私の名はセリー   作:続きません

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初 出:【異世界迷宮で奴隷ハーレムを】蘇我捨恥46【内密】  (https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1613142114/


セリーとロクサーヌがルティナを〆た話

 私の名はセリー。ドワーフ族の16歳。鍛冶師。ミチオ・カガという冒険者の下で、私を含め5人の戦闘奴隷で迷宮探索を行っている。

 戦闘奴隷5人は全員女性で、しかもみんな美人でピチピチだ(一応私も)。いわゆるハーレムである。

 

 ご主人様は、その出自はほとんど分からないのだが(私達にも詳しいことは何も教えてくれない……別に教えなければならないこともないけれど)、とんでもない田舎から出てきたようで(ペルマスクの東にあるカッシームよりもさらに先にあるらしい)、こちらには親類縁者などは誰一人としていないとのこと。

 迷宮探索はフルメンバーの6人パーティーで臨むのが通常である。したがってご主人様も、迷宮に入るなら、自身の他に5人メンバーを揃えなければならないのだが、特に知り合いもいない(「ボッチ」ともいうそうな)ご主人様は、同じ冒険者仲間を募るのではなく、奴隷を購入することを選んだという。

 確かにこれだけ内密にしなければならない事があるのなら、パーティーメンバーを奴隷で固めるというのも、秘密保持のためということで、うなずけないこともない。もっともご主人様は、初めからそのつもりだったわけでもなかったそうだが。

 またメンバーが皆妙齢の女性ばかりというのも、たまたまというか、ご主人様が最初からねらっていたというわけでもなかったそうだ(もちろんご主人様にそういう願望もあったことは、本人も否定していない)。

 

 そもそも奴隷という制度それ自体を知らなかったご主人様に、色々と教え込んだのは、ベイルにある奴隷商館の主のアラン氏である。

(というのもご主人様の生まれ育ったところでは、奴隷と呼ばれる人など全くいなかったという話なのだが、いったいどこのことなのだろうか。にわかには信じがたい話である。)

 

 ロクサーヌさんや私のいたその奴隷商館へ、ご主人様がやって来たのも、他人に連れられてのことだったそうで、最初から奴隷を買うことが目的ではなかったらしい。

 

 そういうご主人様に対して、アラン氏は、ご主人様が冒険者であると聞くや、たとえばドロップ品の帰属を巡って冒険者間に諍いが起きるおそれは決して小さくないことや、他方奴隷であれば迷宮で得た物は全て主人の所有になるのでそのような心配が全くないこと、さらには女性の奴隷であれば夜伽もしてもらえるなどと、奴隷のメリットを次々に挙げて、ご主人様に購入を強く勧めたそうだ。

 初めは躊躇していたご主人様だったが、そのときメイド服姿でハーブティーを給仕してくれたというロクサーヌさんに一目惚れし、そしてアラン氏がロクサーヌさんの代金の支払いをしばらく猶予してくれると言ったこともあって、彼女の購入を決意したのだとか。アラン氏の巧みな誘導があったことが窺える。

 ただそれでも、ロクサーヌさんの購入資金をねん出するために、ご主人様が盗賊狩りなどという極めて危険な真似までしたのは、やはりロクサーヌさん獲得への強い思いのなせるワザなのだろう。それは確かにロクサーヌさんが感激するわけだ。

 

 余談になるが、この頃のご主人様は、購入する奴隷は絶対に女性でなければならないという認識は必ずしも持っていなかったそうだ。次の奴隷として、すでに鍛冶師になっているか、または鍛冶師になることのできるドワーフ族の獲得を考えていたそうだが、男性というかオッサンでもいいと思っていたらしい(なんということだ!)。

 ただどういう心境の変化があったかは知らないが、早々にその考えは改めたのこと(良かった!)。やはりご主人様は私を買うことができたという幸運に感謝すべきであろう(なんちゃって)。そして購入した後、無事に私が鍛冶師になれたことについては、すでにご覧の通りである。ご主人様の期待に応えることができて本当に良かった。

 

 それとまた、ロクサーヌさん購入後、ご主人様が私とミリアをそれぞれベイルと帝都の奴隷商館で購入し、そして次に私たちのパーティーに加わったベスタは、年4回の休日にクーラタルので開かれる奴隷オークションで競り落としたというのも、すでにここで話した通りである。

 ちなみに私を購入したことについて、ご主人様は、

 

「セリーは鍛冶師になる前に購入したので、本当に安く買うことができて良かった。あの時点でセリーが鍛冶師になっていたのなら、あの値段の3倍は軽くしたのではないか。そうだとしたら当時の自分ではとても買えなかった。おそらくアランに頼んでまた期限の猶予をもらい、盗賊狩りでも何でもして、資金をねん出しようと奔走したのではないだろうか」

 と言っていた。そしてそれでも買えなかったかもしれないと。

 

 結局そういうことにはならず、ご主人様は私を購入することができたのだが、果たしてこれが良かったのか悪かったのかは判断の分かれるところかもしれない。ただやはりご主人様に購入していただいたからこそ今の私があるのだから、やはり良かったのだと強く思う。うん、このご主人様で本当に良かった。

 それにロクサーヌさんのときと同様に、私なんかのために何とかお金を作ろうというご主人様の姿勢に、私も思わず感激してしまった。ロクサーヌさんもウンウンとうなずいていた。

 

 そういうわけで、私たちはみな基本的に奴隷として売られているところを、運よくご主人様に購入していただいたわけだが、これから話すルティナは、全く別のルートでご主人様の奴隷となった異色の娘である。そもそも彼女は奴隷として売られてきたわけではなく、その意思に反して奴隷に落とされたのであり(この点はミリアも同じだが)、私達とは決定的に異なる境遇にあったのだ。

 

 前フリが相当長くなってしまったけれども、以下は彼女がなぜ奴隷となり、そして私たちのパーティーに加わったか、そして無理もないことかもしれないが、当初は反抗的だった彼女が、心根を改め、完全に私たちの一員となるまでに一体何があったかというお話である。

 

***

 

 それはハルツ公のお招きで、ボーデのお城の晩餐会に出席したときのことであった。

 以前にもここの夕食会にお呼ばれしたことがあったのだが、その時と同じで出された料理はどれも大変すばらしく、私たち奴隷も非常に丁寧にもてなしていただいたので、もちろん恐縮はしたけれど、とても楽しい時間を過ごすことができた。

 今回は、帝都でご主人様に買っていただいたワンピースをみんなで着ていったのだが、ハルツ公にお褒めいただいた。こういうところはハルツ公も如才ない。

 

 他方、迷宮の駆除に助力したことを感謝されていたご主人様が、ゴスラーさんに「騎士団では、祝勝会などは?」と問いかけていたが、その様子を傍で聞いていたハルツ公が祝勝会をやると突然言い出した。はて? 迷宮の駆除は領主の務めとして当然のことだし、そんなに珍しいことでもないので、祝勝会などは普通開かれないはずなのだが。

 しかもハルツ公の話では、私達に泊りがけで来てほしいとのこと。ゴスラーさんは止めようとしていたが、何か特別なことでもするつもりなのだろうか。

 

「もちろん部屋は用意させよう。夕方、少し遅くなってもいい。あまり大げさに騒ぐことでもないので、人には言わず、五人で来てくれればいい」

 

 これまでとは違ってハルツ公から何やら注文もついた。怪しい。これは何かありそうだ。少なくとも私たちを害するということはなさそうだけれど……。

 ご主人様も少し迷ったようだが、最後には「分かった」と応じていた。

 

 帰り際にハルツ公は、ドワーフ殺しの壺をお土産にくれた。しかも二本も。誰宛かは言うまでもない。ご主人様も含め、他のみんなは基本的にお酒を飲まないので、必然的にコレは私のものとなる。実際のところちょっといやかなり嬉しいが、もちろん顔には出さない。結局私一人でおいしくいただきました。ハルツ公はとてもいい人だ。

 

 そしてボーデのお城を再び訪問する日、私たちは迷宮探索を早めに切り上げたのだが、私はやはりあのときのことが気になって、ご主人様に尋ねてみた。

 

「泊まりで祝勝会などという話は聞いたことがありません。大丈夫でしょうか」

「俺たちを殺すのなら、料理に毒でも入れておけば前回でもできたはずだしな。まあ大丈夫だろう」

 

 なるほど。確かにその通りだ。やはり私たちをどうにかしようというわけではないのだろう。

 ただそうすると、一体どういうつもりなのだろうか。他のみんなは全く気にしてないようだが……。

 

 その後一度クーラタルの家に帰ったのだが、さっさと準備してすぐに行くのかと思ったら、ご主人様は何も言わずに私たちを連れて寝室に直行した。

 どうやら向こうではするわけにいかないということで、今のうちにやることは済ませておこうという魂胆らしい。……まあいいけど。

 

***

 

 結局私たちは夕方少し遅い時間になってから、ハルツ公たちが待つボーデの城に行ったのだが、以前来たときと変わりなく、とくに祝勝会をするといった雰囲気ではないように見えた。

 私たちが通された部屋も、この前のホールではなく、ハルツ公の執務室だった。ゴスラーさんもいる。

 そして部屋に入るなりハルツ公がいきなり言う。

 

「それでは、ゴスラー。セ二号作戦を発動する」

 ……ナントカ作戦だって?

