今回は勇の過去と、瞬間移動型ネウロイの正体の根拠の一端をご紹介します。感情豊かな少年時代の勇くんをぜひご覧ください。ではどうぞ!
優雨作はその日も喧嘩に明け暮れていた。今日は隣村の少年たちが優雨作の噂を聞きつけて徒党を組んで喧嘩を仕掛けにきていたが、それも返り討ちにしてしまった。
「鬼じゃ~!!」
「だれが鬼じゃ!まったく他愛のない・・・ん?あれはあんときの姉ちゃんだ」
優雨作は先日見かけた赤松咲の姿を見かけると、彼女はなにやら野菜をたくさん抱えていた。そんな彼女はこの村に来てから周りの評判も良く、すっかりこの村に馴染んでいた。そんな咲に優雨作は話を掛けることはなかったが、あまりにも優雨作が凝視してしまっていたのか、咲が優雨作に気づいて駆け寄ってきた。
「あの時の少年!」
「あん時の姉ちゃん・・・名前覚えてないだろ」
「君もね!」
ケラケラと笑う少女の笑顔は屈託がなく、これまで喧嘩ばかりしていた優雨作にとって経験したことのない感情を向けられたことに口数は減っていた。
「私の名前は、咲。花が咲くって書いて『えみ』と言うのよ?」
「ああ、だから花が似合うのか」
「・・・・・・あは、あはははあはは!!!」
優雨作は思ったことを言っただけなのだが、こうも咲に笑われてしまい恥ずかしいような腹立たしいような気持になった。不貞腐れて頬を膨らませていると、ニヤニヤと咲がほっぺを摘まんでくる。
「君面白いね。はあ~笑った笑った!こんなに笑ったの久しぶりだよ!」
「へんっ!さっきだって笑ってたじゃないか!」
その一言に咲は、驚いたような顔になった後、すぐにまた笑顔に戻るとほっぺをつついてくる。優雨作が払いのけるとまたケラケラと笑い出す始末だった。
「なにがおかしいんだ!」
「だって私のことよく見てるんだもん!」
「なっ!?」
揚げ足を取られたとばかりに優雨作が顔を真っ赤にしている様子を見て、また咲が笑う。それがどうしても腹立たしく、優雨作は背を向けて帰ることにする。すると、慌てた様子で咲が近寄り優雨作の手に何かを渡す。
「なんだいこれ?」
「金平糖よ。今日のお礼!」
「お礼って、俺は何もしてないぞ!」
「いいの!笑わせてもらったお礼だから!」
そう言うや否や咲は野菜かごを背負うと走り出してしまった。取り残された優雨作は、仕方なく今しがたもらった金平糖の包みを開ける。赤や緑や黄色の色とりどりのトゲトゲしたものが入っており、特に酸いも甘いも匂いはしなかったが口に入れてみる。すると、口の中で砂糖が溶け出し、シャリシャリとした触感が心地よい甘さだった。
「変なやつ」
優雨作は金平糖の包みをしまうと大事そうに持って帰った。家に帰り、その金平糖を見た道斎はその出どころを聞くと、たまげたように顎をさすりながら垂れた瞼をさらに垂らして嬉しそうに微笑んだ。
「優雨作がだれかに礼を言われる日が来るとは。まっこと嬉しい日じゃ」
翌日、優雨作は道斎と書写の勉強をしていた。暴れん坊の優雨作だが、これでも近所の子どもたちを集めた寺子屋では一番の成績を誇り、それをよく思わない者たちから揶揄われて以来、二度と寺子屋に行くことはなかった。特に道斎は、この村の相談役的な存在の人物であり、よく村人同士の喧嘩の仲裁や、果ては葬式の真似事までしていた。本来葬式は仏教であり、神道の神社が行うことではないが、この村に寺はなく、仕方なく道斎が引き受けていたため、よく字や計算をする機会があった。
「へえ、君意外と漢字書けるんだね」
集中しているところに突然見知らぬ声を掛けられて、びっくりして筆をあらぬ方向に走らせてしまう。その結果、書こうとしていた漢字は見るも無残な姿になってしまう。やってきたのは咲だった。
