【本編完結】君へ捧げる物語~北宇治高校文芸同好会へようこそ~ 作:小林司
全国大会までの日数が一桁になったある日。
それは朝の出来事だった。
「おはよう。
「おはようございます。朝からどうしました? えっと、
部室の前に、低音パートの藤浪先輩が立っている。
吹奏楽部では数少ない男子部員ゆえ、楽器運搬などで顔を合わせることがあるが、その程度。
何の用件だろう?
「ちょっと……ね」
そう言って扉の横を見る。
『金山相談所』そういうことか……。
「分かりました。どうぞ」
部室に招き入れる。
しかしどうしよう。
「失礼します」
「おはよう」
案の定、
前までとは違い、先輩がいるから、ここでは他言無用な内容の話は出来ない。
……防音室使うか。
「藤浪先輩、奥の防音室行きましょう」
藤浪先輩と一緒に防音室に入る。
防音室に入ると、先輩は興味深そうに室内を見渡した。
「こんな風になってるんだね」
そうか、藤浪先輩たちチューバのメンバーは防音室を利用したことがないんだ。
「先輩は初めてでしたね、この部屋。ところで、どんなご用件でしょう?」
先輩は、部室に入る前から周りを警戒しているように見えていたし、室内に加木屋先輩が居るのに気付いたときは、困ったような感じだった。
恐らく、相談内容は他人に聞かれたら困る話だろう。
「金山。今まで殆ど話したこともないのに、急に重い話をして困らせるかもしれない。でも、
なんか、俺のことを買い被り過ぎだと思うんだけど。
まあ、これは藤浪先輩に限ったことではないか……。
「金山。これから話すことは、一切口外しないで欲しい。他言無用」
本当に他人に聞かれたら困る話だ。
「本当なら、誰にも話さないつもりだったけど、それだとあまりにも後味悪いからさ。巻き込むみたいですまない」
「まだ、なんの話か聞いていないので、無責任なことは言えませんが、あまり気にしないでください。言うなと言われれば、墓まで持って行くつもりですから」
そう言うなり、藤浪先輩が笑う。
「墓までって、その歳で言うことじゃないよね……」
まあ、確かに。
でも、それくらいの覚悟だって分かってもらえれば良い。
少し場の空気が和んだところで、先輩が「改めまして」という前置きのあと、口を開く。
「実は、親父が亡くなっててね」
想像してたより辛い話だった。
「それは……ご愁傷様です」
こういう時、本当はなんて言うべきなんだろう……。
適当な言葉が思いつかず、とっさに出たのが今の言葉だった。
……あれ?
「気にしないで。ロクな人間じゃなかったから……。稼ぐは稼いでくれてたけど、家庭をほったらかしにしてたからさ。もう、ずーっと会ってないから顔も覚えてない」
「それだと、どうして亡くなったことが分かったんですか?」
「今まで、毎月決まった日に決まった額が振り込まれてたのが、急に止まって。そしたら、手紙が届いたんだよ」
「どんな内容ですか?」
「簡単に言うなら、親父がとんでもない額の借金を作って、死んだって。家が担保になってるとか、よく分かんないんだけど……。ただ、その借金がとても払える金額じゃないらしいんだ」
借金……。
「それで、先輩はどうするんですか?」
「どうするって言ってもな……。どう言えばいいんだろう?」
普通、こうなった場合に取る行動って……。そもそもが普通じゃないってことは分かってる。
「平たく言えば、夜逃げ? 母と2人で」
夜逃げ。言葉は聞いたことがある。
家財道具などを残して、行方を
しかし、実際に夜逃げしますと言われても、ピンとこない……。
「詳しい話はまだ聞けてないんだけど、とりまここに居続けるのは危険だから、行方を眩ますことになるって。職場にも学校にも、回りの誰にも何も告げずに、
「こんな話。俺にして大丈夫なんですか?」
「理由はさっき話しただろ。それだけさ……」
「夜逃げするって言いましたよね?」
「うん」
「つまり、もう先輩とは会えないってことですよね? それは」
「会えないだろうね。もしかしたら、
「それなのに先輩は、何でそんな顔してるんですか?」
至って普通の、むしろ何だか清々しい顔をしている。
もう会えないっていうのに、どうして……。
「無言でみんなと別れることが平気なんですか?」
「平気じゃないよ! でも、生きていれば何処かで会えるかもしれないだろ? 今生の別れって言ったけどさ、死ぬ訳じゃないんだから……。借金の時効は5年。金額がデカいから、もっと長いかもしれないけど」
一昨年だったか。法改正で個人の借金はいくつかの条件を満たせば、数年で時効になる。
とはいえ、そもそもこの場合、先輩やお母さんが払う義務があるのか?
どうなんだ? 国会で話題になっていただろう。
中継で『逃げ、隠れで借金が消えるなんて逃げ得じゃないか!』って野党議員が騒いでいたのは覚えているが、細かい法の内容は思い出せない。
「生きていく俺たちが、死んだ人間を恨んだってしょうがないんだよ。黙って行かせて欲しい……」
先輩自身も詳しい話を知らないって言っていたんだから、これ以上俺が口出しすべきではないのだろう……。
2人で防音室を出る。
「失礼しました」
藤浪先輩は加木屋先輩に一声掛けて部室を出た。
俺も続く。
廊下に出たら扉を閉めた。
「それじゃあ。聞いてくれてありがとう」
「こちらこそ。えっと……」
なんて声を掛ければ良いんだ。扉は閉めたから、加木屋先輩には聞こえないと思うけど、あのことは秘密なんだから、バレるようなことは言えまい。
「また、音楽室で……」
そう声掛けるのが精一杯だった。
「ありがとう」
先輩が廊下を歩いて行く。
俺は、その背中を黙って見送ることしかできなかった。
「先輩、なんの話だったの?」
部室に戻ると、加木屋先輩から声が掛かる。
「大した話じゃないですよ。全国大会の日、バスの座席を譲って欲しいって。乗り物酔いし易いらしいです。この話、恥ずかしいから、先輩に聞かれたくなかったみたいですよ」
「そう……」
「今日来たことは、内緒にして欲しいって言ってました」
「そう? 私は乗り物には酔わない体質だから、良く分からない」
酔わない体質か。
「俺も同じです」
『どうやったら酔えるの?』って体質だから、乗り物酔いは良く分からない……。
態度でバレないように気を付けないと……。
なんか話題を振ろう。
「先輩。良かったら今度、何処か出掛けませんか?」
「どうしたの? 急に」
「いや、先輩京都に来てから2ヶ月も経ってませんよね? 観光とか、どうかな……って」
土日も俺が学校に来ているからか、先輩も来ているから、休みの日にどこかに行くっていうのは無いんだろう。
「そうね。京都は小学校の修学旅行で来た以来だし、有名どころしか見たことがないからね。五条大橋とか、嵐山とか見てみたいかも」
嵐山か。何か縁があるな……。
「そうだ。金山くんってカラオケ行くことあるの?」
カ、カラオケ?
「お、俺。音痴なんですよね……。でも、先輩が行きたいって言うのなら……」
気は進まないが。
「あ、別に無理しなくていいよ」
先輩が唇を尖らせた。拗ねたの?
「アカネちゃん誘うから」
挑発的な笑み。そういうことだったか……。
駅ビルコンサート以降、加木屋先輩の表情が豊かになった気がする。
こんな感じでクラスメイトと打ち解けることが出来れば良いんだけど……。