 

「え? は?」

 ゴスラーさんも驚いている。

 

「セ二号作戦だ」

「まさか?」

「今夜決行する」

「は、はい」

 

 まさかゴスラーさんにも何も言ってなかったのか。セニ号作戦とやらの内容自体は、彼もすぐに察しがついたようだけれど。

 

「悪いな、ミチオ殿。緊急事態だ」

「はあ」

 とご主人様も呆れている。当然のことながら、ご主人様も何も知らされてなかったようだ。

 

 非常招集をかけるというので、ゴスラーさんが慌てた様子で部屋を出ていく。

 

「では食事に行こうか」

 一方のハルツ公は余裕たっぷりだ。

 

「あー。緊急事態なら」

 と言って辞去しようとするご主人様だが、

 

「いやいや。かまわぬ。まだ時間はある」

 

 いやそういう話ではないのだが。私たちみたいな他所者が、緊急事態だというのに、のほほんとここにいていいのだろうか。そのうえ悠長にご飯など食べている場合なのだろうか。

 

「よろしいので?」

「事態は追って説明する。ついてきてくれ」

 

 どうやらこの緊急事態は私たちにも関係するものらしい。ハルツ公は最初から私たちを巻き込むつもりだったようだ。

 

 ハルツ公に連れられ、いつも晩餐会で使われる部屋に案内されると、そこにはカシアさんがすでにいて、私たちを待っていた。

 

「ようこそいらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 

 この部屋でそのまま夕食になるかと思ったのだが、

 

「すまんが、ゴスラーは緊急の用件で来られなくなった。余とミチオ殿らは会議室で食事を取る。七人分の食事だけ移動させるようにしてくれ」

「え? あ……はい」

 

 やはりカシアさんにも知らされていなかったらしい。彼女はちょっと驚いた様子を見せたが、すぐにいつも通り使用人にテキパキと指示を出していく。

 ハルツ公のこういった行動には慣れているのだろう。彼女も大変だ。

 

 そしてそのままハルツ公は、また別の部屋に私たちを案内したのだが、そこはごく普通の会議室のようだった。

 

「バタバタしてすまんな」

 ハルツ公にも一応自覚はあるようだ。

 

「いえ」

「夕食はこっちで取る。いろいろと説明も必要なのでな」

 ハルツ公が使用人に命じて、先ほどの部屋から食事をすべて運ばせている。

 

「そろそろよいか? 手の空いたものは外に出てくれ」

「飲み物はこちらに」

「ご苦労」

「では、失礼いたします」

 

 料理などがすべて運び込まれると、使用人の人たちが頭を下げ、部屋を出ていく。

 ハルツ公とカシアさん、それに私たちだけが残される。

 とりあえず座るように勧められたので、ハルツ公とカシアさんをコの字型にはさんで、テーブルの一方に、ご主人様とロクサーヌさん、それにミリア。もう一方に私とベスタが座った。

 

「あの。これはどういう」

 ハルツ公と並んで座ったカシアさんが彼に訊いている。急なことだし、事前に何も知らされていないのであれば無理もない。

 

「カシアには悪いが、必要なことなのだ」

「まさか……。そうなのですか?」

 それでも彼女はすぐに察したようだ。伊達にハルツ公の奥さんはやっていないということか。

 

「すまん」

「いいえ。そうですか。いつかこのときが来ると覚悟はしておりました」

 

 何のことだか私たちには全く話が見えないが、カシアさんは深刻そうな顔をしている。少なからずショックを受けているようでもある。

 

「この会議室は、会議が終わるまで誰も外に出ない慣例になっている。会食を伴う場合は食事が終わるまでだ。ミチオ殿たちもそのつもりで」

「そんな慣例が」

「必ず会議で決定を下させるためだとされている」

「なるほど」

 とご主人様は言うが、普通は入る前に説明があってしかるべきだと思うのだが……部屋に入った後で言われても。

 

「他には作戦会議などが行われる場合もある」

「作戦会議か」

「何はともあれ、説明の前にまずは夕食からだ。カシアもよいな」

「はい」

 

 悠長にご飯など食べている場合ではないように思うけれど、

 

「皆もいただこう」

 と、ご主人様は開き直った様子で、私たちにも食事を促した。

 

 みんな不安ではあったが、他にすることもないし、仕方がないので料理に手を付ける。若干一名、ミリアだけは早速魚料理に飛びついていたが……。

 

***

 

 そうして食事をしながらではあるが、ハルツ公は私たちにおおよその事情を説明してくれるようだ。

 

「ミチオ殿は、領内の迷宮の討伐に失敗したとき貴族が爵位を失う場合があることを知っておるか?」

「いえ」

「もちろん、迷宮や魔物がはびこって人が住めなくなれば、領地や爵位など持っていてもしょうがない。爵位を召し上げられるのも当然のことだ」

「セルマー伯のことですね」

 とカシアさんが口を挟む。セルマー伯爵家というのは、カシアさんの実家のことらしい。そういえばご主人様は一度行ったことがあるそうだ。セルマー伯(カシアさんの叔父に当たるそうな)にも会ったそうだが、いけ好かないオッサンだったと言っていたのを思い出した。

 

「当代の伯爵になってから、セルマー領内では迷宮討伐が進んでおらん。今すぐに貴族でなくなるわけではないが、降爵の危機に瀕しているといっていい」

「そこまで」

「エルフの貴族は、現在一公爵一侯爵二伯爵をキープしている。失爵であれ降爵であれ、エルフとしては現状を放っておくわけにもいかん。ミチオ殿には関係のない話で悪いが」

「いえ」

 

 ご主人様はまだわかっていないようだが、私にはようやく話が見えてきた。……これは物騒なことになってきた。しかしそうだとすると、ハルツ公は私たちに一体何をさせようというのだろうか。

 

「別に他の種族と仲が悪いとか、差別を受けているとかいうことではない。しかしエルフとして譲れぬものはあるのだ。そこは分かっていただけようか」

「ま、まあ」

「それで、セルマー伯を討つことにした」

 やはりそうか。

 

「は?」

「退場願うという言い方をしてもいいが、実態は討つということだ」

「それは……」

 ご主人様はそこまで予想していなかったのか、とても驚いている。

 

「そのために、是非ミチオ殿の力を借りたい」

「どんな?」

「ミチオ殿は余と一緒にセルマー伯に面会したことがある」

「はい」

「そこに余のエンブレムをかたどりし幕があったはずだ」

「確かに」

「あそこにフィールドウォークで移動してもらいたい」

 

 なるほどそういうことか。

 どのお城でも当然遮蔽セメントが使用されているだろうから、冒険者のフィールドウォークで簡単に跳ぶことはできないが、垂れ幕などがきちんとセットされていればそれも可能である。ご主人様は一度セルマー伯のところでその垂れ幕を見ているということなので、そこに跳ぶことができるという理屈だ。

 なるほどセルマー伯としても、さすがにご主人様については完全にノーマークだろうから、バレる心配は少ない。これは確かに有効だろう。もっともご主人様は独自の移動呪文を持っているので、遮蔽セメントなど実際は無意味なのだが。

