幼い頃は自分が望めば何もかもが手に入ると思っていた。だが現実を知ると手に入る者はほんの一握りで何かを対価にしなければ何も得ることを出来ないことを知った。でも逆を言えば対価を払えば何もかもが手に入るということだ。それに気づいた時狂喜した、だから俺は人魚姫という話は嫌いなんだ。記憶の彼方に存在する誰かが読んでくれたあの話を
「…眠いわね」
司令室でコーヒーを飲みながら素子が呟く、今は休暇なので指揮官代理であるスプリングフィールドに向けてだ
「少佐、ついさっき帰ってこれたんですものね。警察の方もかなり意固地ですね。1日近くお話しするなんて…」
「警察にもメンツってもんがあるからな、自分達のシマで余所者、しかもPMCが好き勝手に暴れてヒーローになったら警察のメンツは丸つぶれだ、せめて犯人だけでも捕らえておきたいのは当然の事でしょ。でもこっちには聞きたいことがあるしね、それさえ聞ければあとは向こうで煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わないわ」
「警察の方はそれでいいとしてグリフィンからは何か言われませんでした?」
「ヘリアンに嫌味言われただけで後は何も、まぁ勝手に動いたとはいえテロリストを倒し、人質も無事に救出、何も悪いことはしていないわ。一応建前としては2週間の謹慎処分になってるけど…」
「休暇中の謹慎処分だからあまり関係ないと」
「そういうこと、ヘリアンからもあくまでも世間体を気にした建前だから気にするなって言われているしこっちは早いことあのテロリスト集団…特に首謀者を事情聴取したいからさ」
「少佐が警察の方とお話ししている間、手術は完了しました。今はまだほぼ全員眠っているようですが…」
その時、卓上の電話が鳴った
「はいこちら司令室…あ、カリーナさん。えぇ…はい、少佐は今こちらに。分かりました」
スプリングフィールドが素子に受話器を渡すときに彼女は来客用の机に置かれていたファイルに目を通していた
「もしもし」
「あぁ少佐、お元気ですか?」
「眠いことを覗けばお元気ですよ、それで何だ?」
「例のテロリスト、意識が戻ったみたいです」
「テロリストっていっても人数が多いんだ、誰の事だ?」
「えっと…クレスト・ミゲル…あぁ首謀者ですね。でも戻ったばかりで話せる状況じゃないみたいです。」
「それじゃ奴に関しては後でやるとして、そうだな…確かあの車の中にいた奴、昨日バトーが取り調べしたのよね?容疑は否認しているとか。彼の取り調べがしたいんだけど」
「アイネス・ジュノー…ですね。分かりました、用意しておきます。それと最後に一つ…」
20分ほど経過してカリーナから取り調べの準備が出来た連絡が入った。取り調べ室へ入るとジュノーの前に座る
「資料を見て少し驚いたわ。ビルに誰もいなかったこと、逃亡されて通報されるリスクがあるのに1階ではなく10階に全員で集合したことから仲間がいるとは思っていたけど…まさかあの時のレジの店員とはね」
「驚いたな、貴方そういう人だったのか。全身義体なのは珍しいと思ったんだが…」
「これから取り調べやるけど正直に話してくれた方がお互い助かるのよ。こっちは色んな手は使えるがなるべくそういう手には訴えたくないの」
「電脳を見ようたって無駄だぞ、こっちは生身なんだからな」
「分かっているさ、穏便にいこうじゃないここは」
「穏便にねぇ…でもなぁ俺は無関係の人間さ。俺は別に上で銃声が聞こえたのが怖くて逃げただけの一般市民さ」
早く家に帰してくれないかね、とだけ言うとジュノーは足を机に乗せて目を瞑った。
「ふーん…話は変わるけど今回のテロの首謀者ってジャンキーみたいなのよ」
「…」
「奴の服を調べてみるとタブレットケースが出てきたし血中にもその反応がある、薬中が銃握って首謀者だなんて笑えないわね。今頃薬が切れてることでしょ…」
「…こんな世の中だ薬キメてる奴なんて珍しいことじゃない」
「しかしこれからが大変ね、ジャンキーが薬の効果が抜けた状態で起き上がったら暴れるかもしれないわね」
ジュノーは黙ったままだった。
「ところで貴方、右手の小指…第一関節までないけれど。事故かなにかで?」
これは昨日の取り調べよりも前の時点で判明したことである、身体検査の時に行ったレントゲン検査により判明した。普段は指サックをかぶせて誤魔化しているとのことだった
「別に、ほんのちょっとしたトラブルですよ」
その時、卓上の電話が鳴る
「なんだ今は取り調べ…クレストが逃げた!?体を起こそうと近くづいた人形を軽く吹き飛ばして逃走中!?分かった。直ちに探し出せ…馬鹿、武装はなしだ!」
電話を切って素子がジュノーの方を向くと彼は額から汗を滴らせていた。
「…だ、誰か逃げたんですか?」
「…首謀者がな。聞いてる限りじゃ禁断症状ってレベルじゃない暴れようだ」
「テロリストの首謀者が逃走したんですよね?ということは、射殺ですか?」
「いや、それは出来ん。警察に引き渡す手はずになっているからな…傷つけたりましてや殺したりなんてしたら私の首が飛ぶ。…さぁ取り調べを続けようか」
ジュノーの汗が止まらない、足はガタガタ震え呼吸が浅くなっている
「どうした?おびえる必要はないとは思うが…?」
「…せ」
「ん?」
震える足を殺し、ジュノーが勢い良く立ち上がる。椅子が倒れる音が聞こえるがそれが気にならないくらいの声で叫ぶ
「奴を殺せ!生け捕りなんて出来ない!この基地にいる奴ら全員殺されるぞ!奴は…奴は…!」
この言葉を聞いて素子も立ち上がりジュノーの両肩を抑え彼女の方へ引っ張る
「人間じゃない。そう言いたいんだな?認めるんだな?奴とお前は共犯者だと」
「そうさ、俺があのビルから客を追い出した!頼むから奴を殺してくれ…!俺はまだ死にたくない!!」
震える声で言い切ると彼はへたり込んでしまった。
「…噓よ」
「え?」
「クレストが逃げたってのは嘘、まぁ起きたってのは本当だけどね」
「でもあんたら薬は…」
「あれは寝ている間に点滴で投与したわ。昨日の時点で薬については本社の方で判明したみたい。あの薬の主成分はアドレナリン、というよりはアドレナリンそのものね。しかも多量の。でも心臓が悪いってわけではない、ああいう薬を常備する人間は派手に暴れることなんて出来ない・・・となれば可能性はただ一つ」
「奴は…」
「君は…」
E L I D の 罹 患 者 だ っ た ん じ ゃ な い か ?
薄暗い部屋、俺の目の前には紫色の髪をした女がいた。よく見覚えのある女だ。俺をだまし、こんなところにぶち込んだ女だ。女狐の前で俺は背筋を伸ばす、騙された男がこれ以上みじめにならないように見た目だけでものささやかな抵抗だ。
俺は毒に侵されて死ぬはずだった。でも救いの糸は垂らされた。対価は俺の手を汚すだけ。でもその汚い手ともお別れできるはずだった。
…俺は対価を払った、払ったのに何故何も手に入らない。
あぁ思い出した。だから俺は人形姫が嫌いだったんだ