「なにしやがんだ!」
「ごめんごめん!君があまりにも集中してるもんだからつい・・・ごめんね?」
「おお、咲ちゃんか。よく来たね。どれお茶を出そう」
「あ、いえお構いなく!ちょっとゆうさくくんを見に来ただけなので!」
「なんだと?!」
揶揄われた優雨作は立ち上がって威嚇してみるも、まったく意に返さない咲に地団駄を踏む。しかし、前は忘れていたはずの名前を呼んでくれたことを不思議に思っていると、顔を近づけて優雨作にねだる。
「ねえ、君の名前書いてみてよ!」
「なんだって俺の名前を書かなきゃいけないんだ」
「だってどんな漢字か知らないんだもん」
だもん、という新しい言葉にたじろぎつつ、仕方なく勇は筆を持ち直す。すらすらと書いている姿も見つめられると何となく恥ずかしい気がしてきてサラッと書き上げてしまう。
「ほら」
「へえ、これで優雨作(ゆうさく)って読むのか~どんな意味なの?」
次から次へと質問してくる咲に動揺していると、お茶を持ってきた道斎がその答えを出す。
「この子は捨て子でね。春前じゃったかの、みぞれの混じるある寒い雨の日に、家の前に傘が差してあったんじゃよ」
「なんかごめんなさい・・・聞いてよかったんですか?」
「いいんじゃよ。まあ、その傘の下にこの子がおったんじゃが、きちんと寒くないように綿の毛布で包んであってな、おまけに風車が回ってたんじゃ。この親は高価な綿の布を持たせて、おそらくなけなしの金で買ったであろう真当たりしい風車が添えてあったから、この子はきっと優しい雨が作ってくれた子じゃと思って名付けたんじゃよ」
自分の生い立ちの話をこうも他人に話されるとむず痒くて、優雨作は飛び出してしまう。
「聞いちゃいらんない!俺、外出てくる!」
「え、ちょっと!」
既に声は届かず、部屋には道斎と咲だけになってしまっていた。もらったお茶に口を付けると、ほどよくぬるく、道斎の優しさが目に見えた。そして、道斎が優雨作の走って行った方を眺めながら咲に頼む。
「咲ちゃん、あの子は本当はとても優しい子じゃ。ワシのような老いぼれの手伝いは忘れずしてくれるし、勉強も嫌がらずにする良い子なんじゃ。でも、あの生まれというだけで周りから揶揄われてばかりで不憫な人生じゃろうて。ワシは耄碌じじいじゃが、あの子にとってたった一人の保護者なんじゃろうことがよく分かる。しかし、ワシはもう長くはないんじゃ」
「え?」
衝撃の発言に耳を疑う咲の目の前には、どうしようもなく現実を受け入れた、悲しい目をした老人がいた。その説得力のある単語に、咲は黙って耳を傾けていた。
「ワシではあの子になにもしてあげられない。あの子はこれからもっと広い場所で生きるべきなのじゃろう。ワシがあの子に苗字を与えていない理由はそれなんじゃ。ワシの苗字を与えてしまうと、優雨作はワシの後を追ってしまう。だから、咲さんの家の事情も十分に理解はしておるが、どうかあの子と仲良くしてやってほしい。どうか、残り少ない老人の最後の頼みじゃと思って・・・どうか」
「そんな!こちらこそいつも楽しませてもらっています!」
床にこすりつけるように頼み込む道斎の姿に慌てて、顔をあげてもらうようにする。すると、道斎は朗らかに笑うと、優雨作の話をし始める。
「ほほほ、金平糖をくれなさったんですってな。優雨作のやつ、毎日残りを数えながら大事に食べておりますわ。あんな暴れん坊があなただけには暴力を振るわないのは、あの子を邪険に扱わないこともあるでしょうが、きっと楽しいんでしょうな」
「楽しい?」