 もちろんハルツ公の計画でも危険が全くないわけではないが、さほど大きいわけでもない。私たちを使い捨てにしようという魂胆もハルツ公には無さそうだ。

 しかし、そうなるとハルツ公は相当以前から、今回の計画にご主人様の手を借りることを考えていたように思える。もしかすると解放会に推薦したのも、このことを念頭に置いていたのかもしれない。先ほどからのご主人様の様子を見るに、本人は何も知らされていなかったのだろう。結局はハルツ公の掌の上で私たちも含めみんな踊らされていたことになる。

 ご主人様を都合よく利用しようとしているのは正直癪なのだが、ここまでやると大したものだと怒りよりも感心の方が勝ってしまった。ハルツ公は見かけによらず(というと失礼だが)、深慮遠謀の人なのだろう。

 

「あー」

「セルマー伯もあれでわりかし慎重な男だ。居城内部にはなかなか冒険者を立ち入らせないし、遮蔽セメントもふんだんに使ってあるらしい。迷宮は退治しないが自分の身を守ることには長けている。攻めるに難しいと思っておったが、ミチオ殿があの城に入ったことで条件が変わった」

「つまり、尖兵になれと?」

「セルマー伯もある程度察してはいようが。さりとて、毎日毎日四六時中待ち受けるわけにはいくまい。見張り程度はいるかもしれんが、それほどの危険はないはずだ。こちらの動きが洩れないように細心の注意は払っている」

「セルマー伯の居城に入った冒険者は他には?」

「もちろんまったくのゼロということはないが、下手に声をかければこちらの動きがセルマー伯に悟られてしまう」

「俺が冒険者であることはばれているので、なんらかの対策は打ってあるのでは」

「その可能性はあるが、城のエンブレムに関しては問題ないはずだ。あれは、いざというときここから攻め入ってきてもよいというハルツ公爵家とセルマー伯爵家の友好と信頼の証だ。こちらに知らせることなく動かすことはありえない」

「その証を利用してよろしいので」

「今回こそが、まさにそのいざというときなのだ。傷の浅いうちに対処できるなら、セルマー伯爵家にとってもそれが一番いい。当家とセルマー伯爵家はより深い信頼で結ばれるだろう」

「信頼ねえ」

「万が一のときに余やカシアがセルマー伯の居城のエンブレムに逃げることもありうる。使えなくしているようなことは考えなくていい」

 

 垂れ幕がセットされているのは、相互に緊急時の脱出先を確保するためでもあるという。このボーデの城にもセルマー伯だけでなく、他のエルフ族領主たちのエンブレムをかたどった垂れ幕が置かれているらしい。

 

「逃げるには冒険者がいるのでは」

「カシアについてやってきた冒険者などもあの幕を見て知ってはいる。ただし今回の件で使うわけにはいかない」

「難しいのか」

 

 ハルツ公とやり取りを続けながらも、ご主人様は考え込んでいる。

 

「引き受けてくれるのなら、それなりの報酬も考えている。もちろん断ってくれてもかまわない。選択の自由は保証しよう。断る場合には、作戦決行時までこの部屋から出ないことが条件になるが」

 

 このときハルツ公が言った「それなりの報酬」がまさかあんなものだったとは、ご主人様はおろか私たち全員も全く思いもよらなかった。そもそもこのときは報酬のことなど誰も気にも留めていなかった。話はまだまだ続く。

 

「向こうに移動した後はどうすれば」

「最初の移動で騎士団の冒険者数人を連れて行ってもらい、その後も何往復かしてもらう予定だ。ミチオ殿に戦ってもらうつもりはない。それはエルフである余らが余らの責任において行う」

「移動だけ」

「もちろん万が一ということはある。絶対の安全は保障できない。含みおいてほしい」

 

 ご主人様はなおも悩んでいる。なぜかカシアさんの様子を窺うようなそぶりを見せるが、それを察したカシアさんが、きっぱりとした口調でこう言った。

 

「迷宮を退治するのは貴族の義務。その義務を果たせなかったのですから、仕方がありません」

「ミチオ殿の協力が得られぬ場合、セルマー伯の居城へは正面から攻め込むことになる。セルマー伯爵家にも大きな被害が発生しよう」

「わたくしからもお願いします」

「分かった。ここまで来たのだし、それくらいならば。乗りかかった船だ」

 

 ご主人様も決心したようだ。カシアさんからもお願いされたというのが大きいのかな。

 だがこれはつまり、ご主人様が騎士団所属の冒険者を連れて敵の本拠地に乗り込むということになるのだろうが、果たして大丈夫なのだろうか。

 というのもこれでは私たちは参加することができず、留守番となってしまう。ご主人様に何かあっても私たちはお守りすることができない。少しいやかなり不安ではある。ロクサーヌさんも難しい顔をしている。

 

「ありがたい。さすがはミチオ殿だ。余が見込んだだけのことはある」

 

 ハルツ公も、さすがにご主人様が引き受けてくれるか不安だったのだろう。安どした様子である。

 

「ま、なんとかなるだろう」

 とご主人様が楽観的な口調で、なぜか私の方を見ながら言う。本当にそうだといいのだが……。

 

「出撃は今夜遅くになる。酒はないが、たっぷりと飲み食いして英気を養ってくれ」

 

 そうは言われても、これまでのように気安く食事ができるような雰囲気では全くない。若干一名を除くが……先程までの緊迫した雰囲気の中にあっても、当人は平気で尾頭付きにかぶりついていた。

 ともあれ私たちはそのまま食事を続けていたが、その最中にノックの音がして声がかかる。

 

「閣下、ゴスラーです」

「ゴスラーか。今ドアを開ける。入ってはくるなよ」

 

 一度入ると出られないというルールは、こういうときでも適用されるらしい。部屋の入口に立ったまま、ゴスラーさんが小声でハルツ公と何やら話している。私の席からは何を話しているのか全く聞くことができない。

 しばらくして、話を終えたハルツ公が、ドアを閉め、自分の席に戻るなりこう言った。

 

「すまんな。少々作戦の修正が必要となった。決行を早める」

「弟に何かあったのですか?」

 と心配そうなカシアさん。私たちには何のことだかさっぱり分からない。

 

「いや。彼に問題はない」

「そうですか」

 

 カシアさんは安心した様子だが、やっぱり私たちは蚊帳の外である。

 

「弟というのは、カシアの従弟でな。次期セルマー伯爵になってもらう予定だ」

「その人が次のセルマー伯に」

「そのためには彼にも今回の挙兵に参加してもらわねばならん。だが、騎士団の冒険者が迎えにいったところ、運悪く他の人と一緒にいたらしい。まったくの無関係者ならよかったのだが、セルマー伯とも通じている者だ。余の騎士団がセルマー伯の親戚を呼び出すのは何故か。聡い者がいれば関係に気づくかもしれん」

「それで決行を早めると」

「確実を期して寝静まる時間帯まで待つつもりだったが、そうも言っていられなくなった。必要最小限の準備が整い次第、セルマー伯の居城に突入する。今からの時間でも大きな問題はないだろう。夜になれば謁見の間に人はいないはずだ。こことセルマー領との距離はそれほどないから、時間が変わることは考えなくていい」

 

 ようやくハルツ公から事の詳細が説明された。もとより私たちには何も言う権利はなく、ご主人様に任せるしかない。とにかくご主人様に害が及ばないように、できる限りのことをするほかない。

 とはいえ向こうに乗り込むのが、私達の中ではご主人様ただ一人であることが不安で仕方ない。ロクサーヌさんと頷きあう。彼女もやはり同じ気持ちのようである。

 

 再びドアがノックされ、ゴスラーさんの声がした。するとハルツ公がいきなり剣を抜いたのにはびっくりした。

 ドアの外にはゴスラーさんだけでなく、他に二人エルフ族の男性がいた。一人は身につけている装備からしてハルツ公騎士団の人のようだが、もう一人は全く知らない人だ。

 

「久しいな」

「こ、これは?」

 

 いきなりのことにその知らない男性が驚いているが、当然だろう。

 

「端的に言おう。貴公には次期伯爵になっていただきたい」

 

 どうやらこの人がカシアさんの従弟らしい。しかしこの人にもハルツ公は事前の説明は一切なく、一から説明するということのようだ。ご主人様も呆れた様子だ。

 

