「招待状をこちらに……どうぞ。素敵な一夜をお過ごし下さい」
屈強なガードマンを両脇に侍らせた初老の受付が、慇懃に腰を折って僕と009をサント・アンヌ号という虎穴に招き入れた。
入念に身体検査が行われ、モンスターボールの類は一切持ち込めなくなってはいたものの、既にして僕の腰からビリリダマは離れているし、009のチューリップも使い切っている。
つまりは僕の『顔』になっているメタモン以外は丸腰で、ここから先は僅かにでもしくじれば死が待っているということだが、僕も009も自然体のままウェイターに出されたウェルカム・ドリンクを受け取り、それを別席で優雅に寛ぐ『内通者』のグラスとすり替えてから、二人でグラスを呷って微笑み合う。
死は僕達にとって常に陰から付き纏う厄介なストーカーだが、それを巧みに利用してこそ真のプロというものだ。
既にカジノでは年齢を問わず、クリーム色のメス・ジャケットやタキシードに身を包んだ男達が各々のテーブルで遊興に興じ、女達は特定の男が居れば侍りながらそれを見守るか、或いは自身もゲームに参加している。
009は僕という子供連れなこともあって近づく男は居らず、遠巻きに視線を寄越していたが、そのうちの数人は視線の動きで敵と知れた。
厄介なのは、堅気の中にロケット団やコンツェルンとコネクションを築いている実業家も多く居ることだ。
……無論、ロケット団を裏切って敵に情報を流した『内通者』については今日限りで消えて貰うか、生き延びたところで骨の髄までしゃぶらせて貰う予定だが。
「喉も潤ったし、遊びましょうか?」
「じゃあルーレット! 座ってるのは退屈だもん!」
子供らしい愛想を振りまきながら、
ルーレットを選んだのは、先に発言した通り座り込んで身動きが取れなくなるのを避けるためだ。女性ディーラーは微笑まし気にこちらを見つめているが、その指さばきはプロとして見事なもので、どんな数字でも狙って出せるだろう。
“コイルかレアコイルでも忍ばせれば、イカサマで楽に勝てるんだけど”
どの道経費で落ちるのだし、何より実戦以外の勝ち負けには拘らない主義だ。しかし……。
『三三』
『自信たっぷりね』
良いわ、と景気よく009が全てのチップを指示した位置に積み上げた。回転が弱まり、ディーラーが「ノーモア・ベット」を宣言し──
「当たった!?」
一目賭けの倍率は三六倍。周囲から賭けた時以上のどよめきが走ったし、009も微かに目を瞬かせたが、僕には視線の動きと投球の癖で十分読める。
こういう技術があればこそ、厄介なトレーナーがボールを投げた瞬間に、相手のボールの開閉スイッチをスムーズに破壊できるのだ。
その後も二五(赤)、八(黒)と立て続けに当てられては、流石に腕利きディーラーも交代の為に、奥に引き下がらない訳には行かない。
『優しいのね』
『堅気は巻き込みたくありませんから』
そして、次のディーラーは視線からして刺客であることは瞭然であった。
周囲の顔ぶれも徐々にこちらを取り囲むように入れ替わっている。だからこそ、遊びはここで終わりだ。
「ネクスト・ゲーム!」
「いいえ──ショウ・タイムよ」
嚥下した錠剤型の発信機を口内に戻し、奥歯で噛んで作動させていたのは、ゲーム開始の三分前。既に〈テレポート〉で飛んだ二体のビリリダマは僕に正真正銘、本物のボールを。009には、チューリップの束を届けている!
