ELID、それは人間の体の一部が機械と化すことが当たり前になり人間と人形が戦うという今を生きる我々からしたらおとぎ話のような世界に蔓延る不治の病でありこの世界の課題の一つである。崩壊液と呼ばれるモノを浴びた人間が感染するそれは人を確実に死に至らしめるだけでなく人を異形の者と変化させる恐るべき病である。そして今素子の目の前にいるこの男こそ、その病の罹患者なのであるさ
「クレスト君、お久しぶり。私のことは…」
素子がクレストの顔を見ると真っ直ぐこちらを見ていたがその目は視線で彼女を殺さんと見紛う程恨めしいほどであった。
「覚えている…でしょうね」
痛いほどの沈黙が流れていた、このような聴取は別に恋人と会話するのではないのだからいくら沈黙が流れていても問題はないのだが今回は違う、グリフィンでは彼をここに延々と閉じ込めておくことは不可能であり後に警察に引き渡さなくてはいけないからだ。
「どうして俺を騙したんだ、どうして俺が罹患していることが分ったんだ…という顔かした」
「…両方、と言っておこうか」
「ようやく口を開いたわね。そうだな…先ずは一つ目の疑問に答えるならあの場において私の武装では貴方達を制圧するのは不可能だった。だからあの場では貴方を騙してビルを脱出する必要があったから…そして二つ目の疑問は貴方がアドレナリンの錠剤を使用していたこと…」
「それだけで?ひょっとしたら俺が心臓病を患っているのかもしれないじゃないか」
「勿論私もそれだけで罹患者と決めつけるのには証拠が足りないと思ったわ、でも心臓病の人間があんなに派手に暴れることは出来ないだろうし、何より貴方をここに入れる時に精密検査をした時心電図に異常は見当たらなかったことから貴方が心臓病である可能性は低いと考えたわけ。」
「…」
「では心臓病以外にアドレナリンを服用するのは何故か?実はアドレナリンにはELIDの進行を遅らせる効果があるのよ。…とは言え心臓病の線は完全に否定されたわけではない、そこで貴方の仲間に鎌をかけてみたら見事に引っかかってくれたってワケ」
「…そうさ、俺は3年前この病に感染した。あの時は今よりもロクな環境じゃなかった、そこの飲み水や狩猟で手に入れた動物に崩壊液が溶け込んでいたんだろう。…しかし疑問だな」
「何がだ?」
「ELIDのことはあんたらが良く知っている筈だ。この病気が感染症でもあることを」
「それは良く知っている」
「分からないな、ならば何故隔離措置を取らない?感染している俺は言わば動くバイオ・テロだぞ」
「普通ならばね、私も最初こそそうしようかと考えたわ。だが貴方のお仲間、あの欠けた指…カマかけた時のあの怯えよう…貴方、彼を襲ったわね?」
「…そうだ、あれはアドレナリンの摂取を断たれた時ELIDの進行が進み俺の理性が失われた結果の産物らしい」
俺は覚えていないがな、と最後に呟いた彼の声は少し悲しげであった。
「でも襲った彼がまだ生きているということは貴方のそれには感染力がないということだ」
「…やれやれ最悪この病気をネタに逃げようかと思ったが一人の仲間のせいでおじゃんになるとはな。そうさ、薬が効いたのか分からないが俺の病気は感染力はない。誰も巻き込むことが出来ないんだ」
感染力はないが自身の体は確実に死へ歩いて行っている、彼は決して裕福な人生とは言えず寧ろその人生には苦痛しかなかった。資本主義社会の影として生きていく彼にとってこの病は眩しすぎる光を消すための力のように思えたのかもしれない
「…貴方は何故その体でテロ行為を?薬のため?」
「それもある、死は確定していても薬さえあれば少なくとも今日起きることじゃなくなる。だが一番の狙いは…アンタになら分かるだろう。その体を持っているアンタには」
「体、義体化のことか」
「その通りだ、この病は崩壊液を直接浴びた人間であれば浴びた部分を切除すれば生き残れる。だが俺の場合いつどこで感染したのか分からない。かと言って前身を切除するわけにもいかない、となれば体と言う汚れた器を取り換えちまえばいいわけだ」
「昔なら夢物語だが今は全身義体化という技術が確立している…」
「アンタみたいな体になればこの病から解放されるんだ。だが全身義体化は金がかかる」
「技術が確立した今でさえそれが可能なのは一部の富裕層だけだ、だがそんな金を持っている人間は元からELIDが蔓延している環境に住まないから全身義体化によるELID進行の回避なんてあってないようなものだがな」