「伯爵を……討たれるのですか?」

 

 言われた当人は顔色が真っ青だ。

 

「こうなることは分かっていたはずです。しっかりしなさい」

 

 ハルツ公は無言でうなずくだけだったが、カシアさんがきっぱりと言う。

 

「それは……そうですが」

 

 この男性も自覚はあったようだ。

 

「分かっていよう」

「しかしそんなことをすれば」

「非公式ながら全エルフ最高代表者会議の賛同は受けている。非公式なのは、セルマー伯もメンバーだからにすぎない。というよりも、この件は会議からの要請だ。伯爵が減って困るのはエルフ全体の話だしな。貴公が次期伯爵になればすべては丸く収まる」

 

 全エルフ最高代表者会議というのは初めて聞くが、ドワーフ族にも同じような組織があるらしいことは私も知っていた。やはりハルツ公はこれまでの間、そういった根回しも含め、周到に準備を進めてきたということなのだろう。しかもハルツ公の根回しはこれだけではなかった。

 

「内々だが昨日皇帝にも話を通した」

 と、さらにハルツ公が畳みかける。

 

 あの皇帝も了承しているとの話である。ただこのとき私はまだ解放会の入会式にいたあのおじさんが皇帝だとは知らなかったのだけれど。それとこれも後から知ったことだが、ハルツ公は、全エルフ最高代表者会議の議長職にあるらしい。ああ見えて(というと失礼だが)、彼は全エルフ族のトップということになる。これには正直驚いた(ただそんなハルツ公でも頭が上がらないという女性がいるらしい。エルフ一族の長老格であり女性たちの長でもあるという存在とのこと)。

 結局のところ、迷宮という共通の難敵がいることから、帝室や貴族間の結束は思いのほか固いのだろう。お互いにいがみあったり、争ったりしている場合などではないということか。

 そして、迷宮を駆除できず、領内の安全を保障できない貴族に対する風当たりも、極めて強くなるということなのだろう。もっともなことではある。

 

 そうこうしている間に、招集をかけていた人員がそろったようだ。

 ハルツ公が会議の終了を宣言し、ようやく部屋を出てみんなで移動する。移動した先は、以前ロクサーヌさんが模擬戦をした広い部屋だった。

 その部屋には煌々とかがり火がたかれており、すでに大勢の人が完全武装でハルツ公を待っていた。

 ハルツ公がカシアさんの従弟に向けて、おもむろに話を始める。周囲の緊張感がスゴイ。

 

「簡単に作戦を説明しよう。まず、貴公にはこちらの用意した人員とともに城に飛んでいただく。今回倒すのはセルマー伯爵一人でいい。正面から入ってその旨を触れ回り、伯爵側に抵抗させないようにしてくれ。抵抗が弱ければ、その功績は貴公の手柄となる」

「精一杯のことをします」

「その隙に、ミチオ殿にも飛んでもらう。続いてが余らの出番となる。一気に攻め込み、城内を押さえる」

 とご主人様にも話が振られる。

 

 だがここでロクサーヌさんが突然話に割り込んだ。

 

「待ってください。最初はご主人様と一緒に私が行きます」

「ロクサーヌが?」

「はい」

 

 驚いたご主人様が訊き返すが、ロクサーヌさんがうなずいている。

 

「どういうことだ?」

 

 ハルツ公も訊いてくる。

 

「ご主人様の行かれる場所は絶対安全ではないのですよね?」

「そうだ、な」

「そのような場所にご主人様を一人で行かせるわけにはいきません。私が一緒に行って、何かあったときには必ずお守りします」

 

 普段のロクサーヌさんらしからぬ強い口調だ。だが、確かに彼女の言う通りである。

 

「しかし、人数が」

 

 ハルツ公もさすがに戸惑っている。彼の思惑も分かることは分かる。だが、こちらもご主人様の安全を確保することについては決して譲れないものがある。

 

「それならば、作戦決行の前に俺が一度偵察に行ってこよう」

 と、ご主人様が妥協案を出してきた。

 

「偵察だと?」

「待ちかまえられていないかどうか、一度行って見てくれば分かる。俺とロクサーヌだけで行ってくればいい。それならロクサーヌも安心だし、作戦の変更もほとんどない」

 

 なるほど。

 

「それはそうだが」

 

 一応は理解してくれたものの、ハルツ公は渋い顔をしている。ご主人様を信用していないわけではないのだろうが、決行前に作戦が向こうに露見してしまうのを、ひどく恐れているような感じである。ハルツ公の心配ももっともではある。

 

「俺たちが帰ってきたらすぐにそのまま作戦決行でいいし、帰ってこなければ失敗とみなして作戦を中止してもいい」

「危険では」

 

 ご主人様とロクサーヌさんだけで行かせることの危険性についても、ハルツ公は心配してくれているようだ。

 

「元より危険性は変わらない。俺たちだけで行けば、失敗したときに騎士団の冒険者を失わずにすむ」

「ミチオ殿を使い捨てるつもりはない」

「分かっている」

「見張りがいる可能性もある」

「俺たちでなんとかできるならしてくるし、帰ってまた行くだけならたいして手間もかからない。見つかったところでセルマー伯側に迎撃の準備を整える時間はないだろう」

「見張りに見つかっていれば、エンブレムが撤去されてしまう」

「大丈夫です。一度偵察に行けるなら、私も安全です」

 

 ロクサーヌさんも必死でご主人様の計画を援護する。

 

「行って帰ってくるだけだから裏切って何かをするような時間はないし、裏切って俺たちが帰ってこなければ作戦をやめるだけだ」

「そうだな。ではこちらからも人を出そう。向こうがどうなっているか分からん。何かあったときのためだ」

 とハルツ公も妥協案を出してくれたが、

 

「何かあるといけないなら俺たち全員で行く。そうなると枠は少ない。ならば俺たちだけで偵察してきた方がいいだろう。俺たちだけの方が連携を取りやすい。人が増えるとは何かあったときに犠牲も増えるということだ。公爵から預かった人材を気にして俺たちがうまく立ち回れなくなっては本末転倒だろう」

 

 ご主人様はロクサーヌさんだけでなく、私たち全員で行くことを主張する。ワープの呪文を使って、エンブレム以外の場所に跳ぶつもりなのだろう。そうなるとハルツ公の気持ちは有り難いのだが当然部外者を連れていくわけにはいかない。

 

「そうか。うーん。分かった。ミチオ殿たちだけで偵察を認めよう」

 

 結局ハルツ公が折れてくれた。私もホッとした。

 

***

 

 向こうに跳ぶ前に、ご主人様から私たちに装備品が渡される。いつも通りの完全武装とはいかないが、可能な限り装備を整える。

 

「これから行く部屋には垂れ幕が下がっている。そこがどうなっているかを見てほしい。誰か他に人がいても、可能なら逃げてくる。戦闘はなるべく避けるつもりだ。手を引いたら撤退の合図だと思ってくれ」

 

 ご主人様から私たちに指示が出される。

 

 そうしているとハルツ公が部屋の一番奥に立ち、部屋にいる全員に対しよく通る声でこう言った。

 

「作戦内容については諸君らも理解していよう。この作戦は、全エルフ最高代表者会議の賛同を得た正当なものだ。必ずや正義の秤はこちらに傾く。怠慢と怯懦は、平和と繁栄にとって罪であり、許されるものではない。余らの戦いはそれを正すためにある。臆することはない。勇敢に戦い、気高き勝利を。未来はみなの双肩にかかっている。ハルツ公爵家とセルマー伯爵家に栄光あれ。諸君らの奮闘に期待する」

 

 ハルツ公の並々ならぬ決意が窺える。それに応えてその場の全員が気勢を上げる。全くの部外者である私たちにも、彼らの熱気がひしひしと伝わってくる。

 

「では、まずは偵察に」

「ミチオ殿、注意して行かれよ。自分たちの安全をまず第一に考えて行動してほしい。どのような事態になろうとも責任はすべて余が持つ」

「はい」

 

 ハルツ公とのやり取りのあと、私たちを連れたご主人様が、部屋の奥にある垂れ幕から、フィールドウォークと見せかけてワープする。

 