「……なっ!?」
壮年のディーラーの喉元に、深々とチューリップの鋭利な茎が突き刺さり、合わせてマタドガスの〈えんまく〉が会場全体を包み込む。
しかしながらこちらは二名。所詮は多勢に無勢とばかり、包囲した全員が拳銃を抜いたが──手遅れだ。
「が……!」「あぎ……!?」
四方八方から響く銃声は、互いが互いを撃ち合う同士討ちの状態だが、それも当然。何しろ既に、僕のゴルバットが〈えんまく〉に紛れて〈ちょうおんぱ〉を放ち続けていたのだ。
脳を揺さぶられ、混乱した人間達は誰が敵か味方かも判断できていないし、一旦完全な包囲網が崩れたなら、この程度の弾雨には僕と009なら対応できる。
しかし、ここで終わるような相手でないことは、僕達も十分弁えていた。
「よくやったエージェント! 訊け貴様ら! このサント・アンヌ号は、我らロケット団が乗っ取っ──がぁ……!?」
「そこまでだロケット団! 我らロケット・コンツェルンの名を騙り、働いた悪事の数々と恨み、一朝の内に晴らしてくれる!!」
突如として短機関銃を手に、僕らの味方だと宣って会場に踏み込んだロケット団。
そして、この場に招待された要人のボディーガードとして、ロケット・コンツェルンから派遣されたエージェント。
どちらが僕と009の味方かと問われれば、後者のロケット・コンツェルンで、彼らは裏切り者の粛清だけでなく、要人を護衛し、脱出させる任も帯びている。
対し、この場でロケット団を名乗った連中も、同じく正式にボスの指令で動いているものの、その構成員は敵に寝返った裏切り者と、平素から資金の横領や警察組織への密告を行ってきた手合いであり、この日の為だけに見逃してきた捨て駒である。
──即ち、僕と009が抹殺の命に従い、排除すべき対象だ。
とは言っても、僕と009の最優先殺害対象は、あくまで敵の首魁である。
敵の首魁が、僕と009がサント・アンヌ号に乗船する前に脱出した形跡はない。
そして今も、信用のおけるエージェントが厳戒態勢を敷いている上、彼らから逃げられたという報告も受けていない。
つまりはまだ、この船内の何処かに潜んでいるということだ。
「ここは僕が片付けます」
「ありがとう」
投げキッスと共にドレスを翻し、颯爽と駆けながら、足音の一つも耳に残さぬ009を見送ってから、僕はロケット・コンツェルンのエージェント達と協力し、指定された要人を安全圏に逃がしながら、組織を裏切った団員達と、敵の首を一人残さず〈かまいたち〉で跳ね飛ばす。
〈えんまく〉の張られた会場だろうと、このフロアと動く人間は〈ちょうおんぱ〉で反響されたゴルバットが完全に把握し、その耳目で正確に捉えている。
どれだけ〈えんまく〉が視界を阻もうと、不利など全く存在しないし、コンツェルンのエージェントという増援は、手数の上でも素直に有り難かった。しかし。
「──!」
軌跡さえ残るような、美しい一閃。粉塵の中から煌めく刃が、雑兵の首を断ち切ってきた意趣返しとばかり、僕の首筋へと迫る。
だが、僕の顔だけでなく首を守るメタモンがそれを受け止め、攻撃を仕掛けた相手と同様の姿を取った。
“ストライクか”
両腕に鎌を持つ虫ポケモンは、同様の姿形を取った僕のメタモンに鎌を弾かれるも、その反動を利用して全身を回転させながら、まるでブレードの付いた駒のように二撃、三撃と斬撃を続ける。
「御見事」
動きに〈つるぎのまい〉を重ねて乗せ続けているのだろう。こちらが絶え間ない斬撃を弾けば弾くほどストライクは速度と力が増していき、しかもそれは止まらない。
“トレーナーの指示がない中にあって、この動き……完全自立思考型の調教を施したか……だけど、トレーナーが居ないのは失策だったね”
このストライクの持ち主は、ポケモントレーナーが単に命令を出すだけの存在だと割り切ってしまったのだろう。
人間の部下のように手駒として命じ、操り、敵が自身に到達するリスクを減らす為の調教だったのだろうが……。
「……ストライク。君の力が十全以上に発揮されないのは、一人のトレーナーとして惜しくさえあるよ」
こんな言葉を、完全な調教を施されたポケモンが意に介す筈もない。それでもこの剣舞の美しさを一目でも見てしまえば、一端以上のトレーナーなら、誰もが同じ感想を抱いただろう。
氷上を舞うアイス・スケーターのように。それでいて一切無駄なく命を奪うことに特化した、斬撃の申し子。
一体どれだけの鍛錬を重ねたのだろうか?
どれだけの戦いを乗り越えたのだろうか?
