出せぬよう〈でんじは〉で麻痺させてから『作業』を行うことにした。
「……っ、……!! ……ん!!」
抉り抜き、ぶらりと神経の繋がった歯を一つ一つ丁寧にトレーに並べる。何処までも几帳面に。これは仕事故の拷問でなく、趣味の類ではないか? と疑いたくなるような手際で異常性と危険性を強調しつつ、男に示し続ける。
歯がなくなって喋れなくなる、というのが嘘だということは、既にロケット団の訓練で何度も証明しているし、どの程度でショック死するかも心得たもの。
途中から面倒になったので、ペンチに〈へんしん〉させたメタモンで奥歯を順に抜いて、最後の一つになってから、眼窩にゆっくりとナイフを入れた。
「わ……かった……なにが知り……」
「それは抉ってからで良い」
ぐり! とナイフを押し込むと悲鳴も同然の嗚咽が大男から漏れ出たし、下半身からも黄色い水が漏れていたが、僕は全く気にせず、眼球は傷つけないよう慎重にナイフで抉って、これもトレーの上に丁寧に置いてから、009と交代した。
「慣れてるのね?」
「練習の機会に恵まれましたので」
誰だとて、最初は些細な暴力でも息が上がってしまうもの。けれどそれも、いじめが徐々にエスカレートしていくように、体と心が慣れてしまうのだということは、訓練の中で学んでいた。
「ごめんね。変なのばっかりに〈へんしん〉させちゃって」
イヤな顔一つせず付き合ってくれたメタモンにご褒美を与えつつ、優しく撫でる。
009は僕以上に追い込みに容赦がなかったが、所詮この男は同じ裏社会の人間であるし、何より僕が捕らえられればこれと同じか、それ以上の目に遭っていたのは確実である。悪党相手に同情の余地は微塵もない。
喋る、喋ると弱々しく漏らした男が全てを吐いたのは、交代してから一分と持たなかったが、結局得られたのは、ロケット団が事前入手した情報と大差なく、構成員の人数や裏切り者の有無さえ割り出せない有様だった。
「そう。じゃあ、飲みなさいな」
最後の晩餐ということなのだろうか? 丁寧に作ったマティーニを掲げるが、そちらはテーブルに置き、湿ったタオルを男の顔に被せてから、009は浴びる程の水を強引に飲ませ──殺した。
「まずは一人」
小さく。何処か寂しそうに呟いてから、009は死体の上にマティーニを撒いた。
◇
「結局、明日の客船に乗り込むしかないのですね」
何の因果だろうか。このリゾート地に停泊しているのはかの有名な豪華客船、サント・アンヌ号で、しかもさる富豪が買い取って、中を巨大なカジノにしたというのだから驚きである。
そして、自分達が手にかけねばならぬ本命こそ、そのサント・アンヌ号を買い取ったという富豪なのだから堪らない。
“船にカジノか……いよいよスパイ映画じみて来たなぁ”
尤も、009は兎も角として、僕はカジノなど到底そぐわない年齢だが、それでも富豪のご令息らしく、ダブルのブレザーと蝶ネクタイ姿で潜り込めというお達しは動かなかった。
「停泊中の豪華客船に乗り込む前に、連中が主催するカーニバルにも参加しなくてはならないわ」
人混みの中での奇襲を潜り抜け、それでいて相手を警戒させぬよう騒ぎを起こさずサント・アンヌ号まで辿り着けという。
“『サンダー作戦』などという、大仰な作戦名も頷けるな”
このオレンジ諸島でも伝説の鳥ポケモンとして、そして雷の神として崇められるポケモンに肖り、人に姿を捉えさせず、しかして雷光の如く素早く敵を討てという
完遂は困難だが、僕も009もしくじるなどとは微塵も考えてはいない。そのような怯懦に駆られる手合いに任務を与える程、僕達のボスは無能ではないのだ。
「背中、直して下さる?」
大胆に背中の開いた煽情的なドレスと白魚の肌を見せつけながら、誘うように蠱惑的な音色で要求してきた009は、特殊メイクで十代半ばの素顔より五つは年上に見えたから、思わず心臓が破れそうになった。
「喜んで」
ただ、これで動じるようではプロとしてやっていけない。表面上は平静を保ち──ばかりか、それ以上に大人らしい落ち着いた声音と手際でドレスを直して見せる。
“ただ……僕の方は何処まで行っても子供だからなぁ……”
正直、姉に甲斐甲斐しく尽くす弟というカムフラージュそのままの光景だ。
「ふふっ、まだそういう年頃じゃないと思ったけど、可愛い所もあるのね」
“……しかもバレてるし”