 そうして出たところは真っ暗な部屋の中だった。誰もおらず、物音ひとつしない。ここはセルマー伯の居城の謁見室らしい。

 

「ここには誰もいないようですね」

 とロクサーヌさん。

 

「たれまく、です」

 

 暗闇でも物が見えるミリアが、すぐに垂れ幕があることを教えてくれた。

 

 ベスタは黙ってはいるけれども、一応はこの事態を理解しているようだが、ミリアについてはどうにも心もとない。ただこういった緊迫した事態にあっては、彼女のような物おじしないというか、無頓着な性格の方がむしろいいのかもしれない。

 

「垂れ幕におかしなところはないか?」

 とご主人様がミリアに確認するが、

 

「ない、です」

 とのこと。これで目的は達せられた。

 

 ご主人様がすぐさま一人で戻るということで、パーティーを解散する。すぐにまたここに戻って来るので、それまで私たちにじっとしているように言う。くれぐれも勝手に動かないように、また自分たちの安全を第一に考えるようにと言い残して、ボーデの城に戻っていった。

 私たちはご主人様がやってくるまで、お互いに手を取り合ってじっと待っていた。

 

 ……随分長いこと待っていたようにも感じられたが、実際には割とすぐだったと思う。ご主人様が5人の人たちを連れてやって来たけれども、間髪入れずに全員でまた戻っていった。あの5人はいずれも、フィールドウォークが仕える冒険者なのだろう。

 しばらくすると、建物内が騒然とし始めた。それとほぼ時を同じくして、先ほどの冒険者に連れられてハルツ公の騎士達が次々と跳んでくる。彼らがすぐに城内に駆け込んでいくと、そこでもたちまち喧騒が起きる。そしてその後間もなくしてご主人様が、今度はハルツ公たちを連れてやってきた。ハルツ公も勢いよく謁見室を出ていく。ハルツ公自身が突っ込んでいくのはどうかとも思ったが、これだけの人数を送り込めれば、もう勝敗は決まったも同然だろう。戦いはやはり数が物を言うのである。

 

 残ったご主人様が再び私たちをパーティーに組み込む。

 

「俺はまだ仕事があるが、ロクサーヌたちは向こうに戻って待機だ。今から戻る」

 

 ボーデの城に戻ると、その言葉通り私たちはここで待っているように言われた。ご主人様はまた向こうへ行くらしい。あれだけの人数が乗り込んで、しかも完全な奇襲になったのだから大丈夫だとは思うが、それでも心配ではある。

 

「くれぐれもお気を付けください」

 と私が言うと、

 

「大丈夫だ」

 とご主人様は、私たちを安心させるように言ってくれた。

 

***

 

 それからはまたしばらく待機が続いた。こちらに来てから、ずっと気を張り詰め続けていたので、正直みんな疲れていたし、私も疲れていたのだが、不思議と眠気は全くなく、みんなで部屋の隅に座り込んでいた。……ミリアはベスタの膝の上で丸くなっていたが(お姉ちゃんじゃなかったのか)。

 気づけばかなりの時間が経過し、夜も遅くなってきた。私たちにはどんな状況なのか全く知らされないので(当然のことだけれども)、何がどうなっているのかさっぱり分からない。乗り込んだ先では騒動となっているのだろうが、こちらは至って静かなものである。

 ロクサーヌさんはご主人様のことが気になって仕方ないのか、非常に不安げでいつもの彼女らしからぬ様子である。

 

 さらにしばらくして、ハルツ公とカシアさんが戻ってくるのに続いてご主人様も戻ってきた。特にケガをした様子もなく、変わり無さそうだ。

 

「ご主人様」

 

 ロクサーヌさんがすぐにご主人様のところに駆け寄る。私やミリア、ベスタも続く。

 

「こっちでは何もなかったか?」

「はい」

 

 どうやらセニ号作戦とやらは上手くいったらしい。ともかくご主人様が無事でよかった。とくにロクサーヌさんはとても安どしていた。

 だが、ご主人様は一人ではなかった。見慣れぬエルフの若い女性が一緒だったのだ。とても若く見える。どことなくカシアさんに似ているが……。

 

「なるほど。奴隷を抱えるごく一般的なフリーの冒険者というところですか」

「ご主人様、このかたは?」

 

 なんだろう突然やってきてこの物言いは。ロクサーヌさんが訝しがるのも当然だろう。

 

「家に帰ったら説明する。今日のところはひとまず終了でいいそうだ」

 

 カシアさんがこの女性に話しかけてくる。

 

「ルティナ、今日のことにめげず、強く生きなさい」

「当然のことです」

「辛抱強くがんばれば、いつかは持ちなおすこともあるでしょう」

「再起の目があると、本当にそうお考えですか?」

 

 ルティナと呼ばれた彼女の口調は穏やかだが、カシアさんに非常にキツい言い方をしている。一体何があったかはしらないが、とても険悪な雰囲気だ。

 

「ですが」

「大丈夫です。いただいたチャンスは活かすつもりです。心配には及びません」

「ミチオ様、ルティナのことよろしくお願いいたします」

 

 カシアさんは、悲し気な表情のまま、ご主人様に頭を下げた。

 

「はい。ルティナ、移動するけど、もういいか?」

 とご主人様。

 

「十分です」

「それでは、ルティナ。どうか息災で」

「姉様こそせいぜい長生きを」

 

***

 

 私たちは最後まで何も分からないまま、クーラタルの家に帰って来た。ご主人様の指示で、夜目の利くミリアが隣の部屋からカンテラを持って来る。ベスタがそれに火をともした。

 

「じゃあ全員座れ」

 

 明るくなったテーブルにみんなが座る。

 

「失礼します」

 

 ルティナといったか、彼女も空いている席、ご主人様の左隣に座る。

 

「彼女はルティナだ。いろいろあって俺のところで預かることになった」

「はっきりおっしゃればよろしいのに。敗残兵を下賜されたと」

「敗残兵ということは」

 とご主人様が困った様子で言うが、

 

「どんなに言いつくろっても同じことです。戦利品の分配は当然のことです」

 

 彼女はそう言うと、私たちの方を向いてさらに言葉を続ける。

 

「本日の戦いでみじめに負けた敗者のルティナです。ミチオ様に戦利品として与えられることになりました。みなさまにとっては後輩ということになります。どうぞよろしくお願いします」

 

 なるほど。おおよそ話が見えてきた。彼女はセルマー伯の関係者、おそらく伯爵の娘なのだろう。確かにそのままにはしておけないだろうが、ご主人様に預けられるとは……。

 

「彼女も奴隷なのでしょうか?」

 とロクサーヌさんが訊く。

 

「そうだ」

「一番奴隷になろうとは思わないので安心してください」

 とルティナが言う。どうでもいいが、先程からずっと彼女の態度が刺々しい。自分が置かれた状況が分かっていないのだろうか。

 

「まあ変更するつもりもないし」

 とご主人様。当然だろう。

 

「将来は諸侯会議で活躍したいと思います。それはわたくしにとって夢でした。あの男のせいですべて失われたと思ったのですが、まだ可能性として残っているようです。わたくしは一番奴隷になるよりそちらの道を進みたいと思います」

 

 あの男というのは、どうやらハルツ公のことらしい。今回の件で彼女はハルツ公のことを相当恨んでいるようだ。しかし奴隷に堕とされたというのに、諸侯会議で活躍したいというのは……いったいどういうつもりなのだろうか。正直なところ全く理解できない。

 

「諸侯会議ですか」

 とつぶやくロクサーヌさんに、

 

「貴族が参加して法律を制定する会議のことですね」

 ととりあえず説明しておく。

 

「いろいろあって、俺が迷宮を倒して貴族になったらルティナにそっちの仕事をまかせることになった」

「……ご主人様ならいつか迷宮を倒すことは間違いありません」

 とロクサーヌさん。と言いつつも、彼女は訝し気な表情だが、それも無理はない。

 

 前に彼女から聞いたことだが、以前ご主人様はロクサーヌさんに、自分は立身出世をするつもりは全くないと言い切っていたはず。

 セルマー伯のお城で、ご主人様とハルツ公らとの間に一体どのような話があったかは知らないが、これはどういう心境の変化なのだろうか。

 