その姿はあまりに美しく、そして魅了されたからこそ──
「──僕のメタモンに、出し惜しみを
全力で、全霊で、一切の情け容赦なく迅速に始末する手管は見事だが、ポケモンバトルとしても殺し屋としても、このストライクは『正直』過ぎた。
「シャ……!?」
先程まで防戦一方だったメタモンが、己と全く同じ動きを、しかもストライク自身より無駄なく行っているのは驚愕以外の何物でもなかったことだろう。
弾くのでなくいなされる。止めるのでなく躱される。
あの美しかった剣舞の悉くを模倣され、ばかりか全てが無力化されているのだから。
「君に言っても無駄だろうけど……トレーナーは〈わざ〉を指示するだけの存在じゃない」
相手の動きを観察し、読み切り、どのタイミングでどれだけの力を振り絞るのか。
〈わざ〉の発動のタイミングから攻撃、防御、回避に至るまで、虚実入り乱れる実戦の司令塔としての役割を担い、サポートすることでポケモンに実力
ましてこのストライクは、〈えんまく〉に紛れて〈ちょうおんぱ〉を発し続けていたゴルバットさえ見えていなかったし、二体のビリリダマが分散して微弱な〈でんじは〉を発していたことさえ気付けなかったのは、流石に悪手どころではない。
殺しの最優先対象と、その直接の護衛であるメタモンしか見ていなかったツケはとてつもなく大きい。
「広い視野を持ったトレーナーが傍に居れば、きっとこうはならなかったろうにね」
尤も、僕のポケモンは直接口で動きを指示せずとも、ハンドサインや視線、そして足の踏み鳴らし具合で、次の動きを完全に予測できるよう叩き込んでいる。
たとえトレーナーが居たとしても、僕が口に出した『偽の命令』に騙されたであろうから、ひょっとしたらこのストライクは今より早く窮地に立たされていたかもしれないが……所詮は
僕にポケモンを殺す趣味は無いし、主義に反するから決して殺しはしない。
けど、敵である以上は、大人しく瀕死になって貰う他にない。
「──君のトレーナーは兎も角、君自身は間違いなく強敵だったよ。ストライク」
◇
「邪魔よ」
「……っ!」
チューリップ型のロッドを展開させて銃を叩き落とし、鋭く先端が尖ったロッドを相手の首に挿し込んで、声も上げさせず終わらせる。
男でも女でも、断末魔というものは醜く汚い。だからこそ私は、苦しませる目的以外では相手に声を上げさせてしまうような得物を用いないことを信条としていた。
「誓うわ──誰一人として逃がさない」
血振りと共に、自らに課した宣誓。それを偽りのものとしないために、一人また一人と屠って進む。殺しに快感など覚えはしない。人を傷つけることを、楽しんだことは一度もない。
しかし、そうした手合いだからこそ、裏社会ではのし上がられる。
一切の慈悲も躊躇もなく、快楽すら覚えないキリング・マシーンこそ、エージェントに必要不可欠な素養なのだと。それを、教えてくれた相手は──
「──久しいね。009」
「……そんな」
有り得ないと。そんな筈はないという表情で、私は顔を歪ませる。
「だって……貴方は……」
出かかった言葉が、唇で塞がれる。
私の初恋だった人──かつての007が、そこに居た。
「……どうして」
生きているなら、言って欲しかった。伝えて欲しかったと潤んだ瞳で、唇を離した彼に迫れば、「必要だったからね」と優しく微笑んでくれた。
「──そして、私には君
付いて来てくれるね? という甘い言葉に耳朶が震える。嗚呼、分かっている。この作戦も、今日という日までの全ても、心の何処かで勘付いていて、これは決して、組織にも私にも駄目で──
「──良いわ。して欲しいことを、させて」
弱く、駄目な女としての部分を顕わにさせた私の腰を、彼は昔と変わらない笑みで搔き抱いた。その瞳に映るのが、女として以上に、道具としての私だと知りながら。
私はこの手を──、彼を拒まなかったのだ。
◇
「……馬鹿な!?」
乱戦のさ中、僕の耳目であると同時に、飛び道具としての役割を担い、空中で待機していたゴルバットが不意を打たれて沈んだことで、僕は大仰なまでに声を上げた。
しかし、相手はそこで止まらない。動揺の間隙を突いて迫るのは、ストライク相手に危なげなく勝利を収めたメタモンさえ、立て続けに潰す腹積もりだったからだろう。
間一髪のところで飛び退いたものの、相手はしなやかに身を翻しつつ、音もなくテーブルに着地した。
「……まるで、009のような身のこなしだね」
こちらの諧謔が果たして理解できているのか、いないのか……おそらくは前者だろう。
美しい毛並みを闘争本能と共に逆立たせるペルシアンは、口元の牙と爪を見せびらかして嗜虐の意を示し、じり、と緩やかに。しかし一足跳びで迫る足運びを披露してみせた。
「下がれメタモン! この子の相手はマタドガ……っ!?」
指示を出そうとした矢先、〈えんまく〉の尾を引いて迫る投擲物を回避すべく、全身全霊で横に跳ぶ。
完全なる無音にして美しく、そして冷酷な奇襲。〈えんまく〉によって封じられた視界など全く意に介さず、逆にこちらが周囲に張った〈えんまく〉によって空気の流れと軌道を把握できていながら、完全には躱し切れない文字通りの神業には、称賛する余裕さえ与えられない。
“初めてだよ……僕が、実戦で傷を負うなんて!”