「ええ、親にも神様にも見放されたようなあの子を、最後に掬い上げてくれたのだと思うんですじゃ。ワシの一族は榊枝の苗字の通り、神の枝の末端・・・ワシはもう枯れ木じゃが、あの子はこれからイキイキと芽吹いていく。咲いた花を見て、周りが元気になるように、あの子もあなたとならあの広い空のようにどこまでも高く、駆けていくことができるのでしょうや」
道斎の見る先には満開の桜が咲いていた。その話を聞いてからというもの、咲はよく優雨作のもとを訪れては遊び相手になった。優雨作は嫌がりながらも退屈そうなことは言わなかった。また、それを微笑ましく見守る道斎の温かな空気は、優雨作の暴力事件を激減させていた。しかしそんなある日、優雨作がお使いから帰る最中、いつも優雨作にちょっかいをかけてくる男子たちが優雨作を見かけて揶揄してくる。
「やーい、女とまま事してやんの!」
「女ったれ~」
この日、優雨作はいつも以上に暴力を振るってしまい、怪我を負わせてしまった。そのことでちょっとした騒ぎになり、怪我をさせてしまった道斎が謝罪に出かけていた。優雨作は道斎の行為に甘えて神社の切り株の上で小川の水面を眺めていた。
「何してんの?」
「・・・月が笑いよる」
「え?」
話しかけてきた咲の見たものは、川面に映る月だった。それが川の流れに揺らめき、確かに笑っているようだった。
「ねえ、こうしたらどんな風に見える?」
「ん?」
咲が小川に石を投げこむと、川面に映る月は大きく揺れてトプンと波打った。静かな空間に染み入るような水の音は優雨作の心を動かした。
「泣いてるみたいだ」
「そうね、今の誰かさんみたいにね」
「泣いてなんかないわい!」
「私にはそう見えるわ。ねえ、どうして喧嘩したの?」
咲が優しく聞いてみるも、優雨作は口を閉ざしてしまう。だが、必死に何かを隠しているような表情は咲に勘づかせるだけの材料を与えてしまう。
「ふーん・・・私のために怒ってくれたんだ?」
「なっ!どうしてそれを?!」
「あ、図星か!」
「はっ!騙したな!」
咲は優雨作という少年がとても優しい少年であることは分かっていた。自分より年下のこの少年は年上のこんな自分を守ってくれようとしていたという事実にあることを閃く。
「ようやくいつもの優雨作くんに戻ったところで、君には私の秘密を教えてあげよう」
「秘密?」
「ええ、よく見ていて・・・」
そう言うと、咲は両手を胸の前で拝むように合わせると、咲の周りが青白く輝き始めた。次第に頭からは耳が、臀部からはしっぽが生え始める。そんな未知の現象に優雨作は驚き半分、興味半分に支配される。
「・・・私ね、ウィッチなんだ」
「ウィッチ?」
「うん、君は私がウィッチだと怖い?」
咲が不安そうに尋ねるも、優雨作は一瞬たりとも目を離さずに興奮した様子で答える。
「怖くない」
「そう、ありがとう。私ね、ここに来る前は都会に近い場所にいたの」
優雨作の答えは咲の秘密を話す勇気を与えていた。咲自身、この秘密はだれにも話すつもりはなかったが、不思議と素直に話せている自分に驚いてもいた。
「その地域ではウィッチが珍しくてね、煙たがる人もいれば、物珍しさで近寄る人もいたの。そんな生活に私の母は嫌気が差したのね。ある日、父と喧嘩して実家に帰ってしまったの。それから父は荒れたわ。酒ばかり飲むようになって、仕事も辞めてしまった。そして、新しくやり直すためにここに、ウィッチの存在なんてないこの寂れた場所に来たの」
遠い目をした咲に優雨作は、そんな出来事を想像してみる。自分は家族というものに恵まれなかったが、家族と言うのはそんなにも脆いものなのかと考えていた。それでも咲は唯一の家族である父親を健気に支えているのだと言う。
「あんなに酒漬けの男、嫌じゃないの?」