「迷宮に入ることは問題ないか?」

 

 ご主人様が話題を変えるように、ルティナに尋ねる。

 

「父がやる必要はないと言い出して、幼いころにパーティーを組んでわたくし以外のパーティーメンバーが迷宮に入ることはあまりしていないそうです。ある程度の経験を積めば魔法使いに転職できると思いますが、それまでは迷惑をかけるかもしれません。ですが、魔法使いとしてお役に立てると思います」

「最初はパーティーだけ組んで、魔法使いになるまでは迷宮に入らないという手もあるな」

「心配なさらずとも、刺したり逃げ出したりするようなことはいたしません」

「俺と刺し違えるなら公爵を狙うか」

「チャンスがあれば、あの男はどうなるか分かりません」

「逃亡して生きていくのも大変だろうし」

「そのとおりです。そもそも、伯爵にならずセルマー伯爵家に残ったとしても、将来の火種として扱いは微妙だったでしょう。外に出たとしてわたくし一人の力で再興がかなうと考えるほどうぬぼれてもいません。それならば今の状態の方がよっぽどよいといえます。あの男の書いた筋書きに乗るのは癪ですが。ミチオ様には感謝を」

 

 ふぅむ。彼女は自身の境遇を全く理解していないわけでもないらしい。ロクサーヌさんの表情もやや和らぐ。

 

「伯爵様の関係者なのですか?」

 と一応確認のために訊いてみる。

 

「そうだな」

「そうですか」

 

 やはりそうか。しかしこの様子では果たして戦力となってくれるかどうか……。

 

「公爵が憎いなら、秘密をばらすこともないか?」

「どういうことでしょう」

「いやまあ、あまりパーティーの戦略や手の内を第三者に知られるのはな」

 

 やはり最大の問題はそこである。私たちにはというかご主人様には、部外者には決して知られてはいけない、内密にしなければならないことが山のようにある。先ほどご主人様もいっていたが、彼女を迷宮探索に直ちに参加させるのも考えものということである。

 

「あの男を利するような行動は考えられません。それに、情報は将来諸侯会議で役立つかもしれません」

 

 うぅむ。ルティナの話ぶりにロクサーヌさんの顔つきがどんどん険しいものになっていく。

 

「俺も実行部隊の一員だったのだが」

「参加させられただけの雑兵まで恨んでも仕方がありません」

 

 あ、これは地雷を踏み抜いたな。これを聞いたロクサーヌさんが、これまで見せたことのないようなとても険しい顔でルティナのことを睨みつけた。一瞬のことだったのでご主人様は気づかなかったようだが、すぐ隣りにいた私には分かった。ロクサーヌさんの中で何かが切れたような感じだ。彼女がこれだけ感情をむき出しにするのは珍しいというか、おそらく初めてのことだろう。

 確かにルティナのこの物言いはあまりにひどい。これは多少手荒な方法をとってでも彼女に分からせる必要がありそうだ。

 

「きょ、今日はもう遅いからこれくらいにしよう。明日の朝はゆっくりでいい」

 

 殺伐とした雰囲気を察したのか、やや慌てた様子で、ご主人様が強引に話を打ち切った。

 

「分かりました、ご主人様」

 とロクサーヌさんが笑顔で答える。が、すぐにまた険しい顔つきに戻る。

 

 結局ルティナだけ私たちとは別に、1階の部屋の床で寝ることになった。

 彼女のために予備の毛布を持ってくるようにご主人様がミリアに言う……が返事がない。

 

「ミリア?」

 

 ロクサーヌさんも問いかけるが、どうやら居眠りしているようだ。

 確かに夜も遅いし、正直私も眠い。けれどミリアはさきほどもベスタの膝の上で寝ていたはずなのだが。

 ロクサーヌさんに起こされたミリアが、目をこすりつつ毛布を取りに部屋を出ていく。怒っているロクサーヌさんをご主人様がなだめている。

 

 ともあれ長かった一日がようやく終わる。

 ルティナを残してみんなで2階に上がるが、ロクサーヌさんが不満げにご主人様に言う。

 

「あまり特別扱いはよくないと思います」

「特別扱いといっても床の上で寝るのだからな。しばらくはこれでいいだろう」

「そうですか」

「それより彼女は信用できるだろうか」

「信用ですか?」

「迷宮に連れて行けば、いろいろと知られてしまうことになる。だから、すぐには迷宮に入れないようにしたのだ」

「なるほど。そういうことだったのですか」

 

 やはりそういう趣旨だったか。しかし彼女の扱いは大変難しいものになるだろう。ご主人様は今後彼女を一体どうするつもりなのだろうか。

 

「どこまで信用できるか、まだ今日一日では分かりません。ただ、恨みも持っているようですし、スパイということはなさそうです」

 と言ってみる。ハルツ公から送られてきたスパイということはないだろうが、それでも彼女が果たしてこの先どう出るか。

 

「スパイ?」

「内情を探るために送り込んできた者のことです」

 と私がロクサーヌさんにそう説明すると、

 

「そんなことはさせません」

 と彼女が意気込む。

 

「しばらくは注意を払ってくれ。今日はもう寝よう。眠いだろう」

 

 寝る前にいつものように、ベスタから順番にご主人様とキスを交わしていく。ただ今日はもう夜も遅いし、とにかくいろいろあって疲れたのか、みんなあっさりだった。私も短時間ですませたのだが、ロクサーヌさんだけはいつものように、いやいつも以上に情熱的にキスしていた。

 

***

 

 ところでなぜこのルティナという娘がご主人様の奴隷となったのか、後でご主人様から聞いた話だとどうやらこういうことらしい。

 

 セルマー伯については、ここまで迷宮を駆除せず放置した以上、このまま伯爵としておくわけにはいかない。けれども本人は隠居することなど絶対に同意しないだろうから、これを討つのはやむを得ない(あのカシアさんですら、ルティナを厳しく詰ったらしい。それだけ貴族の責務というのはやはり重いものなのだろう)。

 その場合、セルマー伯の長女であるルティナには、当然爵位の継承権がある。ハルツ公の推すカシアさんの従弟はあくまで傍系なので、直系の実子である彼女がいる限り、普通なら彼はセルマー伯にはなれないことになる。

 

 ハルツ公としては、セルマー伯爵家を早期に立て直す必要があることを前提に、伯爵自身の背信行為があったことや、継承権を持つとはいえまだ若いルティナではどうしても力不足で、全エルフ最高代表者会議の承認も得られないことから、彼女に継承権を放棄させる必要があると考えたという。

 もちろんルティナを亡き者にするという選択もあったのだろうが、ハルツ公にはそんなつもりは最初からなかったのだろう。彼女を奴隷に堕とすことで、継嫡家名を外し、爵位の継承権を失わせることとなったそうである。非常時でカシアさんの従弟を襲爵させるための正規の手続(正規の手続をとれば継嫡家名の順位に関係なく襲爵可能とのこと)をとっている時間的な余裕がなかったということもあったらしい(他種族からの横やりも全くないとはいえないのだそうだ)。

 

 もちろんルティナは奴隷となることを拒否した。犯罪者でもない限り、本人の同意なく奴隷とすることは当然できない。

 あくまで拒む彼女に対し、ハルツ公は、そうしなければ彼女の弟や妹にも類が及ぶかもしれないと言ったらしい。彼女が奴隷となることで、貴族の責務を怠ったセルマー伯に考を尽くし、自ら責任を取って貴族の責務をまっとうしたことになると説いたそうな。この辺り、さすがにハルツ公は老獪である。貴族としては至極当然のことなのだろうが、将来的にルティナの弟や妹の継承権が復活する可能性があるとも言ったらしい。この時点ですでに彼女は完全に追い詰められていたのである。ハルツ公の方が一枚も二枚も上手だったというわけだ。

 

 以上のやりとりを、ご主人様は傍でただ見ているだけだったのだが、ルティナの引受け先として突然ご主人様がハルツ公から指名されたのだそうだ。ご主人様もこれにはさすがに面食らったらしいのだが、ハルツ公はそれだけご主人様のことを高く評価していたということなのだろう。これは後になってルティナ本人から聞いたことだが、ハルツ公は彼女に、

 