ショートズボンでむき出しになっている太腿が擦過し、血の玉が床に散った。嗚呼、これは薬物か。次の瞬間には、擦過した箇所から全身に倦怠感が広がって──
「──ごめんなさい」
その言葉に続く形で、黒いチューリップが僕の胸に刺さる。
困惑、動転……表情を目まぐるしく変えつつ、耳の届く言葉から全てを察しつつも、僕は力なく、豪奢な絨毯に身を沈めた。
◇
「君らしくもない。一人相手に、二本もチューリップを投げ渡すとは」
「ええ……初めてのことよ」
躱させてやる気など微塵もなかった。どれだけ深く濃い〈えんまく〉の中でも、私は有象無象の区別なく、一切の例外なく仕留める相手にチューリップを届けて来たことは、Aクラス・エージェントとしての誇りであり自負だった。
「齢と共に経験を積めば、あの少年は
それを私に命じたのは彼自身なのに、どうしてそんな心にもないことを言えるのだろう? けれど、あの子が最も危険だということも、私は誰よりも理解していたから、それを拒むことは出来なかった。
「本当に、ごめんなさい……だけど、これまで出会ったどの男より、この人は素敵だったの」
微かに俯き、心中を吐露した私は見開いたままの、もうピクリとも動かないあの子の目を閉じようとして──
「魔物だね、女というものは──だからこそ、生かしておけない」
そう、背中に突き付けられた拳銃に、信じられないとばかりに首だけで振り返った。
「だから……
「それを承知で、私に心奪われたんだろう? 恋のライバルが消えたことを、009の後釜に座れたことを内心喜んでいたじゃないか」
「……カマをかけたつもりだったけど、そこからだったのね」
おそらく、先代の009は何処かで彼の裏切りを察知したんだろう。そして彼は、私が繰り上がれるように調整し、手駒となるよう魅力的な姿を晒して……馬鹿だった頃の小娘は、ずっと掌の上で踊っていた。
「ロケット団は、そんなに居心地が悪い居場所だった?」
「いいや。しかし、金は必要だ」
成程。実に悪党らしくて分かり易い。
何処までも単純明快で、だから全て彼が仕組んだことなのだと分かってしまう。
この人はどんな悪事も、困難なミッションも容易くこなしてきた。他のNUMBERSを訳もなく仕留めたように、このサント・アンヌ号で私を殺し、ロケット団から金を奪うことも、出来て当然だとほくそ笑みながら、次の悪事を考えているのだろう。
「……だけど、本当に好きだった」
「そうか。しかし、君は黒いチューリップだ……私にも、誰からも忘れ去られる女だよ」
「酷い人」
舞台の幕は、ここで終わる。なら、私は最後まで黒いチューリップに相応しく、彼の心から去るとしよう。
「さようなら──
「──な」
ばしゃ! と。バケツをひっくり返したような鮮血が、拳銃を手にしたままの二の腕と共に、宙に舞い飛ぶ。
勝利を信じ続けてきた男。それを当然のものと証明し続けてきた男の顔に、先程までの余裕はない。醜悪な心に相応しい、醜悪な表情で歪んでいた。
「言ったでしょう? これまで出会ったどの男より、素敵
「このっ……ペルシアンっ、この女を殺せぇ──────…………!!」
ここで私がこの男を殺すより先に、ペルシアンは私を殺せる。
かと言って、私がペルシアンにチューリップを放つより、ペルシアンは素早く私の首を切り裂いてしまうだろう。正面からならポケモン相手に私も戦えるけど、奇襲となれば話は別だ。だけど。
「〈ヘドロばくだん〉」
爪を立て、跳びかかったペルシアンの視界がヘドロで遮られたばかりか、〈ヘドロばくだん〉が着弾した衝撃で吹き飛んだ。立ち込める〈えんまく〉の中から現れたのは、
ゴルバットを腕に乗せた男の子は、胸に刺さったチューリップを胸元に挿し直す余裕さえ見せて、私達の前に姿を見せた。
「……カッコいいじゃない」
自分ならどんなミッションも、どんな窮地も乗り越えられるという自信を、全身で表す姿──かつて憧れた
◇
“任務の為に、マタドガスに〈かみなり〉の習得を見送らせたのは正解だった”
あちらは命中率に難が有ったからな、と心中で漏らしつつ、ヘドロを浴びてのたうち回るペルシアンを視界に収め続けるが、まだ予断は許されない。たとえ視界が封じられても、ペルシアンの鼻は利いている筈で、戦意も旺盛なままだった。
