【本編完結】君へ捧げる物語~北宇治高校文芸同好会へようこそ~ 作:小林司
前話からの続きです。
「……という訳だったんですよ」
「なるほどね……」
その間、俺は執筆しながら返事をしていた。
しかし、それを気にすることもなく、執筆について詮索することもなく。俺が話を聞いておらず、話が噛み合わないこともあった。彼女が一方的に喋り倒す形になっていたけど、それでも嫌な顔ひとつしない。
「あ、お昼御飯の時間だね。ちょっと買ってくるよ」
急に、思い出したように言い、鞄から取り出した財布だけを手に、部室を出ていった。
なんというか、忙しい人だ。
時計を見れば11:50。俺も昼食にするか……。
ケトルに水を入れてセットすると、ノックと共に扉が開いた。
犬山さんもう戻ってきたのか?
「犬山来てるのか」
と、思ったら
「お疲れ様です。犬山さんなら昼食買いに出ていったところですよ。先生は何しに来たんですか?」
朝は居なかったから、来たばかりだろう。
日曜日のこんな時間から来るということは、何かあったんだろう。
「野暮用だよ。それが終わったから顔出しに来た。我ながら情けない話さ」
どういうことだろう?
「情けない話?」
「実は、
そう言いながら、椅子にどっかり座る。壊れるよ……。先生軽いから大丈夫か。
傘木さんから相談……。
そうか、同級生だっけ。
「それで相談にのってきたは良いが、財布を忘れてね。学校に置きっぱなしだったんだよ」
学校にって。今日は日曜日だ。昨日は学校が無かったから、金曜日に忘れていったのか。
……じゃあ、昨日一日どうしていたんだ?
「コーヒー代、
彼女のことだ。自分から呼び出したのだから、最初から支払は持つつもりだっただろう。
しかし、滝野先生としては、財布を忘れてしまったことが恥ずかしいようだ。奢ってもらう前提でいたように思えるからね。
俺も同じ立場なら恥ずかしいし。
「ところで。傘木さんは何の話だったんですか? 相談されたって」
話が逸れてしまったが、どんな内容だったのだろう?
今まで聞いた話だと、同期生で同じ部活だったから面識はあったものの、特に親しい仲ではなかったらしい。それでも相談されたということは、……『先生』絡み?
「ああ。
えっ?
読み通りだったが、新たな疑問が湧く。
「傘木さん、教員免許持ってるんですか?」
音楽科教員、ということは、先生としてってことだよな?
「ああ。持ってるよ。ただ、俺と同じで最初の教員採用に通らなくて、その間に今の会社に誘われて入社した筈だ」
「滝野先生、教員採用試験、1回落ちてるんですか」
「ほっとけ。あんなもん一発で受かる方が珍しい……」
そうなのか?
「元々、吹奏楽部の指導に憧れはあったらしいが、今の会社でそれなりの役職まで出世しているから、迷ってるんだと」
今は課長だっけ。貰った名刺は財布に入れてある。
「それで、滝野先生は何て答えたんですか?」
こう尋ねると、先生は少し考える素振りをしてから口を開いた。
「少しだけ俺の考えを話してから言うよ。ちゃんと聞けよ」
「俺は、自分のやりたい仕事を選ぶのは大変だって思ってる。今はこうして教師やってるけど、別に好きで選んだ訳じゃないからな」
前にそれとなく聞いたことがある。
「
確かに。
医師・看護師のような専門の資格が必要なものには従事できない。
それに、女性向けのサロンなどは、女性に限られている場合もある。
「教師というのは大変な仕事だよ。休日返上で部活やら行事やら、保護者からのクレームも最近多いし。でも、職としては安定してる。公務員だしな」
今も昔も公務員といえば、安定した職業の代名詞だろう。
「傘木の場合、ここまで築いてきたキャリアがあるだろ? 今は課長だっけか? それを捨ててやるような仕事だとは思わない。俺が同じ立場なら、その仕事を続けると思う。だが、傘木の人生だ。たった一度の。俺が決めることじゃない。だから俺が言ったのは、『何を選ぶかは自由だ。だけど、後悔だけはするなよ』って。この一言だけさ」