「ううん、父はいま悩んでいるの。私は母が離れた時、私といてくれた父が好き。でも父は好きだった娘が忘れられないの。それは今の私じゃなくて、母と私が笑い合って暮らしていた時の私・・・」
幻影の家族の追憶を追う咲は、その神秘的な姿を隠すように振る舞う。しかし、優雨作はそんなことはどうでもよかった。ただ、これまでの楽し気な咲が優雨作にとって全てであり、これまでの咲がどんな存在だろうと自分のこの気持ちは微動だにしなかった。
「姉ちゃん、俺は今の姉ちゃんがいいよ。ここでは俺が一番強いんだ。俺が姉ちゃんも守ってやるよ」
いつの間にか自分を姉ちゃんと呼んでくれている優雨作の真っすぐな目は、咲を捉えて離さない。本気で言ってくれているのだろうが、咲はおかしくてたまらなかった。だから、咲は今回の件を含めて勝負を挑む。
「あのね、ウィッチって言うのは強いの!君に守ってもらうほどやわじゃないのだよ!」
「なんだとう?!じゃあ、俺と勝負しろ!」
「いいわ!じゃあ、せっかくここにいい切り株もあることだし、腕相撲といきましょう!」
腕をまくり、意気揚々と鼻息を荒くする優雨作は、負ける気がしなかった。例えウィッチだとしても所詮は女、力で自分が負けることはないと踏んだ。
「負けたら私の言うことはなんでも聞きなさい?いいわね?」
「当たり前だ!そっちこそ俺が勝ったらなんでもういうこと聞けよ!」
「はいはい・・・じゃあ、行くわよ!」
二人の手が固く組まれ、後は合図があるだけだった。その合図は都合よく訪れる。二人の組まれた手の上に桜の花びらが舞い落ちた瞬間、二人の力と力がぶつかり合った。
「ふ、ふぐぐぐ!!!」
「んんんんんん!!!」
二人の力は拮抗し合い、勝敗はなかなかつかなかった。そんな状況に咲は目を白黒させる。しかし、勝つと宣言してしまった以上、負けるわけにはいかない。魔法力を集中させて一気に勝負にかかる。それでもしつこく粘る優雨作は、顔を真っ赤にさせて応戦していた。持久力で勝敗の差があると見越した咲は、一度力を抜いて力を溜める。
「おっ!」
力が向けたことに一瞬隙が生まれた優雨作を他所に、咲は勝負を決めに行く。解放した力を一心に注ぐと、一気に優雨作が劣勢に傾く。それでも最後の悪あがきをする優雨作に感心しつつ、汗だくとなった二人の決着は遂に決する。
「これで・・・終わりっ!」
ドンという音と共に倒れこむ二人。勝敗は手を上にした咲であった。息を切らしながら立ち上がる咲は、まだぜえぜえと荒く呼吸を繰り返す少年に告げる。
「私の勝ちっ!」
勝ち誇った表情とは裏腹に清々しい瞬間に夜風が心地よかった。倒れこんだままの優雨作は放心状態だった。まさか女に負けるとは思っていなかったのだろ。手を貸し、起き上がらせるときに咲は確信する。
「ねえ君、もしかして魔法が使えるんじゃない?」
素っ頓狂な話しに優雨作は困惑する。自分に言ったのだろうが、辺りをキョロキョロしてしまう。自分に言われたのだと気づくのに時間がかかるほどだった。
「俺が?姉ちゃんと同じウィッチだって?」
「うん。あ、でもまだちゃんとしたウィッチではないみたいだけどね」
「どうして?」
「だって耳とかしっぽが生えてないでしょ?何かと契約しないと魔法力はきちんとその力を出せないの」
優雨作は自分の臀部と頭をさすってみる。確かになにも生えていないが、そもそも自分に何かが生えてくることを想像できなかった。しかし、そんな不思議がっている優雨作を見て、咲は大いに喜んでいた。
「ここに来た時はウィッチとは縁のない場所だと思ったのに、こんなとこでウィッチの友達ができるなんて!」
「友達・・・友達かぁ」
優雨作はその友達という初めての言葉と存在に、新しい世界への入り口を見つけた気分だった。