けれど──こちらに跳びかかったペルシアンの爪は、空しく空を切っている。
その攻撃は、完全にあらぬ方向を向いていた。
「何処を見ている間抜け……! ガキはお前の正面だぞ!?」
「無駄だよ。ペルシアンを吹き飛ばした方向の〈えんまく〉には、〈スモッグ〉も含ませた。もう鼻は利かないし、残る頼みの綱の耳も〈ちょうおんぱ〉で狂ってる。
もうペルシアンには、お前の命令さえ届かない──たとえ届いたとしても、ポケモンを一人ぼっちにしたお前に、僕が敗けて堪るかよ」
「フシャアああああっつ────…………!!」
おそらくだが、このペルシアンはストライク同様、
著しく自尊心を傷つけられたペルシアンは、優美ささえかなぐり捨てて勘を頼りに迫ったが、蛇の生殺しのように戦いを長引かせる趣味は無い。
「ゴルバット──見え見えの奇襲の借りを返すと良い」
演技とはいえ、地に落とされた鬱憤を放つように。
容赦のない〈かまいたち〉が、ペルシアンを瀕死に追い込んだ。
「……こんな、馬鹿な……」
後に残るのは、醜い形相の黒幕だけだ。
そして、その幕を引く役目は、僕ではないと弁えていた。
◇
「……こんな、馬鹿な……」
「貴方の言う通り、黒いチューリップは誰からも忘れ去られるわ。
だけど、それは相手が勝手に私を忘れるんじゃない──私が忘れさせるのよ」
かちゃりと、拾い上げた銃を片手で持つ。たとえど素人だったとしても、この距離で外す間抜けは居ない。
「待っ……」
命乞いなんて、美しくない。そして私は、この男にチューリップを届けたくもないから、下品で大嫌いな拳銃の銃口を、その眉間に押し当てた。
「さようなら──地獄でも、私の顔を覚えてなさい」
喚く声など気にも留めず、私は引き金を静かに引く。
眉間に穴が穿たれた男の顔は、やっぱり生前と同じく醜悪なままだった……なのに。
「……どうしてかしらね。全部知ってたのに、終わったら涙が出ちゃうの」
裏切っていたことも。私の心を弄んでいたことも。全て理解した上で、この任務に臨んだ筈だ。けれど、それでも心の何処かで全部が嘘であって欲しいと思っていたんだろう。
彼の前で、どんな偽りの表情を作っても。絆されたと彼に思い込ませている間でさえ、いっそ全てが夢だったら、どんなに良いかと思い続けていた。
「……弱いわね。女って」
「だからこそ、男性は支える為に、傍に居たくなるものです」
真っ白なハンカチを取り出して渡してくる007は、子供と思えないぐらい大人びていて、その瞳は、こんな世界に居るべきじゃないと思えるぐらい真摯だった。
「ありがとう」
任務に就く前までだったら、頭でも軽く撫でて、子供扱いしただろう。だけど今は、素直にお礼を言いたい気分だった。
「じき、警察も動きます……今は」
「ええ……先に行って」
逃がすべき要人達は逃げ、コンツェルンのエージェントも既に去った。
だから、もうここには死人しかいない──残るのは、死人になりたい奴だけだ。
「いいえ。一緒にです」
だけど、そんな私を見透かしてか、007は私の手を取ってきた。
白くて、小さくて。けれど手の内側は豆だらけな、固くて強い、男の子の温かい手。
「そうね── 一緒よ」
もう私の目と心に、殺したかつての憧れは浮かばない。
ずっと、最後の最後で飲もうと思っていた毒入りマティーニに、口を付ける気にもならない。
“だって。私は口にしたじゃないの”
“酷い誤算ね……”
だから、気持ちを切り替えるように。誤魔化すように私は問う。
「……倒れたポケモン達は、どうする?」
「連れて行きましょう。命じられていただけで、この子達に罪は有りません」
「そうね」
そういう本当の優しさが、
この子は人殺しで、エージェントで、悪党かもしれないけれど、決して罪のない相手を殺したり、見捨てたりはしない子だったから。
「だったら、急がないとね」
死体からまさぐったボールにポケモンを戻して、この場を後にする。
そうして屋外に出れば、血腥い会場と打って変わって、満天の星空が広がっていた。
悪党に似つかわしくない場面だとは承知しているけれど、それでも私は女の子として、こういうものを思わず見入りたくなってしまう。