つくづく007のコードネームは名前負けしていると思わずにいられなかったが、ここから先は文字通りの戦場だ。ふざけるのもそこそこに、ロケット団のエージェントとして、任務は完璧に果たさねばならない。
「準備は良いわね?」
「イエス・マム」
ごくん、と二人揃って色違いの『錠剤』を呑み込んでから、僕は軽く口元に弧を描いた。
……ニヒルな笑みなんて似合わないから、当然009に笑われてしまったけれど。
「きっと将来は、そんな笑みが似合う、素敵な男になれるわ」
そう微笑む009は、既に魔性という言葉の似合う、妖艶な女そのものだった。
◇
大胆に露出した小麦肌の肉感的な美女が豪快に腰を振り、煌びやかな飾りつけを松明で映えさせながら行進して行く。
所謂サンバ・カーニバルという奴で、男も女も行進の中で大胆な仮装を施していたが、その列に紛れる形で、幾人もの刺客がポケモンを用いた〈どくばり〉か、或いは短刀で死角から迫ってくるのだから性質が悪い。
“とは言っても、銃すらない刺客の相手は楽なものだ”
流石に堅気も多いカーニバルで、遥か彼方まで音が響くような銃は使えない。
“尤も、仮に銃が使えたところで、今の僕に通じるかと言えば否だけど”
この世界にも銃が存在し、戦車や装甲車さえ各国が保持しているが、犯罪組織や警察機関がそちらよりポケモンに重きを置いているのは、ポケモンの方が遥かに利便性が高く、銃などより遥かに危険だからだ。
ポケモン図鑑を読むと良い。そこらの草むらに居るラッタでさえ、ビルを齧って倒壊させるような危険生物なのである。
トレーナーによって暗殺や護身といった専門の調教を受けたポケモンは、正しく兵器と称するに相応しい存在となってしまう。
トレーナー同士のポケモンバトルという枠だからこそ競技として成り立っているだけで、その力が本気で人間に向けられてしまえば、どうなるかは想像に容易い。
今もボールに擬態して僕の腰についている二体のビリリダマにしても、銃弾はリフレクター一つで楽に防げるし、電気タイプの中でも特に弱い〈でんきショック〉にしたところで、どの電気ポケモンでもレベルが一〇もあれば、成人男性でも心停止ぐらいは容易く引き起こす。
ポケモン犯罪に利用する為、敢えて進化をキャンセルさせてきた、レベル四〇台のビリリダマが繰り出す〈でんきショック〉は、軽く静電気程度の火花が散る程度にしか余人の目には捕らえられない反面、一度捕捉した人間には確実に死をもたらす精度と威力を発揮していたし、〈でんじは〉もまた同様に、ポケモン相手には麻痺させる程度でも、人間には死に直結しかねない程には危険な、それでいて一切の身動きを封じられる便利な技だ。
一人、また一人と闇夜の中で、こちらを狙った相手を始末するには、これ以上ない程打って付けだ。
『歯応えのない敵ばかりです』
『NUMBERS二人で、歯応えのある相手と出会う方が稀よ』
モールス信号で会話する009は、その口に黒いチューリップを咥えてカーニバルの列を進んでいる。とはいえ唯のチューリップではない。
009──『黒いチューリップ』とも渾名される彼女の得物こそ
「良い夜ね」
言いつつルージュを引いた唇で濡れたチューリップを、誘われるようにやってきた男達の胸元のポケットに挿し込み……そのまま胸を刺しては、何食わぬ顔で歩み去っていく。
男達は全身が〈でんじは〉を浴びたように身動きできず棒立ちとなり、しかし数分後には呼吸器系に深刻な被害が出て声を上げることさえできず、眠る様に息絶える。
甘い色香と、殺人という一夜の中での人生の過ち……それを幾度も繰り返し、屍の山を築きながら微笑む009は、恐ろしささえ覚える美しさだった。
悪堕ちサトシ君の父親と祖父が蒸発したというのは、小説版ポケットモンスターの設定です。
この本、中々に重い設定が満載なのですが、現行ではプレミアがついている状態なので、作者のお財布から万札が飛びましたorz
ちな、この物語の章題である『サンダー作戦』の元ネタは007の名作、サンダーボール作戦です(作者が一番好きな007映画)
※ルギア爆誕編の一話目で説明する予定ですが、この時期はエージェントにカラー・コードネームを与えていませんし、エージェントの最高階級はAクラスで、一桁代の数字(00)がスペシャル・エージェントの位置に居ます。
悪堕ちサトシ君がREDのコードネームを与えられたのは、この物語とミュウツーの逆襲編の過去回想の中間の時系列になります。