そこから記憶は少し飛んで、二人は欧州の戦場にいた。あたりは敵だらけで、退路も援軍もない絶望的な状況だった。仲間の大半を失い、残った仲間も傷つき、戦う力も残されていなかった。そんな中、姉弟となった二人は退路を見出そうと奔走する。
「ユウ、その子はもちそう?」
「医薬品がもうないんだ。持ってあと三日だと思う」
「そう・・・こっちの子は、間に合わなかったか・・・・」
手を合わせて、簡易的な埋葬をしてやる。武器弾薬、医薬品が底を尽き、ユニットも大半が損傷している現状で、何とか退路を見つけようと必死だった。もはや話すことができるのはこの二人しかいなく、痛がる隊員の口を無理やり塞いで敵にバレないようにするのが精一杯だった。夜はどこかしらで戦闘の音が聞こえてくる。そんな暗がりで体力を温存するために横になる。
「ねえユウ、起きてる?」
「うん」
「今何見てる?」
「月」
「私も。あの月、どんなふうに見える?」
「睨んでくる」
「やな顔ね。でも今日の月は冷たく顔を覗き込んでくるわね」
短い単語のみの会話だったが、二人には十分な会話量だった。疲れ果て、気が休まらない戦場で気持ちを共有できる仲間がいる、それだけで事足りるからだ。少しの無言の間があり、寝てしまったのかと思ったところで、咲が話しかけてくる。
「ねえ、ユウに言っておきたかったことがあるの」
「なんだよ改まって」
「あのね、私の・・・やっぱり明日言う」
「うん、明日にしよう」
それを言うと二人して、交互に仮眠を取った。翌朝、寝床から這いだして外を見ると敵は見えなくなっていた。この機会に脱出しようと計画を練る。
「おそらく陸軍はオラーシャ、スオムス方面に足を使って逃がすんだと思う。私たちにそれは無理。だから、ここから西のガリアに向かおうと思う。敵は追撃に移っているはずだから、味方には悪いけど囮になってもらう」
「分かった。でもユニットが足りないね」
「これからなにか見つけてこようと思う」
「危なくない?」
「なにを今更。あんたはその子の面倒をよろしくね。私はあくまで隊長だから」
咲はこの部隊を率いる隊長だ。その点で心配してはいないが、昨晩言いかけた言葉がどうしても気になった。
「姉さん、昨日言ってたことだけど」
「ああ・・・ユウは忘れないでほしかったの」
「何を?」
「私の名前。間違えて登録しちゃったけど、『恵美』じゃなくて『咲』なんだってこと!」
「そんなことか・・・聞いて損したよ」
咲は頬を膨らませて「大事なことじゃない」と言うが、忘れるはずがなかった。これまでいろいろな経験を二人で乗り越えてきたのだ。だからこそ、二人して生き抜けたのだ。だから、自分も他愛のないことを言おうとした。
「じゃあ、姉さんにも後で聞いてもらうよ。俺が言いたいこと」
「ええ、お仕事片付けたらね!」
どこで覚えたか知らないウィンクをすると、咲は煙の中に消えて行ってしまった。それが勇の見た最後の咲の姿だった。重い記憶の欠片を一旦閉じると、大きなため息が零れる。勇は、記憶の中の姉の姿が今でも鮮明に思い出せる。その姉が呼んでいるのだ。『忘れないで』と。左手の黒い傷はそれが広がるごとに勇を呼びつけているように思えてならなかった。勇にはあの最強の敵が、瞬間移動型ネウロイの正体が姉の咲であるという証拠にはこれで十分だった。
「俺しか姉さんを覚えていないんだ。俺が、最期を決めないと・・・」
勇の決意は暗闇に溶けて消えた。数日後、オペレーション『サウスウィンド』が実行されることが決定し、キール軍港奪還に向けた作戦に取り掛かることになるのだが、その際障害が発生する。なんと、キール方面に濃霧が発生しており、この意図的な濃霧がネウロイによるものだと断定したサーニャが作戦までに障害を排除することを明言する。