「このミチオ殿は、余らにもうかがい知れない実力を持っているようだ。おそらくは遠くない将来、迷宮を倒して貴族の仲間入りをするだろう。そうなれば、元貴族である貴女にとって大いに活躍の場ができる」

 と言ったのだそうだ。

 

 後から考えてみると、私たち奴隷も含めてハルツ公が晩餐会に招待してくれたのも、ご主人様が私たちをどのように扱っているか見極めようとしていたのかもしれない。これは私の勘ぐりすぎかもしれないが。

 ご主人様の率いるこのパーティーの実力は、サボーたちとの対決や、解放会の入会試験で十分測れていたものの、パーティー内部の関係性などまでは分からない。そこでハルツ公は、晩餐会やその後のセルマー伯の居城への突入時の様子などを見て、ルティナのこの処遇を決めたのだろうか。

 

 ルティナにはすでに婚約者がいたらしいのだが(もっとも本人はほとんど面識がなかったらしい)、奴隷に堕とす以上当然婚約は破棄、引受先についても貴族やその一族は論外、普通の平民というわけにもいかないということで、自由民であり、全くしがらみのないご主人様に白羽の矢が立ったというわけである。

 ハルツ公からは、ルティナが魔法使いになるための試練をクリアしていること(実際にはほとんど迷宮に入っておらず(おそらく一回のみ)、ジョブは村人のままだったそうだが)、魔法使いがパーティーに加われば、迷宮討伐に一歩も二歩も近づくだろうということ、さらにはカシアさんに似て美人だろうとも言われたそうな(二人は従姉妹同士だそうだ)。どうやらご主人様がカシアさんを強く意識していることは、ハルツ公にもバレていたらしい。

 

 そして、ここからがとくに重要なことなのだが、ルティナを引き受ける条件として、ご主人様は早いうちに迷宮を討伐し、貴族となることを約束させられたそうだ(迷宮討伐だけでなく、貴族となった後にも、さまざまな点で彼女が役に立つだろうともいわれたそうな)。先ほどもいったが、おそらくハルツ公はここまでの展開を見据えて、ご主人様を解放会に推薦したのだろう。種族が違うとはいえ、ご主人様が貴族になれば、当然のごとくハルツ公の陣営に組み込まれることになるだろうし。

 その他の条件は、最低二年間彼女を所有すること以外はとくに付けられなかったそうだ。

 

 結局、カシアさんからもルティナのことをお願いされたご主人様は、これを了承した(してしまった)というわけである。以前ロクサーヌさんに対して、出世などするつもりはないと断言していたらしいことは先にもいった通りだが、どういう心境の変化だろうか。こんな面倒事を引き受けたのはご主人様らしくないといえばらしくない。ハルツ公に恩義があるというのもそうだろうが、やはり純粋にルティナが欲しかったのだろうか。ご主人様はルティナにカシアさんの姿を重ねているのかもしれない。

 

 というのも先ほども言った通り、ご主人様はハルツ公夫人のことが以前から気になっていたようだ。本人はバレていないつもりのようだが、周りからすればバレバレだ。当然向こうも分かっており、ハルツ公夫妻は自分たちの非常に仲の良いところを殊更に見せつけてきているような感じがしていた(特にハルツ公の方が)。

 全くしょうもない人だ。ご主人様には私たちがいるというのに。

 まあそれはともかくとして、いつも慎重な姿勢を崩すことのないご主人様が、ルティナの事をアッサリ引き受けたのも、やはりハルツ公が言う通り彼女がカシアさんによく似ていたからなのだろう。カシアさんの従姉妹だということだし、彼女が似ているのも当然だ。

 

 しかし私が何よりも気になったのは、このことをロクサーヌさんはどう感じただろうか、である。彼女の表情からは全く読み取れない。一見にぶそうな彼女だが、実はこういうことには非常に敏感ではある。ただ彼女のことだから、それがご主人様にとって良いことなのであれば、無条件に肯定しそうだけれども(私が加入したときも、彼女が内心ではどう思っていただろうかと不安に思ったことがあったが、その時は後でこれで良かったと言ってもらえてホッとしたのを覚えている)。

 

 確かにこれはご主人様にとって決して悪い話ではない。いろいろなしがらみにとらわれる危険は否定できないが、私達にとって良い目標が出来たといえる。

 そうなると残された問題は、このルティナをどうするかである。いろいろとショックを受けたせいもあってか、強がっているようにも見えるし、もともとは素直な性格であるようにも感じられた。本来の彼女は、さほど気が強そうにも見えないし、大事には育てられてきたのだろうか、性格が歪んでいるようにも思われない。

 となると問題はどうやって彼女を現実に引き戻し、そして私たちの味方に引き込んでいくかということになる。

 

 以上の話は、ルティナが落ち着いた後になってご主人様から聞かされたものなので、当時の私たちは、ここまでの事情は分からなかった。ただあの時点でのロクサーヌさんと私の認識としては、やはりこのままではいけない、彼女をパーティーに加えるのであれば、何とかして現実を分からせる必要があるだろうということで、このときすでに完全に一致していたのである。

 

***

 

 翌日は、早朝の迷宮探索は自然とお休みになり、みんなで二度寝をした。さすがに昨日はいろいろなことがありすぎて、ご主人様も私たちも相当疲れがたまっていたようだ。

 

 いつもよりかなり遅い時間となってしまったが、朝の儀式(いつものアレである)を済ませ、全員で1階に降りると、ルティナはもう起きて、所在なさげにリビングに立っていた。

 

「おはようございます」

 彼女は礼儀正しく挨拶はするものの、その態度は非常に素っ気ない。

 

「おはよう、ルティナ。これから朝食にするが、ルティナは何か作れるか?」

「いいえ。食事を作ったことなどありませんので」

 とくに自慢するようなことでもないのに、彼女はなぜか胸を張っている。

 

「まあしばらく手伝っていればすぐに覚えるだろう」

「わたくしはいずれ諸侯会議の方に専念したいのですが」

 あ、これも地雷踏んだな。やはり彼女は自分の立場が分かってないようだ。

 

「うちでは、全員で作って全員で食べます」

 ロクサーヌさんがすかさず口を挟む。

 

「最初は手伝いでいい。何か作れるようになってくれ」

 とご主人様が言う。

 

「分かりました」

「朝食の食材やパンなんかはこれから買いに行く。後は、靴だな。装備品を一つ渡そう。武器はどうするか。何か持ちたいものはあるか?」

「武器を携帯してもよろしいのですか?」

「何かしてこないなら大丈夫だ」

「それなら、うまく使えるとは思いませんが、片手剣をお願いします」

「片手剣か」

 ご主人様はわざわざ物置まで取りに行ってあげるようだ。

 

「あの男にまみえたときのために少しは練習しておきましょう」

 などと彼女はつぶやいているが、そんなことよりも先ほどからロクサーヌさんの雰囲気が尋常じゃない。今にも噴火しそうだ。これはタダでは済みそうにない。

 

 ミリアもベスタも黙っている。というかあのミリアですら異常な雰囲気のなかで黙り込んでいる。

 昨日からずっとそうなのだが、この娘は地雷を踏みまくっているなぁ。地雷原を何も考えずに突っ切っている感じがする。

 おそらくこれまで何不自由なく大事に育てられてきたのだろう。緊張感というか場の空気が全く読めていない。

 

 しかしこれは困った。同じ感覚でもし彼女が迷宮探索に臨むというのであれば、これでは命がいくつあっても足りない。しかもこれは本人だけの問題では決してない。パーティー全体の生存にも関わってくる。ロクサーヌさんが難しい顔をしているのも、一番奴隷としてその点に強い懸念があるからだろう。

 もちろんルティナ自身が言う通り、貴族の娘である彼女は魔法使いにはなれるはずなので、上手くやれば戦力アップは確実だし、パーティー全体の攻撃の幅も広がるはず。彼女がどこまでやれるかは現時点では未知数だが、このパーティーにとって彼女の存在が大きなプラスになる可能性は十分にある。

 だがそれも彼女の心がけ次第である。少なくとも今のままでは、彼女もそうだし、私達にとっても上手くいきそうにない。

 そのうえこの娘は単に自分の置かれた立場が全く分かっていないというだけでなく、何よりもご主人様のことを雑兵と侮るなどとは到底許しがたいものがある。仮に私が許したしても、ロクサーヌさんが絶対に許さないだろう。現に彼女は相当お怒りのご様子である。