“けど、ロマンチックな光景に目を奪われてもいられないわね”
既にジュンサー達が一帯を封鎖しているだろうし、逃げるなら空路しかない筈だ。それを分かっている007は、既に小型通信機を耳に当てていた。
「連絡が付きました。すぐにヘリが着きます」
すぐにと言うなら、時間は一分程度だろう。手際の良さに感服しつつ、同時にその一分を心から大事にしたかった。
「貴方には、色々と助けられたわね」
「パートナーですから」
冷静に返されてしまったけれど、それでも私は、ちゃんと伝えたいことがあって……だけど口を開くより先に、007は胸に挿したチューリップを私に手渡してきた。
「お返しします。正直……、少し胸がチクリとしました」
「女にハートを刺された気分は、悪くなかったでしょ?」
受け取ったチューリップを、くるりと回す。さぁさ、近くに寄って見てごらんなさい。
受け取りました黒のチューリップが、可愛い白色になりました。
「……どうやったのですか?」
「ひ・み・つ」
ウィンク一つ飛ばして、007の襟についた、フラワーホールにチューリップを挿し込む。
男が想いを告げる時、女に花束を渡すのは常識だけど、女の正式な応え方というものを多くの男女は知らないし、それはきっと、この子も同じ筈だ。
──そして、白いチューリップの花言葉もまた然り。
だから、今はまだ子供のこの子の頬に、軽く唇を触れる程度に止めておこう。
「いつか──、貴方がもっと素敵になったら、大人のキスをして上げる」
きっと。その時が来る頃には、この子はもうロケット団には居ないだろう。
どれだけ残酷で苛烈な戦い方でも、この子はその力を悪人以外に向けなかった。
ポケモンを道具に、兵器にするのが当然の裏社会の中で、この子はポケモンを大事にしていた。
黒く沈んだ瞳の中でも、私に向ける優しさは本物で、微かに見えた輝きは、いつか正しい道に帰ってしまうのだろうと確信してしまった。
嗚呼、だけど。けれど──この、飛び切り素敵でカッコよかった男の子に、年の差なんて考えもせず、未練がましい言葉を伝えてしまう。
「──だから。私を忘れ
貴方は今のままでも私より出世して、私より遠くに行くだろう。NUMBERSとして一人日陰を進む私では、今日という日を境に、二度と出会えなくなってしまうかもしれない。
だからこそ、そんな言葉を思わず口にしてしまったのだろう。
「僕は──、……」
その声を掻き消してしまうように、大音量でヘリがこちらに迫ってきた。
嗚呼、どうしてこう、世界は厳しいんだろう?
或いはこれがお約束というものなのかもしれないけれど、それでも不平を漏らしたくて仕方なかった。
“だけど、仕方ないわよね”
私は悪党で、人殺しだ。この子も同じだったとしても、私は組織を抜けるつもりなんてさらさらないし、人生をリセットしたいなんて思わない。だからこれは、このお約束は悪党として、受け入れなくちゃいけないもので──
「──帰りましょう! 一緒に!!」
音に負けない大きな声で、縄梯子を片手で持った007が、もう片方の手を差し出してくる。
「ええ!!」
嗚呼、こんなお約束なら満点だ。悪党には似合わない光景だろうけど、この子に抱き着きながら、飛び立つヘリと共に血濡れの世界を後にする。
抱き合う男女が夜空に消えて、エンドロールが流れて行く──そんな銀幕の世界を想像しながら、私はドレスをはためかせて、この作戦にピリオドを打った。
私はドミノ──いつか、007からREDになった彼と再会する、この物語のヒロインだ。
これにて外伝、サンダー作戦は完結です!
ホントは裏切者は元007という設定じゃなくて、006(『ゴールデンアイ』における、元00セクションのエージェントにして、ボンドの親友)にしたかったのですが、数字で「あ。こいつ死んだの偽装して裏切ってるな」っていうのが丸わかりなので、元007という設定の敵を用意しました。
ちな、白いチューリップの花言葉は『新しい恋』でございます。
カスミちゃんは悪堕ちサトシ君に、バックドロップ仕掛けて良いw
※この物語はルギア爆誕編で終わる予定ですが、投稿にはお時間を頂きたく存じます。
投稿予定日につきましては、活動報告にて告知いたします。