「ミーナ中佐やらせてください!」
「・・・分かったわ。でも編成はどうするの?」
「これから訓練します」
編成はサーニャとエイラを基軸とし、宮藤と服部の四人だった。普段大人しいサーニャだけに勇も今回の作戦は驚いていた。そこにサーニャが提案してくる。
「あの、勇中佐も参加してくれませんか?」
「俺か?」
「勇中佐もいてくれると心強いのですが・・・」
「俺は・・・」
「許可しません」
会話に入ってきたのはハイドリヒだった。ハイドリヒがサーニャに接近したことでミーナも会話に入ってくる。
「作戦への参加要請には応じると約束したはずです」
「こちらにも都合がありましてね。ミーナ中佐も私たちの作戦には介入しないはずでは?」
お互いに無言の圧力が続き、緊張が生まれるが、勇が決を取る。
「すまない、今回は遠慮させてくれ」
「そうですか・・・無理を言ってすみませんでした、勇中佐」
サーニャが折れたことで、この話はうやむやとなる。ミーナは何か言いたげだったが、諦めて引き下がる。改めて勇はハイドリヒの作戦とやらを聞く。
「で、今度は何をしようってんだ」
「それはここではなんですので、格納庫でしましょう」
ハイドリヒの言われた通りについて行くと、格納庫の中には勇のトラウマが聳えていた。
「最後の生き残りです。あなた専用に改造してあります」
「・・・俺もこの『桜花』で突っ込むのが今回の作戦だと?」
勇の目の前にあったのは紛れもない桜花、人間ロケット特攻兵器だった。この痛ましい記憶の産物である兵器を前に、自分の死期がこんなにも急であることへの疑問が湧いた。盛り上がりを異様に執着するハイドリヒらしからぬ急ごしらえに、勇は食って掛かる。
「まさか今日やるんじゃあるまいな?」
「当たり前です。あなたの証言を参考に、音速を越えた衝撃で搭乗員が気絶することへの対策として、本日より練習を行います」
「練習、だと?」
勇が言葉の意味を確認するためにハイドリヒを向き直ると、突然首に手が伸びてくる。
「なんだっ!?」
「私からのプレゼントです。受け取ってください。というか、常時着用しなさい」
「それはプレゼントなのか。まあ、プレゼントだったらお前からのは絶対にいらないがな」
「釣れませんね」
嬉しくもないプレゼントを手に取って見ると、金属のようなもので取り付けられた宝石のように輝く何かが青白く煌めいていた。本当に宝石をプレゼントしたわけではあるまいなと、不気味なネックレスを遠ざける。すると、ハイドリヒは嬉しそうに忠告する。
「それは『叡智の炎』です。あなたの魔法力を糧として今、芽吹きました。常にあなたの適切な魔法圧で調整しなければ死んでしまいますのでお気をつけて」
突然曰く付きの呪いのアイテムを渡されて、子をあやす様に今後無条件に魔法力を分け与える面倒ごとを押し付けられ辟易する。どんなアイテムか分からなかったがハイドリヒからの調査物であろうと勘ぐりを付けてしまいこむ。今は目の前の桜花の方が勇にとって重要だった。
「では、練習といきましょう」
勇はまたも輸送機の中にいた。もう二度と輸送機に乗るのは御免だと思っていただけに、諦めの表情で乗っていた。ブザーが鳴り、桜花に乗り込む。今までのような座席があるわけではなく、うつ伏せ式に入り、足の方にユニットがセットしてあり、ここにいつものように魔法力を流し込むというわけである。しかし、顔を上げなければ前が見えず、海老反りのような体勢はいささかきつかった。
「赤松勇、出る!」