 

「では、これをな」

 と戻ってきたご主人様が、シミターと硬革の靴をルティナに手渡している。ご主人様は普段から奴隷にも武器の携帯を許しているのだが、まあシミターなどどうせ今の彼女には使いこなせそうもないだろうから、持たせておいても大丈夫だとは思う。

 

 その後みんなで朝食を作ったのだが、やはり彼女は見ているだけだった。

 食べるときの所作も、彼女は私たちとは全く違っていた。食前のお祈りから始まって、食事の仕方自体も、ハルツ公やカシアさんなども同じだったのだが、貴族らしくとても洗練されていた。こういうところは私たちも見倣ってもいいかもしれない。

 

***

 

 食後、ご主人様がボーデの城に行くということで、

 

「後のことはロクサーヌにまかせた」

 というと、

 

「おまかせください」

 と答えたロクサーヌさんの目がまた光ったように見えた。いよいよか。

 

 そしてご主人様が出かけるとすぐに、ロクサーヌさんが私のそばにやってきて耳打ちしてくる。

 

「このルティナという娘、このままではご主人様に仇なすかもしれません。ここで私たちがしっかりと分からせる必要があると思います」

 

 確かにロクサーヌさんの言う通りである。ずっと言ってきたことだが、ルティナについてはさすがにこのまま置いておくわけにはいかない。ご主人様がどういう方針かは分かりかねるが(ただ優しいというより気弱な性格なので、あまり強く言えないだろうということは容易に想像がつく)、先ほども言った通り、私たちには内密にしなければならないことが山のようにある。

 下手なことを外に漏らされて、ご主人様に何かあったら大変だ。私たち奴隷も路頭に迷うことになりかねないが、何よりもご主人様にはひどい目にあってほしくない。

ここはしっかりと彼女に言い聞かせる必要があるだろう。

 

「そこに座りなさい」

 ロクサーヌさんがおもむろにルティナに告げる。物凄い殺気だ。微笑んでいるようにも見えるが、目が全く笑っていない。丸腰のはずなのにこちらが一刀両断にされそうな雰囲気だ。

 ミリアもベスタもこの異常な雰囲気を察したのか、距離をとり、固唾を飲んでじっとこちらを見ている。少し震えている?

 ミリアは自分の尻尾を足の間に挟み込むようにしている。普段全く見たことがないような様子だ。

 

「な、なんですの?」

 ルティナもさすがにビビっているようだ。言われた通り大人しく座る。

 

 それからロクサーヌさんの説教が懇々と続いた。口調はあくまで穏やかだけれども、一切の反論を許さない圧倒的な雰囲気に、ルティナもすっかり飲まれていた。魔物相手でも決闘のときでも、ロクサーヌさんがこれほどまでの殺気を発したことはなかったのではなかろうか。

 

 これだけでも十分だとは思ったが、私も一応ダメを押しておくことにした。先ほども言ったが、ご主人様を雑兵呼ばわりしたのはやはり許せない。

(ご主人様のことを悪く言うのは、自分がやるならまだ許せるが、他人にそんなことを言われる筋合いはない。全く気に入らない。)

 ロクサーヌさんの話ともかぶっているところはあるが、私が彼女に言ったのはだいたい次の通り。自分はロクサーヌさんのような殺気はもちろん出すことはできないが、その分理詰めで容赦なく彼女を責め立てた。

 

 ……セルマー伯がなぜ討ち取られたのか、そうした最悪の事態になるまで彼女は一体何をしていたのか。

 ……為政者としての在り方、貴族の責務や情報管理の重要性(その点ではハルツ公は確かに有能だった)。

 ……諸侯会議で活躍するなどと言っているが、お花畑のような恵まれた環境で、何不自由なく育てられてきた甘ちゃんに一体何ができるのか。

 ……軽はずみな行動が取り返しのつかないことになること、

 などなど。

 

 ルティナは目に涙を貯めながら、それでも最初は反抗的な目をしていたが、次第に打ちひしがれたのか大人しくなっていく。正直やりすぎのような気もしないではないが、これぐらいは仕方ないと思う。

 

 ただ最後に、ご主人様は稀有な人物であり、その下で研鑽を積めば、ルティナも必ず立派に成長できるはずであろうこと、だからご主人様のために私たちと一緒に頑張りましょうと、一応フォローもしておいた。

 

 彼女も最後にはこちらの話に素直に頷くようになり、ロクサーヌ姉さま、セリー姉さまと呼ぶようになっていた。ここまで簡単にいくとは正直拍子抜けだ。やはりもとは素直で根の優しい性格の娘なのだろう。

 ルティナの境遇を考えると同情の余地も十分にあるとは思う。けれどもここで下手に温情をかけることはやはりしてはならないように当時の私たちには思われた。

 私たちの今のこの境遇は、絶対に失うわけにはいかないのだ。

 

***

 

 その後、ルティナは従順になったようだ。いまだに諸侯会議で活躍するなどと言ってはいるが、いずれご主人様が迷宮討伐に成功し、貴族に叙せられることとなったとき、彼女の出自や知識、経験がきっと役立つことだろう(これは先にも述べたが、ハルツ公もそう言っていたらしい)。

 迷宮でも魔法使いにもなることができたし、急速にレベルを上げてきている。

(急速な成長は私たちも同じだけれど。ただ成長速度が尋常じゃない。)

 貴族の娘だけあって、ブラヒム語にも全く不自由していない(どの種族でも貴族同士の会話は基本的にブラヒム語になる)。

 ご主人様との関係も上手く行っているようだ(あっちの方も、初めてだったはずなのに大層悦んでいた)。

 

 魔法使いが加入したのは、私たちのパーティーにとってはやはり大きなメリットである。もともとご主人様の火力は圧倒的なものがあるが、詠唱共鳴を起こさずに、さらに追加で魔法を撃てることはすごいことだ。

 というのも、ご主人様はどうやら魔法を3回連続で放つことができるようだが(これだけでもとんでもないことだが)、それが4回になるということである。通常のパーティーでは全く考えられない。こうしてルティナが加入したことにより、単純に戦力が上がったのはもちろんだが、より柔軟で戦略性にも富んだ戦いができるようになった。

 このパーティーなら迷宮討伐も十分可能だろう。私もがんばらねばなるまい。

 

 ともあれこうして彼女もパーティーの一員として活躍するようになった。

 彼女が私たちのパーティーに加入した経緯は相当特殊なものであったことは確かだけれど、紆余曲折を経て、真の意味で私たちの仲間になったように思う。

 その後の彼女の活躍ぶりについては、また別の機会に話そうと思う。

 

 それはそうと、今回の件は、ルティナだけでなくミリアやベスタにとっても、かなりの衝撃だったようで、元々素直で大人しかった彼女たちだったけれども、ロクサーヌさんに対して、改めて畏怖の念を抱くようになったみたいである。

 ロクサーヌさんも、さすがにちょっとヤリ過ぎたのではないかと気にしていたが、一番奴隷としてはヤリ過ぎぐらいで丁度いいのだと言っておいた。それがご主人様を支える一番奴隷の役割なのだと。そう言うと彼女も納得してくれたようだ。まあこんなことはもう二度と無いだろうけど。




追記
書籍12巻を読む。
……OHANASHIが無くなってる……。
どーしたものか。

さらに追記
OHANASHIの前までを追加。OHANASHIの後も追加予定(ルティナが奴隷に堕とされた経緯など)。

書籍版11巻の最後から12巻にかけて、ルティナの性格がかなり善良?な方向に修正されていますが、個人的には最初のとんがった感じの方が貴族のお嬢様らしくて好きですね。ルティナがOHANASHIを受けたり、内密さんの凄いところを知って、心を入れ替え前向きに頑張ろうとするというのが彼女には似合っていると思います。
ですので、やはりウェブ版を維持することにしました。

後は【セリーから見たルティナ】とで、記述をどう分配するかですが、もう少し考えたいと思います。
例によって意見・要望・クレームいただけると嬉しいです。
残り少なくなってきましたがよろしくお願いします。

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