後悔か……。
「滝野先生は後悔してないんですか?」
「そんなわけ無いだろ。後悔したことなんて、何回もあるよ。忙しいし、休日も大変だし、モンペの対応は疲れるし……。でもさ」
「でも?」
「教えるのは楽しいよ。分からなかったところが分かるようになった時の生徒の笑顔は良いもんだよ」
確かに。
時々職員室で滝野先生に相談している人を見掛ける。
授業で分からなかった所を聞いているみたいだけど、難しい顔をしていたのが、分かった時にパアッと笑顔になるのは見ていても気持ちいい。
しかし、社会科の先生なのに、相談を受けているのは専ら数学や英語だ。
それだけ滝野先生がみんなに好かれている……愛されている証拠だろう。
「只今戻りました!」
ノックと共に扉が開き、犬山さんが戻ってきた。
真面目な話をしてて、何となく重くなっていた室内の空気が、一瞬で吹っ飛んだ。
「あ、滝野先生来ていたんですね」
「やっと戻ってきたか」
「その言い方、私が来てたのを知ってるような……」
そういえば、滝野先生が来たときの第一声は『犬山来てるのか』だった。
「ここに来る途中、お前の背中が見えたからな。楽器の音は聞こえんし、
なるほど。
あ、そういえば聞いていない。財布を取りに来ただけの滝野先生が、何故この部屋に顔を出したのかを。
「先生、結局この部屋に何しに来たんですか?」
「何だ? 俺はこの部屋に来ちゃ駄目なのか?」
少し
「別に構いませ……」
「駄目なんですよ」
言いかけたところで犬山さんに割り込まれた。
駄目って……。
「犬山、この部の部員じゃないだろ?」
「部長に許可貰ってますよ」
えっ? 俺出した記憶無いよ……。あ。もう部長じゃないんだっけ。
「加木屋に許可貰ったんなら、いっそのこと入部したらどうだ?」
お。部員が増えるのか?
それは有り難い話だ。
「入りません。面倒くさいし」
きっぱり! しかも面倒くさいって……。
「先生知ってますか? この部は元々金山くんのために、金山くん自身が存続した同好会です」
……なんで知ってるの? その通りだけど。
「もし、私が入部して、トントン拍子に部員が増えて、部への昇格条件整えたら大変なことになりますよ?」
……確かに。彼女の発言に息を呑む。
もし、この同好会が部に昇格したら、俺や
難しいことはこの際無視するとしても、とにかくややこしいことになる。
「確かに、大変なことになるな」
先生呑気……。
「で、俺がこの部屋に来た理由だけど」
あ、また話が逸れて忘れそうだったけど、元々はその話をしていたんだ!
「さっき言った通り、財布が無かったから昼飯を買ってないんだよ。だから、金山のカップラーメンもらいに来た。勿論、金は払うよ」
そういうことかよ。ちゃっかりしてるよこの人。
「なら先生、私のパンは如何ですか? 金山くんの分もって、てきとーにたくさん買ってきましたから」
そう言い、犬山さんが持ってきていたコンビニのレジ袋を開く。
「おお。じゃあ幾つか売ってくれ」
「どうぞ~。金山くんも」
「あ、ありがとう」
抜け目の無い人だ。
……あれ?
そういえば俺、昼御飯の準備してたよな?
「あ!」
しまった。忘れてた。
「どうした?」
「何かありました?」
急に叫んだものだから、二人に心配されてしまう。
「あ、いや。カップラーメン作るのに、お湯沸かしてたの忘れてました……」
既にスイッチが切れているケトルの蓋を開く。
中のお湯は、寒さもあってかすっかり冷めていた。
数ヶ月後、傘木さんからお菓子が届いた。
昇進の報告とお礼らしく、『次長代理兼課長』という役職名が書かれた名刺も同封されていた。
しかしまあ、相変わらず長い役職名だ。それに、前回の昇進からそんなに経っていないのに、また昇進。人手不足なんだろうか……?