投下された桜花は物凄い風圧の中、自由落下を始める。ふわりと内臓を持ち上げられる感覚に襲われ、その後適切な高度でエンジンに点火、魔法力を流し込む。すると、爆発的な推進力が後押しとなり、一気に首が後ろに持っていかれそうなほどのGに目がくらむ。
「ぐぐく・・・!!!上がれ!!」
精一杯身体を上に持ち上げるが、背骨が悲鳴を上げ、目は押し込まれそうなほどの重力に勇と言えど音を上げそうになる。それでもなんとか持ちこたえ、機体が持ち上がる。そして、標的が迫るがそのスピードでぐんぐんと目標が大きく見えてくる。もはや動体視力検査のような速さでその標的に着弾する。
『目標に着弾!成功です!』
ハイドリヒの歓喜に満ち足りた声が通信機を介して聞こえてくるが、勇にはこの代物の恐ろしさが嫌と言うほど理解できた。これに普通の人間が入っていては命がいくつあっても足りない。そんな代物に10人も命を散らしたと言う過去にただただ恐怖していた。
「素晴らしい!観測員、最高速度は?」
「マッハ2.1です!信じられません!」
「よし、マッハ2.3になるまで訓練を続けなさい」
「長官!普通の桜花の最高速度を既に大幅に超えています!これ以上求めるのは・・・」
ハイドリヒに口答えする研究員はその口をパクパクさせて、その言葉の続きを止める。目の前にハイドリヒが拳銃を構えて立っていたからだ。
「我々は普通の成果を上げてもなにも嬉しくないのですよ。目指すのは前人未到の神速です。一切合切を振り切り、その全てを灰燼に帰すまで止まることのない神の一手を望んでいるのです。全ては新しい時代と再編された世界のために・・・」
勇の桜花での訓練は続き、音速をも軽々と超える兵器にミーナは驚いた。見たこともないフォルムと、ただ一直線に飛ぶだけの代物に、どこか言いしれない狂気を感じさせていた。
「ハイドリヒ長官、あれは一体何なのでしょうか」
「あなたには関係のないことです」
「いいえ、私たちの基地であのような兵器を扱われては困ります!即時使用を中止してください!」
「あなたも分からない人ですね。あれは我々の作戦に必要なものであり、作戦への介入は御法度!違いますか?」
ハイドリヒの嫌な顔を引き出せるのはもはやミーナだけとなっていたが、ミーナにもどうしても引けない一線があった。桜花から出てくる人間を見た時、そのどうしようもない兵器の存在意義に疑問を感じてしまった。それが勇だっただけにその疑問は怒りに変わる。
「あのような直線飛行するだけの代物、作戦とは呼べません!」
「ただ真っすぐ飛べばよいのです!一切合切を振り切り、だれも手を出すことのできない遥か高みに登りつつある神の遺物になぜ共感できないのです!?」
「神の遺物ですって?御冗談を・・・そんなもの私が叩き墜として御覧にいれます」
「ほほう、面白い・・・」
ハイドリヒとミーナの舌戦は、このキール奪還作戦であるオペレーション『サウスウィンド』の成功によって運命的にミーナと結びつく。濃霧の中、ネウロイの存在をじて疑わず、最後まで諦めなかったサーニャたち四人の若き少女たちのおかげで、勇の最終決戦の時期もその歩みを進めているのだった。
いかがでしたでしょうか。知られざる勇くんの姉の姿を描いてみました。一部記憶が抜けているのはこれからのお楽しみと言うことで。ちなみに、作中のオリジナルキャラクターである榊枝道斎ですが、榊枝は作中で紹介しましたが、名前の道斎の方を紹介いたします。「道斎」は斎という字が心身を清めて神を祀るという意味合いでして、その道を行く者という人物です。つまりは神の遣いという解釈で考案しております。
次回は、ミーナと勇の関り、ハイドリヒとの絡みがメインになると思われます。またよろしくお願いいたします。