「だが金持ちはいざとなればそれが出来る“手段”を持っている。持たざる者とは違う」
「…分からないわね、貴方は義体を手に入れたいの?それとも富裕層に復讐がしたいの?」
「その両方さ。…なぁアンタはSNSはやるか?」
「あまり熱心に見たい物ではないな」
「同感だ、あんな所は持たざる者しかいないスラム街だ。だからこそ質を問わなきゃなんでもある。何もそれは物に限った話じゃない」
「思想か」
「あぁ、奇麗な町では異端とされる思想もSNSでは必ず誰かが共感してくれる、一人の共感が多数の共感を連れていく。やがてそれはビジネスに繋がる。表社会では決して見ることがない仕事もSNSならば存在する」
「詰まる所貴方のその“義体を手に入れる金が欲しい”“富裕層に復讐したい”という思想をビジネスとして利用した人間がいる、そういう訳ね?」
「義体のパーツを高額で売りさばけるブラックマーケットが存在しているがまぁそれはアンタもご存じだろう?」
「当然。義体のパーツを取り扱っている専門店が今じゃ宝飾店のように入り口にセキュリティーを立たせておくのが一般的になったぐらいだからな。だからこそあの店は不思議だったんだ。入り口に存在していなかったからな。今思えばその時から仲間による工作が始まっていたというわけだが…」
「俺が贔屓にしているブラックマーケットは特殊でね、パーツこそ売るのは同じだが奪ったやつの顔写真があると高く売れた。そしてマーケットで一か月に一度更新されるある特定の人物のパーツであればより一層高く売れるシステムがあった」
まるで賞金稼ぎだなと素子は思い一瞬バトーの顔がちらついた
「もしかして今回の場合賞金首があの店長だった、と?」
「その通りだ、さすが偉そうな人間だけあって話が早い。アンタも薄々気づいていたかもしれないがあの店はまともな店じゃない。店長はブラックマーケットで稼ぐ奴らを襲い、あるいはインターネット上で存在せず物理空間のみに存在するマーケットを襲い盗まれたパーツの横流しをしていた奴だ」
「勿論違法だが世間からすればブラックマーケットを潰して世界の掃除をしている、しかし貴方達からすれば文字通り商売敵だった。…そりゃ賞金首になるわね」
「結局こうして捕まってしまったわけだが、まぁこうして富裕層に復讐しつつ金を稼ぐのはそう悪いことじゃなかったと思う」
「…復讐、復讐って貴方は直接富裕層に虐げられたの?貴方の話を聞いていると“
持たざる者”である自分にこころなしか誇りを持っているように見えるけれど」
この言葉は彼にとっては非常に突き刺さるものであった。何てことを言う女だ、そんなはずがない。デタラメを言うのにもいい加減にしろと言う言葉が出てもいいはずなのだが喉につっかえて出てこない。何故なら彼自身、素子の言葉を完全に否定できないことに気が付いていたからだ。持たざる者が集まって持つ者に牙をむく、これは何事にも代えがたい快感であった。持たざる者から持つ者になりたいがこの快感をもっと味わいたい。この快感は本来自分の目的が機械の体を手に入れるということを忘れてしまうほどだ。そういう意味では“持たざる者”という肩書をある種誇りのように思っていることは否定できない。しかしそれを認めてしまえば自分という人間が酷く哀れな物に感じてしまう。富裕層への漠然とした恨みがあるのは事実だ。しかしそれはメインの目的ではなかった筈だ。ところがどうだ、今は生き残ることは二の次で復讐よりもその快楽に支配されているではないか。ではこの手を汚したのは何のためだったのか?まさか“持たざる者”の誇りとやらを満たすためではなかったはずだ。
クレストの思考がグルグルしていく、言葉の洪水が止まらない
痛いところを突いてくる女だ、考えたくもないことを考えなくてはいけなくなってしまったではないか。
再度沈黙が場を支配する、彼の脳内はジレンマの答えを導こうとする自分とそれを妨害する自分と戦っていた。5分ほど経ち彼は口を開いた
「…答えたくない、考えるのが恐ろしい。バカでいたいんだ、俺は」
彼は目をつむり項垂れ
「…早く俺を裁いてくれないか」
と震える声で呟いた
「…それは私の仕事ではない、あくまでも私が出来ることは貴方から話を聞くことぐらい。貴方に罪の意識を抱いて欲しいとか悔い改めて欲しいとか思っている訳じゃない。
でも一つだけ言えるのは思考を止めてはならない、それだけよ。」